蝦夷地における織田家の統治は、順調に進んでいた。
だが。
順調という言葉は、何事もなく進んだという意味ではない。
誰もが諦めたくなるほどの失敗を重ね。
それでも歩みを止めなかった末に。
少しずつ前へ進んでいたという意味だった。
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最初に行われたのは、土地の測量だった。
半兵衛を中心に測量隊が組織され。
和人の役人だけではなく、アイヌの案内人たちも加わった。
山。
川。
湿地。
海岸。
集落。
狩り場。
冬を越すために使われる道。
春になれば雪解け水で沈む土地。
地図へ記すべきものは、あまりにも多かった。
半兵衛「この辺りは、夏には道として使えますね」
シャムセイン「冬は使えない」
半兵衛「雪で埋まるのですか」
シャムセイン「違う」
シャムセイン「春になると川になる」
半兵衛は、手元の地図を見た。
半兵衛「……では、道を引き直しましょう」
測量役「またですか」
半兵衛「またです」
測量役「これで三度目です」
半兵衛「三度で済めば、運がよいでしょう」
実際。
三度では済まなかった。
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蝦夷地の冬は、厳しかった。
雪は人の背丈を越え。
吹雪は数歩先の人影すら消した。
秋までに作った道が。
冬を越した後には、どこにあったのかすら分からなくなる。
杭は折れ。
橋は流され。
雪解け水によって川の形まで変わった。
織田家臣「大殿」
信時「何だ」
織田家臣「これ以上は無理です」
その言葉を。
信時は何度も聞いた。
織田家臣「道を作っても、冬になれば消えます」
織田家臣「川へ橋を架けても、雪解けで流されます」
織田家臣「測量を終えても、次の年には地形が変わっております」
織田家臣「人の力で、この土地を変えることはできません」
信時は、雪に埋もれた道を見つめた。
去年まで。
確かにそこには、荷車が通れる道があった。
だが今は。
白い雪原が広がっているだけだった。
信時「ならば」
織田家臣「はい」
信時「この土地に合わせて、やり方を変えよう」
織田家臣「しかし」
信時「人の力で土地を無理に変える必要はない」
信時「雪が道を消すなら」
信時「雪が消えた後でも分かる目印を作る」
信時「川が橋を流すなら」
信時「流されない場所を探す」
信時「それでも駄目なら、船を使う」
織田家臣「大殿は」
織田家臣「諦めないのですか」
信時「諦めれば」
信時「この先に暮らす者へ、薬も食糧も届かない」
信時「それで死ぬ者がいる」
信時「なら、諦める理由にはならない」
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道だけではない。
五稜郭城と各地の集落を結ぶ、連絡網も整備された。
交易品。
収穫物。
衣類。
薬。
火災や病の知らせ。
外敵の接近。
それらを、一日でも早く届ける仕組みが必要だった。
時継「父上」
信時「何だ」
時継「南部では早馬が使えます」
時継「ですが、北部は雪が深すぎます」
シャムセイン「犬を使う」
時継「犬を?」
シャムセイン「橇を引かせる」
シャムセイン「馬より雪に強い」
信時はすぐに頷いた。
信時「試そう」
織田家臣「犬に荷を引かせるのですか」
シャムセイン「アイヌは昔から使っている」
信時「ならば、我らが学ぶべきだ」
冬には犬橇。
夏には馬と荷車。
川では舟。
海岸沿いには小型船。
山間部では、アイヌの案内人が荷を背負って進んだ。
どの方法が優れているかではない。
土地と季節に合う方法を使えばよい。
信時は、そう考えた。
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最大の問題は、雪だった。
五稜郭城と城下では。
冬になるたび、雪を捨てる場所が足りなくなった。
道の端へ積めば。
道そのものが狭くなる。
城壁の近くへ積めば。
敵が侵入するための足場になる。
