天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~   作:あじのふらい

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EX2-6 リオレ大森林西部戦線

リーゼたちを置いていった集落に若干気がそれてしまいながらも大人たちを連れて走り続けたセレーヌは、戦場に辿り着いた。

リーゼたちを見送る時間などなかった。

帝国軍はすでに進軍を開始し、森を焼き、外縁を押し潰し、幾重もの包囲でリオレ大森林を締め上げている。

遠くからは木々の焼ける音と、怒号と、甲冑の擦れる音が絶え間なく響いていた。

 

リーゼ。

まだ幼く、優しく、理想を信じる娘。

王女としては未熟でも、次代へ繋ぐべき希望そのものだった。

だからこそ、送り出した。

教会の使者が本当に信じるに足る者なのか、セレーヌには最後まで分からなかった。

親書に記されていた言葉も、保護の申し出も、あまりにも都合が良すぎるとしか感じられなかった。

今この森を焼いている帝国軍の傍らには、同じ教会の聖堂騎士団がいたのだ。

信じろと言う方が無理だった。

 

だが、リーゼとフレスベルグが信じた。

使者を追い返し、リーゼたちを私たちの背後に隠し、子供たちだけで脱出させても勝算はほぼ見えなかった。

だからこそ、女王として賭けるしかなかった。

 

「女王陛下」

 

背後から声がかかる。

振り返ると、弓を手にした年長のエルフが立っていた。

片腕は血に濡れ、肩口には包帯代わりの布が巻かれている。彼だけではない。

既に前線で戦っていた者たちは、誰もが傷を負っていた。

それでも、逃げようとする者はいなかった。

 

「配置は」

 

「終わりました。北側の谷筋に3人。南の倒木帯に五人。残りは陛下の指示どおり、帝国軍の主力を誘い込む位置に」

 

「分かりました」

 

セレーヌは静かに頷いた。

勝つための布陣ではなかった。

勝てるはずがない。

そもそも、勝敗を論じられる段階などとうに過ぎている。

帝国軍は数で勝り、装備で勝り、戦場慣れした兵の練度でも勝っていた。

森の加護と風の魔素に親しんだエルフたちであっても、正面から押し返すことなどできない。

 

だからこそ、これは遅滞戦闘だった。

一歩でも帝国軍を遅らせる。

一刻でもリーゼたちを遠ざける。

大人たちがどうなったとしても、子供たち、エルフの未来だけでも紡ぐこと。

ただそれだけを目的とした戦いだった。

使者が来たおかげで、その戦いに微かな勝算が生まれたというだけのこと。

本来ならあり得なかった勝算。

たとえ落ち着いて話した場合に他のエルフたちが賛同しなかったとしても、緊急判断をしなければならない女王として、その勝算を投げ捨てることはできなかった。

 

今、セレーヌの目の前には最前線で戦っている者を除いたエルフたちが揃っている。

共に森に残ることを選んだエルフたちが。

誰もが、この戦いに勝てるとは思っていない。

それでも逃げなかった者たちだった。

 

「皆、聞きなさい」

 

セレーヌの声に、周囲のエルフたちが一斉に顔を上げる。

 

「この戦いは、勝つためのものではありません。リーゼ、子供たち、そしてフレスベルグを逃がすための時間を稼ぐ戦いです」

 

その言葉に、誰も異を唱えなかった。

 

「もし、戦いが終わった後に生き残ることができた者がいたならば、その時は世界樹へ向かいなさい」

 

わずかに、空気が揺れた。

それは命令であると同時に、敗北を前提とした言葉だった。

だが、セレーヌは目を伏せなかった。

 

「子供たちは、世界樹の麓に向かいました。あの親書が真実である保証はありません。ですが、リーゼたちはそこへ向かったのです。故に、生き残ることができた者がいたならば、同じ場所を目指しなさい」

 

「陛下は……」

 

誰かが声を漏らした。

問いの続きは、誰もが分かっていた。

セレーヌは静かに首を横に振る。

 

「皆に子供のために死ねと命じた女王が、最前線に立たぬわけにはいきません。この森の女王であるハイエルフは、あちらにとっても揺るがぬ脅威に変わりはないはず。いなくなれば帝国軍はすぐに追撃へ移るでしょう。ですが、私がここにいる限り、敵は私を無視できません」

 

セレーヌは杖を握りしめる。

風が彼女の緑色の髪を揺らした。

 

