1-1 儀式の朝
「——っ!?」
飛び上がるように起き上がった。
「……夢……?」
胸の奥がうるさいほど脈打っていて、息がうまく吸えない。
何度か深呼吸をして、ようやく周囲が見えた。
目に映ったのは、いつもの自室だった。
自分が死ぬ夢とか、縁起でもない……今日は大事な儀式の日なのに。
『ミコト、起きましたか』
「うん、おはよう。トコヨ」
ちょっと探るような視線を向けながら声をかけてくるトコヨにいつも通り挨拶を返す。
いつもは元気に挨拶してくるし、挨拶したらしたでうるさいくらい周りで飛び回って騒ぐのに、どうしたんだろう。
「トコヨ?」
『いえ、なんでも……ミコト、今日は外で遊ぶなんてどうですか? ミスズの目を盗んで抜け出して』
少し考え込んだと思ったら変なことを言ってきた。
何を言ってるんだろうこの駄幽霊。
いくら小さくて子供みたいな見た目でもちょっと豪華な巫女服着てるし、トコヨも巫女だったなら重要さは分かると思うんだけど。
「今日はダメだよ。トコヨも知ってるでしょ? 私が儀式をする日なんだから。初めてってことで皆気合入れて準備してくれてるし、そんなの無理だよ。終わったらいつもの場所くらいにはいけるだろうから、それまで我慢してね」
『ん、そうですよね。……そういえば、ミスズが『ミコトが起きるのが遅い』って怒ってましたよ?』
「えぇ……お母さんは相変わらず厳しいなぁ」
トコヨの言葉を聞いて急いで身支度を始める。
いくら神社の年1回の大事な儀式の日だからって気が早すぎる。
それだけ私が次期筆頭巫女として儀式をやるのが心配なんだろうけど……
とりあえず早く準備しちゃわないともっと怒らせちゃうか。
そう思って布団を片付けて身支度を始めた。
髪も整えたし顔も洗った。
服は後で儀式用の装飾付きの巫女服に着替えるから、いつもの装飾のない簡素な巫女服に着替えた。
『今日の朝ご飯はちょっと豪華みたいですよ。ミスズがミコトに英気を養ってもらうって気合入れてましたし。多分それで気が急っちゃってるんでしょうね』
「豪華!? なら――」
『はい。ミコトの好きな果物も準備してましたね』
「それを早く言ってよ! 早く行こ! トコヨ!」
いつもは白米に卵か魚かお肉、野菜の漬物が少しと汁物くらいしか出てこない。
山奥のこの神社と麓の集落で作ったものだけで生活している都合上、甘味は貴重なのだ。
悪夢のせいで沈んでいた気分が一気に舞い上がった。
トコヨが後ろからついてくるのを横目で確かめながら、広間へ急いだ。
食事はいつも、巫女全員で広間に集まって取ることになっている。
広間が近づいてきたところで歩調を緩めて、静かに広間に入っていった。
「おはようございます、お母様」
「ようやく起きてきましたね。皆待っていましたよ。早く座りなさい」
「はい」
『ミスズも照れ屋ですねー。さっきまであんなにそわそわしてたのに』
『トコヨうるさい』
茶々を入れてくるトコヨに内心で文句を言いながら、いつも通り上座のお母さんの隣に座る。
お母さんが今の筆頭巫女。
筆頭巫女は、代々アメノ家が継いできた。
その娘である私は、次の筆頭巫女として扱われる。
だから席もお母さんのすぐ隣だった。
その後は下座に向かうにつれて巫女、見習い巫女と順に座っていく。
まぁ私とお母さん以外は、巫女が3人と1週間くらい前に見習い巫女になったサヨだけだ。
そもそも集落に100人くらいしかいないのを考えれば妥当な人数と言える。
私が座ったのを確認したお母さんが皆に一声かけて、食事が始まった。
「それではミコト、儀式用の身支度を整えたら神楽殿に来るのですよ」
「はい、お母様」
食事が終わってすぐにお母さんと巫女の3人が準備のためにいそいそと動き出した。
私もまた着替えないといけないから一度部屋に戻って――
「あの、ミコト様!」
「? どうかしましたか、サヨ」
準備のことに思いを馳せていたらサヨが声をかけてきた。
サヨはまだ12歳で、私よりだいぶ小さい。
声をかけてきた彼女は、胸の前で手を握りしめたまま、こちらを見上げていた。
私が15歳だから、この神社では私と一番年が近い子だ。
そんな子がキラキラとした目をこちらに向けながら言葉を続けた。
「儀式、楽しみにしてます! 私もミコト様のお役に立てるように、お掃除とか頑張りますね!」
