崩れた外壁と城壁。
地形が隆起して分断されている街。
夕方なのに、煙も明かりも、何も見えないその街。
この距離からでは人の息吹すら感じることができなくて、廃墟としか認識できなかった。
そんな光景を目の前にして、震えているのを無理矢理押さえつけたような声で、シスイが呟いた。
「……どうしますか。ミコト様」
「……まだ、誰もいないと決まったわけではありません。このまま目指して、本当に廃墟かどうかを確認してから、方針を決めましょう」
僅かな希望に縋ってそう返答すると、シスイも静かに頷いて進み始めた。
並んで進んでいた皆もそれについて歩き始める。
その歩調は、街の惨状を見る前よりも明らかに遅くなっていた。
王都の崩れた門が近づいてきた時に、それに気付いた。
気付いてしまった。
思わず、足を止めてしまう。
『……ねぇ、トコヨ……まさか……』
『……はい。見つかってしまったみたいです』
背後から、微かにではあったけど、咆哮が聞こえた。
夢で聞いた、夢だと思っていた現実で聞いた、死を予感させる、あの咆哮が。
恐る恐る振り返ると、後方の遥か上空に、黒竜が飛んでいるのが見えた。
黒竜は、既に降下する体勢に入っているように見えた。
「ミコト様……?」
「全員今すぐに散ってください!!! 後ろから来ます!!!!!」
サヨが怪訝そうに声をかけてくるのを無視して、大声で叫ぶ。
それを聞いた自警団の人たちは、すぐさま後方を確認してくれた。
竜は既に加速し始めているのが分かる程、視認できる形が急速に大きくなり続けている。
それを見て、自警団の4人は直線の位置から外れるように左右に散った。
私もすぐにサヨを抱えて、横に向かって走り出す。
直線上にいるのは致命傷になる。
あんなのが直撃したら、即死してしまう。
竜が地面にぶつかると認識できるほど大きくなったタイミングで、サヨを抱えたまま横に飛び込んだ。
爆発かと思うほどの轟音が響いて、地鳴りと振動、周囲が見えなくなるほどの砂煙が巻き起こる。
砂煙が晴れて視界に入ったのは、あの時と同じ光景だった。
街の外壁よりも巨大な黒竜が、唸り声を出しながら私たちを見据えていた。
次の瞬間、さっきの轟音すらも小さいと思えるほどの、天地を震わせる咆哮が周囲を包んだ。
【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!】
黒竜は、すぐさま動き出した。
振り向きざまに尻尾を叩きつけるように、すぐ近くにいたアサヅキさんを弾き飛ばした。
何かが砕けるような嫌な音が響きながら、アサヅキさんが吹き飛んでいく。
「アサヅキ!?」
「このぉっ!!!」
その様子を見て、シラノさんとナギノさんが黒竜に切りかかった。
アサヅキさんは、明らかに致命傷を負ってしまっていた。
弾き飛ばされて地面に倒れ込んでから動く様子がない。
早く治癒の聖魔法をかけないと、本当に手遅れになる。
だけど、アサヅキさんは黒竜を挟んで反対側に飛ばされてしまった。
どうにかしてあっちまで行きたいのに、黒竜はそれすらも容易にはさせてくれなかった。
私がサヨの手を引きながらアサヅキさんの方に近づこうとしても、私を睨みつけるようにして火炎を吐いてきた。
すぐに飛び込んで避けたけど、明らかに狙われていた。
むしろ、黒竜の足元で切りかかっているシラノさんとナギノさんへの反撃がおざなりだ。
全く気にしていないようで、2人の斬撃で傷を負っている様子すらない。
そんな相手を、黒竜は歯牙にもかけていなかった。
シスイもすぐにそのことに気付いたみたいで、黒竜を観察しながら適度に攻撃して注意を引くことで打開策を考えているようだった。
黒竜が何を基準に狙う人間を決めているのかは分からない。
だけど、私が狙われているなら、むしろ注意を引く方向でどうにかできるかもしれない。
