私は今日から男を”虫”と呼ぶことにした。
ザグッ!
まあそもそも、虫というよりは”爬虫類”なのだが。
ザグッ!
とりあえず何でもかんでも舐めたがるのだ。
ザグッ!
とりあえず何がなんでも刺したがるのだ。
ザグッ!
とりあえず体臭が酷くて。
ザグッ!
顔や身体は脂ぎっていて。
ザグッ!
口を開けば能書きを垂れて。
ザグッ!
その口からはとてもくさいにおいがして。
ザグッ!
直ぐに笑って、直ぐに怒って、直ぐに泣く。
ザグッ!ザグッ!
直ぐに殴る、直ぐに謝る、直ぐに逃げる!
ザグッ!ザグッ!
あああああ、吐く、吐く、吐きそう、気持ち悪い!気持ち悪い!
ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!
ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!
あははははははッはアハハハ!
ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!
ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!
ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!ザグッ!
オミヨちゃん――――。
・・・声?
「オミヨちゃん、大丈夫?!こんなところでどうしたの?」
振り返ると、この間入所してきたヤガミさんがいた。
「こんなに雨が降っているのに部屋にいないから心配したんだよ。
みんな探してるよ・・・何してるの?」
私はいつの間にか園庭でしゃがみ込んで大雨に打たれていた。
花を弄っているつもりが物思いに耽るうちに
いつの間にか手に持っていたスコップで大きな穴を掘っていたらしい。
「これ?」
「うん、急にどうしたの?」
私はヤガミさんを心配させないように笑顔で答えた。
「”虫”のお墓」
前編 プロローグ及び第一章 古株の一期生
私の名はオミヨと言う。
本来、正しい人生を歩んでいれば中等部の女学生(中学生)なのだろうが
八歳頃だろうか?両親が”居なくなり”その後、周りの大人たちに翻弄され気づいたころには此処にいた。
グレース女子児童福祉施設、元は名家の館らしいが。
その忌々しい館のたたずまいは物々しくも威厳があり、
前に歴史書で見た海外の西洋建築物(ゴシックモダン)そのものであった。
そしてなんといってもまるで旅館のように部屋が多く、大きいのである。
今、私はここで他の寮生たちと勉学と生活をしている。
だがこの福祉施設なんて名ばかり。
まあしいて言うなれば伏魔殿、地獄、煉獄、大殺界とか・・・そんな”クソ”みたいなところだ。
なんせここは・・・ああ、廊下の窓からグレースのババアが見えた、早く行かなくては。
私は、迎えに来たヤガミさんと一緒に足早にこの館の玄関に向かった。
玄関の観音扉の開け、中に飛び込むとそこには施設長兼教育係のグレースがいた。
フルネームは知らない、まあ知りたくもないが。
「すいませんグレースさん、ただいま戻りました」
ヤガミさんが断りを入れるもこのババアは眉をひそめながら言った。
「すいませんではありません、なんですかオミヨさん。雨の中傘もささずに!」
「申し訳ございませんグレースさん、花の手入れの最中急に振り出したもので」
私は、濡れた前髪を必死にたくし上げながら弁解を入れたのだが
「あなたねぇ、ついこの間も雨の中をうろついていたではありませんか。
どういうことです。
これでは他の者への示しがつきませんよ。いいですか、あなたは此処の一期生。
あなたが模範として教養を示さないといけないのですよ。ちょっとオミヨさん聞いてますの?!」
聞いてねえよクソババア。
「ハイ、もちろん胸にとどめております」
それを聞いてグレースのババアは大きく溜息をつくと半ば呆れたように私に吐き捨てる。
「・・・もういいわ、もうすぐ夕食の時間になります。早く部屋で身体を拭いて着替えてくるように。
それとヤガミさん、あなた今日配膳係なんですからね、直ぐに食堂に行くように」
「わかりました、今すぐに・・・オミヨちゃん先に言ってるからね」
ヤガミさんは身を翻して食堂に続く回廊へ足早に去っていった。
「わたしも失礼します、グレースさん」
私もとっとと逃げよう。
「”わたし”ではありません、”わたくし”です。気を引き締めなさい!」
グレースは過ぎ去る私の背中へ向けて戯言をぶつける。
あー今日は本当についていない。
部屋に戻った。ベットとクローゼット、小さな机が左右対称に並んでいる相部屋。
片方は私が此処に来てからずっと使っているベットがある。
ベット側の壁には私の落書きがびっしり”彫りこまれて”いる。
一方、もう片方にはこの間ここへ入所してきたヤガミさんが使っている。
元々は私と同じ一期生が使っていたがもういない。
ある日、体調不良を訴えて病院に連れられ、もうそのまま返ってこなかった。
最初は驚いてグレースのババアに問い詰めたりもした。
だけど”転出した”の一点張りで当てにもならない。
そして今ではもう珍しくもなくなった。
だってここではこれがもう当たり前なんだから。
でもヤガミさんはずっと居てほしいな・・・
タッタッタッ。
足早にクローゼットの前までいっておもむろに扉を開く。
みんな最初に貰った赤色系のワンピースと下着類が数着だけ。
ワンピースの幾つかは既にほころびたところもあった。
(また、直さないとな。この間、あのクソ爺に乱暴に引っ張られたから・・・)
私は濡れた服をキャミソールごと一気に下からまくり脱いで引き出しからタオルを出して
急いで身体を拭いた。
なんだかこの間付いた傷が凄くしみて痛い、なんだろう?
