「なぁー-んちゃって、ビビっちゃいましたか?フフッ」
啖呵を切って眼前に現れたのは、警察ではなく加古と孫姉妹、ヤガミ、そして田中を抱える松本だった。
加古は出会った頃の弱々しさは既に微塵もなく、
どういう自信の表れなのか、こちらを見ながら不敵な笑みを浮かべている。
「加古さん、どういうつもりー---田中さん?!どうしたんですか、腕がっ。それにヤガミさんも凄い顔色で、
リーゼさん、シアンさん・・・皆さん一体っ」
「きっとみんなあんたと同じ、そこにいる美生に拷問に掛けられたんだよ。結局のところ、美生はグレースを始めとした人間に復讐の機会を得るために私達を利用してただけに過ぎない。詰まるところ、誰一人として信頼してなかったんだよ」
ブレアはそう言うと、リチャードに抱きかかえられている美生を一瞥した。
「まさに油断も隙もあったもんじゃないですわ・・・ねぇ田中!!」
加古はそう言ってふらつく田中の背中に足蹴りを浴びせる。
「うぐっ!」既に体力も限界なのか、田中はそのまま衝撃に身を任せ崩れ落ちた。
「加古さん、やめてくださいましっ!ただでさえ凄い怪我をしているのに暴力を振るうなんてっ」
「我妻さんはちょっと黙っててください。いいですか、先程ここに来る前に他の皆さんで少しご相談しましたの。
”もう十分”じゃないかって」
加古はそう言うと孫姉妹の方向き直り、小柄なリーゼの肩に手を置いた。
「十分ってなにがです?」加古の含みのある物言いに我妻は怪訝な顔をした。
「これ以上危険な目にあって我妻のスキャンダルを手に入れることは無いんじゃないかって?
元より私達は”チャンス”が欲しかっただけ。誰かさんは大事なお人形に拳銃まで仕込んでるほどですものね・・・」
それをただ自失のまま聞いていた田中は肩を小刻みに震わせていた。
「ここに、長年勤めてらっしゃる松本さんにも聞きましたの、ここには私達を救うだけのチャンスがある、と」
我妻は後方にいた伏し目がちな見慣れない人物に目をやった。
「ええ、そう、ね。そうだわ」
松本は、何かに脅えるような素振りで返事した。
「そんな、ま、待ってくださいまし。松本さんと申しましたわよね?貴方ならわかるはず、このままここを野放しにしてはいけないことを。
ブレアさんのご兄弟も、ここで捕まっていたのなら解っているはずですわ!」
そう言うとリチャードは少し困惑しながらやや口にしずらい様子で説明する。
「ああ、もちろんだ。・・・だが、僕自身は元々姉のためにアガツマ製薬と取引をしたんだ。だから僕自身が完全に”白”という訳には・・・」
それを聞いた我妻は困惑し、うなだれてしまった。
「という訳ですわ我妻さん。ここからしばらくの間は人質になっていただきますわ、よろしいですわね?孫」
加古は手で合図を出すと、孫姉妹は少しためらいながらも我妻の両脇に立って拘束した。
「すまない、お嬢、私達外国人はここで生きるには”真っ当”では難しい時もあるんだ」
「私達も、その”チャンス”が欲しい」
「あなた達・・・」
我妻は少し寂しげに伝える孫姉妹に哀れに感じ、もう抵抗するのも忘れて観念した。
「オミヨちゃん・・・」
ヤガミが美生の元に駆け寄り頬を冷たい手で摩る。
「どうしてなの、どうして・・・そんなに周りの人たちが憎かったの?私達が信じられなかったの?どうして・・・」
ヤガミはその青白くなった美生の顔を撫でながらなにか歯痒い面持ちでいた。
「さぁ、時間がありませんわ。外貨準備高でしたっけ?隠し場所をご存じであろう三島先生を探しますわよ。
もっともこの様子じゃ、既に生きているのか死んでいるのかさえ分かりませんけどもね、フフッ」
三島先生は直ぐに見つかった。
我妻達がいた4階からちょうど間反対に位置するがらんとした殺風景な部屋の中で椅子に縛り付けられていた。
拘束されている椅子は電球のようなものやコードが無数に備え付けられており、三島の両手両足は大きな電極の付いた
枷で繋がれていた。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」
猿ぐつわを装着されているせいか、荒々しく音を立てて鼻息をしている。
目には涙を、鼻から鼻水が流れていた。