「ありがとうございます。私も、お母様に劣らない儀式が出来るように頑張ります。お互いに頑張りましょうね」
「はいっ!」
まっすぐな視線を向けられて、少しだけむず痒くなる。
純粋さに差はあれど、向けられる期待は結構大きいのを実感する。
こういうのはサヨだけではない。
この集落はオリツキ様を奉る神社を中心に成り立っている。
集落の元締めも筆頭巫女が兼任しているくらいには、全てが巫女の意向で決まる集落。
そんな村だから、当然村人も皆オリツキ様の信徒だ。
だからこそ、筆頭巫女が行う年に一度の儀式は、集落の人々の中でも特に大きな意味合いを持っている。
「サヨ、急ぎなさい。やることは山積みですよ」
「うん! ……それでは、失礼します! ミコト様!」
巫女であるサヨの母がサヨを呼びに戻ってくると、サヨは駆け足で出ていった。
私も笑顔で手を振ってサヨを見送る。
『実はちょっと緊張してきてますよね、ミコト』
『練習と本番は流石に違うもん。私だって緊張するよ』
『皆期待してますしね。次期筆頭巫女様の晴れ舞台ですし』
『……トコヨまでそういう言い方するの?』
ちょっとモヤっとしたのが伝わったのか、トコヨはきょとんとした顔を浮かべた。
『不満ですか?』
『不満というか……サヨとか皆にそう思われるのは仕方ないかもしれないけど、トコヨにまで言われると変な感じがする』
『ふふ。では、言い直しましょうか』
トコヨは私の目の前にふわりと回り込んでくると、宙に浮いたまま私の顔を覗き込んできた。
『ミコトなら大丈夫ですよ。何も心配する必要ありません』
『……それだけ?』
『はい。それだけです』
次期筆頭巫女とか、お母さんの娘とか、そういう含みは一切感じない。
ただ私をまっすぐ見て言ってくれているのは、ちゃんと伝わってきていた。
『……ありがとう』
『どういたしまして。では、安心したついでに本番で盛大に滑って転んだりしないように気合いを入れ直しましょうか』
『……今そういうこと言う?』
『あは! 冗談ですよ! 冗談!』
トコヨはトコヨでニヤニヤしながらからかってくる。
私の緊張をほぐそうとしてくれているのは分かる。
分かるけど、それはそれとして、ニヤニヤしている駄幽霊には少しイラっとする。
とりあえず私も急がないといけないし、一度部屋に戻って着替え始めた。
神社を出て、神楽殿へ向かった。
すでに村の人たちは集まり始めていて、境内にはいつもより少し張り詰めた空気が漂っていた。
トコヨはいつの間にかいなくなっていた。
まぁ儀式とかの時は大体いなくなるからいつものことでしかない。
トコヨは普段からお祈りにはあまり興味を示さない。
見ているだけだと退屈なのだろうと、私は勝手に納得していた。
お母さんを探してあたりを見回すと、自警団の団長さんと話しているのを見つけた。
「お母様、お待たせしました」
「あぁ、ミコト。……問題なさそうですね。ミコトもご挨拶なさい」
お母さんは私が装飾付きの巫女服とかを問題なく着ることが出来ているかを確認すると、満足そうにうなずいてから自警団の団長さん、ツクモさんの方を示した。
自警団は、麓の集落の男の人たちを中心にした守り手だ。
魔物が出た時、真っ先に動いてくれる人たちでもある。
巫女と同じでそんなに人数がいるわけではないけど、男性の多くは一度は自警団に参加したことがあるはず。
今日も自警団が神社の周りを警備してくれている。
オリツキ様のご加護もあってこの辺りでは魔物がそんなに出るわけではないけど、ゼロではない。
村の皆が神社に集まる日だからこそ、厳重に警戒してくれている。
今日は私が祭主をするんだから、次期筆頭巫女として恥ずかしくないように振舞わないと……
お母さんに叩き込まれた通り、見られることを意識して一礼する。
頭をあげてからも背筋を伸ばしたまま、口を開いた。
「ツクモさん、本日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致します、ミコト様。それにしても、しっかりしていらっしゃる。ミスズ様の教育の賜物ですな。ウチの愚息にも見習わせたいくらいです」
「そんなご謙遜を……ミコトもまだまだですし、シスイ君に村の警備は任せてきたのでしょう? 立派に育っているではありませんか」
「最後までミコト様の初の儀式をこの目で見たかったなどといっていました。まだまだですよ」
……これ、私いるのかな?
