黒田官兵衛と信時が会ってから、数か月が過ぎた。
天下は再び、大きく揺れ始めていた。
徳川家康が、上杉景勝に謀反の疑いありとして兵を挙げたのである。
その軍には、加藤清正。
福島正則。
黒田長政。
そしてかつて三成を襲撃しかけた諸将たちも加わっていた。
家康の軍が東へ向かったと知ると。
石田三成は、ついに兵を挙げた。
三成へ呼応した西国の大名たちが兵を集める。
三成は毛利輝元へ総大将を願い出て。
西軍は、東へ向けて進軍を開始した。
一方の家康も。
上杉征伐の軍を反転させ、西へ向かう。
両軍は関ヶ原へ布陣した。
だが。
両軍とも、すぐには動かなかった。
待っていたのだ。
天下を左右する、もう一人の男を。
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三成が挙兵した直後。
織田左近衛権中将信時は、自軍を率いて大坂城へ入った。
同行したのは。
織田時継。
義近。
竹中半兵衛。
そして。
信時の娘を妻に迎え、織田軍副将にまで出世した真田幸村だった。
かつての信繁は。
今や織田家の娘婿として。
信時の軍を支える重要な将となっていた。
大坂城の奥。
秀頼との面会が設けられた。
秀頼の傍には、母・淀殿がいる。
秀頼は、母の方を見た。
淀殿が小さく頷く。
それから秀頼は、用意されていた言葉を口にした。
秀頼「織田中将」
信時「はっ」
秀頼「今、豊臣には大きな危機が迫っている」
秀頼「どうか」
秀頼「豊臣のために、力を貸してほしい」
信時は、静かに秀頼を見た。
まだ若い。
父である秀吉の名を継ぎ。
豊臣の家を背負っている。
だが。
自分の言葉で語っているわけではない。
母の表情を見て。
母の望む言葉を繰り返している。
信時は、胸の内で秀吉へ詫びた。
――秀吉殿。
――この子に、天下を差配することは難しい。
――あなたの家を守るためには。
――別の誰かが、支えねばならない。
それでも。
秀頼の目には、必死さがあった。
豊臣を守りたい。
父が残したものを失いたくない。
その思いだけは、本物だった。
信時「承知いたしました」
信時は、それだけを答えた。
秀頼は、目を見開く。
秀頼「本当か」
信時「はい」
秀頼「織田中将が、豊臣へ力を貸してくれる」
信時「承知しました」
秀頼は安堵したように息を吐いた。
そして近くに置かれていた馬印を、自ら手に取る。
秀頼「これを預ける」
豊臣の馬印。
戦場で豊臣の存在を示す旗印。
秀頼「豊臣のために戦う者として」
秀頼「織田中将へ預けたい」
信時は、馬印を見つめた。
重い。
ただの旗ではない。
秀吉が築き。
多くの者が守り。
今にも崩れそうな豊臣そのものだった。
信時「お預かりします」
秀頼「頼む」
信時「はい」
信時は深く頭を下げた。
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大坂城を辞した後。
信時たちは城門を抜け、兵の待つ場所へ向かった。
幸村は、信時と半兵衛の横へ並ぶ。
幸村「大殿」
信時「どうした」
幸村「豊臣の味方をすると」
幸村「秀頼様へ約束されたのですね」
信時「承知すると答えた」
幸村「ですが」
幸村は、少し言い淀んだ。
幸村「関ヶ原には家康様の軍もおります」
幸村「三成殿は西軍を率いている」
幸村「織田家は」
幸村「どちらへつくのですか」
義近も。
時継も。
黙って父を見る。
半兵衛は、扇を軽く閉じた。
信時と半兵衛は、互いに目を合わせる。
そして。
二人とも、ただ笑った。
幸村「……教えていただけないのですか」
半兵衛「幸村殿」
幸村「はい」
半兵衛「戦場へ着けば、分かります」
信時「今は兵を整えろ」
信時「誰のために戦うのか」
信時「何を守るために刃を抜くのか」
信時「それだけは、忘れるな」
幸村「承知しました」
信時は、豊臣の馬印を見た。
関ヶ原には。
東軍と西軍がいる。
家康がいる。
三成がいる。
豊臣を掲げる者たちがいる。
だが。
信時が向かう先にあるのは。
ただ勝者を決めるための戦ではなかった。
秀吉が残した天下を。
信長が夢見た秩序を。
そして次の世代が生きる国を。
誰の手に委ねるべきか。
その答えを出すための戦だった。
織田軍は、静かに大坂を発った。
関ヶ原の両軍は。
まだ動かない。
ただ一人。
織田信時が来るのを待ちながら。