松平元康との同盟が結ばれた頃、織田家へ一つの報せが届いた。
美濃の斎藤義龍が病で没し、その子・龍興が家督を継いだという。
小牧山城。
信長は、新たな居城の高みから、美濃の方角を眺めていた。
その背後には柴田勝家、丹羽長秀、そして七海新六が控えている。
信長「義龍が死んだ」
勝家「斎藤家にとっては、大きな痛手にございますな」
信長「龍興は若い。家臣どもが支えるだろうが、義龍ほどにはまとまるまい」
長秀「今こそ美濃へ本腰を入れる好機かと」
信長「そうだ」
信長は小牧山の麓に広がる町を見下ろした。
信長「尾張を守るだけでは足りぬ。美濃を取る。美濃を取って、京へ続く道を開く」
その言葉に、新六は静かに息を呑んだ。
桶狭間の勝利は終わりではなかった。
信長にとっては、ようやく天下取りの入口に立ったにすぎないのだ。
信長「勝家」
勝家「はっ」
信長「森部へ出せ。美濃の者どもに、織田がいつでも境を越えられると教えてやれ」
勝家「承知」
信長「新六」
新六「はっ」
信長「足軽大将として勝家を支えろ。貴様は前へ出るだけではない。兵を生かして戦う術を覚えろ」
新六「承知いたしました」
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森部の戦い。
柴田隊は美濃へ踏み込み、斎藤方の兵とぶつかった。
新六は足軽たちの前に立っていた。
かつて自分も、その列の一人だった。
だが今は違う。
自分の後ろには、彼を信じて槍を握る兵がいる。
新六「前列は槍を低く構えろ! 敵が近づくまで、勝手に突き出すな!」
足軽「ですが新六様、敵が多すぎます!」
新六「多い敵ほど、前にいる者しか槍を振れない。横へ広がるな。足を止めろ!」
斎藤方の兵が突撃してくる。
新六は最後まで動かなかった。
敵が槍の間合いへ入った瞬間、右手を振り下ろす。
新六「今だ! 突け!」
足軽たちの槍が一斉に伸びた。
先頭の敵兵が崩れ、後ろから来た兵がそれにつまずく。
新六はその隙へ踏み込んだ。
槍を振るい、敵の指揮役らしき武者を馬上から引きずり落とす。
新六「勝家様! 敵の右が崩れます!」
勝家「見えておる!」
柴田勝家は大槍を振り上げた。
勝家「柴田勢、右へ寄せろ! 新六の作った穴を広げよ!」
「おおっ!」
柴田勢は、新六の足軽隊が作った綻びへ雪崩れ込んだ。
戦は長く続かなかった。
斎藤方は押し返され、美濃の地へ退いていく。
戦後、勝家は血に濡れた鎧のまま新六を呼んだ。
勝家「新六」
新六「はっ」
勝家「今日の働きは悪くない」
新六「ありがたきお言葉です」
勝家「だが、敵将を追うために三人を先へ出したな」
新六「はい。討ち取れると判断しました」
勝家「結果としては、二人が傷を負った」
新六は黙った。
勝家「兵は首を取るためだけにいるのではない。生きて戻り、次の戦でも槍を持たせるためにいる」
新六「……肝に銘じます」
勝家は頷いた。
勝家「貴様は強い。だからこそ、強い者だけの戦をするな。将になるなら、弱い者を生かせ」
新六「はっ」
その言葉は、新六の胸に深く残った。
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だが、美濃への攻めを進める最中、尾張で再び火種が上がる。
犬山城主・織田信清が反旗を翻したのだ。
小牧山城に、緊急の軍議が開かれた。
信長「信清め。今川が潰れ、美濃へ向かおうという時に、後ろから噛みつくか」
長秀「犬山城は木曽川に面した要地。放置すれば、美濃攻めの背後を脅かされます」
勝家「ならば、すぐに討つまでです」
信長「その前に楽田を落とす」
信長の目が、新六へ向いた。
信長「新六。丹羽五郎左衛門を補佐しろ」
新六「俺が、丹羽様を」
長秀「不服か」
新六「いえ。むしろ、学ばせていただきます」
長秀はわずかに笑った。
長秀「よい返事だ。柴田殿のもとで槍を振るうだけでは、いずれ頭打ちになる。城を取る戦を覚えろ」
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楽田城。
城を囲む織田勢の中で、丹羽長秀は静かに城を見据えていた。
長秀「正面から力押しをすれば、こちらにも損が出る」
新六「では、兵糧攻めを」
長秀「時間がない。信清へ援軍が届く前に落とす」
新六は城の周囲を歩き、地形を確かめた。
城の北側には湿地が広がっている。
