織田信時の人生   作:秋月 了

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小田原落城――空を見上げる者たち

 

 

 小田原城を囲む包囲網が完成した。

 

 豊臣。

 

 織田。

 

 徳川。

 

 毛利。

 

 宇喜多。

 

 上杉。

 

 そして諸国から集められた軍勢。

 

 城の外には、もはや北条を救う軍など存在しなかった。

 

 それでも小田原城は、なお門を閉ざしていた。

 

---

 

 秀吉は、小田原の城下を見渡せる高台に立っていた。

 

秀吉「城を力で落とすだけでは、兵も民も失う」

 

官兵衛「ならば、再び揺さぶりをかけますか」

 

秀吉「ああ」

 

 秀吉は、かつて美濃で新六とともに見た墨俣を思い出していた。

 

 そして今度は。

 

 小田原の前に、一夜で城を築かせた。

 

 山を削り。

 

 木を切り。

 

 兵を集め。

 

 灯りを絶やさず。

 

 朝になった時。

 

 北条方が見たのは、昨日までなかったはずの巨大な城だった。

 

北条兵「城が……ある」

 

北条兵「一夜で築いたというのか」

 

北条家臣「あり得ぬ」

 

 秀吉はさらに。

 

 城外の状況を、あえて小田原城へ知らせた。

 

 各地の北条方の城が落ちたこと。

 

 援軍が来ぬこと。

 

 北条の同盟者たちが、次々と豊臣へ従っていること。

 

 城の外には全国の軍勢があり。

 

 兵糧も。

 

 鉄砲も。

 

 大筒も。

 

 尽きる気配がないこと。

 

 だが。

 

 北条家は動かなかった。

 

 氏政も。

 

 氏直も。

 

 家臣団を一つにまとめられなかった。

 

 降伏を望む者。

 

 徹底抗戦を叫ぶ者。

 

 責任を他人へ押しつける者。

 

 小田原城の中では、決めるべき者が決められなかった。

 

 まさに。

 

 小田原評定そのものだった。

 

---

 

 そんな中。

 

 豊臣本陣へ、一人の男が現れた。

 

 黒い具足に身を包み。

 

 片目に眼帯をつけた若い武将。

 

 伊達政宗だった。

 

政宗「伊達政宗」

 

政宗「奥州の諸家をまとめ、豊臣秀吉様へ降伏に参った」

 

 秀吉は、政宗をじっと見た。

 

秀吉「遅かったな、政宗」

 

政宗「承知しております」

 

政宗「ですが、遅れてでも参らねば」

 

政宗「奥州も伊達も、終わると考えました」

 

 秀吉は少し笑った。

 

秀吉「正直でよい」

 

秀吉「ならば働け」

 

政宗「はっ」

 

秀吉「小田原の包囲に加われ」

 

秀吉「織田軍の横へ陣を置け」

 

政宗「承知いたしました」

 

 政宗は命を受け。

 

 織田軍の隣へ陣を構えた。

 

 伊達が豊臣へ下った。

 

 北条にとって、その知らせは大きな衝撃となるはずだった。

 

 だが。

 

 城内の評定は、なお終わらなかった。

 

---

 

 織田軍本陣。

 

 信時は、小田原城を見つめていた。

 

 その隣には勝家。

 

 一益。

 

 利家。

 

 成政。

 

 森可成。

 

 森長可。

 

 義近。

 

 半兵衛。

 

 そして伊達政宗も、織田軍の陣へ挨拶に訪れていた。

 

政宗「津田信時殿」

 

信時「伊達政宗殿」

 

政宗「噂は、奥州にも届いております」

 

政宗「北陸を束ね、上杉を従え、九州を平定した織田家の柱」

 

信時「買いかぶりです」

 

政宗「いいえ」

 

政宗「今日、隣で戦えば分かるでしょう」

 

 信時は、政宗の眼を見た。

 

信時「伊達殿」

 

政宗「何でしょう」

 

信時「民を巻き込む戦は、終わらせたい」

 

政宗「同感です」

 

信時「なら、城が落ちた後に無駄な争いを起こさないでください」

 

 政宗は、一瞬だけ驚いた。

 

 そして、笑う。

 

政宗「承知しました」

 

政宗「奥州の者は、なかなか荒っぽい」

 

政宗「ですが、俺が止めます」

 

---

 

 それでも北条は動かなかった。

 

 ついに信時は、秀吉のもとを訪れた。

 

信時「秀吉殿」

 

秀吉「信時殿か」

 

信時「攻城を進言します」

 

 秀吉は、目を閉じた。

 

秀吉「まだ待てば、降るかもしれぬ」

 

信時「もう待ちました」

 

信時「これ以上待てば、城内の民が先に苦しみます」

 

官兵衛「北条の将たちも、まとまる気配がありません」

 

信時「北条が決められぬなら」

 

信時「こちらが終わらせるしかない」

 

 秀吉は、長く沈黙した。

 

 やがて。

 

 ゆっくりと頷く。

 

秀吉「……やむを得ぬ」

 

秀吉「許す」

 

秀吉「小田原を落とせ」

 

信時「はっ」

 

---

 

 攻城が始まった。

 

 織田軍が先に動く。

 