雪解けの時期には、水が町へ流れ込み。
家や蔵を傷めた。
幸村「大殿」
信時「何だ」
幸村「雪との戦は」
幸村「ロシア軍より手強いですな」
玉藻「雪をすべて燃やしましょうか」
信時「町まで燃えます」
玉藻「加減はしますよ」
信時「信用できません」
幸村「大殿」
幸村「やはり、どなたかと話しておりますか」
信時「気にするな」
信時は川を見た。
そして。
ある案を出した。
信時「川幅を広げる」
半兵衛「川を」
信時「ああ」
信時「川底も深くする」
信時「冬の間に集めた雪を、ここへ運ぶ」
半兵衛「雪解け水を、そのまま川へ逃がすのですね」
信時「町へ流れ込む前にな」
シャムセイン「川の流れが変わる」
信時「魚に影響は出るか」
シャムセイン「やり方を間違えれば出る」
信時「ならば、魚の集まる場所は避ける」
信時「アイヌの漁師たちにも意見を聞こう」
工事はすぐには始まらなかった。
川の流れ。
魚の遡上。
春の増水。
下流の集落。
すべてを調べた上で。
少しずつ川幅を広げ。
川底を掘り下げていった。
雪を運ぶための橇も作られた。
川沿いには、雪を落とすための斜路が設けられた。
それ以外にも。
屋根の角度を変え。
雪が自然に落ちるようにする。
家と家の間隔を広げる。
食糧庫を地面から離して作る。
吹雪の中でも道を見失わぬよう、高い柱を並べる。
雪崩が起きやすい場所には、家を建てない。
和人の知恵。
アイヌの知恵。
そして。
玉藻をはじめとする、人ならざる者たちが持つ知識。
使えるものは、すべて使った。
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それでも。
信時自身が倒れたこともあった。
吹雪の中で現場を見回り。
凍えたまま城へ戻り。
高熱を出した。
玄作「大殿」
信時「大丈夫だ」
玄作「大丈夫な方は、立ち上がろうとして倒れません」
信時「明日の工事が」
玄作「中止です」
信時「だが」
玄作「中止です」
玄作は信時を布団へ押し戻した。
玄作「道を作る方が死んでは」
玄作「誰が最後まで責任を取るのですか」
信時は黙った。
玉藻「まったく」
玉藻「人には無理をさせぬくせに」
玉藻「自分だけは別だと思っているのですね」
信時「思っていません」
玉藻「では、眠りなさい」
信時「命令ですか」
玉藻「忠告です」
信時「同じでは」
玉藻「眠りなさい」
信時「……はい」
信時が倒れたと聞いた者たちは。
作業を止めようとした。
だが翌朝。
信時はまだ熱が下がらぬ身体で、書状を書いていた。
信時「俺が寝ている間も」
信時「測量だけは続けてくれ」
時継「父上」
信時「無理はするな」
時継「それを父上が言いますか」
信時「俺が悪い例になった」
時継「自覚はあるのですね」
誰よりも無理をし。
倒れても。
失敗しても。
決して諦めない。
その姿を見て。
家臣たちも。
職人たちも。
アイヌの者たちも。
再び立ち上がった。
織田家臣「もう一度、道を引き直します」
アイヌの案内人「春になれば、俺たちが川の形を教える」
職人「次の橋は、必ず流されぬようにします」
シャムセイン「今度は最初から、我らの冬の道を地図に入れよう」
半兵衛「では、四度目の測量を始めます」
信時「頼む」
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一年目。
道は冬に消えた。
二年目。
橋が雪解け水で流された。
三年目。
北部の集落へ薬を届ける途中、吹雪によって隊が引き返した。
だが。
四年目。
五稜郭城から出た荷が。
冬の最中にも北方の集落へ届いた。
北方の使者「薬が届いた!」
北方の住民「子供の熱が下がった!」
別の集落では。
不作によって食糧が不足したが。
連絡を受けた近隣の集落と五稜郭城から。
すぐに保存食が送られた。
アイヌの族長「昔なら」
アイヌの族長「春までに多くが死んでいた」
シャムセイン「今は道がある」
アイヌの族長「道だけではない」
アイヌの族長「呼べば来る者がいる」
それこそが。
