織田信時の人生   作:秋月 了

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山崎の夜――津田新六信時、光秀を見送る

 

 

 天正十年。

 

 津田新六信時は、再び越中へ兵を進めていた。

 

 上杉に同調し、織田へ背いた国人たちを討つためである。

 

 北陸方面軍は、反乱の城を一つずつ落とした。

 

 新六は降る者には道を残した。

 

 だが、民を脅し、織田の兵を殺し、再び刃を取った者は許さなかった。

 

 そして叛逆者をすべて討ち取り、越中がようやく静まりかけた頃。

 

 京から、信じがたい急報が届いた。

 

使者「新六様!」

 

新六「どうした」

 

使者「京で……明智光秀が謀反を!」

 

 新六の表情が凍る。

 

使者「信長様と、信忠様が……討たれたとのこと!」

 

 誰も、すぐには息をできなかった。

 

 さらに使者は、震える声で続ける。

 

使者「泰時様も、信忠様の側近として二条におられました」

 

新六「泰時は」

 

使者「明智勢に捕らえられた、と」

 

 新六の手が、ゆっくりと握られる。

 

 信長。

 

 信忠。

 

 そして、泰時。

 

 頭の中で何度も否定しても、急報は消えなかった。

 

半兵衛「新六様」

 

新六「……まず、上杉とのことを片付ける」

 

利家「今すぐ京へ戻るべきではないのか」

 

新六「背後を襲われれば、仇討ちどころではなくなる」

 

成政「景勝と和議を結ぶのですな」

 

新六「ああ。半年でいい」

 

新六「半年だけ、北陸を止める」

 

---

 

 上杉景勝の陣。

 

 新六は、景勝の前に立っていた。

 

新六「半年間、互いに兵を動かさぬ」

 

新六「相互不可侵の書状を交わしたい」

 

景勝「……書状は不要だ」

 

新六「景勝殿」

 

景勝「口約束だけで結構」

 

 景勝は、静かに新六を見た。

 

景勝「京へ戻る予定のあなた方を、後ろから追い討つ」

 

景勝「大義なき逆賊に手を貸す」

 

景勝「そのような真似は、義に反する」

 

 景勝の声には、迷いがなかった。

 

景勝「それは、謙信公の後を継ぐ者として相応しい行いではない」

 

 新六は、言葉を失った。

 

景勝「行かれよ、津田殿」

 

景勝「一日でも早く京に戻り、逆賊明智を討ち、本懐を遂げなされ」

 

 新六は深く頭を下げた。

 

新六「……恩に着ます」

 

景勝「礼は不要だ」

 

新六「信長様の仇は、必ず討つ」

 

景勝「ああ」

 

 新六は踵を返した。

 

 北陸方面軍は、越前から美濃を抜け。

 

 休むことなく京へ向かった。

 

---

 

 山崎。

 

 すでに羽柴秀吉は、明智光秀と激突していた。

 

 畿内の地盤を握る光秀の軍は、兵数で秀吉方を上回っている。

 

 だが秀吉の軍には、信長と信忠の仇を討つという熱があった。

 

 押されながらも、退かない。

 

 勝っているはずの明智軍もまた、その勢いを感じ取っていた。

 

 明智兵の顔には、疲れと迷いが浮かんでいる。

 

秀吉「あと一押しだ!」

 

 秀吉が前線で叫ぶ。

 

秀吉「信長様と信忠様の仇を討て!」

 

羽柴兵「おおっ!」

 

 だが、決定打がない。

 

 その時。

 

 明智軍の側面から、地鳴りのような鬨の声が響いた。

 

津田兵「津田家、突撃!」

 

 津田の旗が、側面から現れた。

 

 新六の軍だった。

 

 前田利家。

 

 佐々成政。

 

 孫一率いる雑賀衆。

 

 泰時を救うため、北陸から駆け戻った二万の兵。

 

新六「明智軍を崩せ!」

 

孫一「鉄砲衆、側面を撃て!」

 

 銃声が連なった。

 

 明智軍の横腹が崩れる。

 

利家「前田勢、押し込め!」

 

成政「退路を断て!」

 

 戦況は、一気に変わった。

 

 明智軍は、正面の秀吉軍と側面の津田軍に挟まれる。

 

 混乱が広がる。

 

明智兵「津田軍が来た!」

 

明智兵「もう持たぬ!」

 

明智兵「逃げろ!」

 

 光秀は、本陣から戦場を見渡した。

 

 そして、静かに悟った。

 

 敗れた、と。

 

光秀「……退く」

 

秀満「光秀様!」

 

光秀「生き延びよ」

 

光秀「明智の名を、すべてここで終わらせるな」

 

 光秀は馬を走らせた。

 

 明智軍は瓦解した。

 

---

 

 最初に明智本陣へ突入したのは、前田利家と新六だった。

 

