天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
『治療院始めました』
「よしっ」
仮設神社前、シラノさんたちが治療院の建物の工事をしてくれているのが見える位置。
そんな場所に敷物を敷いて立札を立てた私は、満足感と共に頷いた。
「えっと、ミコト様? 本当にこれでいいんですか……?」
「いいのです。シラノさんたちが数日待ってくれれば建物も出来るって言ってくれたし、当面はこれで活動します」
「はぁ」
サヨの納得いってなさそうな声が気になりはするけどとりあえずスルーしておこう。
場所はこれでいいとして、あとは物品の準備だ。
まずは聖水製作から。
瓶は支度金からお金を出して商店で買っておいた。
クロードさんとシルヴィアさんへの報告用にちゃんと帳簿も付け始めた。
クロードさん用に治療院の収支だけを分けたもの、シルヴィアさん用に全ての収支をまとめたものはちゃんと分けてある。
瓶みたいな消耗品分の代金はクロードさんが後で補填してくれるから、補助金を貰ったらそれも収入に記載すれば教会からの支度金を使ってしまっても問題ない……はず。
「一応商店とかの方にも神社でも治療院を始めましたって伝えておいたし、エルフ側にはクロードさんから伝えてくれるって言ってたから、私たちはここで物品の準備をしよう。それが終わったら、2人でセレーヌさん……フェリーク女王陛下にご挨拶に伺おうね」
「はいっ! 私も頑張ります!」
「うん。頼りにしてるね。それじゃあ、聖水の作り方を教えるから、サヨは魔法陣を使った方法でやってみよう。私は教えながら数を増やしていくから」
サヨはあれから沢山練習して治癒に関しては無詠唱で出来るようになっている。
そこまでできたなら、聖水製作は魔法陣ありならできるはず。
魔法陣が使えないような環境で聖水を作ることはほぼないから、これを覚えておけばサヨも最低限は困らないはずだ。
「まずは陣の書き方から。お手本を見せるから真似してみてね」
「はいっ!」
「すまん、少しいいか……ここで、治してもらえるって聞いたんだが」
少し遠慮がちな声が聞こえて、私は顔を上げた。
そこにいたのは、腕に布を巻いた男の人だった。
多分、というか間違いなく治療院の工事をしてくれていた人の一人だと思う。
巻かれた布には、じんわりと赤いものが滲んでいる。
「はい。私たちも治療院を始めさせていただきましたので。どうされましたか?」
「木材を運んでたら手を滑らせちまってな。大した怪我じゃないんだが、今朝方ナギノにこっちでも治療院始めたから何かあれば是非って言われててよ」
男の人は困ったように笑いながら、布を外した。
手のひらから腕にかけて、浅くはない切り傷が走っている。
命に関わるような怪我ではないけど、このまま放っておくと痛むだろうし、仕事にも支障が出そうだった。
「サヨ」
「は、はいっ」
「やってみようか。大丈夫、落ち着いて」
サヨは一瞬だけ私の顔を見た。
緊張しているのが分かる。
だけど、すぐに真剣な表情になって、男の人の前に膝をついた。
「失礼します。傷を、見せてください」
「ああ。頼むよ」
サヨはそっと傷の近くに手をかざした。
目を閉じて、静かに息を整える。
その横顔を、私は黙って見守った。
……この感じだと、詠唱ありでやろうとしてるかな。
初めてで緊張もあるし、祈りだけだと確実に成功させる自信がなかったのかもしれない。
悪くない判断だと思う。
自分の見栄えよりも確実に患者さんの苦痛を軽減する方が大事だからだ。
淡い光がサヨの手のひらに灯る。
「穏やかなる癒しの光よ、かの者を癒したまえ——」
小さな声で紡がれた詠唱に合わせて、光が傷口へ染み込んでいった。
赤く開いていた傷が、ゆっくりと塞がっていく。
完全に痕が消えるほどではないけど、血は止まり、痛々しい裂け目もほとんど見えなくなった。
このくらいの痕なら時間とともになくなると思うし、私が治癒し直す必要もなさそうだ。
サヨが恐る恐る手を離す。
「……どう、でしょうか」
男の人は手を握ったり開いたりして、驚いたように目を丸くした。
「おお……痛くねぇ。すごいな、嬢ちゃん。助かったよ」
「い、いえ。お役に立てたなら、よかったです」
サヨはほっとしたように息を吐いた。
その小さな肩から力が抜けたのが手に取るように分かった。
