「なに……!? なにが起きたの!?」
突然響いた轟音と飛来した何か……いや、何かなんて表現は適切じゃない。
あれは、今も視界に入っている。
黒い竜が、神社の方角へ何度も急降下している。
翼を翻して舞い上がっては、また獲物に襲いかかるように山へ落ちていく。
竜が吐いた炎が、山肌を走る。
次の瞬間、木々の間から火柱が噴き上がった。
あんなの、自警団だけでどうにかできると思えない。
聖魔法があればどうにかなるものなのかはわからない。
だけど、急いで戻らないと……!
『待ってください!!』
「なに!? 急いで戻らないと——」
『戻っちゃだめです!!』
私が神社に戻ろうとしたら、トコヨが叫ぶようにしながら止めてきた。
トコヨは顔を歪めていた。
今にも泣き出しそうなのに、それでも必死に私を止めようとしている。
こんなトコヨは初めて見た。
「なんで……」
『戻ったらミコトまで死ぬからです。ミスズたちのことは残念ですが、今すぐに山を下り——』
「そんなこと、出来るわけないでしょっ!?」
見捨てろなんていうトコヨの妄言を無視して、神社の方に駆け出した。
お母さんたちを見捨てるなんて、いくらなんでもあり得ない。
私が走り出したら、トコヨも飛びながらついてきた。
トコヨが隣で戻れと騒ぎ続けているけど、それを無視し走り続けた。
神社の境内についたときには、そこは焦土になっていた。
神社は崩れ落ちていた。
ついさっきまで私が舞っていた神楽殿も、跡形もなく潰されていた。
周囲の木は燃え上がっていてそれだけで焼かれそうなくらいの熱気に囲まれている。
それだけなら、まだよかった。
「うっ……」
『……っ』
人が、死んでいた。
出仕してくれていた巫女や自警団の人たちが倒れていて、四足歩行の魔物に集られている。
黒焦げの、人だったと思われる炭まで……
胃の奥から何かがせり上がってくる。
口元を押さえかけて、必死に堪えた。
今目を逸らしたら、間違いなく死ぬ。
私の視線の先では、死体に集っていた魔物が、私の方に視線を向けていた。
今にもとびかかってきそうな魔物から視線を外さずに、オリツキ様に祈りを捧げ始める。
近接戦闘なんてできない私が後手に回ったら、間違いなく勝てない。
聖魔法で一気に片を付けないと……
魔物が、地面を蹴った。
黒い身体が弾けるようにこちらへ迫る。
即座に聖魔法による光の球を手に生成して外さないように魔物の動きを注視する。
まっすぐこちらに向かってくる魔物が飛び掛かるために飛び上がった瞬間に、その頭に手を向けた。
光弾を放つ。
放った光は矢のように一直線に走り、魔物の頭を撃ち抜いた。
肉の焼ける音と、嫌な臭いが鼻を刺す。
それで息絶えたみたいで、光弾の衝撃をそのまま受けて吹き飛んで、力なく横たわったまま動かなくなった。
「はぁっ……はぁ……やった、よね」
『はい。その魔物はもう死んでいます。ミコト、お願いだから聞いてください。今すぐ山を——』
トコヨの言葉を無視して動き始める。
さっきまで見えていた竜の姿は、もうなかった。
神社を壊し尽くして、どこかへ飛び去ったのかもしれない。
それでも、今みたいな魔物が山を闊歩しているような状態になってしまっているなら、生存者を探さないと……
そう思って、魔物を警戒しながら神社や境内を回り始めた。
神社では、生きている人を見つけられなかった。
どこを見ても、あるのは燃えた跡と、潰れた跡と、食い荒らされた跡だけだった。
それでも一つずつ、確認していった。
そして、倒壊した本殿のそばに、見慣れた巫女服を見つけた。
筆頭巫女が、お母さんだけが着ていた、少し豪華な装飾がついた巫女服。
「おかあ、さん……?……ひっ……」
恐る恐る近づいて、その巫女服の主を確認した瞬間に、思わず後ずさる。
膝から力が抜けて、足がもつれて倒れ込んでしまった。
それは、もうちゃんとした人の形をしていなかった。
身体の下半分が無くなっている。
巫女服は赤黒く染まっていて、見開かれたままの瞳は虚空を見つめていた。
「……お、お母さん……ねぇ……」
立ち上がれなかった。
這うように近づいて、お母さんの手に触れる。
まだ温かかった。でも、もう息がないのは明らかだ。
こんな状態じゃ、治癒の聖魔法を使ったところで意味がない。
無力感……? 絶望……? 悲しみ……?
