光の中を。
信時は、市とともに歩いていた。
足取りは軽い。
百十一年を生きた身体の重さも。
長年抱えてきた痛みも。
病による苦しさも、もうない。
気がつけば。
信時の姿は、若い頃へ戻っていた。
農民の子として戦場へ立ち。
信長に見いだされ。
新六と呼ばれていた頃の姿に。
隣を歩く市もまた。
初めて出会った頃の若々しい姿へ戻っている。
市「あなた」
信時「何だ」
市「本当に、若返りましたね」
信時「市もな」
市「失礼ですね」
信時「褒めたつもりだ」
市「百年以上経っても変わりませんね」
市は呆れたように言いながら。
どこか嬉しそうに笑っていた。
やがて。
二人の前に、大きな城門が現れた。
見覚えのある城ではない。
だが。
どこか懐かしい。
尾張の城。
岐阜城。
安土城。
北ノ庄城。
五稜郭城。
信時が生涯で見てきた城のすべてが。
一つに重なったような、不思議な城だった。
門の前には。
一人の男が立っていた。
鋭い目。
尊大な立ち姿。
誰よりも先を見据え。
誰よりも大きな夢を掲げた男。
織田信長。
信長は、腕を組んだまま信時を睨んでいた。
信長「遅いぞ、新六」
その声を聞いた瞬間。
信時の胸に。
百年以上の歳月が押し寄せた。
初めて呼ばれた日のこと。
褒められたこと。
叱られたこと。
命令を受けたこと。
本能寺で失ったこと。
それからずっと。
もう一度聞きたいと願い続けた声。
信時は、その場に膝をついた。
信時「申し訳ありません」
信長「まったくだ」
信長「いつまで下で遊んでおる」
信時「やるべきことが、あまりにも多かったもので」
信長「言い訳は変わらんな」
信長はそう言いながら。
口元には、隠しきれない笑みを浮かべていた。
その後ろから。
さらに多くの者たちが姿を現す。
秀吉「新六殿!」
明るい声を上げ。
秀吉が駆け寄ってくる。
秀吉「遅かったではないか!」
信時「秀吉殿にだけは言われたくありません」
秀吉「俺は待っていたぞ!」
勝家「騒ぐな、猿」
秀吉「勝家殿!」
勝家「新六」
信時「勝家様」
勝家「随分と老けるまで働いたそうだな」
信時「勝家様に似たのかもしれません」
勝家「俺は百十一まで働いておらん」
勝家の隣には。
森良成。
前田利家。
佐々成政。
滝川一益。
竹中半兵衛。
黒田官兵衛。
雑賀孫一。
真田昌幸。
百地丹波。
望月千代女。
大谷吉継。
真田幸村。
毛利勝永。
そして。
真柄直隆。
佐伯智治。
戦場で先に逝った者たちまで。
皆、若い頃の姿で並んでいた。
半兵衛「大殿」
信時「半兵衛」
半兵衛「ようやく、お戻りになられましたね」
信時「ああ」
幸村「大殿」
信時「幸村」
幸村「またお仕えできること」
幸村「心より嬉しく思います」
吉継「こちらでは」
吉継「病もありません」
信時「それは何よりです」
孫一「新六」
信時「何だ」
孫一「一式歩兵銃は持ってきたか」
信時「死後まで持って来られるか」
孫一「なら、また作るしかないな」
官兵衛「ここでも兵器開発ですか」
半兵衛「結局、変わりませんね」
一同から笑いが起こる。
その中を。
鈴。
雫。
だし。
そして先に来ていた家族たちが歩いてくる。
鈴「あなた」
信時「鈴」
雫「お帰りなさいませ」
信時「雫」
だし「随分と遅かったですね」
信時「すまなかった」
市「本当に」
市「最後まで皆を待たせる人です」
信時は。
もう二度と会えないと思っていた者たちを前に。
しばらく何も言えなかった。
ただ。
一人ずつ、その顔を見る。
皆がいる。
失った者たちが。
守れなかった者たちが。
先に旅立った者たちが。
今は誰一人欠けることなく。
ここにいる。
だが。
その時。
信長が信時の肩を強く叩いた。