信時が作ろうとしたものだった。
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苦節四年。
ついに。
蝦夷地に存在するすべての集落と、五稜郭城が結ばれた。
道。
川。
海路。
連絡所。
宿場。
診療所。
食糧庫。
どの集落から知らせが出ても。
必ず別の集落や五稜郭城へ届く。
同時に。
蝦夷地全土を記した地図が完成した。
海岸線。
河川。
山脈。
平野。
湿地。
集落。
季節ごとに変わる道。
すべてが細かく記されていた。
その正確さは。
後の時代に作られた地図と比べても。
ほとんど違いがなかったという。
五稜郭城の大広間。
半兵衛が、完成した地図を信時の前へ広げた。
半兵衛「大殿」
信時「うん」
半兵衛「完成しました」
信時は、しばらく地図を見つめていた。
何度も書き直された跡。
新しい紙を継ぎ足した部分。
アイヌの言葉で書かれた地名。
和人が使う呼び名。
川の流れ。
冬の道。
すべてが一枚に収められている。
信時「……終わったのか」
半兵衛「はい」
信時「本当に」
半兵衛「はい」
信時は、目を閉じた。
喜びよりも先に。
長い疲れが押し寄せた。
信時「四年か」
時継「長かったですね」
幸村「ロシア軍を追い払うより、はるかに時間がかかりました」
シャムセイン「戦なら、敵を倒せば終わる」
シャムセイン「国を作る仕事には、終わりがない」
信時「ああ」
信時「だが今日は」
信時「一度、終わったことにしよう」
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信時は命じた。
この計画に関わった者を。
可能な限り五稜郭城へ招くように、と。
織田の家臣。
兵。
職人。
医師。
船乗り。
測量役。
アイヌの族長。
猟師。
漁師。
薬師。
道案内を務めた者。
雪の中で荷を運んだ者。
男も。
女も。
和人も。
アイヌも。
そして、人ならざる者も。
その日は。
身分も立場も関係なかった。
大広間だけでは足りず。
城の庭と城下の広場まで使った、大きな宴が開かれた。
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並べられた料理も。
一つの文化だけのものではなかった。
米。
味噌。
越前から運ばれた酒。
鮭。
鹿肉。
山菜。
干した魚。
木の実。
アイヌの料理。
和人の煮物。
異国との交易で手に入れた香辛料を使った料理。
誰もが好きな物を取り。
好きな場所へ座った。
信時も上座にはいなかった。
族長たちと同じ場所に座り。
大きな木皿から料理を取っていた。
アイヌの族長「信時」
信時「何ですか」
アイヌの族長「お前は、この国で一番偉いのではないのか」
信時「一応は」
アイヌの族長「なら、なぜそこに座っている」
信時「ここに料理があるからです」
周囲から笑いが起きる。
シャムセイン「この男は、いつもこうだ」
信時「何か問題があるか」
シャムセイン「ない」
シャムセイン「だから皆が困る」
信時「なぜだ」
シャムセイン「偉そうにしない者ほど」
シャムセイン「皆が勝手に従いたくなる」
信時は苦笑した。
信時「それは皆の自由だ」
玉藻「本当に」
玉藻「人を従わせることだけは、お上手ですね」
信時「玉藻殿」
玉藻「何でしょう」
信時「今日は食べるだけにしてください」
玉藻「では、その酒をいただきます」
信時「それは俺のです」
玉藻「無礼講なのでしょう」
信時「そうでした」
幸村には。
信時の隣で酒を飲む狐耳の女性が見えていた。
幸村「大殿」
信時「何だ」
幸村「俺はもう」
幸村「あの方が宴へ混ざっていても、驚かなくなりました」
信時「それはよかった」
玉藻「慣れとは恐ろしいものですね」
幸村「今、俺を褒めましたか」
玉藻「いいえ」
幸村「やはりですか」
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宴に細かな決まりはなかった。
男も女も。
身分の高い者も低い者も。
