0 プロローグ
炎に呑まれた森の中を、幼い少女の手を引いて駆けていた。
焼け落ちた木々が行く手を塞ぎ、思うように進めない。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
そうでもしないと、「アレ」から逃げることなんて絶対に出来ない。
息が詰まりそうなほどの熱気の中で走る背後では、咆哮が響き渡っている。
「はぁっ……! はぁっ……!」
「ごめんサヨ! もう少しだけ頑張って!」
「は、はい!」
巫女服だから走りづらいけど、それはサヨも同じだ。
私が抱きかかえてあげられたら良かったけど、そんなことをしたら走れなくなる。
サヨの足取りはもう乱れていた。
私よりずっと小さな身体で、手を引かれるままにずっと走り続けるなんてことができるはずがない。
そもそも走り続けることなんてできないんだから、どこか隠れられる場所を見つけて「アレ」をやり過ごすしか……!
『ミコト!! こっちなら通れます!! 早く!!』
『うん!!』
先行していたトコヨが、炎の向こうで手招きしていた。
宙に浮かぶ半透明の黒髪の少女が、火の粉の中で揺れている。
サヨにはトコヨが見えていない。
だから声には出さず、私は頷く代わりに進路を変えた。
急な方向転換にサヨが驚いているけど、今は説明している時間がない。
そう思って隠れられる場所を探して周囲を見渡しながら走り続けていたけど……
「あっ!?」
「サヨ!?」
掴んでいたはずの手がするりと抜けた。
後ろから倒れ込む音が聞こえてくる。
すぐに足を止めてサヨの方を振り向いた直後に、大きな黒い影が視界を覆った。
見上げた空が、黒い翼で塞がっていた。
「サヨっ!!!」
サヨを抱え上げて飛び込む。
怪我とかを気にする余裕なんてない。
そうしないと潰されて死んでしまう。
サヨを抱き込みながら庇うようにして地面を転がる。
その直後、竜が地面に叩きつけられるように降り立った。
轟音とともに地面が抉れ、土と火の粉がまとめて跳ね上がる。
吐息すら感じられてしまうほど近くにいる竜が、唸るような声を出しながら見下ろしてくる。
「ぁっ……ぁぁ……」
『ミコト! ミコト!! 立って!! 早く逃げてください!!』
「逃げるって言っても、この状況でどこに逃げるの!?」
恐怖で震えているサヨを抱きしめつつトコヨの呼びかけに文句を返して、どうにか打開策を考える。
一瞬でいい。
怯ませられれば、どこかに隠れられるかもしれない。
そう思って、いつものように信仰するオリツキ様に祈りを捧げて、聖魔法を唱え始める。
簡易的な術でしかない。
だから威力はないけど、行使までに時間がかからない。
目眩ましにしかならない。それでも、何もしないよりはましだった。
竜の頭へ向けて、生成した光の球を撃ち出す。
「光弾っ!!!」
飛ばした、はずだった。
竜は、何かしたのかと言わんばかりに、瞬きひとつせずただこちらを見下ろしていた。
光弾は鱗に触れた瞬間、薄い霧のようにほどけて消えた。
傷どころか、焦げ跡ひとつ残っていない。
「あ、はは……怯みすらしないんだ……」
【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!】
思考が止まりかけた瞬間、咆哮が地面ごと身体を揺らした。
耳を抑えたいくらいの轟音だけど、そんなことをする暇なんてなかった。
咆哮で開いた顎が、そのまま迫ってきた。
黒い首がしなり、牙の並んだ口が私たちを呑み込もうとする。
何をしようとしてるかなんて明白だった。
考えるより先に、サヨへ覆いかぶさっていた。
サヨも私に縋るように強く抱き着いてきていた。
この後起こることを想像して、思わず目を閉じてしまう。
『ミコトっ!!!』
トコヨの声が聞こえた。
その声が聞こえた直後、背中から胸へ、焼けるような痛みが突き抜けた。
そして、私の視界は、真っ暗になった。
それは、悠久の時の中で生じたもはや妄執とすら呼べるものだった。
救いと呼ぶにはあまりにも身勝手で、祈りと呼ぶにはあまりにも重い。
大切な人の明日を望んだはずの執念は、いつしか一人の少女の背に積もっていた。
少女はまだ何も知らない。
自分が何を託されたのかも、何を奪われていくのかも知らないまま。
無垢に育て上げた少女は進んで行かなくてはならない。
痛みを知れば、足は竦む。喪失を知れば、心は折れる。
辿り着く場所を知ってしまえば、進むことそれ自体が残酷になる。
運命と呼ぶことはたやすい。
それでも。
すべてを知ったあとでなお、少女が前へ進むのなら。
逃げることも、目を閉じることも、諦めることもできるはずの場所で、それでも手を伸ばすのなら。
声にならなくても。
形を失っても。
たとえ運命に抗えるかは分からなくても。
私は——