天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
「っ!!」
「っ、と……相変わらず鋭いな」
シスイが隙と判断した箇所に振りぬいた木剣を、ライルは大剣を模した木剣で器用に弾いて見せた。
硬い木材同士がぶつかる乾いた音が辺りに響く。
その弾かれた拍子に、シスイに隙が生まれていた。
「だが、速くて鋭けりゃ、それだけでいいってもんでもねぇだろ!」
「っ——」
目の前で止められた大振りの木剣を見据えて、シスイは息を呑んだ。
その表情は微かに歪んでいて、いつもの様子でないのは明らかだった。
「……どうしたんだよシスイ。いつもより打ち込む場所の判断が雑……というよりもただ早いだけの剣になっちまってる。こうまでおざなりだと、せっかくのシスイの鋭さを活かせねぇだろ」
「……」
「どうした? なんか焦ってんのか?」
「……そう、見えたか」
シスイは目の前で止められた大振りの木剣から視線を外せなかった。
ライルの木剣は、寸止めとはいえ首筋のすぐ横にある。
少しでもライルが加減を誤れば、それだけで首の骨を砕きかねない距離。
それなのに、シスイの意識はそこではなく、自分が踏み込んだ瞬間に生まれたはずの隙の方へ向いていた。
隙。
そう判断した。
だが、違った。
あれは隙と呼べるほどのものではなかった。
ほんのわずかに重心が移り、ほんのわずかに剣先が遅れたように見えただけ。
それでも、今のシスイには飛び込まずにはいられなかった。
「焦っているんだと、思う……」
「……やっぱりか」
ライルが木剣を引き、肩に担ぎ直す。
いつもの軽い調子のようでいて、その目は真剣だった。
「理由は?」
「この前の、フードの女のことだ」
そう口にした瞬間、嫌でも思い出してしまった。
月を背にして立つ、無機質な女。
剣と槍を携えた、卓越した技術を持つ者。
隙はあると思った。
実際に剣だけであれば、圧倒されながらも突破されることはないだろうと判断できた。
だが、槍が増えた瞬間に、話が変わった。
隙と見て飛び込んだ先で、意識の外から放たれる攻撃。
こちらの剣筋も、呼吸も、距離も、全て読まれているような圧迫感。
剣を防ぎ、槍を防ぎ、ただただ圧倒され……そして崩され、ミコトとリーゼがいなければ、ライルたちがくるまでシスイ自身が生きていたかすら怪しい。
ミコトの光弾がなければ、あの時シスイは間違いなく殺されていた。
リーゼの風魔術がなければ、自分の前面にフードの女を留めておくことすらできなかった。
ライルたちが駆けつけなければ、間違いなく誰かが死んでいた。
自分は、守ったのではない。
守られながら、どうにかその場に立っていただけだった。
「俺は……あの女の攻撃を、捌き切れなかった。卓越した二刀流に、対応しきれなかった。それどころか、反応すらし切れていなかった。ミコト様たちの援護がなければ、俺はっ……!」
「……あいつは俺でもきつかったと思うぞ」
「そうだとしても……!」
シスイは、強く言葉を重ねた。
「それでも、俺はミコト様を守るためにいた。シルヴィアさんに、必ずやミコト様をお守りするなんてでかい口を叩いたのに……! それなのにこの体たらく——これじゃあ胸を張って守れたなんて言うことはできない……!」
ライルは何も言わなかった。
シスイは握っていた木剣の柄に力を込める。
指が痛むほど力を込めても、胸の奥の焦燥は消えてくれなかった。
「だから、もっと速くなればいいと思った。もっと鋭く踏み込めればいいと思った。あの女みたいな相手でも、ほんの少しの隙に決定打を叩き込めるなら、対抗できるんじゃないかと思ったんだ」
「それで、今みたいに隙とも言えねぇ場所に突っ込んだわけか」
「……ああ」
言葉にしてしまうと、シスイ自身でも無茶だと分かった。
だが、何もしないでいる方が耐えられなかった。
