犬山城攻略から間もなく。
小牧山城の評定の間に、新六は呼び出されていた。
正面には織田信長。
左右には柴田勝家、林秀貞、村井貞勝らが控えている。
信長「七海新六」
新六「はっ」
信長「信清の乱における働き、見事であった。楽田を落とし、犬山では勝家の先陣よりさらに前へ出て道を開いた」
信長は、わずかに笑った。
信長「よって貴様を侍大将に取り立てる」
新六「……ありがたき幸せにございます」
信長「兵百を預ける。さらに百石を与える」
周囲の家臣たちが、わずかにざわめいた。
農民の子だった少年が、わずかな年で百の兵を持つ侍大将となる。
それは異例であり、同時に信長の期待の大きさを示していた。
信長「そして今日より、貴様は柴田の配下ではない。俺の直臣とする」
新六「……この新六、身命を賭してお仕えいたします」
勝家「新六」
新六「勝家様」
勝家「俺のもとを離れることになっても、教えたことを忘れるな」
新六「はい。兵を生かし、次の戦へ連れて帰ること。将は己だけで戦うものではないこと。決して忘れません」
勝家は満足そうに頷いた。
信長「だが、槍だけでは足りぬ」
信長は林秀貞と村井貞勝へ目を向ける。
信長「林、村井。新六に政を教えろ」
林秀貞「承知いたしました」
村井貞勝「寺社、町、年貢、訴え事。学ぶことはいくらでもございます」
信長「戦で人を動かせるなら、政でも人を動かしてみせよ」
新六「はっ」
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数日後。
村井貞勝の屋敷。
新六は机の上に積まれた訴状と帳面を前に、眉を寄せていた。
戦場の地図よりも、文字だらけの帳面の方がよほど手強い。
村井「難しい顔をしておりますな」
新六「槍なら、敵がどこにいるか分かります」
村井「政も同じです。敵が人とは限らぬだけで」
新六「敵が、人ではない?」
村井「欲、怠り、嘘、古いしきたり。そうしたものが、人を苦しめます」
村井は一枚の訴状を新六の前へ置いた。
村井「この寺について調べてみなさい」
新六「一向宗の寺、ですか」
村井「寺領の百姓から、定め以上の銭や米を取り立てているという訴えが複数ある。加えて、近頃は寺の近くで賊が増えている」
新六「寺と賊がつながっていると」
村井「決めつけるな。まず確かめよ」
新六「承知しました」
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新六は部下を数人だけ連れ、商人や旅人に身をやつして寺の周辺へ入った。
百姓の家を訪ね、酒場で話を聞き、夜には寺の裏手を見張った。
数日後。
月のない夜。
寺の裏門が静かに開いた。
中から僧衣を着た男が出てくる。
その男は、待っていた数人の荒くれ者へ米俵と銭の入った袋を渡した。
僧「次の荷は三日後だ。街道を通る商人を脅せ。だが寺へ疑いが向くような真似はするな」
賊「分かっております。こちらも、坊主どもの蓄えが減れば困りますからな」
新六は物陰で、静かに目を閉じた。
怒りより先に、確信があった。
寺が、民を守るどころか、賊を使って民から奪っている。
これは放置できない。
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翌朝。
村井貞勝のもとへ、新六は戻った。
新六「村井様。寺と賊のつながりを確認しました」
村井「証はあるか」
新六「賊と僧のやり取りを見た部下がおります。米俵の印も、寺の蔵のものと一致しました。さらに、奪われた品の一部が寺の納屋へ運ばれています」
村井「よく調べた」
新六「ただ、寺には関わっていない僧もいます。年若い者や、ただ修行に励んでいる者もいるようです」
村井「そこまで見たか」
新六「罪のない者までまとめて裁けば、寺を正そうとしているのではなく、ただ壊すだけになります」
村井はしばらく新六を見た。
村井「その報せは、殿へ上げよう」
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その夜。
新六の報告は信長の耳へ届いた。
信長は報告書を読み終えると、村井と林へ目を向けた。
信長「新六に任せろ」
林「殿、よろしいので?」
信長「よい」
村井「寺を相手にする以上、扱いを誤れば一向宗全体との火種になりかねませぬ」
信長「だから面白い」
信長は笑った。
信長「新六が力だけで片付けるのか。民を見て裁くのか。それとも寺に呑まれるのか。見せてもらおう」
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新六は信長へ願い出た。
新六「信長様。寺を制圧するため、前田利家と、その配下の母衣衆をお借りしたく存じます」
信長「利家を?」
新六「寺の者たちに、これは私怨でも、寺を潰すためでもないと見せる必要があります。織田家の命であると、誰の目にも明らかにするためです」
信長「よい。利家へ言っておけ」
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寺の門前。
朝霧の中、前田利家と母衣衆が並んでいた。
背には母衣が揺れ、槍の穂先が朝日に光る。
利家「新六。まさか今度は寺を攻めることになるとはな」
新六「寺そのものを攻めるわけじゃない。賊と手を組んだ者を捕える」
利家「同じようなものだろう」
新六「違う。寺で真面目に修行している者まで敵にするつもりはない」
利家は新六の横顔を見て、ふっと笑った。
利家「お前らしいな」