傷薬は縫ったし、もう塞がっても良い頃なんだけど。
この間、乱暴に爪を立てられたせいでひっかき傷が付いたのだが一向に治る様子がない。
(また薬を良く塗っておこう・・・)
私は身体を拭いた後、新しいワンピースを取り出して着替えると急いで部屋を出て食堂に向かった。
食堂の扉は解放されており、大きな長机の両側には沢山の椅子がいつものように並んでいる。
配膳係や早く来た寮生たちはまだ談笑している。
既に配膳が終わり、後は全員の着席を待つだけだった。
(よかった・・・グレースのババアはまだ来てない)
私は奥にあるいつもの定位置の椅子に座った。この椅子は背もたれが高く、何気に気に入ってる。
「よっ、またグレースさんに指導受けたの?可哀そうにぃ」
私の右隣の子が顔をニヤつかせながら声をかけてきた。
金髪色の髪をした彼女の名は田中エルナ。
一期生の私の次に古い二期生である。たしか歳は私よりふたつみっつ上だったかな?
白のワンピースをいつも着用しており、ゲロイム?とかいう人形をいつも肌身離さず持っている。
なんでもこれだけは教育係も公認らしい、意味はわからんが。
「よかったね、何とか間に合って。時間すぎるとドアが閉まっちゃって晩御飯抜きだもんね」
向かいに座っていた配膳を終えて座っていたヤガミさんが心配していたのか気にかけてくれた。
「凄いルールだよね、時間以内に着席しないとごはん抜きなんて。
私最初のころ解らなくて泣いちゃった」
田中さんはそう言うと目の前に配膳してある料理のどんぶりの蓋をゆっくりと持ち上げる。
「げげっ、オミヨちゃん。きょう”うどん”だよぉ~やばいよぉ~」
田中さんは露骨に嫌な顔をしている、それを見たヤガミさんも苦笑い。
理由は簡単、ここでの食事は基本”音を立てるのはマナー違反”。
つまり、麺類はすすってはいけないのである。
私はもう慣れてしまったが・・・それよりもこんな洋館で和風の食べ物を出す
グレースのババアの気が知れない。
そんなやり取りをしている間に全ての寮生が集まったよう。
正面のグレースの座る席の上には振り子時計があり、時間はちょうど6時3分前だった。
全員が私語を止め、沈黙する。
食事の際は許可なく私語をしてはいけない。そう言う決まり。
暫くすると、グレースが入ってきた。
(ん??珍しい・・・)
私だけでなく、他の寮生も少し動揺していた。
なぜなら、普段は私たちの勉学”のみ”を教える先生を引き連れていたからである。
とても聡明で、噂によるとかなりのお嬢様らしいが名前も知らない。
通称お嬢様先生だ。
グレース達が席に着くと周りを見回し、寮生の数を目視確認したあと啖呵を切った。
「今日はお食事の前に皆さんにお伝えしたいことが有ります」
グレースは隣に座る先生に合図をすると先生は立ち上がって全員に挨拶をした。
「皆さん、こんばんは。いつも皆さんの勉学を賜っておりますが本日より暫く、
皆さんと同じ寮で生活することとなりました。皆さん、よろしくお願いいたします」
そうやってきれいな会釈をするのが癪に障ったがとりあえずは寮生一同もつられて会釈した。
「先生は、皆さんの生活を少しでもおおく学び、そして知っておきたいとの心胸の元、暫く共に生活いたします。
皆さん、先生が困られた際はお力になるようよろしくお願いいたしますよ。なお、先生への質問などは
”一切禁止”です。よろしいですね」
全員、心内は呆れていたがとりあえず承知してやった。
「かしこまりました」
「ああ、それと本日も八時より大切なお客様が二名ご来館いたしますが”おもてなし”係の一人加古さんが生理痛のため係が出来ません。オミヨさん、代わりにお願いできますね?」
はぁ?!どういうこと!
私は思わず立ち上がってグレースに向かって叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!私は昨日・・・それに先月も加古さん同じことを・・・」
聞くや否やグレースは凄い剣幕で私を睨みつける。
「オミヨさん!先程も申し上げたはずです。古株としての模範を見せてほしいと・・・
他の寮生の皆さんの前ですよ!」
嘘でしょ?・・・畜生、畜生!
