織田信時の人生   作:秋月 了

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天下の布陣――本願寺、最後の夜

 

 

 長篠で武田軍に壊滅寸前の損害を与えた後。

 

 信長は一度、岐阜へ戻った。

 

 そして休む間もなく、次の手を打った。

 

 評定の間には、織田家の主だった将たちが集められていた。

 

信長「武田はまだ死んでいない」

 

 信長は地図の甲斐と信濃を指した。

 

信長「だが、今なら仕留められる」

 

 その視線が、信忠へ向く。

 

信長「信忠」

 

信忠「はっ」

 

信長「関東方面軍を創る。総大将はお前だ」

 

 信忠は、静かに頭を下げた。

 

信長「勝家を指揮役とし、滝川一益、美濃三人衆を付ける」

 

勝家「若殿を必ず支えます」

 

一益「甲斐と信濃の残兵を、逃がさず押さえましょう」

 

信忠「父上の名を辱めぬ働きをいたします」

 

信長「武田にとどめを刺せ」

 

信忠「はっ」

 

 続いて信長は、中国地方へ目を移した。

 

信長「秀吉」

 

秀吉「へい」

 

信長「中国方面軍を預ける。三万を率い、西へ進め」

 

秀吉「三万……」

 

信長「毛利を見据えろ」

 

秀吉「承知いたしました」

 

 秀吉は深く頭を下げた。

 

 さらに信長は、光秀へ命じる。

 

信長「光秀」

 

光秀「はっ」

 

信長「丹波と丹後を取れ」

 

光秀「必ずや」

 

 光秀は丹波へ入り、波多野氏を味方に付けた。

 

 そして赤井氏を滅ぼし、丹波を織田の支配へ組み込んでいく。

 

 同じ頃。

 

 信長は丹羽長秀へ、新たな命を下していた。

 

信長「長秀」

 

長秀「はっ」

 

信長「安土に城を築け」

 

長秀「安土に、でございますか」

 

信長「ああ」

 

 信長は琵琶湖の方角を見た。

 

信長「京にも岐阜にも近い。人も物も集まる」

 

信長「天下を取るための城を、そこに建てる」

 

長秀「承知いたしました」

 

---

 

 一方。

 

 津田新六信時は、越前ではなく大和にいた。

 

 筒井氏と松永久秀が、小競り合いを起こしたのである。

 

 きっかけは定かではなかった。

 

 ただ最初に兵を動かしたのは、筒井順慶だった。

 

 織田への許しもなく。

 

 大和で勝手に戦を始めた。

 

 松永久秀は、それに対して容赦しなかった。

 

 筒井軍は打ち破られ。

 

 当主・筒井順慶は討ち取られた。

 

 新六の前へ、順慶の首が運ばれてくる。

 

松永「津田殿」

 

新六「松永殿」

 

松永「これで、大和の争いは終わる」

 

新六「終わらせる」

 

 新六は信長から預かった書状を取り出した。

 

新六「信長様から、松永殿へ沙汰があります」

 

松永「ほう」

 

 久秀は書状を受け取り、目を通した。

 

 そこには、二つの選択肢が記されていた。

 

 家督を息子へ譲り、隠居する。

 

 あるいは、切腹する。

 

 久秀は長い間、書状を見つめた。

 

松永「信長様らしい」

 

新六「……」

 

松永「私を生かす気はある」

 

松永「だが、もう二度と好きにはさせぬということですな」

 

新六「大和で許しなく戦を起こした者を、このままにはできません」

 

松永「分かっております」

 

 久秀は、小さく笑った。

 

松永「隠居いたしましょう」

 

新六「岐阜へお連れします」

 

松永「最後くらいは、静かな場所で茶を飲みたい」

 

新六「それは、信長様へお伝えします」

 

---

 

 松永久秀は、新六とともに岐阜へ向かった。

 

 家督を息子へ譲り。

 

