関ヶ原の戦が終わった後。
徳川家康は大坂城へ戻った。
城内には、重苦しい空気が流れていた。
戦は終わった。
だが、それは豊臣の内で起きた戦でもあった。
勝者も敗者も、もとは秀吉の天下を支えるはずだった者たちである。
家康は、豊臣秀頼の前へ進み出た。
秀頼の傍らには、母・淀殿がいた。
家康「秀頼様」
秀頼「うむ」
家康「関ヶ原にて、石田三成ら西軍は敗れました」
家康「豊臣の名を乱す者を討ち」
家康「この戦、豊臣の勝利にございます」
秀頼は、家康の言葉に頷いた。
秀頼「うむ」
それだけだった。
何を問うでもない。
何を決めるでもない。
ただ、母の顔をちらりと見てから頷くだけだった。
家康は、心の中で小さく息を吐いた。
その時、淀殿が口を開いた。
淀殿「内府殿」
家康「はい」
淀殿「三成は、どうなります」
家康「帰還の途中、望月千代女の忍びによって捕らえられました」
家康「すでにこちらへ届けられております」
淀殿「ならば」
淀殿は、少し声を落とした。
淀殿「できることなら、助命を」
家康「なりませぬ」
家康の返答は、早かった。
淀殿の眉が動く。
淀殿「内府殿」
家康「石田三成は、豊臣の名を掲げながら兵を挙げ」
家康「豊臣の天下を割りました」
家康「これは逆臣にございます」
淀殿「ですが、三成は豊臣のために」
家康「豊臣のためと申して」
家康「豊臣の世を壊す者を、許すわけには参りませぬ」
家康は、静かに言い切った。
家康「石田三成は、即刻処刑いたします」
秀頼は、また頷いた。
秀頼「うむ」
淀殿は、それ以上言えなかった。
大坂城の奥で。
豊臣の名は残っている。
だが、政を動かす力は。
すでに別の場所へ移り始めていた。
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それから、論功行賞が始まった。
西軍へ与した者たちへの処罰。
東軍で功を上げた者たちへの褒賞。
その沙汰は、家康を中心に進められた。
大友家は領地を没収され、お家取り潰しとなった。
家康「大友家は、これまでの経緯も含め」
家康「もはや領国を治める力なし」
家康「領地没収の上、取り潰しとする」
島津は、薩摩以外の地を没収された。
家康「島津は薩摩のみを安堵する」
家康「それ以外は召し上げる」
毛利は、長門以外を没収された。
家康「毛利は長門を残す」
家康「ただし、それ以外の所領は没収」
宇喜多は領地没収。
宇喜多秀家は、八丈島へ流されることとなった。
秀家「……承知いたしました」
秀家は、ただ静かに頭を下げた。
悔しさも。
無念も。
顔には出さなかった。
だが、その背は、かつて五大老の一角を担った男のものとは思えぬほど重かった。
毛利から取り上げた土地は、福島正則と加藤清正で分け合うこととなった。
正則「ありがたき幸せ!」
清正「必ずや、この地を治めてみせます」
黒田家には、九州の大友領が任された。
長政「父と相談し、必ず治めます」
家康「黒田ならば任せられる」
四国の土佐は、今回の働きによって織田家から独立した山内一豊に与えられた。
一豊「身に余るお沙汰にございます」
信時「一豊殿」
一豊「中将様」
信時「織田から離れても、民を守る志は変えぬように」
一豊「はい」
一豊「この御恩、忘れませぬ」
そのほか、西軍についた大名には、それぞれ罰が下された。
東軍についた者たちには、加増や所領安堵が与えられた。
そして。
ついに織田家の番となった。
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広間の空気が変わった。
誰もが分かっていた。
今回の戦で、最大の功を上げたのは織田軍である。
豊臣の馬印を掲げて東軍に入り。
先陣を切り。
西軍の先陣を砕き。
毛利を突破し。
安国寺恵瓊を捕らえ。
三成の本陣を落とした。
戦の勝敗を決めたのは、間違いなく織田信時だった。
家康は、信時へ向き直った。
家康「中将殿」
信時「はっ」
家康「此度の戦」
家康「織田軍の働き、比類なきものだった」
信時「ありがたきお言葉にございます」
家康「望むものはあるか」
広間が静まり返る。
信時が何を求めるのか。
それによって、天下の形が変わる。
皆がそう思っていた。
加増か。
旧織田領の回復か。
畿内の要地か。
あるいは、豊臣政権におけるさらなる地位か。
だが信時は、静かに頭を下げた。
