天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
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「騎士団長閣下!!」
バルグラント帝国軍に帯同している聖堂騎士団の駐屯地の天幕に、騎士が駆け込むと同時に声をあげた。
展開中の騎士団の情報を共有し、帝国軍との連携を図るために作戦開始のタイミングを計っている最中の出来事。
その急報の持ち込み方から尋常ならざる事態と察したラースは表情を微かに歪めた。
「どうした。帝国軍に何か問題でも起きたか」
「い、いえ。報告いたします。つい先ほど、教皇猊下からの使者が勅命を記した親書をお持ちしたとして、閣下との接見を求めてやってきました」
「なんだと?」
「いかがいたしますか……?」
「……使者は誰だ」
「司祭のシルヴィア・フェルトと名乗られています」
「ほう……? いいだろう。今すぐに会う。ここにお通ししろ。猊下からの使者だ。丁重にな」
「はっ!」
天幕にいた騎士たちにざわめきが走る中、ラースは一人小さくほくそ笑んだ。
「フェルト司祭をお連れいたしました」
穏やかな表情を浮かべた金髪の少女が怯むことなく天幕に入ってくる。
騎士たちはその様子を注視している。
当然敵意などはない。だが、歓迎しているわけでもない。
教皇猊下からの使者。
その言葉の重みを、彼らは理解している。
だからこそ、明確な指示もなく敵意など向けようはずもなかった。
少女、シルヴィアは、天幕の奥に座っているラースの目の前まで進み、静かに足を止めた。
それを確認したラースは静かに立ち上がる。
「これはフェルト司祭。ようこそおいでくださりました。つい数日前に聖都に向かう司祭にお会いしたばかりだというのに、このような場所まで。猊下も随分と人使いが荒くなられましたな」
挑発するかのような軽い物言い。
しかしシルヴィアはそれに笑みの一つを浮かべることもしなかった。
「教皇猊下の御心をお届けするのが、今の私の務めでございますので」
「なるほど。では、猊下は私にどのようなことをお求めになっているのですか?」
「こちらに」
その言葉と同時に、シルヴィアは親書を取り出し、両手で丁寧に差し出した。
控えている騎士たちの視線がその親書に集まる。
「教皇イリス・エストルンド猊下より、ラース・バスティアン騎士団長へ勅命でございます」
「拝受いたします」
封蝋をされた親書を受け取りながら、ラースは親書を携えてやってきた少女を静かに見据えた。
「お一人でこちらに?」
「はい」
「護衛もなしで?」
「教皇猊下の親書を携えた使者でございますので——聖堂騎士団の駐屯地で、護衛が必要になるとは考えておりませんでした」
その言葉を受けて、ラースの笑みが少しだけ深くなる。
「信頼していただいて光栄でございます」
「信頼ではなく、職務への敬意でございます。聖堂騎士団は教会の剣。そのような皆様の中で、使者である私が不安になるなど、それこそ失礼でございましょう」
親書の封蝋には確かに教皇の紋章が刻まれている。
それをじっと見下ろしてから、ラースは丁寧に封を切った。
そのままゆっくりと親書に目を通し始める。
そんな中でも、シルヴィアも、周囲の騎士たちも、微動だにしていなかった。
「一時停戦、および森への進軍の停止でございますか」
「はい」
「帝国軍との共同作戦についても、猊下から追って発せられる勅命を受けるまで同様にと……なるほど、随分と慎重なご判断だ」
「猊下は常に、教会、ひいては民の安寧を考えておられます」
「無論。猊下は聡明な方でございますからな」
ラースは親書から目を離し、シルヴィアをまっすぐ見据える。
「ですが、フェルト司祭。戦場というものは、聖都の会議室とは少々勝手が違います。こちらにはこちらの事情がある。魔物も、帝国軍とエルフの戦争も。いずれも放置すれば信徒に害を及ぼしかねない」
「存じております」
「それは失礼いたしました。であれば——」