「先ほど受けた仕打ちからすると、笑えませんわね・・・」
加古はため息交じり、三島を眺めていた。
警戒しながらリチャードが近づいて辺りを調べる。
「・・・・このスイッチはなんだ?」
リチャードの視線の先には配電盤と下側に横並びにL1、L2、L3というスイッチが備え付けてあった。
一同がスイッチの存在に気付いたと察した三島は激しいうなり声をあげて何か合図と送る。
「待って、今猿ぐつわを・・・」
「ちょっと、勝手にっ!」
松本が加古の制止も聞かず三島に近づくと口にくわえられているそれを外した。
「お、お願い・・・それを押してはダメ・・・この椅子は実験体用の電気椅子なの・・・お願い・・・」
「実験体用って・・・」思わずヤガミが吐露する。
「へぇ、なら丁度いいですわ。このLってレベルってことでしょう?なら少し試してみましょうよ、フフッ」
加古は配電盤の前に立つリチャードを押しのけて、おもむろにL1のスイッチを押した。
パーンッとものすごい音を立てて部屋閃光が走った。
「!!!!!!!!!」
三島は声も上げなかった。ただ、その髪の毛だけがまるで爆風でも受けたように逆立っている。
「う、う、う、う・・・」三島の身体はビクビク波打ち、身体を揺らしながら呻き声を出した。
「うう、なんてこと、私まで巻き添えにする気?!」
急なアクシデントに思わず声を荒げる松本。
「黙りなさいな、貴方もここの人間なんだから私達に従ってもらいますわよ。間違った真似したら容赦しませんわ」
加古が松本を叱責した。
「止めて、元は三島先生は関係ないはずですわ」
「貴方もいちいち五月蠅いですわね。リーゼ、”それ”我妻さんに付けときなさいな」
そう言って加古が顎で指したのは先程外された猿ぐつわだった。
「いや、やめてくださいましっ!」
リーゼはそれを拾い上げ、抵抗する我妻をあまり傷つけないよう窘めながら丁寧に付けた。
「さぁ先生、意識はありますわね。単刀直入に申し上げます、私達、ここに有る大金を探してますの。
もちろん、ここの人間でグレースの片腕のあなたならご存じですわね。もし案内してくれるのでしたら拘束を解いて差し上げましてよ」
逆立った髪の毛を鷲掴みにして頭を起こし、顔をぐっと引き寄せながら三島に問いかける。
すると三島は普段の様子とは想像もつかない行動を取る。
「っ!!!」
顔を寄せた加古に唾を吐きつけたのだ。
予想外の行動に加古は暫く目を点にして硬直したのち、足早にまた配電盤に向かう。
「おい、もう止めろ!死んでしまうぞっ」
「五月蠅いですわね、あなた達はご兄弟で乳繰り合ってなさいまし」
加古はブレアの声も聞く耳持たずに今度は”L2”のボタンを向こうに解る様にオーバーリアクションで押す。
パーンッ!と再び破裂音が部屋に響く。
「あががっがっががががっががっがが!」
今度は暫く強烈な電気が走ったのか、三島は鼓膜が破れんばかりの凄まじい野太い叫びをあげた。
そのまま、ガクッと頭を俯かせピクリとも動かなくなってしまった。
「ふ、ふざけやがってっ。今度やりましたら殺しますわよ!さあ、起きなさい、どうするのよ?!」
最早、風前の灯火である三島に容赦なく畳みかける加古。
暫く沈黙の後、ようやく三島は顔を上げてポツリとつぶやいた。
「駄目よ・・・グレース教授に・・・上層部に殺される・・・・」
心ここに有らずか三島の顔は既に生気がなかった。
「聞いて三島先生。グレース教授はこの子たちに撃たれて死んだわ、例の”B系統”の反応が出てた。
理由はどうあれ、ああなっては仕方がないことよ」
傍に駆け寄った松本は三島に小声で伝えた。
「死んだ・・・?グレース教授が・・・死んだ・・・死んだの?死・・・・ははっ、はははっはははは。
そっかーそうなんだっ!死んだんだ!じゃあもういいんだ!ははははははははは
死、死、死、死、死、し、あーおっかしー、ははははははは」
グレースの死を聞いた三島はそれまでの清楚で冷淡な態度を一変させ、タガが外れたようにケタケタ笑い出した。
「うそでしょ・・・・」「三島先生・・・・」ヤガミや田中を始め、各々がそれを憐みの顔で傍観していた。
そして
「わかったわ加古さん、お金でしょ?いいわ案内してあげる、皆も一緒に仲良く行きましょうっ!
