織田信時の人生   作:秋月 了

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救済の英雄の謎――函館歴史科学大学特別講義

 

 

 二〇二六年。

 

 北海道函館市。

 

 函館歴史科学大学。

 

 五稜郭城からほど近い場所に建てられたこの大学は、北海道の歴史研究において国内最高峰と呼ばれていた。

 

 蝦夷織田家。

 

 アイヌ民族史。

 

 北方交易史。

 

 新選組と旧幕府軍。

 

 近代日本の北方防衛。

 

 大学が保管する史料の中には、国宝や重要文化財に指定されたものも少なくない。

 

 その日の午後。

 

 歴史学部第一講義棟の大教室には、普段を大きく上回る数の学生が集まっていた。

 

 講義の題目は。

 

 **『織田信時研究――救済の英雄に残された五つの謎』**

 

 北海道で育った者ならば、織田信時の名を知らない者はいない。

 

 農民の子として生まれ。

 

 九歳で初陣を飾り。

 

 織田信長に見いだされ。

 

 戦国の世を終わらせるために戦い続けた男。

 

 そして晩年には蝦夷地を治め。

 

 和人とアイヌがともに生きる国の礎を築いた。

 

 救済の英雄。

 

 だが。

 

 その生涯には、現代の歴史学でも説明できない謎が数多く残されていた。

 

---

 

 講義室の中央付近。

 

 一人の女子学生が、机の上へ資料を並べていた。

 

 織田千里。

 

 函館歴史科学大学歴史学部の二年生。

 

 そして。

 

 織田信時の直系の子孫だった。

 

友人「千里」

 

千里「何?」

 

友人「今日の講義、聞きにくくない?」

 

千里「どうして?」

 

友人「だって、自分の御先祖様が」

 

友人「実は未来人だったかもしれないとか」

 

友人「信長の操り人形だったとか言われるんだよ」

 

千里「もう慣れた」

 

友人「慣れるものなの?」

 

千里「小学校の頃から、授業に必ず出てきたから」

 

友人「北海道の歴史って」

 

友人「何を勉強しても、だいたい織田家に行き着くもんね」

 

千里「それは否定できない」

 

 千里は苦笑しながら。

 

 講義資料の表紙へ目を落とした。

 

 そこには。

 

 槍を持ち、北の大地を見つめる織田信時の肖像画が印刷されていた。

 

 織田家に伝わる、晩年の肖像画。

 

 ただし。

 

 百歳を超えて描かれたにもかかわらず、その姿は六十代ほどにしか見えない。

 

 それもまた。

 

 信時に残された、小さな謎の一つだった。

 

---

 

 開始時刻になると。

 

 一人の男性が教壇へ上がった。

 

 足立弘毅教授。

 

 専門は戦国政治史と蝦夷織田家史。

 

 織田家が公開している膨大な史料の調査責任者も務めていた。

 

足立教授「皆さん、こんにちは」

 

学生たち「こんにちは」

 

足立教授「今日は、織田信時について講義します」

 

足立教授「北海道では説明の必要もない人物ですが」

 

足立教授「有名であることと」

 

足立教授「その人物について、すべて分かっていることは同じではありません」

 

 足立教授は、背後の大型画面を操作した。

 

 信時の年表が表示される。

 

 九歳で初陣。

 

 農民から武士へ取り立て。

 

 十代で侍大将。

 

 若くして一国を任され。

 

 常備軍や医療制度を整備。

 

 革新的な銃器を開発。

 

 北陸を統治し。

 

 関ヶ原では東軍の勝利を決定づける。

 

 そして蝦夷地を一年で統合し。

 

 百十一歳で死去。

 

 その経歴を改めて並べると。

 

 学生たちの間から、わずかなどよめきが起きた。

 

足立教授「こうして見ると」

 

足立教授「明らかにおかしいですね」

 

 教室から笑いが起こる。

 

足立教授「もちろん、よい意味でもあります」

 

足立教授「しかし歴史学者からすると」

 

足立教授「調べれば調べるほど、頭を抱えたくなる人物です」

 

学生「教授」

 

足立教授「はい」

 

学生「最初から、そんな言い方でいいんですか」

 

足立教授「歴史研究は」

 

足立教授「分からないものを、分からないと認めるところから始まります」

 

---

 

## 第一の謎――信時は、本当に農民の子だったのか

 

 画面に。

 

 織田家の最古の家臣録が表示された。

 

 信時について書かれているのは。

 

 わずかな文章だった。

 

 尾張国の農民の子。

 

 幼名不詳。

 