「私が生き残ることがあれば、私も世界樹へ向かいます。ですが、もし私が倒れたならば、私を探してはなりません。遺体を拾おうとしてもなりません。弔おうとしてもなりません」

 

その言葉に、何人かが息を呑んだ。

セレーヌ自身も、胸の奥が痛んだ。

けれど、言わなければならなかった。

 

「生き残った者は、生きることだけを考えなさい。そして子供たちの無事を確かめ、新しき女王を盛り立てなさい。大人として、心優しくも王として立つには足りぬあの子を助けるのです」

 

女王としての命令に、母としての願いが混ざった。

それでも、誰もその弱さを責めなかった。

年長のエルフが、静かに膝をつく。

 

「御意。女王陛下」

 

それに続き、一人、また一人と頭を垂れる。

セレーヌはその光景を目に焼き付けた。

これが、最後になるかもしれない。

ならば、なおさら忘れてはならない。

 

「帝国軍を奥へ通してはなりません。ですが、無意味に命を捨てる必要もありません。少しでも長く、一歩でも多く、敵をこの森に縫い止めます」

 

セレーヌは声を整えた。

 

「配置につきなさい」

 

エルフたちは立ち上がり、それぞれの持ち場へ散っていく。

そんな中、女王に一人の年老いたエルフが近づいていく。

 

「あまり一人で抱え込まれるな。女王陛下」

 

「……ベルナール殿……」

 

「確かに、先ほどの王女殿下への言葉も、今の言葉も、かつて森を無邪気に駆け回っておったお主からは考えられんほどの成長ではある」

 

「ベルナール殿。そんな昔のお話を持ち出されましても……私ももう500歳なのですが」

 

「儂にとってはつい最近のことだ。500歳など、まだまだ未熟者のひよっこに過ぎん。お主が王女を導いてやらんでどうする。あの王女と同じように無邪気に育ちながらも、このように王の風格を持つようになったお主以上に、王女を正しく養育できるものはおらん。お主自身が生き残る可能性を捨てるでない」

 

「ですが、それでは示しが——」

 

「儂にとってはお主もリーゼと変わらぬ存在であるということだ。確かに気は重かろう。だが儂ら年寄りこそがここで命を懸けるべきなのだ。抱え込まずに儂らを頼れと言っているのだよ、セレーヌ」

 

「っ……ありがとう、ございます。ベルナール叔父様」

 

「ほほ。任せなさい。——西部最前線に、音に聞く帝国の双璧がいる。儂がそれを抑える役目を担おう。なに、数刻は苦しませることを約束しよう。お主はどんと構えておれ」

 

「……はい。感謝いたします」

 

帝国の双璧。

森から出ることがほとんどないエルフたちにすらその勇名が轟く、バルグラント帝国が誇る武力の頂点。

曰く、皇帝から軍の全権を委任された忠義の騎士。

曰く、軍事帝国にあって並び立つ者なしとされる武の極致。

曰く、その者を前にしただけで敵兵が武器を捨て投降したという逸話を持つ者。

尾ひれのついた噂に過ぎない部分があるとしても、戦場で向き合えば死を覚悟しなければならない存在。

その者を相手に数刻は足止めして見せると言って見せたエルフの賢者は、にこやかな笑顔を浮かべて前線へ向かった。

 

セレーヌは一度だけ、リーゼたちを置いていった森の奥を見た。

どうか、辿り着いて。

そう願い、すぐに視線を前へ戻す。

母の顔は、そこで消えた。

リオレ大森林の女王として、セレーヌは迫り来る帝国軍を迎え撃つために歩き出した。

 

 

 

セレーヌは杖を握りしめる。

風が応えるように、彼女の周囲を渦巻いた。

リオレ大森林の風。

フレスベルグと共に長き時を過ごしてきた森の風。

焼け焦げた匂いが混ざっていても、それはなおセレーヌたちの味方だった。

 

「——皆のためにも、始めましょう」

 

セレーヌが告げると同時に、森の奥から風が奔った。

森を防衛線として抗うエルフたちから矢が放たれる。

木々の合間を縫うように飛んだ矢は、帝国兵の足元や盾の隙間を狙い、進軍の列を乱した。

致命傷を狙うよりも、足を止めることを優先した射撃だった。

帝国兵たちはすぐに盾を掲げ、隊列を組み直す。

その判断は早い。

怯む兵はいても、崩れる部隊は少ない。

少しでも長くこの者たちの足を止めるには、相応の力が無ければ敵わない。

そしてそれは、ハイエルフたるセレーヌの務めでもある。

 