あ、松本さん”これはずして”お願いね」
一瞬、それを聞いた松本はギョッとした形相になったが一同はそれよりも三島の態度の一変に呆気に取られていた。
電気椅子から解放された三島は自身の髪の毛をまるで何事もなかったかのように手櫛で解きほぐし、
大きく伸びをしながら言った。
「じゃあ、皆で地下に行きましょう。あ、そうそう、ついでに地下に小動物用のゲージ室が有るから
このクソムカつくメスガキを放り込んでおきましょーぅね!」
そう言うと傍らに寝かせていた美生の身体目掛けて三島は勢いよくストンピングを放つのであった。
地下実験室に降りていた一同。
リチャードがいた経過観察室から少し離れたところに”ケージ室”と下げられたプレートのドアを開いた。
そのドアは他と違い金属製で重々しく、元々あまり使われない部屋の為かリチャードが必死にこじ開けた。
一同が中に入るとそこは思いのほか広く、大小様々な檻であふれていた。
「なんか、ケモノ臭い・・・」ヤガミが顔をしかめる。
「ここは元々動物実験用にモルモットから大型犬に至るまで保管しておいた部屋よ。ほら、そこに大型犬用のケージが有るでしょ。
そこにぶち込んでおきなさいな」
三島は無粋に顎で指図したのだが、松本は気が引けるのかゆっくり檻の中に寝かせた後、
檻を閉めて大きな南京錠を付けて閉じ込めた。
「お優しいこと、今までの患者にも同じことでもしてあげたらどうかしら」
松本の背中に向けて心無い言葉を三島は浴びせ続けている。
「ちょっと・・・お止めなさいなっ」
「あ・・・オミヨ・・・ちゃん・・・おきた・・・」
加古が豹変しきりの三島をなだめようとする最中、田中が擦れるような声でいった。
「くっ、ううう、畜生、畜生・・・」オミヨは自身の身に何が起こったのかを悟り、只悔しさを露わにしていた。
「いい気味ですわ、あんたなんかに殺されてたまるもんですか!」
加古がオミヨに向けて唾を吐きつける。三島にやられた当てつけだろうか。
「オミヨちゃん、ごめん、こうするしかないんだよ」ヤガミが悲壮な目でオミヨに伝える。
「でも、このままって・・・まさか。だって、このままじゃ死んでしまうじゃないかっ!」
リチャードが事態を察したのか、他に抗議の声を上げる。
「良いんだよ、こいつは私達を殺そうとしたんだ。殺人未遂だよ」
「これは自衛のため、当然の事なんだから」
リチャードの抗議を孫姉妹が一喝する。
「でも見殺しなんてできない、それこそここの連中と・・・」
「と、とりあえず兄さん。オミヨの件は一旦置いておいて先に要件を済ませよう」
ブレアがリチャードを説得し、とりあえず保留にすることで落ち着いた。
「さあ、ぐずぐずしてる時間はありませんわ。田中さんの体力も限界が近いようですし、早く案内してくださらない?」
みれば、田中は先程肢体の一部を失って身体にも衝撃を受けているせいか手当てを受けているとはいえ
顔面蒼白で時間の猶予もままならぬ様子であった。
「わかってるわ、でもいい?金はここにいる人間で、もちろん我妻とオミヨ、松本を除いた七人で分けるわよ。
ブレア兄弟、あなた達は二人で一人分だからね」
三島はそう言いながら一同の顔を鋭い眼光で見回した。
「もちろんですわ。私は最初から”七人”のつもりでしたし、ねぇ。我妻さん?」
そう言いながら加古は我妻にいやらしく笑みを浮かべた。
我妻はその時ハッキリと理解した。加古は最初から協力などせず金目当てだったのだと。
加古だけじゃない、その他のメンバーもそれぞれの目的で。
唯一手段は違えど目的は似通った美生も最早行動不能になってしまった。
自分は最初から裏切られていたのだった。
幼少からの呪いともいうべき運命に憤慨し、我妻はただ周りに向けてうなり声を上げた。
「ああ、ただ貴方はまだ利用価値があるから最後まで付き合ってもらうわ、仮にも我妻の人間だしね」
三島はそう言うと踵を返して部屋の扉を開けた。
「三島先生、妙な真似したら・・・わかってるね?」リーゼが背中越しに釘を刺した。
「フン、教授が死んだ以上ここには要は無いわ。金を持って次の所に行くだけよ、さあぐずぐずしないで、ここを出て左奥に資料室が有るから」
そう言うと三島は足早に出て行った。
一同が出ていく最中、リチャードは良心が痛み心配で振り返って美生を見たが、彼女はただ
膝を抱え、うずくまっていた。
資料室。
「さぁ、松本さん。出番ですよ、貴方金庫番の役回りも受けているんだから当然わかってるわよね?」
三島は松本をとある棚の前に引っ張り出した。
「わ、わかってるわよ。でも・・・いいの?これじゃあまるで私達、強盗殺人・・・」
「そんなの証拠がなければ後から何とでもなりますわ。そうだ、貴方も分け前を貰うといいわ、もう”立派な共犯”なんだから」
そう言って加古は三島を見る。三島はしぶしぶ頷き、松本は逃れることはできないと観念した様子で棚の奥を弄りだした。
棚の奥の暗がりにある何かのダイヤルを弄ると小気味いい音が鳴り、向かい側の棚が上にせり上がって
人の背丈ほどあろうかという金庫が一同の前に現れた。
松本は中央のダイアルを慣れた様子で手早く弄る。
ギリリリリ、ギリリリリとダイアルを回す音だけが部屋の中に響き渡りやがてガチンという鍵が外れた様な大きな音がした。
松本が観音開きの金庫のドアを両手で勢いよく開く。
「圧巻ですわ・・・」
「兄さん・・・これ、これで、私達救われる」
「すごい、なにこれ、お金なの」
「リーゼっ」
「ああ、これで二人でやり直そう。こんなところおさらばだ」
「たいへん、私、持って帰れるかな・・・」
「大したもんね、国のへそくりというのも。これをそっくりそのまま研究費に使おうというのだから」
一同の目に飛び込んできたのは札束の山、山、山である。
その金額はざっと目測で概算しても10億近くはあろう札束の山であった。
使用済みらしいものから封の切られてないものまでさまざまで、他にも株価証券や硬貨まで入っていた。
「いつまでも感動に浸っている暇はありませんわ!とりあえず持てるだけ持ちますわよ!」
「ならすぐ隣の物置やここにある使っていないバッグやビニール袋を使うといいわ、さあいそぐわよ」
鼻息荒く興奮する三島や孫姉妹。
だがそんな中我妻は加古達の狂気に満ちた歓喜の声を他所に疑念であふれていた。
(どういうわけですの、外貨準備高の・・・一部なの?