新六「頼む」
利家「任せろ。俺たちは逃げ道を塞ぐ。お前は中へ入れ」
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新六は百の兵を三手に分けた。
一手は裏門。
一手は寺の蔵。
そして新六自身は正門へ向かう。
新六「織田家直臣、七海新六である!」
寺の門前に声が響いた。
新六「寺に匿われた賊、ならびに賊と通じた者を捕える! 関わりのない僧侶、寺男、百姓に危害は加えぬ。門を開けよ!」
住職「何の証拠があって、そのようなことを申す!」
新六「証ならある。だが、今ここで言い争うつもりはない」
住職「寺へ兵を向けるとは、仏罰を恐れぬか!」
新六「仏が民を救うものなら、民から奪う者の方をこそ恐れるべきだ」
門が開く気配はない。
新六は一度だけ息を吐いた。
新六「門を破れ。ただし火は使うな。仏像にも、経巻にも手を出すな」
兵が丸太を担ぐ。
門が破られ、織田勢が寺へ流れ込んだ。
賊たちは蔵の裏から逃げようとしたが、そこには利家の母衣衆が待っていた。
利家「逃げ足だけは速いな」
賊「前田又左衛門……!」
利家「お前らに名を覚えられるほど暇じゃねえ。武器を捨てろ」
賊たちは抵抗した。
だが、母衣衆の槍の前に、ほどなくして押さえ込まれた。
一方、新六は本堂の奥へ進む。
そこには住職と、数人の僧がいた。
住職「貴様らは、仏の敵だ!」
新六「違う」
新六は静かに答えた。
新六「民を脅し、賊へ米と銭を渡し、寺の名を盾にして奪ってきた者こそが、この寺の敵だ」
住職「私は……寺を守るために」
新六「寺を守るために民を苦しめたなら、その寺に何が残る」
住職は答えられなかった。
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数日後。
捕えられた賊たちは、盗みと殺傷、寺との共謀が明らかとなり、法に従って処刑された。
ただし、寺にいた者たちすべてが罪に問われたわけではない。
新六は、若い僧たちの中から一人を呼び出した。
新六「名は」
僧「清玄と申します」
新六「お前は、住職の命令に従わなかったな」
清玄「……賊へ渡す米を運べと言われました。ですが、どうしてもできませんでした」
新六「なぜだ」
清玄「寺は、苦しむ人を救う場所だと師より教わりました。ですが、今の寺は違った」
新六は頷いた。
新六「ならば、お前が住職になれ」
清玄「私が……ですか」
新六「寺を立て直せ。民から不当に取り立てたものを返し、寺の蔵を開け、困る者を助けろ」
清玄「ですが、寺領や諸役の権利は」
新六「すべて織田家へ返上する」
清玄「……はい」
新六「お前自身の口から、信長様へ申し出ろ。誰かに奪われたと言うのではなく、この寺が自ら、民のために返すのだと」
清玄は長く沈黙した。
やがて、深く頭を下げる。
清玄「承知いたしました。必ず、この寺を正します」
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元の住職は、処刑ではなく追放とされた。
新六は信長へ許しを得たうえで、信長の名を借り、一通の書状を作らせた。
宛先は、本願寺顕如。
書状には、寺が賊と通じ、民を苦しめていたこと。
そのため寺領と権利を織田家へ返上させ、罪に関わらぬ僧を新たな住職に据えたこと。
そして、前住職を本願寺へ送り返すことが記されていた。
新六「この書状は、脅しではありません」
使者「では、何のために」
新六「本願寺に、織田家が寺そのものを敵にしているわけではないと伝えるためです」
前住職は縄を解かれぬまま、使者とともに寺を出た。
新六「本願寺で、自分が何をしたか話せ」
住職「……貴様は、私を辱めるつもりか」
新六「違う。二度と、同じことをさせないためだ」
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その後。
小牧山城。
信長は林秀貞と村井貞勝を呼び出した。
信長「新六の裁き、どう見る」
林「戦の者にしては、よく考えております」
信長「戦の者にしては、とは何だ」
林「失礼いたしました」
林は少しだけ姿勢を正した。
林「ですが事実、新六は武力だけで寺を潰す道を選ばなかった。賊を断ち、寺の権利を取り上げ、なお寺そのものは残した。織田家の利を取りながら、一向宗全体を無用に敵へ回さぬ処置です」
信長「村井はどう見る」
村井「民の目を見ております」
村井は静かな声で答えた。
村井「寺を守るためではなく、民を守るために裁いた。新しい住職を、従順な者ではなく、寺本来の役目を忘れぬ者から選んだ点もよろしい」
信長「欠けているものは」
村井「まだございます」
信長「申せ」
村井「新六は、守るべき者を前にすると、自ら背負いすぎます。今回も、寺の反発と本願寺の反応、そのすべてを自分で引き受ける覚悟で動いております」
林「将としては美点でもあり、危うさでもありますな」
信長はしばらく黙っていた。
やがて、愉快そうに笑う。
信長「よい」
林「殿」
信長「一人で背負えると思うほどの馬鹿でなければ、大きなことはできぬ」
信長は窓の外を見た。
小牧山の向こうには、美濃がある。
信長「だが、背負わせるものは選ばねばならん。新六には、まだ学ばせることがある」
信長は扇を閉じた。
信長「次は、もっと大きな仕事を与えよう」
農民の子は、侍大将となった。
槍を振るうだけの者ではなく、寺を裁き、民を守り、織田家の名で決断を下す者へと変わり始めていた。
そして信長は、その成長を誰よりも楽しんでいた。