自分でも、自分の感情が理解できなかった。
ただ分かるのは、視界がぼやけて歪んで、身体が震えているということだけ。
それでも、頭の片隅に引っかかって離れないものがあった。
それは、朝から感じていた違和感。
私を神社の外に連れて行こうとするかのような、いつもと違うトコヨの言動。
「ねぇ……トコヨは、知ってたの……? 今日、こうなるってこと……」
『……はい』
「……なんで言ってくれなかったの。言ってくれれば——」
『言ってくれれば、皆で逃げられたのに、ですか?』
静かに肯定してくるトコヨに思ってしまったことをそのまま言葉にすると、トコヨは私が言い淀んだ部分まで続けて言い返してきた。
その言葉に、睨みつけるようにしながら勢いよくトコヨを振り返ってしまう。
だけど、トコヨの表情は、涙をこらえるかのように歪んでいた。
『言っても、どうにもならなかったんですよ』
トコヨの声は、震えていた。
『これが何回目か、ミコトは覚えていますか? 朝、目が覚めた時に、夢で見たことは本当に起きるから逃げようと言われて……信じられましたか?』
「夢って、なにいって……」
今朝見た悪夢。
私が、竜に食い殺される——りゅ、う……?
「何、言ってるの……? あれは、夢で……」
『ミコトが夢だと思っていたことは、本当にあったんです。ミコトに本当のことをすぐに言って、信じてもらえなかったこともありました。本当に、覚えていませんか?……いい加減、現実逃避をやめてもらえないと本当にまずいんです』
そこまで言われて、この現状を見つめなおして、思い出した。
違う、思い出したなんていうのは正確じゃない。
夢だと思っていたそれが現実だったと、ようやく理解できた。
初めてじゃない。
私は、今日を何度も繰り返している。
燃える山と神社。
響き渡る竜の咆哮。
何度も見てしまった母の死と、何度も経験した、死の激痛と恐怖。
「ぁ、ぁ……なに、これ……どういう、こと……? なんで、私、死んだはずなのに……」
『……神の加護なのかなんなのか、それは私にも分かりません。ですが、アメノには……いえ、ミコトに特別な何かがあるのは確かです。現に、こうして私の姿も見えているのですから』
トコヨの考察を聞いても、理解できなかった。
私の家系、アメノ家は、確かに特別な力を持つことがあると聞いている。
妙に力が強かったり、目が良かったり。
形はその時々で違うけど、数代に一人、不思議な力を持つ子が生まれるのだと聞いている。
私も、トコヨが見えるのはその力で霊視しているんだろうなと思っていた。
でも、死んだのがなかったことになる力なんて……
『すぐに信じられないのは分かります。ですが、もう一刻の猶予もありません。今すぐに山を下りましょう。ミコトだけでも生き残らないと……』
「……っ……せめて、お母さんたちの浄化だけはさせて」
『……急いでくださいね。聖魔法の規模はなるべく小さくしてください。魔物に気づかれます』
浄化の聖魔法でお母さんたちの魂を浄化してから、神社から出た。
お母さんたちの死に際の苦悶の表情が、頭から離れない。
心を無にしないと、やってられなかった。
魔物を警戒しながら下山を始める。
下山を始めて少ししたタイミングで、甲高い悲鳴が聞こえた。
泣き叫ぶような、幼い声だった。
「こ、こないで……!! こないでよぉっ!!」
その声には、聞き覚えがあった。
「サヨっ!?」
悪夢でサヨが隠れていた場所に、彼女はいなかった。
だから、もう助からなかったのだと思っていた。
だけど、今の声は、間違いなくサヨだ。
「トコヨっ!! どこにいるか分かる!?」
『あっちの方から聞こえました! そのまま向かってください! 私が先に見てきます!!』
山の中腹の休憩所兼倉庫がある場所の方から、悲鳴が聞こえた。
トコヨが建物に向かって飛んでいくのを見ながら、走ってそちらに向かう。
倉庫の前まで到達したトコヨは、すぐさま顔色を変えて振り返ってきた。
『魔物が1匹います!! 今にも食べられそうになってます!! すぐに魔法を打ち込んでください!!』
「うん!!!」
聖魔法ですぐに光弾を飛ばせる状態にする。
トコヨを信じて、破壊された建物へ飛び込む。
入口を抜けた瞬間、黒い魔物が視界に入った。
迷わず光弾を放つ。
「光弾っ!!!」
背後からの奇襲に魔物が対処できるわけもなく、直撃して吹き飛んだ。