だいたい本当に国の外貨準備高なら源泉は毎年恒例の富くじの収益金の大部分を占めているはず、
それがたかが数億円で済むはずがありませんわ。それに皆さんは外貨準備高というものをそもそもわかっていない?)
そして、各々は我を忘れ、欲望の赴くままに紙幣に群がっていた。
「こ、これだけあればもう私は大丈夫。変わることが出来る、いえ、必ず見せますわ!」
「兄さん、これをもって家族の元へ戻ろう。これが有ればきっとやりなおせる」
「ジャック・・・僕は・・・」
「これで、この国の連中を見返してやる。金持ちになったんだよシアン」
「蔑まれ、虐げられても絶えてきた・・・これからは私達の番なんだ、リーゼ」
「わたしは・・・もう、いい。もう、誰にも関わりたくない、このお金でゲロイムと一緒に暮らす・・・」
「私は・・・どうしよう・・・どうすれば・・・」
大金を手に慄くヤガミに加古は満足げな顔で答える。
「そんなもの、これから考えればいいのですわ。この金こそが私たちの未来、可能性ですのよ!
さぁ三島先生、これか・・・・ら・・・え・・・?」
三島と松本の姿がない。
一同は金の回収に夢中であったためか、途中、いつの間にか三島と松本が消えているのに気が付かなかったのだ。
「しまった逃げられましたわ!!」
「ヤバイ!自分達だけ金を奪って私達をサツに売る気だ!」
「どこに逃げたんだ!」
「出口に向かったんですわよ、ほら、私達が来たホールに出る薄気味悪い地下回廊のっ!」
「くそっ、行くぞ!」
加古達は次々とドアを飛び出して数時間前リチャードが悪戦苦闘した螺旋階段を駆け上がる。
ホールにもどった一同は正面玄関に着けられていた鉄格子がいつの間にか外れ、一面分厚いガラス張りの
ドアを丁度閉じた三島と松本を目撃した。
ガラス張りのドアがぴったりと閉じた後、直ぐ近くに有るセンサーカメラなどが付いた機器が音を立てて赤色に点灯する。
「あらあら、遅かったわね。もっとゆっくり金勘定でもなさったらよかったのに」
パンパンにしたバッグと書類などを持った三島は一同を一瞥し不気味笑っていた。
傍らにいた松本は何か恐れ慄いた様子であった。
「三島!私達をサツに売る気なのか?」
「警察?冗談じゃない、私はあなた達ガキどもなんか関わりたくもないし知った事でもないの、解る?
あなた達は目当ての物は手に入ったんだからもうこれで良いでしょ?さよなら」
そういってガラス越しにくぐもった声で伝えると踵を返してその場所を後にしようとした。
そこにリチャードが慌てて三島を制止に入る。
「ま、まってくれ。でも、このままじゃ僕たちはここに閉じ込められるんじゃないのか?」
ホールの周りを見ると一同が最初に訪れた隠し回廊は既に固く閉じられており再び開かれる様子はなさそうだった。
その他にも今までの状況から鑑みても外に出られるような出口は見当たらなかった。
焦る一同を見て三島が高笑いしながら説明した。
「心配しないで、私達が行った後からこのドアから出ればいいだけよ、ただ・・・」
一呼吸入れて、顔を歪ませながら嫌らしく三島は言った。
「この玄関の防弾ガラスの扉はね、虹彩ロックといってあらかじめ登録された目の虹彩模様と写さないと鍵が外れない
未来技術のドアロックよ。
鍵として認識している眼球は私と松本、死んだグレース教授、研究所上層部そして
・・・なんと何を思ったのかグレースはオミヨも登録してたのよ。さあどうなさいます、あの子は今檻の中よ?」
そして、再び踵を返して顔だけ僅かに振り向くとイヤミったらしく吐き捨てる。
「ふふ、オミヨはここにいる人間の言う事なんか一切聞かないわね。それとも今すぐ地下におりてあの子の眼球をえぐってみる?