周りの寮生を見渡すと皆伏し目がちに顔を背けたり俯いていた。
ヤガミさんは不安げにこちらを見ており、田中さんは頬杖をついて遠い目をしていた。
・・・。
「オミヨさん、私が代わってあげよっか?」
「えっ」
いきなりかけられた声の主は私の斜め向かいに座っている、ブレアさんだった。
田中さんと同じ二期生、外国人とのハーフなのか顔立ちが私達との”それ”とは違っていて背も高かった。
歳も田中さんとさほど変わらないらしい。
「グレース先生、いくらなんでも二日連続はきついのでは。私が代わりますよ」
ブレアさんは流暢な日本語で私を庇ってくれた。
「ブレアさん、申し出は嬉しいのですがこれはお客様のご指名なのです」
「あーアノよぼよぼ爺ね」
「ブレアさん、失言です!お客様は我が施設に多大な”資金”を
ご提供していただける先生でいらっしゃるのですよ!」
ブレアさんは不貞腐れながら謝罪する。
「あーはい、大変失礼仕り候・・・」
グレースは眉を引くつかせると全員に活を入れる。
「いいですかみなさん、お客様の前で失礼を働くことは言語道断。皆さんの将来のみならず、この屋敷の存亡が掛かる事なのです!くれぐれも口に気を付ける様に!
お客様への”おもてなし”は寮生の社会訓練並びに社会奉仕そのものなのです、いいですね!!」
シンと静まり返る一同、当然の如く皆暗い顔をしていた。
何が”屋敷”だ、”施設”だろうに。
私は知ってる。このグレースのババアが落ちぶれた名家を立て直すために
政治家どもや権力者に取り入った事を。
きっとババア自身も身売りしてるに違いない、”匂い”がするもの。
「・・・前置きが長くなりました。それでは食事に致しましょう、ヤガミさん、今日のご挨拶を」
「あ、はい。それでは皆さん手を合わせてください…」
寮生一同、力なく手を合わせて、食事の挨拶をした。
そして、すっかり伸び切ってしまったただでさえ薄味のうどんを
さらに味気なく食べ始めるのであった。
午後八時、接客室。通称特別接待室。
ドアには”エンジェル・チャーム”というプレートが駆けられている。
私はそこでお茶の準備をして”お客様”を待っていた。
ああ、最悪。早く終わんないかな・・
そこにおもむろにドアが開かれた。
「おお、オミヨちゃん。こんばんは、元気にしてたかい?会いたかったよぉ」
「斎藤様。斎藤様にお会いできるのを心よりお待ちしておりました、
今宵はよろしくお願いいたします・・・早速お紅茶をお入れして―――」
すると斎藤は歩きながらコートを脱ぐと奥のソファに行き、
おもむろに腰掛、自身の太ももをパンパン叩いた。
「いいよいいよ、そんなの後。さっ早くここに座って!」
「・・・はい」
私は斎藤の爺の膝にゆっくり座った。
「いやー今日も大変だったよ。あの貧乏人ども、口だけは一人前で・・・」
そう言いながら斎藤は私の服に手を突っ込みまさぐり始めた。
ああ、ガサついた手が私の身体に触れるたびに凄く痛い。
「まあ、所詮は貧乏人、国家権力にかなう訳ないのねぇ、そう思うでしょオミヨちゃん」
「はい斎藤様」
このゴミ、”自分の孫”ほどの年齢の女子の身体を触って何が楽しいんだが。
「ねぇ、知ってるオミヨちゃん。このお屋敷はね、”勝つくじ”で再建されたって」
「はぁ」
聞いてもいないのに口開くんじゃねーよ、臭いだろう。
「毎年、貧乏人がね、当たりもしないクジを大金はたいて買って、
僕らがそのお金吸い上げて使ってあげてるの」
「・・・」
このじじい、今日はいつにもまして加齢臭がひどい。鼻が曲がりそうだ。
「知ってる、勝つくじ一等2億円の当選確率?2千万分の1だよ?%表記で0,000005%。
こりゃ、琵琶湖の水をすべて砂粒に代えてその中から”指定”されたたった一粒の砂金をひとすくいであてるようなもんだよ」
じじいは笑いながら私のワンピースを脱がして今度はペロペロ嘗め回す。
「ほんっと、貧乏人て馬鹿だよね。せっかく汗水たらして、凍える思いをして、太陽に焼かれて、苦労して稼いだ金で何するかって言えば当たるわけがないくじ買うんだよぉ~馬鹿だねぇ。
あ、馬鹿だから貧乏人なのか」
ジジイはおぼつかない手つきで今度は自分の服を脱ぎだした。
こいつ・・・普段どんな生活してるんだ?着替えもろくにできないのか。
「でもまあ、その”お金”で僕はオミヨちゃんと仲良くできるって訳っ。
貧乏人はあくせく働いて身をすり潰して、そして僕はオミヨちゃんとお●こ、あー幸せ」
「斎藤様」
斎藤は独り言をつぶやく最中いきなり声をかけられたので思わずギョッとしてこちらを凝視した。
「・・・何?」
「働く方達を悪く言ってはいけませんよ」
斎藤は思いもよらぬセリフに感動したのか両手を合わせてすり寄ってきた。
「えらいっ優しいっオミヨちゃんっ!オミヨちゃんにはまたプレゼントあげるからね!