そのまま一気に建物の中に入って、サヨを背に庇うようにしながら魔物に向き直り、即座にまた光弾を飛ばして止めを刺す。
魔物は、動かなくなった。
「サヨ、無事で——」
「ミコト様ぁっ!!」
サヨの方を振り向いた瞬間に、飛びつくようにして抱き着かれた。
「わ、わたし、しんじゃうかと、みことさま、みことさまぁっ」
「……うん。大丈夫、大丈夫ですからね」
泣きじゃくるサヨを受け止めて、そっと背中を撫でる。
小さな身体は、まだ震えていた。
しばらくそのまま撫でてあげて、サヨが落ち着くのを待った。
「す、すみませんでした。ミコト様。ありがとうございます」
「いえ、サヨだけでも無事でよかったです。サヨはどうしてここに?」
「……お母さんたちに、子供は逃げろって、逃がされたんです。お、襲われてるのに、食べられてる人もいたのに、なのに……! でも、竜だけじゃなくて魔物まで出てきて、下山もできなくなっちゃって……」
「ここに隠れていたと……同じように逃がされたのは、他に何人いましたか」
「よ、4人です。でも、逸れちゃって……」
サヨがつっかえながらどうしてここにいたのかを教えてくれた。
確かにそれなら、ここに隠れていても不思議ではないか。
ここが一番強大な存在に襲われているというのを前提にすれば、どうにか下山して村に残っている自警団と合流できればサヨの安全は確保できると考えただろうし……
そんな風に考えていると、サヨが不安そうな顔で口を開いた。
「あの、ミコト様……お母さんたちは……」
私は、その問いかけに小さく首を横に振ることしかできなかった。
それだけでどういうことかを理解してくれたらしく、サヨの表情が絶望に染まった。
私だけに助けられたというのも、理解を助けたのかもしれない。
『ミコト、そろそろ』
『うん』
トコヨが早く下山しろと急かしてくるのに対して、内心で返事をする。
サヨと2人で竜に追いかけられた前例がある以上、長居はできない。
そのままの流れで、サヨの方に向き直った。
「神社の方には、もう生きている人はいません。皆の魂は、私が浄化しました」
言葉にすると、喉の奥が詰まりそうになった。
それでも、言わなければならない。
「私たちだけでも生き残らないと、サヨを逃がしてくれた人たちの想いまで無駄になります。他に下山した人を探しながら、下山しますよ」
「……はぃ」
暗い表情で俯いたままではあるけど、しっかりと返事をしてくれた。
そんなサヨの手を握って、下山を再開した。
集落に降りれば、なんとかなる。
そう思っていた。
いや、私が死んだ時でも、ここは実際にこれでなんとかなったこともあったのだ。
だからサヨと同じように下山しようとした子たちの遺体を見つけても、そう言い聞かせて下山を続けていた。
それなのに、下山して視界に映ったのは絶望的な光景だった。
集落を、黒い魔物たちが我が物顔でうろついていた。
人を探し回ったのだろう。
家々の戸は破られ、壁には爪痕が残り、潰れた建物まであった。
その中に、私たちは出てきてしまった。
魔物たちの顔が、一斉にこちらを向く。
逃げ道を探すより早く、黒い影が集まり始めた。
「み、ミコト様……」
「……私から離れないでくださいね、サヨ」
私たちは、魔物に囲まれてしまっていた。
山へ戻ろうにも、背後からも魔物が迫っていた。
数の少ない方へ逃げるしかなくて、気づけば集落の中まで追い込まれていた。
追い詰められた私たちに向かって、じりじりと魔物たちが近づいてくる。
聖魔法の準備をして、どうにかしなければと打開策を考え続ける。
逃走経路を探すためにトコヨには上空から俯瞰して魔物の数を見てもらっていたけど、それも意味がなかった。
集落の中は魔物だらけで、入った時点でどうしようもなくなってしまっていたようだった。
『ミコトっ!』
これまでかと覚悟を決めつつせめてもの抵抗をしようとしたところで、トコヨが合図をかけるかのように声をかけてきた。
それで気づいた。
魔物の向こう側から、人影が駆け込んでくる。
迷いのない足取りで、一直線にこちらへ向かっていた。
タイミングは今しかない。
彼の進路を塞ぐ魔物へ、光弾を撃ち込む。
直撃した魔物が吹き飛び、包囲に一瞬だけ穴が開いた。
だけど、私が抵抗したのが分かった瞬間、一匹の魔物が飛び掛かってきた。
身構えそうになったけど、その必要はなかった。
飛び掛かってきた魔物を、私が崩した包囲の穴を走り抜けた黒髪の青年、シスイが即座に切り捨ててくれた。