 表舞台から退いた。

 

 かつて畿内を震わせた梟雄は。

 

 その後、病によって静かにこの世を去った。

 

 信長は久秀の死を聞いて、しばらく黙っていた。

 

信長「最後まで、よく分からぬ男だった」

 

新六「ですが、最後は自分で道を選びました」

 

信長「ああ」

 

 信長は窓の外を見た。

 

信長「それだけは、あの男らしい」

 

---

 

 石山本願寺。

 

 佐久間信盛は、相変わらず寺を囲むだけだった。

 

 だが今回は、新六が動いた。

 

 正親町天皇へ願い出て、和睦の仲介を求めたのである。

 

 帝は、一向宗そのものを滅ぼすことには慎重だった。

 

 僧が本来の道を歩むなら。

 

 民を救い、祈り、教えを説くなら。

 

 それまで断つべきではない。

 

 その考えのもと。

 

 朝廷の名代として、新六が石山本願寺へ向かった。

 

 和睦の場には。

 

 本願寺顕如。

 

 その嫡男・教如。

 

 そして織田方の将たちが並んでいた。

 

新六「織田と本願寺は、ここで争いを終える」

 

顕如「……条件は」

 

新六「武装を解くこと」

 

新六「一揆を煽らぬこと」

 

新六「僧として生きること」

 

教如「ふざけるな!」

 

 教如が立ち上がった。

 

教如「織田に頭を下げ、武器を捨てろと!」

 

顕如「教如、座れ」

 

教如「父上は、まだ織田を信じるのですか!」

 

新六「これは帝の仲介による和睦だ」

 

教如「帝など関係ない!」

 

 教如は刀へ手を伸ばした。

 

 その瞬間。

 

 顕如もまた立ち上がり、織田方を睨んだ。

 

顕如「信長は、寺を焼き、門徒を殺した」

 

顕如「我らが武器を置けば、次は本願寺そのものを潰すつもりだろう」

 

新六「違う」

 

顕如「信じられるか!」

 

 和睦の場が崩れた。

 

 僧兵たちが動く。

 

 教如が刀を抜く。

 

教如「織田の犬を殺せ!」

 

 新六は、一歩前へ出た。

 

新六「止まれ」

 

 誰も止まらない。

 

 教如が斬りかかる。

 

 新六の刀が走った。

 

 教如の身体が崩れ落ちる。

 

顕如「教如!」

 

 顕如は叫び、再び武器を取ろうとした。

 

 新六は、その前へ立った。

 

新六「これ以上、僧と門徒を死なせるな」

 

顕如「……」

 

新六「今ここで武器を置けば、本願寺は残る」

 

顕如「織田に屈するくらいなら」

 

 顕如は、短刀を握った。

 

顕如「死ぬ」

 

 新六は、目を閉じた。

 

新六「そうですか」

 

 次の瞬間。

 

 新六の刃が、顕如を斬った。

 

 堂内は静まり返った。

 

 長く続いた本願寺との争いは。

 

 この瞬間に終わった。

 

---

 

 顕如の妻・如春は、高野山での永蟄居を命じられた。

 

 だが正親町天皇は、一向宗そのものを禁じなかった。

 

天皇「僧の教えそのものが、悪ではない」

 

天皇「争いを起こし、民を煽り、武器を取ることが問題なのだ」

 

 全国の僧へ、勅が出された。

 

 僧は僧として生きること。

 

 武器を持たぬこと。

 

 民を脅さぬこと。

 

 これを守る限り、一向宗の存続は許された。

 

 寺は、再び祈りの場へ戻ることを求められた。

 

---

 

 その後。

 

 信長は、家臣団を一堂に集めた。

 

 大広間には、織田家を支える将たちが並んでいる。

 

 信長は、一人ずつを見渡した。

 

信長「勝家」

 

勝家「はっ」

 

信長「信濃と甲斐での働き、見事だった」

 