私が攻撃して注意を引くことで、シスイへの注意を薄くして、アサヅキさんを安全な場所に運んでもらうとか……
そう思って、聖魔法で光弾を作り出す。
前は頭に当てても怯みすらしなかった。
だけど、視界を奪えば、さすがに無視はできないだろう。
そう考えて、私は光弾を黒竜の目へと狙い定めた。
そう思って、光弾を飛ばしたけど……
黒竜は、無慈悲だった。
私たち全員の攻撃を全く気にすらせずに、再び上空に飛び上がった。
この後起きることを、予想できないわけがなかった。
「散れぇええええっ!!!」
シスイの叫び声のような指示を受けて、とにかく大急ぎで着弾点になるであろう場所から離れる。
爆発のような衝突音が響いて、地面にクレーターが出来上がった。
弾き飛ばされていたアサヅキさんはもともと範囲外だったし、動ける私たちは大急ぎで散ったから全員回避自体は出来た。
だけど、その後の攻撃を回避しきることなんて、不可能だった。
黒竜は、ナギノさんを前足で払いのけた。
それだけでナギノさんは吹き飛んで、動かなくなってしまった。
黒竜の暴虐は、それだけでは終わらなかった。
【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!】
ナギノさんを弾き飛ばした黒竜は、顔を空に掲げるようにして咆哮をあげた。
次の瞬間、周囲に異常が起こった。
地面がひび割れ、一部の地形が隆起していく。
何かが溶けるような音が響いて、地面が液状化していく。
これだけで、王都は、この黒竜に滅ぼされたのだと、分かってしまった。
そんな存在に襲われているのだと、理解させられてしまった。
『ミコトっ!!!』
「み、ミコト様!!」
それに気を取られたのが、よくなかったんだろう。
トコヨとサヨの声に気付いた時には、既に黒竜が目の前に迫っていた。
黒竜の爪が、振り上げた。
避けられない。
私に出来ることなんて、すぐ後ろにいたサヨを突き飛ばすことくらいだった。
前の時の状況と重ねて、来るであろう衝撃と激痛を想像してしまって、思わず目を閉じてしまう。
また、この竜に殺されてしまう。
「ミコト様っ!!!」
身体が、弾き飛ばされた。
何が起きたのか分からないまま、地面に倒れ込む。
顔をあげるとそこには、シスイがいた。
私を庇うように、飛び込んできた、シスイが。
次の瞬間、鋭い爪が振り下ろされた。
嫌な音が響くと同時に、シスイの背中から、夥しい量の血が噴き出した。
「シスイっ!?」
思わず叫んでいた。
驚愕すると同時に、即座に治癒をしないといけないと認識した。
そうしないと、シスイが死んでしまう。
だけど、そんなことをさせてくれるほど、黒竜は甘くなかった。
私を仕留めきれなかったのを視認した黒竜は、すぐさま尻尾を叩きつけようとしてきた。
シスイはもう意識もない状態で動く様子もない。
私とサヨも、倒れ込んでしまっている状況で避けることなんてできない。
せめてサヨだけでもと思ってサヨを庇うように抱き込む。
「はああああっ!!」
男性の雄叫びが聞こえた。
直後、地面を削るような鈍い音が響く。
「えっ!?」
目を開けると、巨大な剣を振り下ろした赤髪の剣士がいた。
彼は竜の尻尾を受け止めたわけではなかった。
横合いから駆け込み、大剣の腹を斜めに差し入れることで、叩きつけられる軌道を僅かに逸らしていた。
それでも勢いを殺しきれるはずがない。
黒い尻尾は私たちのすぐ横へ叩きつけられ、地面を大きく抉った。
赤髪の剣士も大剣ごと弾き飛ばされ、地面を転がっていく。
「ぐっ……!」
苦しそうな声を漏らしながらも、彼はすぐに剣を支えに立ち上がった。
大剣を握る両手が震えている。
一度受け流しただけで、手のひらから血が滲んでいた。
「あんた!! 治癒使えるんだろ!! そいつ治療しろ!! 早くっ!!」