「猊下は、此度必要となるであろうことを存じておられます。ゆえに、その御言葉を私がお持ちいたしました」
わざわざ遮ってまで言われたその言葉に、ラースは芝居がかった様子で少しだけ首を傾ける。
「必要となることですか」
「はい」
「猊下は、何を必要とご判断なされましたか」
「それは親書に記されている通りでございます」
「フェルト司祭」
ラースの声は穏やかだった。
「私は猊下のご命令に背くつもりなどありません。ただ、確認をしているだけです。何を懸念されているのかが分からなければ、猊下の御心を正しく汲むこともできませんから」
「御心を正しく汲む必要がおありでしたら、親書に記された命に従うのが最も確実かと存じます」
静かな返答だった。
それを受けて、ラースの笑みが薄くなった。
笑ってはいる。
だが、その奥の赤い瞳は、全く笑っていなかった。
「猊下は、ずいぶんと慎重に線を引かれる」
「越えるべきではない線を示すのも、教皇猊下の務めでございます」
「その通りですね」
ラースは畳んだ親書に手を添えた。
「教皇猊下の勅命、確かに拝受いたしました。聖堂騎士団は、猊下の御命令を重く受け止め、一時的に進軍を停止いたします」
「恐れ入ります」
「ただし、信徒および騎士団への直接的な脅威があれば、防衛行動は取らせていただく」
「当然でございます」
シルヴィアは一拍置いて続けた。
「ただし、防衛行動と進軍は異なります。森への干渉、帝国軍との共同による攻勢、ならびに猊下の勅命に抵触する行動は、防衛の名では正当化されないものと存じます」
ラースは笑みを浮かべたまま、片眉だけをわずかに上げた。
「隙がない」
「猊下の御言葉でございますので」
「フェルト司祭の補足ではなく?」
「私が補足するまでもなく、騎士団長にはご理解いただけるものと信じております」
「信じていただけるとは、光栄です」
ラースは一歩下がり、控えていた騎士に視線を向けた。
「聞いての通りだ。各隊に伝達を。現時点をもって進軍を停止。帝国軍側にも通達し、聖堂騎士団は以後私の許可なく森へ入るな」
「はっ」
騎士が即座に膝をつき、天幕を出ていく。
それを確認しても、シルヴィアは安堵を顔に出さなかった。
ラースの赤い瞳が、彼女の表情から何かを拾おうとしているのが分かったからだ。
「これでよろしいですか、猊下の使者殿」
「はい。猊下にも、バスティアン騎士団長が速やかに勅命を受諾されたとご報告いたします」
「それは助かります。猊下に誤解されては困りますからね。猊下にお伝えください。聖堂騎士団は、変わらず主と教皇猊下に忠実であると」
「確かに承りました」
シルヴィアは一呼吸置いた。
「猊下も、その忠誠が教会の法と秩序の内にあり続けることを、お喜びになるかと存じます」
ラースの笑みが、ほんの一瞬だけ確かに消えた。
次の瞬間には、また先ほどと同じ飄々とした顔に戻っているほど、刹那の間ではあったが、確かに底冷えするような無表情が浮かべられていた。
「では、そうお伝えください」
「はい。それでは、失礼いたします」
シルヴィアはもう一度礼をして、立ち去ろうとする。
その背中に、ラースの声がかかった。
「使者殿はこのまま聖都へお戻りになられる予定ですか?」
「……? はい」
「護衛もなしで?」
「はい。慎重に警戒しながらではありますが」
「それは困りますな。猊下の使者殿に何かあればそれこそ大事です。――アルステット、騎馬で使者殿を聖都までお連れしろ。使者殿は我々聖堂騎士団の職務に敬意を払ってくださったのだ。その敬意を無碍にするな」
「はっ。必ずや」
「お前はそのまま聖都の本部で待機し、猊下からの別命があれば至急知らせよ」
「承りました」
「……ありがとうございます。その旨も猊下にお伝えいたします。それでは、私はこれにて」
シルヴィアは形式的な礼を述べ、今度こそ踵を返した。
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聖堂騎士団が教皇からの命で正式に撤退を行いしばらくが経った。