グレースさんに言っといたげるっ」
何がプレゼントだ。私にとってのプレゼントはお前が血しぶきあげてくたばることだよ。
そうして私は、夜が更ける間、このジジイのくたばるさまをずっと妄想していた。
「ううっ身体がいたい―――」
ようやく部屋に戻ってきた、時間はもう夜11時近くになる。
部屋に入ると、ベットに座って本を読んでいたヤガミさんが駆け寄ってきた。
「大丈夫?身体は平気?」
ヤガミさんはまるで不安がる子犬のようなしぐさで声をかけてきた。
「ありがと、平気。それよりもあんまり近づくと加齢臭移るよ」
「どうしても心配だったから・・・それよりも、ハイお水」
ヤガミさんは水差しからお水を入れてくれた。
「ゴク、ゴク、ああ、生き返った、ありがとうヤガミさん。
私は今から身体を浴場で洗ってくるからもう先に寝てていいよ。
ヤガミさん、寝るのが大好きだもんね」
それを聞いたヤガミさんは少し照れ臭そうにしてた。
よく見ると、瞼も重そうだ。
「解った。それじゃあ先に寝ておくね、お休みなさい」
「お休みなさい」
わたしは、ベットに置いてあったタオルと飲み薬を取ると浴場に向かった。
今この昭和の時代ではまだ珍しいシャワーを浴びながら考える。
(来週、ヤガミさん”おもてなし”係だったよね・・・大丈夫かな)
ヤガミさんはまだ”下準備”を終えただけで来週から初めての係りになる。
そう思うと彼女の先程の優しさが不憫で鳴らなかった。
何時だってこの世はそう、いや、今も昔も、きっとこれからも。
強いものほど蔓延り、のさばり。
弱いものほど、みじめで、健気。
そして常に人生の理不尽が付きまとうのだ。
私はシャワーに打たれながら今日も己の不幸を呪い。
かすり傷だらけの身体をゆっくり撫でた。
「ほぉら、オミヨ、こんなの食べたことないだろう」
ここは百貨店という大きな建物、私はその最上階の”れすとらん”という食堂に来ていた。
「うん、ご飯に旗が立ってる!おとうさん、本当にありがとう!うわぁー」
私は目の前に広がる見たこともないお料理に見入っていた。
お子様ランチというらしい。
「今日はオミヨの誕生日だからな、私もうれしいよ」
父は普段から威厳を醸し出していたが私には常に優しかった。
「オミヨさん、お口が汚れていますよ。慌てないで、ゆっくり召し上がりなさい」
勢いよくほおばる私のソースで汚れた口を手拭いで拭いてくれる母。
母はとても清楚で美しかった、そして私をいつも気遣ってくれた。
「オミヨ、お誕生日おめでとう」
「オミヨさん、おめでとう」
「ありがとう、おとうさん、おかあさん。私、すごく幸せ」
二人の眩いばかりの笑顔、ああ、おとうさん、おかあさん・・・。
私は、いつまでもいつまでも、ずっと、家族で・・・お願い・・・・。
・・・・・・・・。
・・・。
「・・・・・・・おとうさん、おかあさん」
ふと、目が覚めると、寝ながら自然と口走っている自分に気づいてまた嫌気がさした。
いつの間にか寝入ってしまって、もうすでに朝がきていた。
目には涙の跡が染みついている。
「・・・・・・・・・」
上半身を起こしてふと隣を見ると、ヤガミさんはまだ寝息を立てて眠っていた。
小さな寝息、安らかな寝顔、寝るのが大好きなヤガミさんらしい。
壁掛け時計を見ると午前五時を回ったぐらいだった。
「・・・だるい」
私は体を起こしてベットから起き上がり、部屋の窓のカーテンをヤガミさんを起こさないように
ゆっくり開けた。
まだ、日は登り切っておらず、うっすらと青白く広がる窓の外に広がる森には朝露がおりている。
外はこれほどに澄んでいて、清らかなのに。
私の気持ちは沈み切ったままだ。
ああ、今日もまた苦痛に満ちた一日が始まる。
「さあ、気合を入れて、しっかりと!隅々まで!」
今日もグレースのババアの忌々しい声が耳に入る。
「はぁ、はぁ・・・」
朝早くから息を切らせながら必死に天窓を拭く。
今日は月末の館の大掃除の日だった。
普段の清掃に加えて、窓掃除や外の清掃など一日がかりで寮生一同で取り組む。
今日は10月なのに肌寒いせいもあってか手が悴む。