蛙の解剖もままならないようなあなた達にそんな度胸あるかしら」
その時、目にも止まらぬ速さでリチャードの持っていた拳銃をジャックが奪って三島に向かって発砲した。
「おい、やめっ―――」リチャードの制止など間に合うはずもなく。
パーンという乾いた音と共に防弾ガラスが凄い音を立てるが、僅かにわかる程度の傷がついている程度だった。
三島と松本は目をむいて驚愕したが、無駄だと知ると三島は再び高笑いし扉横のレバーを引いてバッグと松本を引き連れ姿を消した。
扉上部から重々しい鉄のカーテンが防弾ガラス扉の奥に下りる。
暫しの静寂の後、途端に一同を不穏な空気が襲う。
各々手には札束満載のバッグや袋、方や手にはナイフやメス、拳銃に至るまで。
そして猿ぐつわを付けられたアガツマ製薬関係者の人質。
服はところどころ血にまみれ、顔は崩れ、体中ボロボロ。
傍から見ればそれはもう血も涙もない強盗団そのものであった。
一同は決意する。もうこうなった行くところまで行くしかない。
皆それぞれアイコンタクトをしてそれぞれ決意めいた顔をした。
「フン、やってやろうじゃない!」息巻く加古。
「んー---!んー--!」我妻は言葉を発することが出来ずにうなり声だけで抵抗の声を上げた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
リチャードも心内はとても賛同できるものではなかったが、その場の空気に飲まれ何も言えずにいた。
そして一同は、再びあの渦巻く闇のケージ室へと向かった。
地下実験室、その先のさらに奥深くへ。
ケージ室。
一度訪れて所ではあるが、一同はドアの前で静止し不穏な空気に包まれていた。
「な、何怖気ついてますの?とっとと行きますわよ。そうだヤガミさん、あれ手術室から持ってきましたわね?」
「う、うんでも本当にやるの?やっぱりやめようよ」
「止めるも何もやんなきゃ私たち全員ここで心中よ」
ブレアは怖気づくヤガミの肩を抱き、不安を和らげるよう努める。
そして、固唾を飲んでリチャードがゆっくりとケージ室のドアを開いた。
ギイィィイッィッィっと相変わらず不快な金属音が耳に響く。
そして、部屋の脇にある大型動物用の檻の中に美生はいた。
膝を抱え、ただ入ってきた一同を見て血眼で鋭く睨みつける。
暗がりで見るその姿は悍ましいの一言で、まるで悪霊の様だった。
「・・・・・・・・・」
痛いほどの静寂、全員一言も口にしなかった。
暫く見つめ合ったのち、リチャードが声を発する。
「オミヨちゃん・・・協力・・・・・・してほしいんだ」
「嫌」
たった一言、しかし簡潔で絶対的な拒絶だった。
「お願いしますわ。貴方が独断でアガツマ製薬に復讐しようとしていたことは私達も理解はしてますわ。
しかし、正義よりも大切なものが有りますわ。それは皆さんの幸せですのよ」
「嫌」
再び、拒絶。
「お願いだ、私達みんなも”何事”もなく無事にここを出たいんだ、だから・・・」
「嫌」
三度、拒絶。
「ああ、もういいですわ。こうなったら私が―――」
しびれを切らした加古が前へ出た途端、ヤガミがそれを遮った。
「まって、私に話をさせて」
そう言ってヤガミは檻に座る美生に近づいて優しく語りかけた。
「オミヨちゃん・・・檻の中に入れたの・・・ごめんなさい。謝る」
美生はただ無言だった。
「でも、オミヨちゃんもさっき暴れてみんなを酷い目に合わせたんだから、おあいこだよ。ね」
「・・・・・・・・・」
ヤガミは少し間をおいてゆっくり語り掛ける。
「私、ここを出たらオミヨちゃんに絶対協力する。他の人たちはそれぞれ目的が違うけど我妻さんもきっと解放されたら
協力してくれる、約束する」
我妻はただ冷たい眼差しで二人を見つめる。
「だって私。アガツマ製薬には恨んでも恨み切れない思いがあるもん、オミヨちゃんと何も変わらないよ・・・それに」
一呼吸おいて、ヤガミは笑顔で言った。
「私達、ずっと、ずっとルームメイトで一緒にやってきたでしょ!」
ピクリと美生の肩が反応した、そして暫くの沈黙の後。
「ホントに・・・・」
「え・・・」
「ホントニタスケテクレルノ?」
「もちろんだよ。何を言ってるの、早く一緒にここを出ようよ、ね、ほんとに―――」
そう言ってヤガミは檻の鉄格子越しに美生の手を握った。
そして、ブレアに軽くうなづいて合図を送るとブレアは南京錠の鍵を開けた。
そしてゆっくりと、這うように美生がそろりと檻から出始める。
四つん這いになっているためか、美生の白いうなじが奇麗に露呈していた。
そこに。
プスッ!