聖堂騎士団バルグラント管区本部内に存在する礼拝堂で、金髪の男が跪いて胸に手を当て、目を閉じていた。
その表情は真剣そのもので、微動だにせずにその場に静止している。
それがしばらく続き、男は目を開いた。
「——されど、教皇猊下の勅命が下りました。教会の剣が、教会の秩序を裂くわけには参りません。ゆえに、此度は刃を収めました」
金髪の男、ラースはそこで、わずかに目を伏せた。
「ただ……解せぬことがございます」
低く落とした声は、報告に近かった。
「猊下は聡明であられる。フェルト司祭もまた、猊下の御心を運ぶに相応しい使徒でございました。ですが、それだけでは届かぬはずです。何が、どこから、猊下の耳に触れたのか。猊下の慧眼ならば敬意を。何者かの囁きならば、いずれ原因を私の手で見つけだしましょう」
ラースはそこで言葉を切って静かに息を吐き、深く頭を垂れた。
「寛大なる御判断に感謝を。ならば私は、教会の剣として待ちましょう。次なる御声を」
そこまで言ったところで、ラースは静かに立ち上がった。
それと同時に、礼拝堂に深緑の髪と目、左頬に小さな古傷がある男が入ってきた。
「失礼いたします。騎士団長閣下に帝国との調整の件でご相談があるのですが、よろしいでしょうか」
「……バネールか。騎士長室で話を聞こう」
2人はそのまま連れ立って礼拝堂を出ていく。
そして、騎士長室に入ってすぐに、ラースが静かに口を開いた。
「バネール。お前に一つ聞きたいことがある。緊急の枢機卿会議が行われていた時間帯に、聖都の街中で深緑の髪と目、左頬の古傷を持つ騎士を、焦り取り乱した神官が探していたという目撃情報がある。この特徴を持つ騎士はお前以外にいないと私は思っている。相違はないか」
「……相違はないと思われます。色だけならばともかく、古傷まで合致するのは私くらいかと」
その言葉を受けて、ラースはわずかな間瞑目する。
「私は、この目撃情報が今回の勅命に絡んでいると読んでいる。枢機卿会議に何らかの急報が持ち込まれ、現地で確認できる可能性があるために捜索していたのではないかとな。例えば……お前が何らかの情報を聖都の街中で零していたといったような急報だとしたら。現に、真偽は怪しいがその容姿の者が何らかの不安を漏らしていたりしていなかったかを確認していたなどという目撃情報まである程だ」
「っ!? か、閣下!? 私をお疑いになられているのですか!?」
ラースから淡々と告げられた内容に、バネールは驚愕した様子を露わにして取り乱した。
「そんなわけがないだろう。お前は私とともに実行日の数日前に聖都を離れ、そのまま駐屯地に入った。疑う余地などありはしない」
「そ、そうですか……安心しました。それでは、何をご不安に思われているのですか?」
「なぜわざわざ神聖派の中でも有力な騎士長であるお前をだしに使われた形跡があるのかという話だ。教会上層部の私たちの目的への気付きとつながりがあるとしか思えない。そしてそれは、そのような虚言を弄さなければ情報を共有、信頼形成ができない立場の者の関与がなければあり得ない」
「つまりは……?」
恐る恐る聞き返すバネールに、ラースは小さく笑みを浮かべた。
「今回の件で使者になった者の情報だけは容易に取得できた。私たちにはフェルト司祭……いや、もう司教だったか。そして、エルフにはアメノなどという異教徒だ」
「……一応、猊下の信任は得られた者のようですが」
「ふっ、そうだな。だが……通常ではありえない抜擢だ。この2人の内どちらかが、上層部の異常な情報把握に関与している可能性が高い。そうは思わないか、バネール」
「……ご慧眼かと思います。それはよろしいのですが、なぜそれを私に?」
「なに、簡単なことだ。お前に道化を演じてもらいたいのだよ。万が一聖樹派の輩が、お前が揺らいでいると判断して接触してきた場合にな」
「それは……」
底冷えするような目でほくそ笑むラースに見据えられたバネールは、静かに冷や汗を流した。