「私も見ていたので大丈夫だとは思いますけど、何か不都合があればまた相談してください」
「分かった。親方にもそう言っておくよ。ありがとな」
男の人は何度も礼を言ってから、工事現場の方へ戻っていった。
その背中を見送ってから、サヨがぽつりと呟く。
「……私、本当に治せたんですね」
「うん。ちゃんと治せてたよ。確実に治すために、詠唱ありにした判断も悪くなかったと思う。よく頑張ったね」
「……よかったです。ありがとうございます」
サヨは胸の前で両手を握りしめて、小さく笑った。
その顔を見ていると、私まで嬉しくなってくる。
『若い芽がすくすくと育ってますねぇ』
『サヨ、頑張ってるよね』
『えぇ。祈りは相変わらずっぽいですけど、ちゃんとできてるんだからそれもこの子の個性ってことでしょう』
『……相変わらずなの?』
『えぇ。相変わらずです』
相変わらずなのかぁ……まぁ、うん。
少しずつ修正していけばいいよね。多分。
それから1週間くらい経った。
治療院の建築も完了している。
聖水の備蓄も作ったし、ベッドとかの搬入もクロードさんが調整してくれて最低限は揃っている。
立札は治療院の入り口近くに立てておいた。
サヨが立札を見て渋い顔をしてたけど、何か問題があるのだろうか。
私的には全く問題ないんだけど。
まぁそんなこんなでしっかりとした建物の中での治療院の運営が始まった。
患者さんはそこまで多くないけど、運営自体はうまくいっている。
セレーヌさんへの挨拶も恙なく終わったし、教会ではなく私たち神社が治療院としてエルフの治癒に当たるって説明に対してはむしろ喜んでくれた。
その時いる人員で手に負えない怪我とかが発生したら教会と協力して対処に当たるって説明はしてあるけど、そこも問題はないって話だった。
そんな体制が確立されて、私とサヨは定期的にエルフの集落の方に顔を出すようになっていた。
とはいえ、エルフの人たちの方もまだ新しい場所での生活を構築している最中だ。
リオレ大森林での暮らしをそのまま再現するように、森の中や木の上に家を作ったり、木の実や野草の採取場所を確認したり、農地に出来そうな場所を探したりしている。
そんな見回りの最中に、甲高い声が響いてきた。
「ミコトさんっ!」
振り返ると、リーゼちゃんの半泣きのような顔が視界に飛び込んできた。
その隣には、リーゼちゃんの肩を借りた金髪緑眼のエルフ……オデットさんが気まずそうな表情を浮かべながら片足を引きずって歩いている。
「リーゼちゃんにオデットさん? どうしましたか?」
「オデットさんが怪我をしてしまって……! 私が、私がもっとちゃんと見ていれば……!」
「だ、大丈夫だから。リーゼ、そんなに慌てなくても……」
「大丈夫じゃありません!」
リーゼちゃんが珍しく強い声を出した。
その勢いに、オデットさんが少しだけ肩を跳ねさせる。
オデットさんは、リーゼちゃんと一緒に避難してきたエルフの子供の中では年長の女の人だ。
エルフ基準だとまだ未成年らしいけど、私から見れば落ち着いたお姉さんのような雰囲気がある。
そんなオデットさんがここまで気まずそうにしているということは、無理をしていたのをリーゼちゃんに見つかったとか、そういう感じなのかもしれない。
「とにかく、まずは座ってください」
オデットさんを近くの切り株に座らせて、怪我をしているらしい足を確認する。
足首が腫れている。
それに、脛のあたりに枝で引っかけたような傷があった。
外への出血自体はもともと多くはなさそうではあるけど、内出血していて大きく腫れ上がっている。
このまま放っておくのはよくなさそうだった。
「これは……ただ挫いただけじゃないですよね。どこかから落ちた感じですか?」
「あ、あはは……住居に使う場所の枝を払っていたら、少し足を踏み外しちゃって……」
「少しじゃありません! 結構高いところから落ちたじゃないですか!」
リーゼちゃんがすぐに言い返した。
なるほど、リーゼちゃんが見てる目の前で落ちたのか。
そう考えるとこんな反応になるのも妥当だった。
オデットさんは誤魔化すように笑っているけど、リーゼちゃんの様子を見る限り、本当に危なかったんだろう。
「オデットさん。痛みはありますか?」
「普通に歩けない程度には。でも、ちょっと捻っただけだと思うよ」
「……だいぶ腫れていますし、骨が折れている可能性も高いです。無理はしないでください。すぐに治癒しますから」