「風よ、私に力を——森を渡る息吹よ、天を翔ける翼よ。静かなる梢に眠る風を呼び覚まし、蒼穹に満ちる嵐をこの地へ降ろせ……森を焼く者たちに、空の重さを思い知らせよ」

 

セレーヌが掲げた杖の先で、風が止まった。

 

燃える森の熱気も、帝国兵の怒号も、馬の嘶きも、一瞬だけ遠ざかったように思えた。

 

「吹き荒べ、翠の嵐。天より堕ちて地を打ち砕け——ヴェルデ・カラミティ」

 

次の瞬間、帝国軍の頭上で空が鳴った。

見えない巨人の掌が振り下ろされたかのように、前列の兵士たちが盾ごと地面に叩きつけられる。

槍の穂先が一斉に跳ね上がり、隊列が波打つように崩れた。

踏み止まろうとした兵の足元を、横殴りの風がさらう。

倒れた兵が後列の兵を巻き込み、騎馬が暴れ、号令は土煙と風音に呑まれて消えた。

 

「隊列を保て!」と叫ぶ士官の声すら、次の突風に押し潰される。

 

帝国軍の進軍は止まった。

——止まっただけではない。

整然としていたはずの戦列が、森に近づいた瞬間から嵐の中に放り込まれたように乱されていた。

 

 

 

日が昇っても、戦況は変わらなかった。

セレーヌがどれだけ魔術を放っても、徐々に押し込まれていく。

森の延焼は続き、防衛陣地すらも保てなくなる。

エルフの圧倒的不利。それを覆す術は存在しない。

当初の予想通りという他にない状況だった。

そして、ついに、セレーヌの目前に一人の男が現れてしまう。

セレーヌの魔術に近づくことすらできていなかった帝国兵たちが、道を譲るように左右へ割れる。

 

「風よ!!」

 

セレーヌが叫ぶ。

同時に、男が踏み込んだ。

速い。

重装の騎士が出せる速度ではなかった。

生き残っていた数少ないエルフの一人が反応しきれず、剣圧に呑まれた。

刃そのものが触れるより先に、鎧も肉体も断ち割るような一撃が奔る。

悲鳴を上げる暇すらなく、そのエルフは地面に崩れ落ちた。

次の瞬間には、もう一人が斬られていた。

 

「っ……!! ウィンドヴェール!!」

 

セレーヌは叫び、風の壁を展開した。

彼女の前方に半透明の防壁が広がる。

本来なら、矢も魔術も弾く風の守り。

だが、男の剣はそれを真正面から叩き割った。

風が裂ける。

セレーヌは咄嗟に後退し、刃を避ける。頬に浅い切り傷が走り、緑の髪が数本宙を舞った。

 

「見事な魔術だ」

 

男が言った。

声に嘲りはない。

純粋な評価だった。

 

「この状況で、なお民を兵として機能させている。貴殿が女王か」

 

「えぇ。私がエルフの女王、セレーヌ・リュクレース・エル・フェリークです」

 

「ヴィルヘルム・ベルクシュタイン。皇帝陛下より、この軍の全指揮を預かっている」

 

名乗りは短かった。それで十分だった。

帝国の双璧の片割れとエルフの女王。

この言葉の応酬だけで、お互いの個体認識は終わっていた。

セレーヌは杖を構え直す。

 

「ならば、退きなさい。これ以上この森を侵すことは許しません」

 

「それはできん」

 

「——そうでしょうね」

 

分かっていた。

言葉で止まる相手なら、初めから森は焼かれていない。

セレーヌは深く息を吸った。

胸の奥が焼けるように痛む。魔力の消耗は限界に近い。先ほどから指先の感覚も鈍くなっていた。

それでも、退けなかった。

彼をここで足止めできなければ、残った同胞はさらに殺される。

そして、リーゼたちの逃走路へ近づかれる。

 

「風よ——」

 

セレーヌの魔力が膨れ上がる。

周囲の灰が一瞬で吹き飛び、焼けた森に強烈な旋風が巻き起こった。

 

「天翔ける翼よ、我が民を守る刃となれ」

 

風が幾重にも重なる。

単なる刃ではない。

細い風の糸が無数に広がり、ヴィルヘルムの動きを縛るように走る。見えない刃が甲冑に触れ、表面を削り、隙間へ潜り込もうとした。

 

ヴィルヘルムは動じない。

剣を低く構え、一歩踏み込む。

その一歩で、足元の地面が抉れた。

セレーヌの風が彼を押し返そうとする。

だが、押し返せない。

 