 両親の名も不詳。

 

 賊によって両親を失い。

 

 九歳で浮野の戦いへ参加。

 

足立教授「織田家は」

 

足立教授「信時本人の記録だけでも、数万点を保管しています」

 

足立教授「書状」

 

足立教授「政務記録」

 

足立教授「軍議録」

 

足立教授「日記」

 

足立教授「医療記録」

 

足立教授「妻や子供たちへ送った私的な手紙まで残っています」

 

足立教授「ところが」

 

足立教授「彼が武士となる以前の記録は」

 

足立教授「不自然なほど少ない」

 

 画面が切り替わる。

 

 大きく表示されたのは。

 

 **第一説――特殊出生秘匿説**

 

足立教授「最初の説です」

 

足立教授「信時は、実際には特別な血筋の生まれだった」

 

足立教授「しかし何らかの事情によって出自を隠され」

 

足立教授「農民の子として育てられたのではないか」

 

友人「出た」

 

千里「特殊出生説」

 

足立教授「候補として挙げられてきたのは」

 

足立教授「没落した公家の子」

 

足立教授「敗れた武家の遺児」

 

足立教授「あるいは、尾張の有力豪族の庶子です」

 

学生「根拠はあるんですか」

 

足立教授「ありません」

 

 教室が静まり返った。

 

足立教授「正確に言えば」

 

足立教授「信時の出自を示す記録が少なすぎること自体が、根拠とされています」

 

足立教授「しかし」

 

足立教授「記録がないことと」

 

足立教授「特殊な出生だったことは同じではありません」

 

足立教授「両親が本当に無名の農民で」

 

足立教授「戦乱によって、村の記録ごと失われた可能性も高い」

 

足立教授「現時点では」

 

足立教授「この説を裏づける確実な史料は、一つも発見されていません」

 

学生「じゃあ、可能性は低い?」

 

足立教授「否定もできません」

 

足立教授「ですが」

 

足立教授「積極的に支持する理由もありません」

 

 千里は、ノートへ書き込んだ。

 

 ――出自不明。

 

 それは。

 

 織田家の人間にとっても、昔から変わらない謎だった。

 

---

 

## 第二の謎――信長の傀儡だったのか

 

 次に表示されたのは。

 

 信長と若い信時が並ぶ肖像画だった。

 

足立教授「次は」

 

足立教授「かつて最も有力とされた説です」

 

足立教授「**信長傀儡説**」

 

足立教授「信時が若くして行った革新的な政策は」

 

足立教授「実際には信長が考えたものであり」

 

足立教授「信時は、それを実行するための傀儡にすぎなかったという説です」

 

学生「かなり失礼な説ですね」

 

足立教授「現代では、ほぼ否定されています」

 

足立教授「理由は単純です」

 

 画面へ、美濃北部の農業生産量を示す表が映し出された。

 

足立教授「信時は、美濃で検地と農業改革を行いました」

 

足立教授「農具の共同管理」

 

足立教授「収穫量に応じた年貢調整」

 

足立教授「用水路の整備」

 

足立教授「飢饉に備えた共同備蓄」

 

足立教授「これらの制度は」

 

足立教授「信長が織田領全域で採用するより先に」

 

足立教授「信時の支配地で始まっています」

 

学生「つまり」

 

足立教授「信長が信時の政策を見て」

 

足立教授「効果を確認した後に、織田家全体へ広げたのです」

 

 さらに。

 

 信時が作った医療制度の記録が表示される。

 

足立教授「定期健診制度」

 

足立教授「兵士の負傷記録」

 

足立教授「感染症患者の隔離」

 

足立教授「医師の育成制度」

 

足立教授「これらも信時の領内で先に始まり」

 

足立教授「後に信長が導入しています」

 

友人「信長の方が真似してるじゃん」

 

千里「言い方」

 

足立教授「そのとおりです」

 

足立教授「加えて」

 

足立教授「信長が直接、信時の領国運営へ干渉できたのは」

 

足立教授「主に美濃時代までです」

 

足立教授「越前を与えられて以降」

 

足立教授「信時は北陸の軍事と政務を、ほぼ独立して任されています」

 

足立教授「北陸で行われた改革まで」

 

足立教授「すべて信長の発案だったと考えるには無理があります」

 

学生「じゃあ、二人はどういう関係だったんですか」

 

足立教授「主君と家臣です」

 

足立教授「同時に」

 

足立教授「互いの政策を学び合った関係だったと考えるのが自然です」

 

足立教授「信時が信長の思想から影響を受けたことは間違いありません」

 