完全に世間話に話が移ってしまっている。
しばらく愛想笑いを浮かべながら話に同席して、頃合いを見計らって神楽殿を見てくると言って抜け出した。
神楽殿の準備はもう終わっていた。
出仕してくれている巫女は皆優秀だから、てきぱきと準備を進めて終わらせてくれたんだろう。
だからお母さんが世間話なんかしていたのか。
今回は私がするから自分が儀式をするわけでもないし、それでいいと言えばいいんだろうけど……
まぁいいか。
神楽殿。
神社のすぐそばに建てられた、壁のない舞台のような建物。
神前に舞を捧げるための場所だ。
儀式で使う錫杖も神楽殿の前に飾られているし、神楽殿の床にもうっすら水が張ってある。
準備は万端で私の準備が終わるのを待っていたってことなんだろう。
いつもお母さんがそうしていたように、自分の目で一つずつ確かめていく。
巫女たちは補助をしてくれる。
だけど、儀式の責任を負うのは祭主である私だ。
だからこそ、次期筆頭巫女として祭主を務める儀式の準備は自分の目で確認する必要がある。
多分見てるだろうなと思ってちらっとお母さんの方を見たら、案の定うんうんと頷いていた。
やっぱり監視されていたらしい。
さっきの世間話は私を油断させてちゃんと自分で判断できるかを見るための罠か。
自分の後を継がせる娘が心配なのは分かるけどこういうことをされていると思うと流石に緊張する。
まぁ仕方ないかと思って心を入れ替えて確認を進めた。
儀式の時間になった。
村の人々は、神楽殿の前に整然と座っていた。
皆、目を閉じ、手を組み、オリツキ様へ祈りを捧げている。
お母さんとサヨを含めた巫女も同様だ。
今立っているのは私と神社の周りを警備してくれている自警団の人だけ。
ゆっくりと錫杖の前まで進んで、静かに手に取る。
そのまま音を立てずに神楽殿に入っていく。
水が張られた神楽殿は、一歩歩くごとに水の波紋が綺麗に広がっていく。
歩く度に広がる波紋が反響するように重なって形を変えていく。
神楽殿の真ん中に辿り着いたところで、私も目を閉じた。
オリツキ様に、村の安寧を、皆の健やかな生活を願う祈りを思い浮かべる。
儀式用の聖魔法を意識して祈る。
すると、周囲に淡い光の玉が一つ、また一つと浮かび始めた。
それを合図に、舞い始める。
それだけで、周囲の空気が変わったのを感じた。
装飾の付いた巫女服の白い袖が、ゆるやかに宙をなぞる。
祈りを形にするつもりで、指先から足運びまで、すべての所作に神経を通わせた。
弧を描く錫杖の飾りが、澄んだ音を立てる。
その音だけが、神楽殿の周りに静かに響いていた。
幻想的な光の玉はどんどん増えていって、辺りを光が埋め尽くしたような状態になっていた。
神楽殿の床に刻まれた魔法陣も輝きを放ち始めている。
儀式は、この聖魔法を成立させることが主な内容だ。
聖魔法。
神の奇跡をお借りする、信仰があって初めて成立する魔法。
純粋な信仰心を捧げながら、決められた所作で完璧にやり通す必要がある。
だけど、この信仰心というものが難しい。
私みたいに生まれた頃からオリツキ様に祈って、聖魔法の練習をしてという生活をしていればそこまで問題はない。
だけど、俗っぽい考えとか個人的な欲が混ざると途端に効力が落ちて、酷いと発動しなくなる。
だから巫女は山の上に住んで、日々オリツキ様に祈りを捧げる生活をしている。
神の奇跡をお借りするために。
皆が安らかな日々を送れるように、祈りを捧げる。
舞い続けているうちに、周囲は眩いばかりの荘厳な光に包まれていた。
決められた所作のとおりに、最後に神楽殿の中央で錫杖を掲げる。
錫杖を掲げた瞬間、床に刻まれた聖魔法の陣がひときわ強く輝いた。
光が弾け、細かな粒子となって周囲へ降り注ぐ。
……よかった。成功した。
いつも練習ではできていても、実際に代行する可能性がある巫女の人たちが練習して発動していない場面を多々見るせいで、どうしても不安がぬぐえなかったのだ。