「す、すみません……」
オデットさんが申し訳なさそうに頭を下げる。
リーゼちゃんはその横で、唇をぎゅっと結んでいた。
腫れている方の足を持ち上げると同時にオデットさんが少しだけ顔をしかめたけど、痛いとは言わなかった。
……やっぱり骨も折れちゃってるかな、これ。
聖水も使ってちょっと強めに治癒をかけた方がよさそうだ。
「どんな風に木から落ちました?」
「足を滑らせて枝からそのまま。片足で着地してそのまま倒れ込んだ感じ」
「……倒れた際の勢いは大丈夫でしたか? 他に打ったところや痛むところは?」
「それに関しては本当に大丈夫!」
「本当にってことはやっぱり痛かったんじゃないですか……!!」
私が足を持った時から変わらず苦痛に歪んでいるのに強がっているオデットさんの表情を見て、リーゼちゃんの表情がますます曇る。
「リーゼちゃん、大丈夫ですよ。命に関わるような怪我ではありません」
「……でも、痛そうです」
「はい。だから、ちゃんと治します」
そう言うと、リーゼちゃんは少しだけ顔を上げた。
準備の間の痛みを抑えるために手持ちの聖水を足にかける。
聖水は弱めの治癒の効果も出るから、こういう使い方もできる。
少しオデットさんの表情が和らいだのを確認してから静かに地面に足を置いて、取り出した紙に聖水で魔法陣を描く。
そして書き終わった紙を手早く足の下に入れる。
前にシルヴィアさんがリーゼちゃんにやっていたほどの効力はいらないから、詠唱は必要ない。
オデットさんの足に手をかざして、静かに祈りを捧げる。
折れてしまった骨が元の形に戻るように。
痛みが和らぐように。
淡い光が手のひらに灯る。
光が傷口と足首に染み込んでいく。
枝で裂けていた皮膚がゆっくりと塞がり、赤黒く腫れていた足首も少しずつ落ち着いていった。
腫れは取れても中に残ってしまっている血は取り除けないから見た目が完全に治ったわけではない。
それでも、多分大丈夫なはず。
「……どうですか?」
オデットさんは恐る恐る足首を回して、それから目を丸くした。
「あ……ちょっと張ってる感じはあるけど、痛みはないかも……?」
「念のため、もしも痛みが再び出るようなら私かサヨを呼んでください。必要な強度での治癒はかけましたが、万が一私の判断が誤っていた場合には骨がちゃんと治っていない可能性もあります。遠慮とかはしないでいいので、お願いしますね」
「う、うん」
私が少し強めに言うと、オデットさんは素直に頷いた。
その横で、リーゼちゃんもほっとしたように息を吐く。
「本当に、よかったです……」
「リーゼちゃんがすぐに連れてきてくれたからですよ。内出血が悪化しすぎる前に早めに見せてもらえたので、判断がしやすかったです」
私がそう言うと、リーゼちゃんははにかむようにしながら笑顔を浮かべた。
「こんなところにいたのか」
片付けをしていたら、唐突に背後から声が聞こえてきた。
振り返るとセシルさんがいつもの無表情で歩いてきていた。
「……なに、取り込み中?」
「セシルさん? どうしたんですか? 森の中まで」
「ミコトに手伝ってほしいことが出来たから頼めそうかを確認するために探してたんだけど……出直した方がよければ出直す」
「あ、いえいえ。ちょうど終わったところですので、大丈夫ですよ」
リーゼちゃんたちの方に確認の意味も込めて顔を向けると、すぐに頷いてくれた。
「ミコトって今遠出できるの?」
「遠出ですか……? それってどのくらいです……?」
「往復考えると数週間から1か月くらい」
1か月か……長いけど、出来なくはない気がする。
「ふむ……私不在時の調整をサヨとする必要はあると思いますけど、出来ると思います。もう治療院の運営は軌道に乗りましたし、サヨも簡単な治癒ならスムーズにできるほどになりました。自分の手に負えない患者が来た時は迷わず私に助けを求められていましたし、シルヴィアさんを頼るように指示しておけばいいと思うので」
セレーヌさんにも事前にそこは共有済みだから大丈夫なはず。
今日のオデットさんみたいな感じだとサヨの手には負えないから私かシルヴィアさんの助けがいるだろう。
「そ。なら遠出に付き合って。ついでに護衛探しするからこの後も付き合え」
「あはは……急ですね。分かりました」
「よし、なら——」
「あ、あの!! どちらに行くのかは存じ上げないんですけど、私も一緒に行ってもいいですか!?」