ヤガミは注射器で美生の白いうなじを刺した。
ヤガミが手に持っていたのは麻酔薬の入った注射器だった。
「本当に、本当に、ホントにごめんね、オミヨちゃん・・・・」
「早く、ほら引っ張り出すの!」
孫姉妹が美生の両手や頭を掴み床にねじ伏せる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、おみよちゃん、私・・・・」
涙をぽろぽろ流しながらヤガミは謝罪した。
しかし、美生は動じることも抵抗することもなく、ただヤガミに言った。
「うん、いいよ解ってたから。だってヤガミさん、私と話してる時も頑なにお金の入った袋を力強く握りしめていたから」
ヤガミはハッとして、自分の汚らわしく、すさんだ心を恥じた。
「もういいの。もう殺せ。好きにしろ、ころせ、ころせ」
ただ宙を見つめ、美生はうわ言のようにつぶやいた。
そこにリチャードが拘束する加古達に割って入った。
「駄目だこんなの!何もかも間違っている!みんな冷静に――――」
「兄さん、ダメ!!」
ブレアは邪魔されまいとリチャードに抱き着くとそのまま口づけをした。
深い、深いディープキスである。
舌を這わせ、涎が溢れるのも憚らず舌をリチャードの口へ滑らして絡めた。
そして、片手を取って自分の服の中に突っ込ませて乳房を無理やり掴ませる。
まだ深く女を知らないリチャードにとってはそれは自信を停止に陥れるには十分だった。
「さあ、早く。器具を―――」
田中が服から取り出したスプーンの形状をしたような医療器具のようなものを取り出し、リーゼに渡す。
「でも、麻酔が全然効いていないんじゃ!」リーゼは加古に問いかける。
「後から効いてきても問題ありませんわ!さあ早く」加古は息巻き、囃し立てる。
「姉さん、私代わろうか?!」シアンが戸惑うリーゼに代打を申し出る。
「だ、大丈夫。犬や猫の脳天だってぶちまけたことが有るんだ!やってやる」
リーゼは臆する自信を奮い立たせて、シアンが固定している美生の頭の目掛けて特殊なスプーンを近づける。
そして、美生の片目の瞼を僅かに触れて狙いを定める。
「ううう、いい、やるわよ!」
ツー―――プツッ!ブチンッ!
「私は―――あなた達の事―――――ずっと―――ずっと――――忘れないよ――――」
美生からあふれる鮮血が一同を染め上げ、悪魔の様な絶叫が耳から脳裏に響き渡った。
それはまるで永遠とともいえる呪いの烙印の様な感覚だった。
一階ロビー、正面玄関防弾ガラス扉前。
「いつまで泣いているの?しっかりして」シアンが呆れてぼやいていた。
「ぐすっ、ぐすっ、ううううううぅ」
ヤガミはいつまでも顔をくしゃくしゃにして鼻を鳴らしてすすり泣いていた。
「まあ無理もないよ。みんなあの絶叫を聞くとね・・・・」
ブレアはリチャードの腕をシッカリと組んだまま離さなかった。
「それよりもさぁ、早くしてくださいます?」加古がリーゼを急かす。
「あんたなぁ、ここまでやったこっちの身にもなってみろよ」
リーゼは悪態をつきながらビーカーに入れた眼球を険しい顔をしながら恐る恐る手に取った。
そして僅かな光が照らされているセンサー内のカメラに向けて目を突きつける。
”ピー!”
一瞬だけビープ音が鳴ると天井から降りていた鉄のカーテンが上に収まってゆき、ガラスのロックが解放された。
「さあ開きましたわ。いきますわよ」
「本当に・・・彼女を置いてゆくのか?僕たちは・・・」
「ブレアのお兄さん。気をしっかり持って、これからこの大金を持って私達は”鬼門”を潜るのですわ。
甘えなど許されない、たとえあらゆる者を犠牲しようとそれが私たちの幸せに繋がるのだから」
加古が後ろ髪惹かれる思いのリチャードを窘める。
「何もない、ハンデを背負って始まった私達にとってこれが人生最初で最後のチャンス、
ここを出て、新しい自分としてやり直すんだ」リーゼが珍しく感情を露わに一同に言い、シアンも力強く相槌を打つ。
「ではここを出たら打合せ通りに、いいですわね」
そして一同は正面玄関のセキュリティを突破して月明りの照らし出される外へ出た。
「オミヨちゃん・・・・」
一同が足早に行く中、一番後方にいたヤガミが振り返り自動で閉まり行く鉄のカーテンを未練がましくただ見つめた。
・・・・・・・。
どのぐらいの時が過ぎたのであろうか。
少し前に、建物内の遠くから機械音が断続的に響いてきたのであいつらは
私の”目”を使って外に出たのであろう。
「イタイ・・・・・・・・・」
無理やり打たれた麻酔の効き目が切れていたのであろうか。
徐々に先程までは其処にあった目の”居場所”が焼ける様に熱くなっていた。
頭痛もして意識も朦朧とする。
「駄目・・・眠い・・・・・・・」
虚ろな意識の中、ただ炎症だけが起こらないように祈りつつ深い眠りに落ちた。
・・・・・・・・・。
丸一日は立ったのだろうか。
ケージ室はドア上部に備え付けられて非常灯だけが僅かな光源で非常に暗く
時計もないためいったい今何時なのか把握も出来なかった。
まあ、死にゆく自分にはもはやどうでもいい話なのだが。
「・・・・・・・」
闇と静寂と、時折聞こえる僅かなラップ音のみ。
「あ、この間の本、もう一度頭の中で読もう」
私は体を起こして膝を抱え、身体に走る痛みに耐えながらこの間読んだ本の内容を
頭の中でもう一度読み起こしていた。
・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・何の音?」
グルルルルルルウ、グルルルルルルウという音が頻繁になり、余りにうるさくて目が覚めた。
それが、自分の空腹の音だと気づいたのはそれからしばらくたった後だった。
過ぎ去った連中の事を思い出す。
やはり、自分は間違っていたのだろうか?我妻さんに協力して、最初から裏切るつもりだった
加古達と対峙すべきだったのか?