同じ料理を食べ。
同じ酒を飲んだ。
アイヌの若者が歌い。
和人の兵が調子を合わせる。
織田の職人が踊り。
アイヌの女たちが笑う。
言葉が完全に通じなくても。
互いの表情と仕草で、何を伝えたいか分かった。
かつて。
和人とアイヌは。
交易の場で互いを疑い。
時には刃を向け合っていた。
織田が最初から戦を選んでいれば。
この宴はなかった。
多くの集落は焼かれ。
多くの者が死に。
生き残った者も。
心から同じ席に座ることはなかっただろう。
少し離れた場所で。
時継。
義近。
幸村。
半兵衛。
孫一。
玄作。
織田家の家臣たちは。
宴の光景を見つめていた。
時継「父上が」
時継「あの時、戦を選ばなくてよかった」
義近「ああ」
義近「戦なら、もっと早く終わっていたかもしれない」
幸村「ですが」
幸村「得られたのは土地だけだったでしょう」
半兵衛「人の心は、力では測れません」
孫一「俺たちが鉄砲を持って来ていたら」
孫一「今、あそこで笑っている者の何人かは」
孫一「ここにはいなかった」
玄作「助けられたはずの命も」
玄作「失われていたでしょう」
時継は。
族長たちと笑い合う父を見た。
時継「これでよかったんですね」
半兵衛「はい」
半兵衛「これが、大殿の望んだ勝利です」
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宴の途中。
信時は立ち上がった。
騒がしかった広場が。
少しずつ静かになる。
信時「皆」
和人も。
アイヌも。
織田家臣も。
族長たちも。
信時を見た。
信時「四年間」
信時「本当によく働いてくれた」
信時「何度も道が消えた」
信時「橋も流された」
信時「地図も何度も書き直した」
信時「俺自身」
信時「何度も、もう駄目かもしれないと思った」
半兵衛がわずかに笑う。
半兵衛「大殿も思っていたのですね」
信時「思うだけなら自由だ」
再び笑いが起きる。
信時「だが」
信時「諦めなかった」
信時「俺一人ではない」
信時「ここにいる全員が」
信時「できることを探し続けた」
信時「アイヌの知恵がなければ」
信時「冬の道は作れなかった」
信時「和人の職人がいなければ」
信時「橋も連絡所も完成しなかった」
信時「医師がいなければ」
信時「多くの者が病で倒れていた」
信時「雪の中で荷を運んだ者がいなければ」
信時「この道は、線を引いただけの地図で終わっていた」
信時は、完成した蝦夷地の地図を掲げさせた。
信時「これは」
信時「織田の地図ではない」
信時「和人の地図でも」
信時「アイヌだけの地図でもない」
信時「ここで生きる者すべてが作った」
信時「我らの土地の地図だ」
静寂の後。
シャムセインが立ち上がった。
シャムセイン「信時」
信時「何だ」
シャムセイン「違う」
信時「何が」
シャムセイン「これは、ただの土地の地図ではない」
シャムセイン「我らが」
シャムセイン「互いのもとへ行くための地図だ」
信時は。
しばらく言葉を失った。
そして、深く頷く。
信時「ああ」
信時「その通りだ」
族長たちが杯を掲げる。
織田の兵も。
職人も。
女たちも。
子供たちも。
それぞれの器を持ち上げた。
信時「この道が」
信時「人を救う道であり続けることを願って」
信時「乾杯!」
一同「乾杯!」
声が。
五稜郭城の空へ響いた。
和人も。
アイヌも。
人も。
妖も。
その夜だけは。
誰も互いを分けなかった。
ただ。
同じ土地で生き。
同じ仕事を成し遂げた仲間として。
同じ料理を食べ。
同じ酒を飲み。
心から笑っていた。
その光景を見つめながら。
織田家の者たちは、皆。
同じことを思った。
これでよかったのだ、と。
もし最初に戦を選んでいれば。
この光景を見ることはできなかった。
土地を得るだけでは。
国を得たことにはならない。
そこに生きる人々が。
自ら同じ道を歩もうとした時。
初めて。
その土地は一つの国になる。
四年かけて完成したのは。
道でも。
地図でもなかった。
織田とアイヌが、ともに生きるための。
新たな国そのものだった。