「は?」
セシルさんの言葉を遮るように、リーゼちゃんが勢いよく声を上げた。
その場にいた全員の視線が、一斉にリーゼちゃんへ向く。
オデットさんも驚いたように目を見開いていた。
「リーゼちゃん?」
「す、すみません。急に口を挟んでしまって……でも、その……」
リーゼちゃんは胸の前で両手を握りしめると、少しだけ俯いてしまう。
だけど、すぐに顔を上げた。
その表情は、さっきまでオデットさんの怪我に慌てていた時とは違っていた。
不安はあるのだろうけど、それ以上に何かを決めたような目をしている。
「私も、外の世界を見ておきたいんです」
「外の世界ですか?」
「はい。私は狭い世界のことしか知りません。森のことも、エルフのことも、フランのことも大切です。でも、それだけではいけないんだと思いました」
リーゼちゃんの声は少し震えていた。
でも、言葉自体ははっきりしている。
「森の外に出たこともなければ、この村以外の人里も知りません……それでも私は、お母様に、王族としての責務を果たせと言われました。見識を広げろと言われました。そのために、許してもらえるなら、一緒に行って外の世界を見てみたいんです」
「……行き先も目的も聞かずに?」
セシルさんが静かに問い返す。
声はいつも通り淡々としていたけど、拒絶しているというより、確認しているような響きだった。
「はい。もちろん、迷惑になるなら諦めます。でも、許されるなら……」
「あんた王族でしょ。危険だよ」
「覚悟しています」
「まともな戦闘経験あるの。足手まといになりかねないけど」
「ならないように努力します。風の魔術なら、少しはお役に立てると思いますし、フランもついてきてくれると思います」
セシルさんがリーゼちゃんをじっと見つめる。
リーゼちゃんはその視線から逃げなかった。
その横で、オデットさんが困ったような表情を浮かべている。
……まぁ、王族が突然こんなことを言い出したら戸惑うのも無理はないのかもしれない。
「リーゼ、本気? 女王陛下に何の相談もなく決められることじゃないよ?」
「分かっています。この後ちゃんとお母様に許可をいただきます。勝手についていくつもりはありません」
「……それなら、まぁ……陛下の判断次第かしら……?」
よかった、ちゃんとセレーヌさんに相談するつもりはあったらしい。
私はリーゼちゃんとオデットさんの様子を見ながら、セシルさんに視線を向ける。
「私はいいと思いますけど、セシルさんはどうでしょうか?」
「ミコトはまだ行先すら知らないでしょ」
「あはは、そう、ですね……ごめんなさい」
セシルさんの眉間に皺が寄っている。
不機嫌そうなのを隠そうともしていない。
オデットさんとの会話が終わったリーゼちゃんはそれを真正面から見つめていた。
「…………はぁ。聖獣付きのハイエルフなら自衛はできるだろうし、後衛としての戦力として期待はできる。親がいいって言うなら好きにしたら」
「っ! あ、ありがとうございます!!」
「ただし、私はあんたに何があっても責任は取らんからな。王族の護衛に失敗したとか後からいちゃもんつけられても取り合うつもりないから」
「もちろんですっ! 私の勝手でついていくんですから、お母様をあらかじめ説得しておきます!!」
リーゼちゃんは腕を胸の前まで持ち上げて気合を入れているような様子でそう言い切った。
セレーヌさん、納得するだろうか。
まぁここからはセレーヌさんとリーゼちゃん次第か。
「それでは、私は今からお母様を説得してきます! 結果がどちらでも後ほどご報告に行きますね!」
「頑張ってね、リーゼちゃん」
「はいっ!」
「……行き先はヴァイスタールだから」
「……! ありがとうございます!」
説得に行こうとするリーゼちゃんにセシルさんが最低限の情報として行き先だけ教えていた。
ヴァイスタール……聞いたことがあるような、ないような……?
まぁこの後詳しく聞けばいいか。
私がそんなことを考えている間に、気合を入れたリーゼちゃんは森の奥の方に進んで行った。
オデットさんも私たちに頭を下げてからリーゼちゃんを追いかけていく。
「じゃ、ミコトはこっちね。さっき言った通り遠出に同行させる護衛探しするから」
「はい! よろしくお願いします!」
セシルさんが私に手伝ってほしいって声をかけてくれたことだ。
気合を入れてお手伝いさせてもらおう。