私は凍える手を必死に息を当てて温めながら無数にある窓を水拭きしていた。
この館は無駄に大きいせいで掃除だけで途方もない労力を費やす。
「あら、オミヨさん。昨日はありがとうございました、
なんでも私の代役を務めてくれたとか・・・フフフッ」
背中越しに声をかけられる、振り向くと加古さんがいた。
加古さんの後ろの方には田中さんもいる。
なんだか申し訳なさそうに手を合わせていた。
わかってる、難儀するって。
加古東海、私の後に入ってきた第二期生。
いつも最近流行りだとかいうセーラ服というものを身に着けている。
近々女学生の学生服として採用される事もあってか、他の寮生に見せびらかしていた。
そしてこいつは何故か私を目の敵にして、何かにつけてはやたらと噛みついてくる
犬のような性格をしている、澄ました顔のクソ女だ。
「加古さん、もう体の調子はいいの?・・・生理痛がまだきついのでは?」
わざと棘の有る様に言ってやった。
「もう大丈夫、貴方が”加齢臭”の御爺様のお相手をしてくれたお陰様で、ね」
こちらの顔色を覗き見る様にしてニヤニヤしている。
こいつ・・・。
「あ、そうだ聞きまして?今日の夜はお嬢様先生を歓迎する懇親会を開くんですって。
ですのでオミヨさんには歓迎スピーチをお願いいたしますわね。
段取りは私ともう一人二期生で立てておきますわ、フフフッ」
「ちょっと、何で私が?!大体、そんな話私の耳にはっ」
「昨日の”夜”、ちゃんとお伝えいたしましたわよ。
ああ、オミヨさんは”オモテナシ”中でございましたね、これは失礼、フフフッ」
辺りの寮生も話が耳に届くのかくすくす笑い出し、小声で何か言いだしている。
昨日の”交代”から最初に計算していたのか、こいつめ。
「オミヨさんはこの施設最後の”一期生”ですもの、グレースの奴も言ってましたよね。
”模範を見せてほしい”って、フフフッ」
いちいち喋った後に鼻で笑うのが耳障りだった。
隙あらばその頬をひっぱたいてやるのに。
田中さんも、何でこんな奴と仲がいいのかしら。
神経を疑う。
「では、キチンとお伝えいたしましたわよ。私はこれから外の園庭で椿の剪定を頼まれておりますの。
外は肌寒くて耐えられませんわ。貴方はいいですわね、中で窓拭きですもの。
・・・まあ、後何十枚なるのか存じませんけども。それでは失礼しますわ」
そう言って私を一瞥すると傍らにいた田中さんに持たせていた剪定鋏を持って回廊へ向かって行った。
私は、突然沸いてきた怒りを必死に耐えた。
そのシミの一つも無い白いセーラ服の背中を蹴りたくてしょうがなかった。
でも耐えろ、耐えるんだ。
今は耐えろ。
なぜ耐えるのかですって?
それは単純、理由はただの二つ。
一つ、身請けがあるため。
子どもに恵まれない者や新たに”自分に都合のいい”親族を加えたい者がまれにいる。
私達身寄りもないものにとって金持ち達の身請けはこれ以上に無い救いである。
それが権力者ともなれば尚更だ。
これは突然やってくる幸運のため誰しもが日々待ち焦がれている。
一つ、女学院への進学。
ここで勉学、教養を学び、18歳の年齢を迎えグレースのババアから推薦状を貰うことができれば、
都の女学院に進学することができる。
もちろん女学院寮へ身を移すことになり、費用などはこの施設持ち。
もう、ジジイや親父どもに身をささげる必要もない。
晴れて自由の身になるのだ。まあ、幾分かは制約もあるだろうが。
私達行き場のない、そしてか弱い婦女子にとってこれは唯一の”希望”なのだ。
私は古株の一期生でもあいにく身請けに恵まれなかったが女学院への進学がある。
勉強だってたくさんした、既に大学の論文まで理解できるようになってる。
でも、最初の一期生の中で今だ此処にいるのは私だけだ。
他の寮生はグレースのババア曰く、身請けとのことだった。
私には身請けの可能性はもうないのだろうか?
それはそうだろう、部屋にある姿見を見れば身体はやせ細って肉付きは悪く、肌の色は病気のように青白い。
身請けの話が無いのもうなずく、それに・・・。
(キャ―――――誰か!!!)