信長「感傷に浸るのは後にしろ」
信時「信長様」
信長「新六」
信長は振り返る。
そこには。
さらに広大な平野が広がっていた。
その平野へ。
一人。
また一人と。
数え切れないほどの者たちが姿を現す。
織田の旗を掲げた兵。
尾張で戦った者。
美濃で戦った者。
越前で戦った者。
北陸で戦った者。
九州。
関東。
関ヶ原。
蝦夷地。
そして。
戦場で名も残らず死んだ者たち。
信長のために。
織田のために。
家族や故郷を守るために戦った兵士たちが。
若く、傷一つない姿となって現れていた。
地平線の果てまで。
織田木瓜の旗が並ぶ。
信時の目が、大きく見開かれた。
織田兵「信長様!」
織田兵「新六様!」
織田兵「お待ちしておりました!」
その声は。
雷鳴のように平野を揺らした。
信長は、満足そうに笑う。
信長「見ろ、新六」
信長「皆が揃った」
信時は。
仲間たちを見た。
兵たちを見た。
市を。
妻たちを。
子や家臣たちを見た。
信長は。
あの日と変わらぬ目で。
誰よりも遠くを見つめていた。
信長「ならば」
信長「やることは変わらん」
信長は腕を上げる。
その手の先。
城の向こうには。
果ての見えない世界が広がっていた。
人の世とは異なる。
妖。
神。
亡者。
名も知らぬ異界の国々。
そこにはまだ。
信長の名を知らぬ者がいる。
織田の旗を見たことのない者がいる。
信長「さあ、新六」
信長「この世で終わりだと思ったか」
信長「儂が、それで満足すると思うか」
信長は笑った。
乱世で。
安土で。
天下布武を掲げた時と。
まったく同じ笑みだった。
信長「この世で天下を平らげた」
信長「ならば次は、あの世だ」
信長「あの世でも天下布武を広めるぞ」
信長「神であろうが」
信長「鬼であろうが」
信長「儂の前に立つならば、すべて従わせる」
秀吉「相変わらず、大きく出られますな!」
勝家「だが、信長様らしい」
半兵衛「また忙しくなりそうですね」
幸村「望むところにございます」
玉藻「まったく」
玉藻の前も。
信時の背後に、若々しい姿で現れた。
九本の尾を揺らしながら。
楽しげに微笑んでいる。
玉藻「死んだ後まで戦へ連れていかれるとは」
玉藻「妾も、随分と厄介な主を選んだものです」
信時「今さらですか」
玉藻「ですが」
玉藻「退屈はしなさそうですね」
信長は、改めて信時へ手を差し出した。
信長「新六」
信長「ついてくるか」
それは。
かつて農民の子に差し出された手。
乱世へ引き上げ。
武士としての道を与え。
人生のすべてを変えた手だった。
信時は。
迷わなかった。
右手を胸へ当て。
信長の前に膝をつく。
周囲の家臣たちも。
兵士たちも。
一斉に膝をついた。
何万。
何十万もの声が。
一つになる。
信時「ご命令を、信長様」
信長の笑みが深くなる。
信長「よし!」
信長「全軍、出陣せよ!」
信長「我ら織田が」
信長「あの世の天下を塗り替える!」
織田軍「おおおおおおおおっ!」
勝鬨が響く。
天を揺らし。
地を震わせ。
死後の世界そのものへ広がっていく。
信長が先頭を歩く。
その隣には信時。
後ろには秀吉。
勝家。
半兵衛。
幸村。
そして織田のために戦った、すべての者たち。
織田木瓜の旗が。
果てのない空を埋め尽くす。
信時は。
もう一度、槍を握った。
天授北辰・護国真槍には。
炎と雷が宿っている。
その隣で。
信長が笑う。
信長「新六!」
信時「はっ!」
信長「天下布武だ!」
信時「承知いたしました!」
この世での戦は終わった。
だが。
織田信長と。
織田信時と。
彼らに従った者たちの物語は。
まだ終わらない。
次なる天下を求め。
織田の軍勢は。
あの世の果てへ向けて。
再び進み始めたのだった。