守る側は、そこから攻められるとは考えていない。
新六「丹羽様。北の湿地を通れます」
長秀「馬は使えぬぞ」
新六「足軽だけなら通れます。泥に板を敷き、夜のうちに近づけば」
長秀「危険だ」
新六「だからこそ、敵は備えていません」
長秀は黙って新六を見た。
やがて頷く。
長秀「よし。新六、お前に任せる。ただし無理をするな。城門を開けることが目的だ」
新六「承知」
夜。
新六は選んだ兵を連れ、腰まで沈む泥の中を進んだ。
板を渡し、音を消し、松明も使わない。
やがて北側の柵へ辿り着くと、新六は一人でよじ登った。
見張りの兵が振り向く。
新六「すまん」
新六は相手の口を塞ぎ、地面へ倒した。
続いて柵を内側から外す。
新六「入れ」
足軽たちが城内へ雪崩れ込んだ。
「敵襲!」
「北から織田勢だ!」
混乱が広がる中、新六は城門へ走る。
城主が兵を集め、行く手を阻んだ。
城主「貴様らごときに、楽田は渡さぬ!」
新六「ならば、ここで終わりだ」
城主が太刀を振り下ろす。
新六は受けず、懐へ踏み込んだ。
一撃。
城主は崩れ落ちた。
新六「門を開けろ!」
門が開く。
外で待っていた丹羽勢が一斉に入城した。
長秀「見事だ、新六」
新六「楽田城、確保いたしました」
長秀「城主も討ち取った。これで信清は犬山へ籠るしかあるまい」
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楽田城陥落の報を受け、信長は即座に犬山城攻略を決めた。
新六は再び柴田勝家のもとへ戻される。
勝家は集まった兵を前に、新六を呼び出した。
勝家「新六」
新六「はっ」
勝家「先陣を任せる」
新六「承知いたしました」
勝家「違う」
勝家は鋭い目で新六を見た。
勝家「先陣の、さらに先を行け」
周囲の将たちがざわめく。
勝家「敵の矢を最初に受け、道を開く役目だ。危険は最も大きい」
新六「承知しました」
勝家「迷いはないのか」
新六「勝家様が後ろから来てくださるなら、俺は前へ出られます」
勝家は、ほんのわずかに口元を緩めた。
勝家「よし。ならば道を作れ。俺が犬山城へ入る」
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犬山城への攻めは激しかった。
信清方は城壁から矢を浴びせ、鉄砲を撃ちかける。
新六は盾を持つ足軽たちを前へ出し、自らは最前列で矢を弾いた。
新六「止まるな! 矢が尽きるまで近づけ!」
足軽「新六様、敵の石が!」
新六「俺が受ける!」
投げ落とされた石が、新六の肩へ当たる。
それでも彼は倒れない。
城壁の前へ辿り着くと、新六は丸太を掴んだ。
新六「門を破れ!」
兵たちが続く。
何度も丸太が城門を打つ。
やがて、門が軋んだ。
新六「あと一度だ!」
新六が丸太を持ち上げる。
全身の力を込め、門へ叩きつけた。
轟音とともに、城門が砕けた。
新六「開いた! 勝家様を入れろ!」
柴田勢が城内へ流れ込む。
勝家は新六の横を通り過ぎ、太刀を抜いた。
勝家「よくやった。あとは俺の仕事だ」
新六「ご武運を」
城内では激しい戦いが続いた。
やがて信清は討ち取られ、織田信長の姉であり、信清の妻でもあった犬山殿は無事に救い出された。
犬山城の櫓に、織田の旗が掲げられる。
反乱は、わずか七日で終わった。
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戦後。
犬山城の庭で、新六は傷の手当てを受けていた。
そこへ勝家が歩いてくる。
勝家「死ななかったな」
新六「勝家様が来るまで、道を開く役目でしたので」
勝家「よく言う。石を受けて平然と立っていたと聞いたぞ」
新六「痛くないわけではありません」
勝家「ならば次は、痛い時には痛いと言え」
勝家は新六の前に、小さな包みを置いた。
新六「これは」
勝家「褒美だ。兵へ分けろ」
新六「俺にではなく、兵へですか」
勝家「貴様ならそうすると思った」
新六は、しばらく包みを見つめた。
そして深く頭を下げる。
新六「必ず、生きて帰った者たちへ渡します」
勝家「それでよい」
新六は顔を上げた。
農民の子だった自分は、今や七海家の当主であり、柴田勝家の配下の足軽大将だった。
だが、まだ道の途中だ。
信長は美濃を狙い、天下を見ている。
その道の先に、どれほどの血と別れが待つのか。
新六はまだ知らなかった。