「!?」
館の奥、食堂からだろうか?急に悲鳴が耳に飛び込んできた。
辺りで掃除をしていた寮生は皆顔を見合わせ、頷き合い、掃除道具を置いて渦中の方へ足早に去っていった。
私も何かに巻き込まれるのは嫌だったが一人で清掃している訳にもいかず、
仕方なく他の寮生についていった。
「こいつ、このっ、このっ!」
「嫌っ、やめろよ、このクソ女!」
悲鳴の元である食堂にたどり着くと二人の寮生がお互い胸ぐらを掴んで殴り合っていた。
館中の寮生がやって来ては距離を置いて皆止める訳でもなくただ注目している。
一人の鼻からはおびただしい血が流れており、
もう一人の女が髪の毛を鷲掴みにして力任せに引っ張っている。
「痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」
「離せよ!この〇〇こ野郎!!」
罵声暴言をお互い浴びせながら顔を平手打ちしたり引っ掻いたり、
服は破れ、片方は下着も露わになっていた。
・・・女のケンカは男のそれとは違い、とことん酷く、そして醜い。
なんて言うのか、暴力に加え、陰湿なのだ。なんせ女を”野郎”呼ばわりするぐらいなのだから。
でもここでのケンカなど珍しいものではない、今回はかなり熱が入っているようだけど。
「おいもう止めなよ!あんたも、手、離せって!」
寮生で一番の長身のブレアさんが二人の間に割って入って止めに入る。
元々姉御肌な性分もあってか面倒見がよかった。
外国人の顔立ちで日本語が流暢、そして長身、スタイルも良く、姉御肌。
(私よりもよほど一期生の貫禄があるわね、二期生なのにな)
やがて、少し落ち着きを取り戻した鼻血の寮生が言う。
「だって、こいつ、私を身請けしてくれるって言う先生を、横取りしようとしたんでしょ?!」
「だからしてないわよっ!向こうから言ってきただけだって!」
「ほらやっぱり!!」
「あーもー、だから止めろって!」
どうやら収拾が着きそうにもない。
二人の顔を見てふと私は有る記憶が脳裏によぎった。
鼻血の寮生とは別の彼女、あの子の担当した客はたしか前に・・・。
そうやって、辺りを見渡すと、窓の外から食い入るように見つめる加古さんと田中さんがいた。
加古さんはこちらの様子を見てせせら笑う。
・・・そうだ、加古だ。
あいつ、渦中の彼女が風邪をひいたとき、担当の客が県議会議員と聞くや否や代打を名乗り出たんだ。
何か吹聴したに決まってる。
加古はそうやっていつも周りに何か仕掛けをして、荒して回るのを好む。
(あの性格、何とかならないのかしら)
「なんですか騒々しい!・・・っまあ、何でことですか!!!」
グレースのババアがお嬢様先生と一緒にやってきた。
相変わらず遅い、仕事しろ。
お嬢様先生が駆け寄って鼻血を出した寮生にハンカチを当て介抱する。
「二人とも、直ぐに執務室まで来なさい!!ブレア、連行して!!」
「連行って、そんな言い方ないだろう!!」
「命令ですよ!ああ、あと先生も、手当など後にしなさい!・・・あああもう顔をそんなに腫れ上がらせて、
きょうの”オモテナシ”をどうする気ですか!ほら他の者!何をやっているのです!
さっさと持ち場に戻りなさい!早く戻らんか!」
グレースは鬼のような形相で辺りに喚き散らす。
「はぁ、了解仕り候。先生、そっちの方頼みます」
「わ、わかりました。大丈夫ですか?さあ、肩を・・・」
ブレアとお嬢様先生に連れられケンカの寮生は執務室に連行された。
グレースは後から怒り心頭の様子で、大股で歩き出した。
他の寮生は皆悲壮な顔をして肩を落としながらそれぞれの持ち場に戻っていった。
「うわあ、こわいよう、どうしよう」
私に歩み寄って力なくヤガミさんが呟いた。
「どうしようってどうしようもないよ。ヤガミさんも出来るだけ波風立てないようにして頂戴」
「でも、怖くて、怖くて」
ヤガミさんは声を震わせ、酷くおびえていた。
私はヤガミさんの肩を両手で抱き寄せた。
「わかってる、私もなにかあったら出来るだけ力になってあげるから」
「・・・うん」
ここでは、頼れるものは藁にも縋らなければらならない。
それこそがこの館の生きる掟なのだ。
それを解っていても、ヤガミさんに言わざるを得ない。
「今日の懇親会、一波乱あるかもね。覚悟して、ヤガミさん」
夜、夕食を終えた私たち寮生は談話室に集合していた。
一期生の私、そして二期生の寮生十名ほどが集まり、お嬢様先生を歓迎する懇親会を開催する。
談話室はそこそこの広さがあり、中央の円卓には寮生たちの作ったクッキーやサンドイッチなどの軽食。
他にも洋菓子店の銘菓が絢爛豪華な食器に並んでいた。
これは、マカロンというのだろうか?私がまだ口にしたことのないお菓子なども並んでいた。
どこで調達したんだか。まさか、いつも定期的に来る食材配達員に色目でも使ったか?
司会のつもりなのか加古さんは立ち上がって教壇のような場所で威勢よく声をかけた。
「みなさん、お静かに。ではこれより普段わたくし達の勉学をご指導して下さる”三島”先生が
私達の寮で暫く生活を共にして下さいます、三島先生、ご挨拶をお願い致しますわ」
先生は加古さんに促されて全員の前に立つと深々とお辞儀をした。
スラッとして細く可憐な体に栗色の艶やかな短髪、凛とした顔。
外ではさぞモテるであろう、まあ、恋愛など私には既に生まれる前から死んでる感情だが。
「みなさん、こうして改めて顔を合わせますと緊張しますね。今日から暫くの間、皆さんの寮で生活を
共に致します、三島ですわ。
私の部屋は医務室と兼用の部屋になっておりますので。何か悩みが相談がありましたら
気兼ねなくお尋ねくださいね」
流石、お嬢様。挨拶もそつなくこなす。
まあ私は先生とは他の人間に比べ、”特別”付き合いが長い事情があるのだが。
「先生、ありがとうございます。それではオミヨさん、歓迎のご挨拶を―――」
「はい・・・」
私はしぶしぶ立ち上がって、三島先生の向かい側に立って軽く会釈をすると
したためた挨拶状を取り出した。
「おーッ、と」
加古さんがいきなり手にしていた私の挨拶状をひゅっと取り上げる。
「ちょっと、なにするのよ!」
「オミヨさん、貴方一期生なのですからこんなもので顔を隠さずに面と向かってご挨拶ないな。
子どもじゃあるまいし」
こいつっ。
「あーでも、ずっと幼児体系のままかぁ。あ、そっかぁそういうのを好まれる殿方のために
なにか薬でも飲んでいらっしゃるのね、健気だわぁ」
(!!!)