勝家「恐悦至極」

 

信長「一益」

 

一益「はっ」

 

信長「武田の残党を押さえ、関東への道を作った」

 

一益「今後も、織田の目として働きます」

 

信長「秀吉」

 

秀吉「へい」

 

信長「中国でよく動いている」

 

秀吉「まだまだこれからでさあ」

 

信長「その意気で進め」

 

信長「光秀」

 

光秀「はっ」

 

信長「丹波の働き、よくやった」

 

光秀「丹後も必ず手に入れます」

 

 信長は、新六たちへ目を向けた。

 

信長「新六、利家、成政」

 

新六「はっ」

 

利家「おう」

 

成政「はい」

 

信長「北陸平定と長篠での働き、見事だった」

 

信長「新六」

 

新六「はっ」

 

信長「北陸だけではない」

 

信長「忍びを集めた」

 

信長「寺社の火を消した」

 

信長「武田の家臣を取り込み、国を整えた」

 

信長「俺が何を任せても、お前は形にする」

 

新六「身に余るお言葉にございます」

 

信長「これからも働け」

 

新六「命の限り」

 

 信長は、最後に視線を動かした。

 

信長「信盛」

 

 佐久間信盛が、ゆっくりと前へ出た。

 

信盛「……はっ」

 

信長「お前にも、言うことがある」

 

 信長は蘭丸を呼ぶ。

 

信長「蘭丸」

 

蘭丸「はっ」

 

信長「覚書を読め」

 

 森蘭丸は、一通の書状を広げた。

 

蘭丸「佐久間信盛」

 

蘭丸「三十年以上、織田家へ奉公しながら、目立った武功なし」

 

 広間の空気が固まる。

 

蘭丸「浜松において、徳川家康を煽り出陣させるも、自らは城に残る」

 

蘭丸「三方ヶ原では、戦況が拮抗する中、独断で撤退し、味方の混乱を招く」

 

信盛「……」

 

蘭丸「長篠では、内藤昌豊の誘いに乗り、勝手に前へ出て返り討ちに遭う」

 

蘭丸「羽柴秀吉の助けがなければ、命はなかった」

 

 秀吉は腕を組み、何も言わなかった。

 

蘭丸「石山本願寺を二年近く囲みながら、何の工作もせず」

 

蘭丸「分別なく、未練がましく、ただ時を過ごす」

 

 信盛の肩が震える。

 

 聞いていた家臣たちは、誰も口を挟まなかった。

 

 だが皆、同じことを思っていた。

 

 ここまで失態を重ねられるものなのか、と。

 

蘭丸「信長様より、佐久間信盛へ選択を与える」

 

蘭丸「どこかの戦で派手に討ち死にするか」

 

蘭丸「手柄を立てるか」

 

蘭丸「あるいは、高野山へ隠居するか」

 

 蘭丸は書状を閉じた。

 

蘭丸「以上にございます」

 

 信長は、信盛を見た。

 

信長「選べ」

 

 信盛は、何も答えなかった。

 

 討ち死にも。

 

 手柄も。

 

 隠居も。

 

 どれ一つ、選べない。

 

 ただ唇を噛み。

 

 広間を見渡した。

 

 そこに、自分を支える者はいなかった。

 

信盛「……」

 

 信盛は背を向けた。

 

 そして何も言わず。

 

 一人で広間を去っていった。

 

 誰も止めなかった。

 

 誰も呼び止めなかった。

 

 信長は、その背を見送りながら小さく呟く。

 

信長「自分で選べぬ者は、何をしても失う」

 

 織田家は前へ進んでいた。

 

 武田を追い詰め。

 

 中国へ軍を出し。

 

 丹波を治め。

 

 安土に天下の城を築き始める。

 

 そして本願寺との長い争いも終わった。

 

 残る敵は、少なくなっていく。

 

 天下布武は。

 

 もはや止められぬ流れとなっていた。

 

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