足立教授「しかし信長もまた」

 

足立教授「信時の成功から多くを学んでいます」

 

---

 

## 第三の謎――未来人だったのか

 

 大型画面へ。

 

 大きな疑問符が表示された。

 

 その下には。

 

 **未来人説**

 

 教室のあちこちから、笑い声が上がる。

 

足立教授「笑ってはいけません」

 

学生「教授も笑っているじゃないですか」

 

足立教授「学説として扱うには」

 

足立教授「かなり勇気が必要です」

 

 足立教授は咳払いをした。

 

足立教授「信時未来人説」

 

足立教授「文字どおり」

 

足立教授「未来の知識を持った人物が、戦国時代へ現れたのではないかという説です」

 

友人「千里」

 

千里「何?」

 

友人「御先祖様、未来人だったの?」

 

千里「私に聞かないで」

 

足立教授「この説が生まれた理由は」

 

足立教授「信時の行った政策や技術が、時代に対して革新的すぎるからです」

 

 画面に、信時の政策が並ぶ。

 

 職業常備軍。

 

 定期的な健康診断。

 

 兵站を中心とした軍制。

 

 道路と通信網の全国的な整備。

 

 詳細な戸籍と疾病記録。

 

 雪国に対応した都市計画。

 

 文化保護を前提とした異民族統治。

 

 そして。

 

 一式歩兵銃。

 

足立教授「特に問題となるのが」

 

足立教授「一式歩兵銃です」

 

足立教授「七発を連続して発射可能」

 

足立教授「従来の火縄銃より装填速度が速い」

 

足立教授「軽量で」

 

足立教授「一定距離なら軽装の鎧を貫通できた」

 

学生「戦国時代に、そんなものを作れるんですか」

 

足立教授「作っています」

 

学生「どうやって?」

 

足立教授「それが分からないので、研究者が困っています」

 

 再び笑いが起きた。

 

足立教授「設計と改良を行ったのは、雑賀孫一を中心とする技術者集団です」

 

足立教授「しかし」

 

足立教授「最初に連発式銃器の構想を提示したのは、信時と竹中半兵衛だったと記録されています」

 

学生「未来の銃を知っていた?」

 

足立教授「未来人説を支持する人は、そう考えます」

 

足立教授「さらに信時は」

 

足立教授「海を越えた補給の難しさ」

 

足立教授「ロシアで近く大きな動乱が起きる可能性」

 

足立教授「中央集権化によって発生する弊害」

 

足立教授「文化を強制的に同化させた場合に起こる反発」

 

足立教授「これらを、実際に起きる前から予測していました」

 

学生「かなり怪しいですね」

 

足立教授「怪しいという表現が」

 

足立教授「学問的に正しいかは別として」

 

足立教授「不自然ではあります」

 

 足立教授は。

 

 未来人説の下へ赤い線を引いた。

 

足立教授「ただし」

 

足立教授「時間移動が可能であるという証拠はありません」

 

足立教授「信時本人が未来人であると語った記録もない」

 

足立教授「よって」

 

足立教授「説明として面白くはありますが」

 

足立教授「歴史学の学説として採用することはできません」

 

---

 

## 第四の謎――天才集団による共同政策説

 

 続いて表示されたのは。

 

 信時を中心に集まる家臣たちの名前だった。

 

 竹中半兵衛。

 

 柴田勝家。

 

 森可成。

 

 前田利家。

 

 佐々成政。

 

 滝川一益。

 

 雑賀孫一。

 

 曲直瀬道三。

 

 玄作。

 

 百地丹波。

 

 望月千代女。

 

 真田昌幸。

 

 シャムセイン。

 

足立教授「第四の説は」

 

足立教授「**天才集団共同政策説**です」

 

足立教授「信時一人が、すべてを考えたのではない」

 

足立教授「信時の周囲に集まった優秀な家臣たちが」

 

足立教授「それぞれの専門分野で政策や技術を生み出した」

 

足立教授「そして後世に、それらすべてが信時の功績としてまとめられたという説です」

 

学生「これは現実的ですね」

 

足立教授「現在、比較的支持されている説です」

 

足立教授「実際」

 

足立教授「一式歩兵銃の実用化は雑賀孫一」

 

足立教授「医療制度は曲直瀬道三と玄作」

 

足立教授「諜報網は百地丹波と望月千代女」

 

足立教授「蝦夷地の冬季交通は、シャムセインをはじめとするアイヌの人々」

 

足立教授「軍制や行政制度の整備は竹中半兵衛」

 

足立教授「多くの人物の働きによって成立しています」

 