「・・・・・馬鹿馬鹿しい」
もはや、どうでもいい話だ。全ては終わってしまったのだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ううぅ、ううううう」
喉が渇く、喉が渇く。
頭の中が水の事で一杯だった。空腹よりも水が飲みたくて仕方がなかった。
唯一室内が乾燥していないのが喉の渇きを遅らせる救いだったのだが。
これ程、喉の渇きが強烈なものだとは想像もしていなかった。
水が欲しい、水が欲しい、みずみずみずみずみずみず・・・・。
辺りを食い入るように見回す。自分の意思など関係なく、身体勝手に動く。
「あっ・・・・・」
隣の小さな檻に動物用のトレーにわずかに水が溜まっているのを見つける。
鉄格子の間から必死に手を伸ばしてトレーに手を伸ばして指先で掴む。
「・・・・・・・」
ゆっくり、ゆっくり時間をかけて震える手で。
「あっ・・・・!」
トレーが自分の檻に届いたところでひっくり返してしまった。
でもトレーと自分の檻にわずかに溜まった水を見るをいなや這いつくばって地面に舌を這わせてゆっくり舐めた。
ぺろぺろぺろぺろ・・・・。
ほんのわずかの水。汚水。それでも、少しずつ口に入れるたびに体中から喜びの信号が届く。
「・・・・わたし、ケモノだ」
死を覚悟して尚も生きようとする自分が何だか面白くて、一人でクスクス笑っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
何日過ぎたのであろうか。
今は檻の鉄格子の数をずっと数えていた。
「・・・・っ駄目!」
またやってしまった。気づくと自分の腕を無意識のうちに勝手に噛んでいるのだ。
二の腕の方はもう血まみれになり、その血すらも気付かぬまますすっている自分がいる。
最早正気を保つことが難しくなってきた。
ねよう、ねよう、寝よう、そしてもう目覚めないで。
ただ祈る様に目を閉じて眠りについた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「痛い!!!!」
腕に凄まじい激痛が走り、現実に引き戻される。
覚醒した私の目の前に現れたのは、自分の腕に食らいつく汚い鼠だった。
「!!!!」
頭より先に手が動いた。
喰われていないもう一つの腕の方が無意識のうちに鼠をすごい力で掴んでいた。
掴んだ勢いで既に鼠の骨を折っており、口からは血が溢れていた。
「あああ、、、あああああ、、、」
頭には”喰え”という欲求のみが支配する。
躊躇い等何もない。ただ自分でも信じられないほどの力で鼠を引き裂き、口の中に入れる。
ボリボリボリボリボリボリボリ・・・・。
ああ、ああ、たまらない、たまらない、脳が喜んでいる。
そうか、私はもう、人間を”卒業”したようだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
(オミヨ!起きて)
(オミヨ、オミヨ、もう朝ですよ)
「オトウサン!オカアサン!」
自分が眠りながら信じられないような大声を出していることに気が付いて目が覚めた。
さっきから視界がはっきりしない、朦朧としてもう何も考えられない。
ああ、いよいよか。
もう終われ、終われ、終ってしまえなにもかも。
ウウウゥ、オトウサン、オカアサン、アイタイヨ。
「ううっ!!!は、早くこっちだ」
リチャードは撃たれた脇腹を必死に抑えながら我妻の手を引いて追手から逃れていた。
「リチャードさん、大丈夫ですか!?しっかりして・・・・」
我妻必死に歩きながら撃たれたリチャードを心配したが、自身も長きにわたる監禁による栄養失調で既に朦朧としていた。
「ま、まさかな、加古の奴がヤクザを使って君を追うなんて思ってなかったよ・・・さあ早く」
リチャードは茂みに留めていた車に我妻を押し込み、自身も運転席に飛び乗る。
「そこに、パンと水筒が有る。食べてくれ、今からニ十分ほど走るよ」
急いでエンジンを入れ、バックで道路に飛び出すとギアをチェンジしてアクセルを踏み込んだ。
車は闇の中を勢いよく走りだした。
「はぁはぁ、あああ、たべものですわ!」
満足に食事を与えられていなかった我妻は後部座席に有ったパンと水筒を急いで取り出して口にした。
「はむっ、はむっ、ゴクゴクゴク!」
「はは、のどに詰まらせてはダメだよ」
一息ついて、我妻は確認する。
「どうして・・・・私を?」