立ち止まっている間にも、ミコトは前に進んでしまう。
また危険な場所へ行ってしまう。
その時、自分がまた守られる側に回るなど、あってはならない。
その言いようもない焦燥感に駆られた結果の無茶だった。
「シスイの気持ちは分かる」
ライルはそう言って、地面に腰を下ろした。
訓練用に整えられた集落外れの空き地には、木剣を打ち合わせた乾いた音の余韻だけが残っている。
「俺も、似たようなもんだからな」
「……ライルも?」
「ああ。俺だって伸び悩んでる。黒竜とやり合った時も、隊長のアンデッドとやり合った時も、あれで結構掴みかけた感覚はあったんだ。相手の剣を受け止めるんじゃなくて、受け流して、崩して、押し返す。隊長に昔叩き込まれたことを、ようやく少し実践できた気がした」
隊長。
その言葉を口にした時、ライルの表情がわずかに翳った。
ソルミア王国の近衛隊長。
ライルにとって、師であり、上司であり、最後まで消えない何かを残した人物。
シスイは余計な口を挟まずにライルの近くに座って、静かに耳を傾けた。
「けど、思い出せるのと、実践できるかは別なんだよな。隊長ならこう言うだろうとか、こう動いただろうとか、そういうのは頭に残ってるし、大体想像もできる。だけど、それを今の俺がどう形にすればいいのかが分からねぇ」
ライルは大振りの木剣の柄を軽く叩いた。
「俺の武器は大剣だ。隊長が使ってた剣と盾とは違う。体格も違う。戦い方も違う。真似だけじゃどうにもならねぇ。でも、自分一人で噛み砕こうとしても、限界がある」
「……ライルでも、そうなのか」
「俺でもってほど大したもんじゃねぇよ。俺だってまだ18だ。俺は元近衛兵ってだけで、まだまだ何もかも足りてねぇ。誰かに教えられるほど偉くもねぇし、シスイと一緒に鍛錬するったって、結局一緒に剣を振るくらいしかできねぇ」
その言葉は、妙に胸に落ちた。
シスイとライルは戦い方がまるで違う。
シスイは細く速く、隙を見極めて、その隙を突く。
ライルは重く強く、受け止め、押し返し、道を切り開く。
互いに参考にはなっても、互いの正解をそのまま渡せるわけではない。
ライルは誰かを守れる騎士を志し、シスイはミコトを守るために剣技を磨いているという似たような目標を持っていても、それは揺るがぬ事実だった。
「……師匠が欲しいな」
シスイがぽつりと呟くと、ライルが目を瞬かせた。
それから少し遅れて笑い始める。
「ははっ、分かる。すげぇ分かる。俺も欲しい」
「笑うところか?」
「いや、笑うだろ。男2人で真面目な顔して、師匠が欲しいって」
「真面目な話だ」
「だから笑ってんだよ。真面目に、どうしようもねぇくらい欲しいからな」
ライルは立ち上がり、大振りの木剣を構え直した。
「でも、隊長はもういねぇし、シスイにとってもそれは同じだ。なら、いないなりにやるしかないだろ」
「……ああ」
「ただし、今のシスイみたいな突っ込み方はなしだ。速さを上げるのはいい。鋭さを磨くのもいい。けど、判断が雑になったら死ぬ。守りたい相手を残して、先に死ぬことになる。お前が死んで敵を通したら、その時は、お前が守っていたミコトも死ぬ……それはダメだろ?」
その言葉に、シスイは奥歯を噛み締めた。
一番言われたくない言葉だった。
だが、一番言われるべき言葉を、友が叩きつけてくれていた。
「……分かった」
「よし。じゃあ次は、俺があえて小さい隙を見せる。ただし、本当に踏み込むべきかどうかを判断しろ。行けると思ったなら来い。違うと思ったなら来るな。剣速より先に、目を鍛える」
「分かった」
「それと、俺も試したいことがある。シスイの速い打ち込みを、ただ弾くんじゃなくて、流して崩す。隊長がやってた動きの真似事だ。遠慮なく来い」
「遠慮なんてしたことはない」
「言うじゃねぇか」
にやりと笑った2人は再び向かい合う。
シスイは息を整えた。
速く。鋭く。
