織田信時の人生   作:秋月 了

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返せぬ者の名――秀吉、長崎に命じる

 

 

 九州から届いた信時の報告を。

 

 秀吉は、大坂城で読んでいた。

 

 長崎の港。

 

 日本人が縄で繋がれ。

 

 異国の商人へ売られていたこと。

 

 仲買人だけではない。

 

 それを見過ごし、手引きをし、銭を得ていた者がいたこと。

 

 そして。

 

 信時が、売られようとしていた者たちを救い出し。

 

 港を押さえたこと。

 

 秀吉は、書状を最後まで読み終えた後。

 

 しばらく何も言わなかった。

 

官兵衛「秀吉様」

 

秀吉「……」

 

三成「ただの港の揉め事ではありませぬ」

 

三成「異国との交易を止めれば、南蛮から入る品や銭にも影響が――」

 

秀吉「三成」

 

三成「はっ」

 

秀吉「人を売ることを」

 

秀吉「銭勘定で語るな」

 

 三成が息を止めた。

 

 秀吉は立ち上がった。

 

 その顔には、怒りがあった。

 

 かつて農民の子として生まれ。

 

 身分も財もなく。

 

 人の都合で踏みにじられる側にいた男の怒りだった。

 

秀吉「日本の民を攫い」

 

秀吉「海の向こうへ売り飛ばす」

 

秀吉「それを、交易の一つとして扱うつもりか」

 

三成「……ございません」

 

秀吉「ならば、すぐに命を出せ」

 

 秀吉は、書状を机へ叩きつけた。

 

秀吉「長崎の宣教師へ伝えろ」

 

秀吉「異国へ売られた日本人を、直ちに返還せよ」

 

秀吉「一人残らずだ」

 

官兵衛「もし応じなければ」

 

秀吉「返還が終わるまで」

 

秀吉「布教を全面的に禁じる」

 

 大広間の空気が張り詰めた。

 

秀吉「教えを説くことは勝手だ」

 

秀吉「だが日本の民を売り物にするなら」

 

秀吉「ここは、そいつらの国ではない」

 

---

 

 ほどなくして。

 

 長崎の宣教師と異国商人の代表が、大坂へ呼び出された。

 

 秀吉の前には。

 

 信時。

 

 黒田官兵衛。

 

 石田三成。

 

 そして長崎で証を集めた望月千代女と百地丹波も控えていた。

 

 宣教師たちは、強張った顔で平伏する。

 

宣教師「関白様」

 

秀吉「聞きたいことがある」

 

宣教師「何なりと」

 

秀吉「海外へ売られた日本人を返せ」

 

 宣教師たちの顔色が変わった。

 

宣教師「それは……」

 

秀吉「返せ」

 

宣教師「しかし、売られた人々の数は」

 

宣教師「我々にも、正確には分かりませぬ」

 

 その答えに。

 

 秀吉の目が、冷たく細まった。

 

秀吉「分からぬ」

 

宣教師「はい」

 

宣教師「長年の取引であり、すべての商人が記録を残しているわけでは」

 

信時「なら、俺が教えます」

 

 信時が静かに言った。

 

 千代女が、一冊の帳面を前へ置く。

 

 百地が、さらに何冊もの帳面と書状を運ばせる。

 

 机の上が、紙で埋まっていく。

 

宣教師「これは」

 

信時「過去数十年」

 

信時「海外へ売られた日本人の名簿です」

 

 信時は、一冊を開いた。

 

信時「名」

 

信時「年頃」

 

信時「売られた港」

 

信時「仲買人」

 

信時「船の名」

 

信時「行き先」

 

信時「分かる限り、全部記してあります」

 

 宣教師たちは、言葉を失った。

 

 そこには。

 

 ただの数字ではなく。

 

 一人一人の人生が記されていた。

 

信時「これは長崎だけではない」

 

信時「平戸」

 

信時「博多」

 

信時「堺」

 

信時「各地の港で集めた記録です」

 

千代女「歩き巫女たちが、長年に渡り各地の商人と港の出入りを調べました」

 

百地「船荷の記録、金の流れ、消えた者の家族の証言もあります」

 

信時「数が分からないと言うなら」

 

信時「ここから数えればいい」

 

 秀吉は、帳面を一冊手に取った。

 

 そこには幼い子供の名もあった。

 

 夫を失い、借金のため売られた女の名も。

 

 戦で家を失い、行方不明になった男の名も。

 

 秀吉は、ゆっくり帳面を閉じた。

 

秀吉「分かった」

 

 秀吉は、宣教師たちを見下ろす。

 

秀吉「この名簿にある者を探せ」

 

秀吉「生きている者は、日本へ返せ」

 

秀吉「死んでいる者についても」

 

秀吉「どこで、誰のもとで、どう死んだか」

 

秀吉「分かる限り調べて報せよ」

 

宣教師「ですが、それはあまりにも」

 

秀吉「できぬと言うなら」

 

 秀吉の声が、低く落ちた。

 

秀吉「明日から、日本で教えを説くことを禁じる」

 

秀吉「港も閉じる」

 

秀吉「商いも止める」

 

秀吉「選べ」

 

 宣教師たちは、深く頭を下げた。

 

宣教師「……承知いたしました」

 

---

 

 会見が終わった後。

 

 秀吉は、帳面を見つめたまま動かなかった。

 

 信時が、その隣へ立つ。

 

信時「秀吉殿」

 

秀吉「新六殿」

 

 秀吉は、昔の呼び方で答えた。

 

秀吉「俺は」

 

秀吉「天下を取ると言った」

 

信時「はい」

 

秀吉「だが、天下を取った者が」

 

秀吉「目の前で民を売られていることも知らぬなら」

 

秀吉「何のための天下だ」

 

信時「今、知った」

 

信時「なら、変えられます」

 

 秀吉は、信時を見た。

 

秀吉「怒っているか」

 

信時「怒っています」

 

秀吉「俺にか」

 

信時「違います」

 

信時「人を物として扱う者たちにです」

 

 信時は、窓の外を見た。

 

信時「交易は必要です」

 

信時「異国の知識も、技も、国を豊かにする」

 

信時「ですが」

 

信時「日本の民を犠牲にする交易なら、いりません」

 

秀吉「ああ」

 

 秀吉は強く頷いた。

 

秀吉「長崎を変える」

 

秀吉「人を売る港ではなく」

 

秀吉「人と物と知識が行き交う港にする」

 

信時「そのための仕組みは、俺が作ります」

 

秀吉「頼む」

 

 こうして。

 

 海外へ売られた日本人を取り戻すための調べが始まった。

 

 信時が集めた名簿は。

 

 ただ罪を暴くためのものではない。

 

 海の向こうへ消えた者たちを。

 

 再び故郷へ連れ戻すための。

 

 最初の道しるべとなった。

 

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