”クスクスクスッ!”
”うわーやらしいんだこと”
”さいてー”
外野からヤジが飛んでくる、こいつら、蹴とばしてやろうか。
「加古さん、お止めになって!それをお返しください、さあ」
先生は珍しく息を荒げ、挨拶状をひったくると私に返してくれた。
「いいんですよ。オミヨさん、私にご挨拶を聞かせてください」
「はい」
加古さんはそのやり取りを見てイヤミったらしく吐き捨てる。
「へぇーやっぱり仲いいんだぁ、私達には連れないのに。オミヨさんには優しいんだ。
やっぱり私達よりも付き合いが長いからかしら?」
先生はそのセリフを素早く切り返した。
「そんなことはありません。もしも連れないと仰るのでしたら、これから親睦を深めればよろしいのです。
今日はそのための懇親会ではなくて?」
「!! そ、そうですわ。確認したかっただけですわ」
「ならいいのです、さあ皆さん、せっかくおいしいお茶をご用意していただいたのです。
かたい挨拶は抜きにして早速いただきましょう。オミヨさん、挨拶状は後で私が受け取りますね」
「わかりました」
先生が機転を利かせてくれたおかげで余りこじれずに済んだ。
だが、それで加古が終わるとも思わない・・・
食事を交えた懇談も進み、先生の身の上話を聞くなどして夜も深まるころだ。
「・・・こんな時間になってしまいましたか。それではそろそろお開きに・・・」
それを聞いて加古が素早く先生のもとに歩み寄ってきた。
「な、なんですか加古さんっ」急の事にたじろぐ先生。
「ところで先生。私、実は先生の噂、耳にしてますの」
加古さんは目と鼻の先まで顔を近づけ、カッと目を見開くと緊迫した声で言った。
「先生はわたくし達の勉学をお教えくださる学校教員の”先生”ではなく、
目下ある研究員の”先生”だって」
「なにを馬鹿な事を・・・いったい私が何の研究員っ・・・」
「聞きましてよ先生、貴方、”アガツマ製薬会社”からお越しになったってこと・・・」
三島先生は驚愕して言葉なく硬直した。
「それに、授業が終わった後、定期的に私達の健診をなさいますでしょう。
その中でもとりわけ、オミヨさんだけ以上に長いのではなくって?なにかあるのかしら」
この女・・・ずっと探ってたのか、私と先生の事。
どうしよう。私のことを知られてしまうかもしれない。
先生はそれを聞いてすかさず弁解する。
「オミヨさんは他の方に比べ身体が弱いから時間を要するだけです!他に意図はありません
どこかの研究員でもありません!」
「ふーん、本当かしら」
加古さんは目を細めて釘居る様に先生を見つめた。
「いい加減にしないと怒りますわよ!今日はわたくしの懇親会ではなかったので――――」
「そうですわ!三島先生がお答えにならないのでしたら・・・じゃあ、あなたに答えていただきましょうかね、オミヨさん」
加古さんはそう言って踵を返して私に振り向いた。
目と目が合う。アイツの目はまるで獲物を見つけた獣の様だった。
(まずい、こっちに来る!)
そう思った矢先、いつのまにか回り込んでいた寮生に羽交い絞めにされる。
「嫌っ!やめてよ!」
それを見た傍らにいた田中さんが不安そうに人形を抱きしめながらまま加古にたしなめる。
「乱暴はやめなよっ、加古っ」
「黙ってエルナ、此処は狂ってるのよ。グレースのババアといい、こいつらといい。
さぁあなた達は夜な夜な・・・お医者さんごっこでもしてますのかしら!!」
周りの好奇の目が私に集まってきた。
加古が私の服めがけて手を伸ばす。
そしてワンピースの首襟を掴まれ、力任せに下へ引き裂かれる。
ビリッ!!!
「嫌ああぁぁぁ!」
加古は私の服を引き裂いて下着姿にした。
私の赤いワンピースが・・・無残にも引き裂かれる。
「加古さん、あなた自分が何をやってるのかわかってるの!」
それを見た先生が急いで私の元に駆け寄ろうとするが他の寮生数名がそれを背中で遮った。
「やめろっ!加古!こいつ!!」
私は羽交い絞めであることを利用して腰を浮かせ、足で加古の身体を目一杯蹴り飛ばした。
だが元々体付きのいい加古は仰け反るものの身を崩すことはなかった。
(畜生!)