それも確かに必要だ。
だが、見ること。見極めること。
焦りで踏み込むのではなく、自分の意思で踏み込むこと。
そちらの方が大事だと、友が教えてくれた。
ライルの重心がわずかに揺れる。
肩が落ちる。剣先が遅れる。
先程なら、迷わず飛び込んでいた。
だが、今は違う。
その奥に、大振りの木剣を返すための余裕が残っているのが見えた。
踏み込まない。
シスイが一歩だけ横に流れると、ライルの木剣が空を切るようにわずかに動いた。
「……今の、誘いか」
「おう。よく止まったな」
「危なかった」
「危なかったで止まれたなら上等だな。次だ」
そこからの鍛錬は、派手さこそなかった。
互いに踏み込み、止まり、受けて、流して、崩す。
何度も木剣を打ち合わせ、何度も失敗した。
シスイは何度も誘いに乗りかけた。
ライルは何度も受け流し損ねて、シスイの木剣を力任せに弾いてしまった。
その度に2人で動きを止め、何が悪かったのかを言葉にする。
「今のは俺が急ぎすぎた」
「いや、俺の流し方も雑だった。隊長なら多分、もっと手首を柔らかく使ってた」
「もう一度」
「ああ、もう一回だ」
同じことを繰り返す。
少しずつ、ほんの少しずつだけ、打ち合いの質が変わっていく。
だが、やはり限界はあった。
「……これ以上は、俺たちだけだと答え合わせができないな」
しばらく打ち合った後、ライルが息を吐きながらそう言った。
「そうだな。間違った方向に進んでいても、気付けないかもしれない」
「やっぱり駄目なところを指摘してくれる実力者が必要だな」
「……つまり、師匠か」
二人で真剣に頷き合う。
その光景が少しおかしかったのか、ライルがまた笑った。
シスイも、わずかに口元を緩めた。
その時だった。
「シスイー!」
聞き覚えのある声が、広場の端から響いた。
シスイの身体が固まる。
反射的に振り向くと、そこには小さな包みを両手で抱えたミコトがいた。
その隣には、にこにこと楽しそうな笑みを浮かべたシルヴィアもいる。
「ミコト様……?」
「鍛錬中にすみません。少しお時間大丈夫ですか?」
「は、はい。もちろんです」
シスイは慌てて木剣を脇へ置き、姿勢を正した。
ついさっきまでライルと汗を流して打ち合っていたことを急に意識してしまい、少しだけ居心地が悪くなる。
ミコトはそんなシスイの様子に気付いているのかいないのか、包みを大事そうに抱えたまま近づいてきた。
彼女はシスイの近くまでたどり着くと、彼を見上げてからにこやかに笑顔を浮かべた。
「この前、使者をした時に守っていただいたお礼をしたいと思いまして。シルヴィアさんに教えていただきながら、お弁当を作ってみたんです」
「お、俺に、ですか?」
「はい。鍛錬をしていると聞いたので、差し入れならちょうどいいかなと思って」
差し出された包みを前に、シスイは固まってしまった。
受け取っていいのか。
本当に自分が受け取っていいものなのか。
そもそも自分の方が命を救われた場面すらある。
にもかかわらず、礼を言われる資格などあるのか。
そんな思考が一瞬で頭の中を埋め尽くす。
「……俺は、礼を言われるようなことは」
「へ……? なに言ってるんですか?」
ミコトは、きょとんとした表情を浮かべていた。
それこそ、なぜそんなことを言うのかを心底理解できないというかのような、不思議そうな表情を浮かべていた。
「シスイがいてくれたから、私はリーゼちゃんたちを連れて無事に帰って来ることができました。シスイがいなければ、私たちは間違いなく殺されてしまっていたと思います。あの時、私たちを守ってくれてありがとうございました」
その言葉に、胸が詰まった。
自分では守れなかったと思っていた。
けれど、ミコトはそうではないと言う。
その穏やかな目は、疑いようもなく本心を映していた。
「……ありがとうございます。大切に、いただきます」
「そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ。お口に合うか分かりませんけど……」
「ミコト様が作ってくださったものなら、必ず美味しいです」
「えっ。ま、まだ食べてないのにですか?」
「はい」
「そ、そうですか……? 一応、シルヴィアさんに教えてもらいながら作ったので、最低限の味の保証はできているとは思いますけど……」
ミコトが少し困ったように笑う。
その顔を見て、シスイはようやく自分が即答してしまったことに気付いて、わずかに視線を逸らした。
その様子を、少し離れたところで見ていたライルの横に、シルヴィアがすっと並んだ。
「……これは、なかなかですね」
「何がだ?」
「ライルさんはどう思いますか?」
「どうって……ミコトがシスイに弁当作ってきたんだろ。いい話じゃねぇか」
シルヴィアはにこにことしたまま、ライルを見上げた。
「ええ。とてもいいお話です。それこそ、物語の定番とも言えるような状況だと思います。ですが、ミコトさんはお料理なんて一切したことがなかったらしいんですよ? 包丁で何度も指を切ってしまっていましたし、危なっかしいことも多くて……」
「お、おぉ」
「それなのに、ミコトさんはおそらく本当に純粋な感謝の気持ちでしかないんですよね、これ。その辺り、どう思います?」
「……まじか。これで無自覚なのかよ。ここまでされて勘違いしない男もなかなかいねぇと思うが……いや、あいつは勘違いしないで素直に受け取るか」
ライルは呆れたように頭をかきながらシスイを見つめた。
そんなライルに、シルヴィアは若干鼻息が荒い普段とは少し違った様子で話しかける。
「時にライルさん。シスイさんのミコトさんへの態度は、私にはだいぶ特別に見えます。忠誠心と言えばそうなのかもしれませんが、それだけではないようにも思えます。私は分かりやすい恋愛感情だと思って受け止めていたんですが……シスイさん側の自覚はおありなのですか?」
「まぁ……特別ではあるだろうな」
「やはり?」
「シスイ本人の話を聞いてる限りでは、シスイにとってミコトは恩人で、守りたい相手で、目標みたいなもんでもあるんだと思う。恋かどうかは……俺には分からん」
「分からないのですか?」
「人のことを言えるほど、俺は器用じゃねぇよ」
「そうですか……でも、否定はしていないんですもんね。その様子ですと」
「……まぁ、自分はそうは言ってないとは言われたが、そう思っていないなんていう否定のされ方はされなかったな」
その言葉を聞いた瞬間、シルヴィアは目を輝かせてライルを見上げた。
ライルは想い人の上目遣いを間近で見せられて顔が熱くなるのを感じながら、シスイたちに視線を戻す。
その視線の先では、シスイがミコトから弁当を受け取り、なぜか深々と礼をしている。
ミコトは慌てて顔を上げるように言っていた。
「……シスイ、あれじゃあ受け取るというより拝領してるみたいだな」
「ふふ。ミコトさんが困っていますね」
「止めた方がいいか?」
「もう少し見守りましょう」
「シルヴィア、なんか楽しそうだな」
「はい! とても楽しいです!」
シルヴィアは満面の笑みを浮かべた。
その横で、ライルは肩をすくめる。
だが、その表情にはどこか柔らかいものがあった。
シスイは弁当を受け取ったまま、まだどこか恐縮していた。
それでも、ミコトが笑っているのを見て、胸の奥の焦りが少しだけ形を変えていくのを感じていた。
悔しさは消えない。未熟さも消えない。
師匠が欲しいという思いも、強くなるばかりだ。
だが、今ここで立ち止まらずに鍛えようと思える理由は、焦りだけではなかった。
守りたい。そう願った相手が、自分が守ったのだと言ってくれた。
ならば次は、胸を張って自分からそう言えるように。
シスイは包みを大事に抱えたまま決意を新たにし、改めてミコトに頭を下げた。