「くっ……!」

 

セレーヌは杖を両手で握り、さらに魔力を注ぎ込んだ。

周囲の木々が軋む。

風は渦となり、竜巻に近い規模へ膨れ上がっていく。帝国兵たちが後退し、エルフたちも巻き込まれぬよう距離を取った。

ヴィルヘルムの歩みが、わずかに鈍る。

初めて、彼の表情が変わった。

 

「なるほど」

 

次の瞬間、ヴィルヘルムは剣を振り上げた。

魔力と魔素の奔流に対して、真正面から刃を叩きつける。

その瞬間、風が爆ぜた。

セレーヌの術式が乱れる。

術が破られたわけではない。けれど、術の中心を読まれ、魔素の流れそのものを断ち切られた。

あり得ない。

 

魔術師ではないはずの男が、力任せではなく、術の要を見抜いた。

セレーヌの身体が衝撃で吹き飛ばされる。

背中から木の幹に叩きつけられ、肺の空気が抜けた。

 

「陛下!」

 

駆け寄ろうとしたエルフの声が聞こえる。

 

「来てはなりません!」

 

セレーヌは叫んだ。

だが、その声よりも早く、ヴィルヘルムが動いていた。

駆け寄ろうとしたエルフの一人が斬り伏せられる。続けて、セレーヌを庇おうと前に出た者も倒れた。

一人。

また一人。

ヴィルヘルムが進むたび、エルフが死んでいく。

その光景に、セレーヌの胸が潰れそうになった。

自分が守るべき民。

共に笑い、共に森を育み、フレスベルグと共に生きてきた同胞。

その命が、目の前で次々と刈り取られていく。

 

「やめなさい」

 

セレーヌは立ち上がった。

足が震えている。

血が喉に絡む。

それでも、少しでも民が生き残る可能性を増やすために立ち上がった。

 

「あなたの相手は、私です」

 

ヴィルヘルムがセレーヌを見る。

周囲の帝国兵も、エルフたちも、一瞬動きを止めた。

セレーヌは杖を構える。

もう大規模な術は使えない。

使えば、身体がもたない。

それでも、全てを注ぎ込むしかなかった。

 

「……リーゼ」

 

泣きながら訴えていた娘。

皆で逃げたいと、誰も見捨てたくないと、あまりにもまっすぐな願いを口にした娘。

その優しさが、いつか民を導く光になることをセレーヌは知っていた。

だから、ここで終わるのは自分でいい。

リーゼが生きていれば、エルフの未来は絶えない。

 

「風よ——」

 

セレーヌの髪が舞い上がる。

残された魔力の全てが、杖の先へ集まっていく。

ヴィルヘルムもまた剣を構えた。

逃げ場はない。

防ぐ手段もない。

恐らく、次の一合で決まる。

セレーヌは死を覚悟した。

 

その時だった。

 

「ベルクシュタイン閣下! 戦闘をおやめください!!」

 

森の外縁から、騎馬の伝令が駆け込んできた。

帝国兵が道を開ける。

泥と灰にまみれた伝令は、馬から飛び降りるようにして片膝をついた。

 

「皇帝陛下より勅命! 即時攻勢を停止し、一時停戦せよとの御命令です!」

 

戦場が静まり返った。

燃える木の弾ける音だけが響く。

ヴィルヘルムは剣を構えたまま、伝令を見た。

 

「——理由は」

 

その言葉を聞いた伝令は、ヴィルヘルムに駆け寄ってセレーヌ達には聞こえない程度に声を抑えて言葉を続けた。

 

「聖都より派遣された枢機卿との交渉により、陛下が一時停戦を御裁可なされました。要求は、エルフおよび聖獣の保護に関するもののみ。領土問題には踏み込まぬ故、これ以上の被害拡大は看過できぬ、とのことです」

 

ヴィルヘルムはしばし沈黙した。

その表情から感情は読めない。

戦場の誰もが、彼の判断を待っていた。

皇帝から前線の全指揮を委任されている男。

この場で命令を握る男。

その彼が、ゆっくりと剣を下ろした。

 

「全軍、攻勢停止」

 

短い命令だった。

だが、帝国軍は即座に動いた。

 

「負傷者を収容しろ。隊列を再編。森から下がる。追撃はするな」

 

ヴィルヘルムの声が戦場に響く。

帝国兵たちは戸惑いを見せながらも、命令に従った。散開していた兵が戻り、負傷者が担架に乗せられ、盾が引かれていく。

セレーヌは呆然とその光景を見ていた。

帝国軍が退いていく。

 