 豊臣軍も続く。

 

 鉄砲の音が響き。

 

 兵たちの声が城壁を揺らす。

 

 北条軍も必死に耐えた。

 

北条兵「城を守れ!」

 

北条兵「ここを破らせるな!」

 

 だが。

 

 外から押す力は、あまりにも大きかった。

 

 攻城開始から一刻。

 

 森可成の隊が、城門へ取りついた。

 

可成「押せ!」

 

森兵「おおっ!」

 

可成「信長様の家臣として!」

 

可成「織田の名を背負う者として!」

 

可成「ここを破る!」

 

 門が軋む。

 

 鉄の音。

 

 木の裂ける音。

 

 そして。

 

 ついに城門が崩れた。

 

森兵「門が開いた!」

 

可成「入れ!」

 

 森可成が、小田原城へ一番乗りを果たした。

 

 それを皮切りに。

 

 織田家の古株たちが、次々と城内へ雪崩れ込む。

 

勝家「続け!」

 

一益「城内を押さえろ!」

 

利家「降る者には手を出すな!」

 

成政「逃げ道を塞げ!」

 

長可「森勢、父上に遅れるな!」

 

義近「津田勢、民を守れ!」

 

 城内の北条兵は、なお抵抗した。

 

 だが。

 

 各所で織田軍と豊臣軍が突破し。

 

 守りは次々と崩れていった。

 

 そして。

 

 小田原城は落ちた。

 

---

 

 氏政と氏直は、秀吉の前へ連れ出された。

 

 大広間には。

 

 秀吉。

 

 信時。

 

 家康。

 

 勝家。

 

 利家。

 

 可成。

 

 官兵衛。

 

 三成。

 

 そして北条の家臣たちがいた。

 

 氏政は、深く頭を下げた。

 

氏政「北条氏政」

 

氏政「すべての責を負います」

 

秀吉「名胡桃の件」

 

秀吉「約定を破ったこと」

 

秀吉「城主を死へ追いやったこと」

 

秀吉「それを褒めたこと」

 

秀吉「北条は、自ら滅びの道を選んだ」

 

氏政「その通りにございます」

 

 氏政は、顔を上げた。

 

氏政「氏直は若い」

 

氏政「北条の名を残すことを、お許しいただきたい」

 

 氏直は、父の横で唇を噛んでいた。

 

 家康が一歩前へ出る。

 

家康「秀吉殿」

 

秀吉「家康殿」

 

家康「氏直は、私の娘婿です」

 

家康「全てを父の責としてはなりませぬ」

 

家康「高野山へ入り、夫婦で生きることをお許しください」

 

 氏直の妻もまた、深く頭を下げた。

 

氏直の妻「父上」

 

氏直の妻「どうか、夫をお助けください」

 

 秀吉は、二人を見た。

 

 そして。

 

 信時へ視線を向けた。

 

秀吉「信時殿」

 

信時「はい」

 

秀吉「どう思う」

 

 信時は、氏直を見た。

 

 そして静かに答えた。

 

信時「氏政殿が責を負うなら」

 

信時「氏直殿まで殺す必要はありません」

 

信時「北条の名を残し」

 

信時「二度と戦を起こさぬよう、生きていただくべきです」

 

 秀吉は頷いた。

 

秀吉「よい」

 

秀吉「氏政は切腹」

 

秀吉「氏直は、妻とともに高野山へ入れ」

 

氏直「……ありがとうございます」

 

 氏直は、深く頭を下げた。

 

 氏政は、息子を見た。

 

氏政「生きろ、氏直」

 

氏直「父上」

 

氏政「北条を、忘れるな」

 

 それが。

 

 父が残した最後の言葉だった。

 

---

 

 北条家が降り。

 

 小田原城が落ち。

 

 天下は、ついに秀吉のもとへまとまった。

 

 豊臣の兵たちは歓声を上げた。

 

 諸大名たちも。

 

 長く続いた戦国の終わりを喜んだ。

 

豊臣兵「天下統一だ!」

 

諸将「秀吉様、万歳!」

 

 だが。

 

 信長のもとで戦った者たちは。

 

 誰一人、声を上げなかった。

 

 秀吉。

 

 勝家。

 

 信時。

 

 利家。

 

 可成。

 

 成政。

 

 皆が、ただ静かに空を見上げていた。

 

 そこには。

 

 かつて天下布武を掲げた男がいる。

 

 その隣には。

 

 織田の未来を背負って死んだ信忠がいる。

 

 信孝も。

 

 佐伯も。

 

 真柄も。

 

 多くの者たちがいる。

 

 信時は、胸の内で呟いた。

 

信時「信長様」

 

 風が吹いた。

 

信時「天下は、まとまりました」

 

信時「あなたが見たかった景色に」

 

信時「少しは、近づけたでしょうか」

 

 返事はない。

 

 だが。

 

 信時には一瞬だけ。

 

 あの懐かしい声が聞こえたような気がした。

 

信長「よくやった、新六」

 

 信時は、目を閉じた。

 

 そして。

 

 誰にも見えぬように、少しだけ笑った。

 

 長く続いた戦国の空は。

 

 その日。

 

 静かに晴れ渡っていた。

 

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