加古はその表情を見る見る硬化させ、鬼面のような形相をした。」
「やりましたわね・・・この青白女!」
そう言うと今度は私のキャミソールまで手をかける。
「こいつ、止めろっ!止めろっ!」
”早くやれ加古っ!”
”剥け剥け!”
周りのヤジが熱狂に変わる。こうなったらもう止まらない。
「いきますわよっ!」
ビリッ!!!ビビリッ!!!
下着が引き裂かれる。
・・・。
・・・・。
・・・・・・。
私の身体が全員の眼に映る。
絶句していた。
当たり前だ。
なんせ私の身体のあちこちは小さいかすり傷から虫刺され傷まで、”針で縫合”されていたのだから。
打ち付けたであろう青あざですら色鮮やかに体に映し出されている。
周りの様子に羽交い絞めをしていた子も事態を察し私から次第に離れて行く。
「オミヨちゃん!!」
私の身体に服が覆いかぶさる。
ヤガミさんだ。自分の服を脱いで私に覆いかぶしてくれた。
「みんな、もうやめてよ!!酷いよこんなの!」
ヤガミさんは必死に私に抱きついてきた。
「も、もう部屋戻ろうよっ、ほら加古、謝って」
田中さんは私を凝視しながら身体を身震いさせ、震えながら言った。
するとそこで談話室のドアが勢いよく開かれる。
「騒がしい、何事です!!」
グレースのババアと手伝いを頼まれていたブレアさんが飛び込んできた。
「・・・これはいったい?!」
「グレース様っ!」
先生が飛び出て耳打ちで状況を急ぎ伝える。
「加古!あと、田中、ここに残りなさい。他の者は部屋へ戻りなさい!さぁ!ブレア!」
「・・・ああ、わかった。さあみんな部屋に戻ろう」
ブレアが寮生を部屋から急ぎ追い立てた。
「先生、オミヨさんの手当を」
「わかりました、さあ医務室へ」
先生は私の身体をおこして肩を抱いた。
「先生、私も付き添います!」
「ヤガミさん、ここは先生に任せてあなたは部屋に戻りなさい」
ヤガミさんは不安に満ちた目で私を見つめていた。
「三島先生。ヤガミさんも一緒にお願いします、心細いので・・・」
「・・・仕方がありませんね、兎に角医務室へ」
そして、先生の懇親会は最悪の幕引きとなった。
ここは医務室だ。窓の外はいつの間にか嵐になっており。
部屋には雨粒が叩きつけられる音だけが響いていた。
先生は私の身体のあちこちに塗り薬を縫ったり、血圧や脈を測ったりして
ノートに何やら書き記していく。
「・・・先生、オミヨちゃんは大丈夫なんですか?この傷って・・・」
「心配には及びません、私はオミヨさんの傷の事は良く知っています」
そう言ったきり先生は又ひたすら無言でノートにペンを走らせる。
「私の身体はね、いつの間にか傷が塞がらなくなったの」
「オミヨさん!?」先生が突然のことに声を上げる。
先生を他所に私はなんとなくヤガミさんには伝えておこうと思った。
私の初めてのルームメイトだし。
それにヤガミさんは、アイツら品の無い二期生のなかではまだ信用できると思った。
ヤガミさんはその事実を聞き驚いて両手を口に当てている。
「・・・此処に来て半年ぐらい過ぎたころ、そう、ちょうど先生と出会ったのもそのころだった。
庭で怪我をして手当してもらったんだけど、血が止まってもいつまで経っても傷だけが塞がらなかった。
それをグレースさんに伝えると次の日、色んなお医者さんや三島先生がやってきた。
寮生の皆を不安にさせないため製薬会社から来たのは内緒らしいけど。
それからずっと私の治療をしてくれているんだ」
先生はそれを聞いて私達に向き直った。
「オミヨさんは他でも例がない奇病なのです。今こうして報告書を書いていますがこうやって少しずつでも
治療法を探って行くしかないのですよ」
「そんな、おみよちゃん・・・」
ヤガミさんはそう言って私の両手を優しく包んでくれた。
「ヤガミさん。ヤガミさんはオミヨさんと相部屋です。色々力になってくれますね」
先生は優しく諭す。
「もちろんです。オミヨちゃん、もっと早く言ってくれればよかったのに。何でも言って、力になるよ」
「ああ、ありがとう、ヤガミさん。でも私も一期生としてヤガミさんの力になるからね」
そう言って私はヤガミさんに微笑みかけた。
ヤガミさんの安堵の表情が身に染みた。
そうだ、私はここの一期生。
なんとしても、この身体を直して、あの連中から逃げ出すんだ。
そうだ出来れば、ヤガミさんも一緒に・・・
先生は見つめ合う私達を見て微笑んでいた。
そうして今日の長い夜は終わりを迎えた。