空はもう明るかった。

夜明けなどとっくに過ぎていた。

木々の向こうから差し込む陽光は高く、焼け焦げた森の灰を白く照らしている。

どれほど戦い続けていたのか、セレーヌには分からなかった。

ただ、朝が来てもなお終わらなかった地獄が、唐突に途切れようとしていた。

ヴィルヘルムがセレーヌへ視線を向ける。

 

「一時停戦だ。皇帝陛下の御命令である以上、こちらから手は出さん。陛下の恩情に感謝し、引かれるがよかろう」

 

「……それを、信じろと?」

 

「信じる必要はない。ただ、こちらは命令に従う」

 

ヴィルヘルムはそれだけを告げ、背を向けた。

セレーヌは杖を握りしめたまま、その背を見送る。

撃つべきだったのかもしれない。

今なら背を向けている。

だが、セレーヌの身体は動かなかった。

魔力が尽きているからではない。

彼の言葉に嘘がないと、理解してしまったからだった。

 

帝国軍は本当に退いていく。

森を焼き、同胞を殺し尽くそうとしていた軍勢が、皇帝の勅命一つで規律正しく後退していく。

その整然とした動きが、かえって恐ろしかった。

しばらくして、戦場に残ったのはエルフたちだけになった。

しかし、残ったと言うにはあまりにも少なかった。

 

「生きている者は、集まりなさい」

 

セレーヌは声を張った。

掠れた声だった。

それでも、生き残った者たちは反応した。

焼けた木陰から。倒木の影から。血に濡れた草むらから。

一人ずつ、よろめきながら姿を現す。

数えるまでもなかった。

当然、ベルナールの姿もここにはなかった。

セレーヌは一人ずつ名を呼び、怪我の状態を確認し、立てない者には肩を貸すよう指示した。

最終的に、彼女の前に集まった者は17人。

セレーヌを含めて、18人。

それが、リオレ大森林に残って戦ったエルフの生存者だった。

誰も声を上げなかった。

泣き叫ぶ力すら残っていない者もいた。

呆然と帝国軍が去った方角を見る者。倒れた同胞の側に膝をつく者。弓を握ったまま、指を開けなくなっている者。

セレーヌはその全てを見た。

見なければならなかった。

 

「……帝国軍は撤退しました」

 

静かに告げる。

その言葉を聞いても、歓声は上がらなかった。

勝ったわけではない。守れたわけでもない。

失ったものが多すぎた。

 

「教会上層部が親書で伝えてきたことに、嘘はなかったようです」

 

セレーヌは言葉を続けた。

使者が持ってきた親書。

エルフと聖獣の保護。

この状況に至って勅命で引くなど、何らかの外部からの干渉が無ければあり得ない。

そこまできて、ようやくあの親書は信じられると判断ができた。

 

「私たちは、世界樹を目指します」

 

何人かが顔を上げた。

 

「リーゼたちの無事を確かめます。子供たちとフレスベルグが、使者と共に辿り着けたのかを確認しなければなりません。森を離れることに異を唱える者もいるでしょう。ですが、今の私たちだけでは、この森で生き続けることすら困難です」

 

セレーヌは焼け焦げた森を見渡した。

かつて暖かく、荘厳で、風の魔素に満ちていた故郷。

フレスベルグと共に笑い、子供たちが木々の間を駆け回っていた森。

その多くが焼けていた。

 

「死者を弔う時間は、今はありません」

 

言葉にした瞬間、胸が裂けそうになった。

だが、言わなければならなかった。

 

「それでも、魂まで置き去りにするわけではありません。私たちが生きている限り、彼らの名は失われません。だから今は、生き残った者を連れて進みます」

 

「御意。女王陛下」

 

一人が膝をつくと、他の者たちも続いた。

立っているのがやっとの者も、弓を支えにしながら頭を垂れた。

セレーヌは目を閉じる。

泣くことは許されない。

王族は涙を見せるものではない。

その教えが、今まさにセレーヌ自身に返ってきていた。

 

「負傷者を中央に。歩ける者は交代で支えなさい。水と食料は持てるだけで構いません。周辺に他に生存者がいないかを探し、帝国軍が完全に離れたことを確認し次第、出発します」

 

「はい」

 

セレーヌは焼けた森に背を向けた。

母として、女王として、残された17人を連れて。

リーゼたちが向かった、世界樹の麓を目指して歩き出した。

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