学生「じゃあ、信時はまとめ役だった?」

 

足立教授「それだけでもありません」

 

 足立教授は、信時の自筆書状を表示した。

 

足立教授「信時本人の構想や指示も、数多く残されています」

 

足立教授「彼は専門家ではありませんでした」

 

足立教授「しかし」

 

足立教授「問題を見つけ」

 

足立教授「必要な人物を探し」

 

足立教授「意見を聞き」

 

足立教授「異なる知識を一つの政策へまとめる能力に優れていた」

 

足立教授「すべてを発明した天才ではなく」

 

足立教授「天才たちの力を、最大限に引き出した人物だった」

 

足立教授「そう考えることはできます」

 

千里「……」

 

友人「どうしたの?」

 

千里「家の記録でも」

 

千里「信時公は、自分一人の功績だと言ったことがほとんどないの」

 

友人「そうなの?」

 

千里「何か成功すると」

 

千里「必ず関わった人の名前を書き残してる」

 

 千里は、画面に映る先祖の書状を見つめた。

 

 確かに。

 

 信時は自らを天才とは書かなかった。

 

 ただ。

 

 誰が何を考え。

 

 誰がどのように働いたのかを。

 

 驚くほど丁寧に記録していた。

 

---

 

## 第五の謎――玉藻の前と護国真槍

 

 教室の空気が。

 

 少し変わった。

 

 画面に映し出されたのは。

 

 現在も織田家が保管する一本の槍だった。

 

 天授北辰・護国真槍。

 

 後陽成天皇から信時へ下賜され。

 

 玉藻の前の魂が宿ると伝えられる武器。

 

足立教授「最後は」

 

足立教授「歴史学というより、民俗学や宗教学に近い話です」

 

足立教授「**玉藻契約説**」

 

学生「それも学説なんですか」

 

足立教授「織田家の記録が多すぎるため」

 

足立教授「無視できないのです」

 

 画面へ複数の記録が並ぶ。

 

 真田幸村の日記。

 

 織田兵の陣中記録。

 

 アイヌ族長の口伝。

 

 ロシア軍捕虜の証言。

 

足立教授「蝦夷地北方戦役以降」

 

足立教授「信時の槍には、炎や雷が宿ったという記録が急増します」

 

足立教授「特に真田幸村は」

 

足立教授「信時の背後に、狐の耳と複数の尾を持つ女性が見えたと」

 

足立教授「繰り返し記録しています」

 

学生「幸村の幻覚では?」

 

足立教授「その可能性はあります」

 

足立教授「ただし」

 

足立教授「幸村以外にも、似た証言を残した人物がいる」

 

学生「槍は本物なんですよね」

 

足立教授「現存しています」

 

学生「科学的な調査は?」

 

足立教授「行われました」

 

足立教授「年代の異なる金属が、複数回にわたって組み合わされています」

 

足立教授「最も古い部分は平安時代初期」

 

足立教授「一部には、平安中期に鍛え直された痕跡があります」

 

足立教授「少なくとも」

 

足立教授「坂上田村麻呂や安倍晴明に関連するという伝承を」

 

足立教授「年代だけで完全に否定することはできません」

 

学生「炎や雷は?」

 

足立教授「再現できていません」

 

友人「千里」

 

千里「何?」

 

友人「家では、何か聞いてない?」

 

千里「聞いてる」

 

友人「本当に?」

 

千里「槍のある部屋で悪口を言うと」

 

千里「夜中に狐の笑い声が聞こえるって」

 

友人「それ、絶対に近づきたくない」

 

 千里は小さく笑った。

 

 冗談のように話したが。

 

 織田家では。

 

 天授北辰・護国真槍を保管する部屋へ入る際。

 

 今でも必ず、玉藻の前へ挨拶する習わしが残っていた。

 

---

 

## 結論――織田信時とは何者だったのか

 

 足立教授は。

 

 画面に五つの説を並べた。

 

 一、特殊出生秘匿説。

 

 二、信長傀儡説。

 

 三、未来人説。

 

 四、天才集団共同政策説。

 

 五、玉藻契約説。

 

足立教授「さて」

 

足立教授「結局、織田信時は何者だったのでしょうか」

 

 学生たちは。

 

 答えを待つように教授を見た。

 

 足立教授は、少し笑った。

 

足立教授「分かりません」

 

 教室から、不満そうな声が上がる。

 

学生「ここまで話して、それですか」

 

足立教授「それが歴史学です」

 

足立教授「特殊な血筋だった証拠はない」

 