信時「二つ、お願いしたき儀がございます」
家康「申されよ」
信時「一つ目」
信時「蝦夷地への派兵許可と」
信時「攻略後の領有をお認めいただきたい」
広間がざわめいた。
諸将「蝦夷地だと」
諸将「北の果てを望まれるのか」
諸将「加増ではなく」
家康は、目を細めた。
家康「蝦夷地を」
信時「はい」
信時「北の海を押さえ」
信時「交易路を整え」
信時「民を送り、畑を開き、城と港を築きます」
信時「ただし」
家康「ただし?」
信時「攻略後、旧織田領の返還と差配は」
信時「内府殿にお任せいたします」
家康は、信時の意図を理解した。
信時は、旧織田領の回復を声高に求めない。
その代わり、織田家は新たな北の地へ向かう。
天下の中心を争わず。
だが巨大な力を保ったまま、国の外縁を支える。
それは、家康にとっても都合がよかった。
同時に、信時らしい願いでもあった。
家康「二つ目は」
信時「大谷吉継殿を」
信時「織田で貰い受けたく存じます」
再び、広間がざわめいた。
正則「大谷を?」
清正「西軍の将だぞ」
長政「だが、吉継殿は……」
家康は、信時を見た。
家康「理由を聞こう」
信時「大谷殿は、友誼に殉じた方です」
信時「小早川に裏切られながら、最後まで軍を保ちました」
信時「敵ではありましたが」
信時「忠義ある者を、ただ罪人として潰したくはありません」
家康「三成に与したことは事実じゃ」
信時「承知しております」
信時「ですから、織田で預かります」
信時「兵を持たせず、政にも関わらせませぬ」
信時「ただ、命だけはお許しいただきたい」
家康は、しばらく黙っていた。
信時は、己の功で土地を求めない。
財を求めない。
地位を求めない。
求めたのは北の未開地と、敗者一人の命だった。
家康「中将殿」
信時「はい」
家康「それでは、こちらの面目が立たぬ」
信時は顔を上げた。
家康「織田軍は、この戦で最も大きな功を立てた」
家康「それに対し、蝦夷地の派兵許可だけでは」
家康「徳川が恩賞を惜しんだように見える」
信時「内府殿」
家康「ゆえに」
家康は、はっきりと告げた。
家康「蝦夷地派兵に際し」
家康「徳川より資金を出す」
家康「兵糧、船、鉄砲、開拓に必要な物資」
家康「可能な限り支援しよう」
信時「……よろしいのですか」
家康「よろしい」
家康「中将殿には、それだけの功がある」
家康「また、大谷吉継の件も認める」
信時「ありがとうございます」
信時は深く頭を下げた。
家康「ただし」
信時「はい」
家康「大谷殿を預かる以上」
家康「織田が責任を持っていただく」
信時「もちろんです」
家康「ならばよい」
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論功行賞は、こうして終わりを迎えた。
大名たちは、それぞれ新たな所領と罰を受け入れた。
豊臣の名は、なお残った。
だが、天下の実権が徳川家康へ移ったことは。
もはや誰の目にも明らかだった。
その中で。
織田信時は、中央の権力ではなく。
北の果てを望んだ。
蝦夷地。
まだ多くの者が、寒く遠い未開の地と見る場所。
だが信時の目には。
新しい国の形が見えていた。
港。
街道。
交易。
農地。
そして、戦で生き場を失った者たちが、剣ではなく鍬を持って生きる未来。
広間を出た後。
半兵衛が信時の横へ並んだ。
半兵衛「大殿」
信時「何だ」
半兵衛「蝦夷地とは、また大きく出ましたね」
信時「天下の中心を争うつもりはない」
信時「だが、織田が何もせず縮むつもりもない」
半兵衛「北へ進むのですね」
信時「ああ」
信時「信長様が見た天下は、畿内だけではない」
信時「秀吉殿がまとめた天下も、ここで止まるべきではない」
信時「戦で広げるのではなく」
信時「人が生きる場所を増やす」
半兵衛は、静かに笑った。
半兵衛「まことに、大殿らしい」
信時「それに」
半兵衛「それに?」
信時「北は寒い」
半兵衛「はい」
信時「勝家様が生きていたら」
信時「また俺に、無茶をすると怒っただろうな」
半兵衛は少し笑った。
半兵衛「そして結局、誰よりも張り切って兵を鍛えたでしょう」
信時「違いない」
信時は空を見上げた。
関ヶ原は終わった。
論功行賞も終わった。
だが、織田家の歩みは終わらない。
乱世を終わらせた軍は。
次に、北の大地へ向かう。
戦うためではなく。
新しい時代を作るために。