「さあどうしてかな?良心の呵責なのか、善行なのか、僕にもわからない、ただアガツマ製薬一泡吹かせたかっただけなのかもな。
君があの後、暫く監禁されていたのはどうもアガツマ製薬の指示だったらしいし」
「そんなっ・・・加古さん達ではなかったのですか?」
我妻は予想外の事態に思わず声が裏返った。
「結局ね・・・君の扱いを迷った挙句に加古達は君を売ったんだよ、さら金に目がくらんでね。
それで僕は君がアガツマ製薬の手に落ちる前に妹を欺いて君を迎えに来たわけさ」
「そうでしたのね・・・・ありがとうございますわ」
リチャードは助手席にあるダッシュボードを開いてガムテープを取り出すと運転しながら撃たれた脇腹に巻き付けて
少しでも止血になる様に応急手当てをした。それを見た我妻は急いで手助けをする。
「お手伝いいたしますわ」
「ああ、ありがとう、でもそれよりも君には今からやってもらわなければならない仕事が出来たな」
それを聞いた我妻はピンときた。
「それは、まさかひょっとして・・・オミヨさんを?!」
リチャードは脂汗を垂らしながらこちらを一瞥してニヤリとした。
「だいぶ遅れてしまってもうあの日から二週間たっているが・・・何とか生き残っていることを祈るしかない」
「でもあそこにはすでにアガツマ製薬の人間が踏み込んで掌握しているのでは?」
「それが・・・元々グレースはあそこを引き払い、別の研究施設と統合する手続きを既に完了させていた。
だから僕たちが過ぎ去った後には、その一週間後には別の児童施設のスタッフがきて終日中に寮生を移動させたらしい。
根回しがいいからきっと三島先生が噛んでると思うけどね」
リチャードはウインカーの操作をしながらハンドルを切り、市街地の道路からから急ぎ林道に入る。
「私達やグレース先生の事は?」
「最初は騒ぎになったらしいが直ぐに外来の職員がきて沈静化されたらしい。それも三島先生の仕業だろう。
だから今、”本当の本館”は誰にも気づかれぬことなく放置された状態のはず」
我妻はそれを聞いて自失した。
そう彼女は・・・誰にも発見されることもなく・・・今もそこにいる。
車が半ば急ブレーキのように停車する。
グレース女子児童福祉施設――――。
正面玄関の前には簡易の柵と”昭和〇〇年〇月 移転につき許可のないものの立ち入りを禁ずる 厚生省”と
書かれた看板が刺さっていた。
「リチャードさん、大丈夫ですか?!血でシャツが真っ赤ですわ」
ふと気づけばリチャードの身体はテープの止血も空しく、血でシャツが真っ赤に染まっていた。
「どうやら僕は・・・ここまで・・・みたいだ・・・だめだ・・・身体が痛くて動かせない。
もし、本館にいけたのなら・・・・止血剤と鎮痛剤を取って来てくれ、頼む・・・・」
そう言って、リチャードはハンドルから手を放して力なくうなだれた。
「わかりましたわ!少しの間、我慢しててくださいましっ」
「ああ、オミヨさんを・・・よろしくな・・・後、彼女に謝ってくれ、遅れてすまないと・・・」
我妻はリチャードに自身の上着を被せると急いで下車し、裏口へと走っていった。
(・・・・お願いです、オミヨさん、生きていてくださいまし・・・・)
リチャードに渡された鍵を使って厨房裏口のドアの鍵を開け、そっと滑り込むように侵入する。
そのまま、一目散に三島の部屋まで走っていった。
(あの時のまま、黒電話と赤電話。電気は・・・まだいけますわ)
我妻はメモを取り出し、赤電話の受話器を上げるとメモとダイアルを交互に見ながら
必死にダイアルを回した。
(お願いです。あっててくださいましっ)
しかしダイアルを回し終えてしばらくしても隠し扉が開く様子はない。
「そんなっ!お願い、開いてっ!」
我妻は一旦受話器を置いて、再度チャレンジする。
(お願い、お願い、時間がないのっ、お願い!)
その時、外の方から破裂音のようなものが数回聞こえた。
(追手?!リチャードさん!!!!)
高まる不安、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
「・・・お願いだから、開きなさいよ!」
外の様子が騒がしい、追手の連中であることは明白だった。
部屋の窓から中庭を覗くと数名が懐中電灯を持って辺りを捜索していた。
(もう、だめですわ・・・・)
窮地に追い込まれ、目には涙がにじむ。
諦めかけたその時、”リンッ!”という音が鳴り例の隠し扉が再び我妻の前へ現れた。
「ああっ、やりましたわ!」
決死の思いを胸に、我妻はその漆黒の地下回廊へと再び足を踏み入れる。