足立教授「信長の傀儡説は、史料からほぼ否定される」

 

足立教授「未来人説は、証明する方法がない」

 

足立教授「天才集団説だけでは」

 

足立教授「信時本人の異常な判断力や先見性を説明しきれない」

 

足立教授「玉藻の前についても」

 

足立教授「伝承を事実と認めることはできません」

 

足立教授「しかし」

 

足立教授「完全な創作と断定するには、記録が多すぎる」

 

 足立教授は。

 

 画面に映る信時の肖像を見た。

 

足立教授「私たちに確実に言えることは」

 

足立教授「彼が何者だったかではありません」

 

足立教授「彼が、何をしたかです」

 

 画面が切り替わる。

 

 五稜郭城。

 

 アイヌと和人が並ぶ宴。

 

 蝦夷地の道路網。

 

 長崎で帰還者を迎える信時。

 

 関ヶ原で豊臣の馬印を掲げる織田軍。

 

 敗者の妻子を乗せて北へ向かう船。

 

足立教授「出自が何であろうと」

 

足立教授「未来の知識を持っていようと」

 

足立教授「妖の力を借りていようと」

 

足立教授「信時が選んだ行動は変わりません」

 

足立教授「力を得た時」

 

足立教授「彼は、天下を奪わなかった」

 

足立教授「勝者となった時」

 

足立教授「敗者を皆殺しにしなかった」

 

足立教授「異なる文化と出会った時」

 

足立教授「それを消そうとしなかった」

 

足立教授「そして」

 

足立教授「自分一人ではできないと理解し」

 

足立教授「多くの者の知恵を借りた」

 

 講義室は。

 

 静かになっていた。

 

足立教授「信時が生まれながらの天才だったのか」

 

足立教授「偶然、優れた人々に恵まれたのか」

 

足立教授「あるいは」

 

足立教授「本当に未来を知っていたのか」

 

足立教授「その答えは、おそらく永遠に出ないでしょう」

 

足立教授「ですが」

 

足立教授「一つだけ、間違いなく言えることがあります」

 

 足立教授は。

 

 信時の最も有名な言葉を表示した。

 

 **奪うな。捨てるな。ともに生きよ。**

 

足立教授「彼が後世へ残した最大のものは」

 

足立教授「銃でも」

 

足立教授「領土でも」

 

足立教授「織田家の繁栄でもありません」

 

足立教授「異なる者と」

 

足立教授「どう生きるべきかという問いです」

 

足立教授「だからこそ」

 

足立教授「四百年以上が経過した今でも」

 

足立教授「私たちは織田信時を研究し続けているのです」

 

---

 

 講義終了を知らせる鐘が鳴った。

 

 学生たちは席を立ち始める。

 

 だが千里は。

 

 しばらく肖像画を見つめたまま動かなかった。

 

友人「千里」

 

千里「うん」

 

友人「結局、御先祖様って何者だったんだろうね」

 

 千里は少し考えた。

 

 特殊な生まれの者。

 

 信長が作った英雄。

 

 未来人。

 

 天才たちをまとめた指導者。

 

 妖狐に選ばれた人間。

 

 どれも。

 

 完全には否定できない。

 

 だが。

 

 どれも信時のすべてを説明することはできなかった。

 

千里「分からない」

 

友人「千里も?」

 

千里「うん」

 

千里「家族でも分からないもの」

 

友人「それでいいの?」

 

 千里は。

 

 肖像画の中で穏やかに笑う先祖を見た。

 

千里「いいんじゃないかな」

 

友人「どうして?」

 

千里「何者だったかより」

 

千里「何を選んだ人だったかの方が」

 

千里「大事だと思うから」

 

 友人は。

 

 画面に残された信時の言葉を見る。

 

友人「奪うな」

 

千里「捨てるな」

 

友人「ともに生きよ」

 

千里「それさえ残っていれば」

 

千里「きっと、信時公も満足するよ」

 

 千里は荷物をまとめ。

 

 友人とともに講義室を出た。

 

 窓の外。

 

 函館の街の向こうには。

 

 信時が築いた五稜郭城が見えていた。

 

 四百年以上前。

 

 一人の男が北の大地へ引いた道は。

 

 今も人々の暮らしを結んでいる。

 

 その男が。

 

 本当は何者だったのか。

 

 答えはまだない。

 

 そしておそらく。

 

 これからも完全な答えは出ない。

 

 だが。

 

 だからこそ人々は。

 

 救済の英雄、織田信時という男を。

 

 これからも語り。

 

 調べ。

 

 問い続けるのだった。

 

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