お母さんも、笑顔でこっちを見てくれている。
祈り終わった村の人たちが笑顔になって賑やかさを取り戻していくのを見ながら、私は神楽殿から降りた。
『ほらミコト! いつものところに行きますよ!! ほらほら!!』
「もうトコヨ、分かったってば。そんなに急がなくても」
儀式が終わってしばらくしてから、私はいつもの質素な巫女服に着替えた。
装飾の多い儀式用の服から解放されると、それだけで肩の力が抜ける。
そのまま、神社の裏手にある広場へ向かった。
お母さんにも褒められた後に今日はもう休んでいいって言われたし、朝にトコヨと約束したいつもの広場に息抜きしに行くことにした。
私とトコヨ以外はここに来ようとしないから、多分知らないんだと思う。
神社からそう離れていない場所に、木々が少しだけ開けた広場がある。
季節の花が咲く花畑で、私とトコヨだけの秘密の場所だ。
今日のトコヨは妙に急かすなぁと思いながら、物心ついた頃からずっと一緒にいる親友の先導についていった。
広場に着くと、私は草の上に腰を下ろした。
次期筆頭巫女としての礼儀も作法も、ここでは少しだけ忘れられる。
トコヨだけにしか見せてない油断した姿とも言える。
『儀式、大成功でしたね』
「見てたの? いなくなってたのに」
『見てなくてもわかりますよ。ミコトが失敗するはずがありませんから』
「それ、適当に言ってない?」
『適当じゃないですよ? ミコトの努力はずっと見てきましたから』
「……ありがと」
『ふふ、お礼ついでに私を褒めてくれてもいいですよ?』
……急に何言ってるんだ駄幽霊。
「なんでトコヨを褒める流れになったの……?」
『それはほら! 私が朝からミコトを励まし、支えて、こうして休憩までしっかり取らせてあげてるからですよ! 褒められて然るべきでは?』
「……頑張ったのは私なんだけど」
『私も儀式の間ずっとミコトを頑張って応援してましたね。フレー! フレー! ガンバレミコトー! って』
胸を張って言い切るトコヨに、思わず呆れてしまう。
でも、こういういつもみたいな何気ないやりとりをしてると儀式で張り詰めていたものが解れていく気がした。
「見てすらなかったのに……?」
『私たちの絆はその程度だったんですか……!? たとえ隣にいなくても、私が心の中で応援していたのは伝わっていると思っていたのに!』
「大袈裟な……まぁ、励ましてくれたのはすごく助かったよ。ありがとね、トコヨ」
『でしょう? もっと褒めていいんですよ!』
「調子に乗りそうだからやめとく」
『ひどい!』
トコヨが大袈裟に肩を落とす。
その様子を見ていると、自然と笑ってしまっていた。
だけど、そんな風に騒いでいる割に、トコヨは何度も神社の方へ視線を向けていた。
最初は気のせいかと思ったけど、明らかにいつもの様子が違う気がする。
それを踏まえると、ここまでの騒ぎ方も空元気みたいな気がしてきてしまう。
「ねぇ、今日のトコヨ少しおかしくない? なにかあったの?」
『……私はいつも通りですよ?』
少し間があってから、にぱーという音が聞こえそうな気がしてくるほどの清々しい満面の笑みを向けられた。
明らかに作り笑いな上に誤魔化そうとする気満々なのが透けて見える。
『う、胡散臭い……』
『胡散臭い!? 完璧なトコヨちゃんスマイルなのに!?』
「あっ」
意図せず強く考えちゃってトコヨに伝わってしまったらしい。
口から漏らしちゃったわけじゃないけど思わず口に手を当ててしまう。
『その素で思っちゃったみたいな反応が一番傷つくんですけど!?』
「うー……ごめんって……」
トコヨがすごい勢いで抗議しながら騒いでいる。
どうにかトコヨを宥めつつ、私は考え続ける。
明らかに何かを隠してるんだけど、踏み込んでいいものなのだろうか……
もう少しだけ踏み込んで聞くべきか。
そう迷った、その時だった。
大規模な何かが割れて消えるような気配を感じると同時に、巨大な影が山に落ちてきて、神社の方で爆音が響き渡った。