利家「泰時様はどこだ!」

 

 兵を押しのけ、崩れた本陣の奥へ進む。

 

 そこに、縄で縛られた泰時がいた。

 

泰時「父上!」

 

新六「泰時!」

 

 新六はすぐに縄を断ち切る。

 

 泰時は傷ついていたが、生きていた。

 

新六「怪我は」

 

泰時「大丈夫です」

 

新六「光秀はどこへ行った」

 

泰時「西へ……小栗栖の方へ逃げました」

 

利家「なら追うぞ」

 

新六「泰時も来い」

 

泰時「はい」

 

 新六、利家、泰時はすぐに馬を走らせた。

 

---

 

 小栗栖。

 

 道の先で、怒号が聞こえた。

 

落人狩り「明智だ!」

 

落人狩り「殺せ!」

 

 竹槍が何度も振り下ろされていた。

 

 その中心に、血まみれの光秀が倒れている。

 

新六「やめろ!」

 

 新六の声が響く。

 

 利家が馬から飛び降り、落人狩りを蹴散らした。

 

利家「下がれ!」

 

新六「それ以上、手を出すな!」

 

 落人狩りたちは、新六と利家の姿を見て逃げていく。

 

 新六は、光秀のもとへ駆け寄った。

 

 光秀は、かろうじて息をしていた。

 

新六「光秀殿」

 

光秀「……新六、か」

 

新六「なぜです」

 

 新六の声は震えていた。

 

新六「なぜ、信長様と信忠様を」

 

 光秀は、血を吐きながら笑った。

 

光秀「儂は……」

 

光秀「信長様が、怖くなってしまった」

 

新六「……」

 

光秀「あのお方は……誰より遠くを見ていた」

 

光秀「誰より、強かった」

 

光秀「だから……怖かった」

 

 その声には恐怖があった。

 

 だが新六には分かった。

 

 そこには同時に。

 

 信長への尊敬と、敬意が残っている。

 

 光秀は信長を憎んだだけではない。

 

 恐れながら、認めていた。

 

 それでも、恐怖に負けたのだ。

 

光秀「新六」

 

新六「はい」

 

光秀「泰時殿を……捕らえたこと」

 

光秀「お前へ……この責を押し付けたこと」

 

光秀「すまぬ」

 

泰時「光秀殿」

 

 泰時が、光秀を見つめる。

 

光秀「信忠様を……守れなかった」

 

光秀「すまぬ」

 

 光秀の目から、ゆっくりと光が消えていく。

 

光秀「……信長様」

 

 それが、明智光秀の最後の言葉だった。

 

---

 

 その場に、明智秀満が姿を現した。

 

 傷だらけだった。

 

 だが、主君を探してここまで来たのだ。

 

秀満「光秀様!」

 

 秀満は、光秀の亡骸の前へ膝をつく。

 

 声を上げず、肩を震わせる。

 

 新六は、しばらく黙っていた。

 

 やがて、刀を抜く。

 

利家「新六」

 

 新六は光秀の髪を一束切り取った。

 

新六「秀満」

 

秀満「……なぜ、俺を殺さぬ」

 

新六「光秀殿の遺髪を持って行け」

 

新六「残った首や身体も、持って去れ」

 

秀満「何故です」

 

 新六は、静かに答えた。

 

新六「俺が最も敬意を払うのは」

 

新六「信長様と」

 

新六「信忠様と」

 

新六「その御一族だ」

 

 泰時が、黙って聞いていた。

 

新六「だが光秀殿は」

 

新六「その次に、敬意を払うべきお人だと思っている」

 

新六「それは今も」

 

新六「これからも変わることはないだろう」

 

 秀満の目から涙が落ちた。

 

秀満「……津田殿」

 

 秀満は、深く頭を下げた。

 

秀満「この御恩、生涯忘れぬ」

 

新六「忘れなくていい」

 

新六「ただ、光秀殿を静かに送ってやれ」

 

秀満「はい」

 

 新六、利家、泰時は、それ以上何も言わなかった。

 

 ただ、光秀の亡骸へ一礼した。

 

 そしてその場を去った。

 

---

 

 帰り道。

 

 泰時は、父の背を見ながら思った。

 

 信長を討った逆賊。

 

 信忠を死へ追いやった男。

 

 それでも父は、光秀という男を最後まで一人の武将として見送った。

 

 許したわけではない。

 

 忘れたわけでもない。

 

 だが、憎しみだけで終わらせなかった。

 

 泰時は、その姿を生涯忘れないと心に決めた。

 

 山崎の戦いは終わった。

 

 明智光秀は死んだ。

 

 だが、信長と信忠を失った織田家には。

 

 まだ新たな戦いが待っていた。

 

 そして津田新六信時は。

 

 父を失った者たちとともに。

 

 織田の未来を守るため、次の時代へ進むことになる。

 

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