「は、はいっ!!」
赤髪の剣士の言葉を受けて、すぐさまシスイに治癒の聖魔法をかけ始める。
誰かは分からないけど、助けに入ってくれたらしい。
黒竜は攻撃を逸らされたことが気に障ったのか、低く唸りながら赤髪の剣士へ顔を向けた。
彼は大剣を構え直すと、私たちや倒れているシスイから引き離すように、横へ走り出した。
「こっちだデカブツ!!」
黒竜の爪が振り下ろされる。
赤髪の剣士は受け止めなかった。
爪が届く寸前に身を投げ出すように横へ転がり、攻撃を避ける。
振り下ろされた爪は彼のすぐ後ろにあった崩れた石壁を粉々に砕いていた。
彼は立ち上がると同時に、振り下ろしにあわせて近くに下がってきていた黒竜の目に向けて大剣を振り上げた。
刃は鱗に触れることすらなかったけど、目を狙われた黒竜は顔を僅かに引き、彼へ向き直る。
攻撃を防いでいるわけじゃない。
黒竜に傷を負わせることができているわけでもない。
攻撃を自分へ向けて、その直撃を寸前で避け続けているだけだ。
それだけでも、私には到底できないことだった。
黒竜が再び尾を振るう。
赤髪の剣士は大剣を地面へ突き立てるように構えたけど、今度は軌道を変えることすらできなかった。
金属が軋む音とともに大剣ごと押し流され、地面の上を何度も転がる。
「がっ……!」
それでも彼は、立ち上がった。
口元から血が流れている。
大剣を持ち上げる腕も、明らかに震えていた。
次はもう耐えられない。
戦いのことなんて分からない私にすら、それだけは分かってしまった。
彼は黒竜と戦えているんじゃない。
何を狙っているのかは分からないけど、僅かな時間を、命をかけて稼いでくれているんだ。
シスイの治癒をしながら周囲を見渡すと、彼の仲間なのか、白い綺麗な服を着た杖を持った金髪の女性がアサヅキさんに治癒を施してくれているのが見える。
だけど、打開につながると思えるものは見当たらなかった。
「——氷核形成」
そんなタイミングで、どこからか落ち着いた女性の声が聞こえた。
「風向補正……雷雲形成……」
巨大な黒い雲が、渦を巻くように形成されていく。
雷が嘶くような音も聞こえ始めていた。
「標的固定……吹き荒べ乱流……」
雷鳴が響く。
稲光が絶え間なく走り続ける。
「臨界到達——ライル!!」
「おうよ!!」
女性が赤髪の男性の名前らしきものを叫ぶと同時に、彼は黒竜から一気に距離を取った。
ライルと呼ばれた赤髪の男性は、そのまま私たちの方に向かって走ってくる。
そして、女性の静かな呟きが再び響いた。
「落ちろ雷————フルミネイト」
轟音とともに、巨大な雷が竜に降り注ぐ。
視界が、真っ白に染まる程の輝き。
直撃を食らった黒竜は、今までどんな攻撃を食らってもほぼ無反応だったのに、初めて苦痛を伴うような咆哮をあげていた。
首も上空に向けていて、私たちを見ていない。
「怪我人は俺に任せろ!! 嬢ちゃんはそっちの子を連れて門まで走れ!!!」
「はいっ!!」
ライルさんの指示に従って、サヨの手を引いて王都の崩れかかっている門まで駆けだす。
シスイはライルさんが抱え、アサヅキさんはシラノさんが背負い、ナギノさんは金髪の女性の肩を借りて門へ向かっていた。
全員、最低限の治癒を受けて門に向かうことができていた。
黒竜が再び動き出す頃には、全員門をくぐり抜けることが出来た。
門をくぐってすぐに、水路と思われる、地面よりも低い位置にある奥まった通路の方に誘導された。
全員で息をひそめてそこに隠れ、ゆっくりと誘導されるままに移動し続ける。
しばらく黒竜の咆哮が響き渡っていたけど、襲撃されることはなかった。
重傷を負ってしまった人も多いけど、それでも、誰も死んでいない。
あの黒竜に襲われて、全員生き残ることが出来た。
私たちは、危機を切り抜けることが出来たんだってようやく実感できて、安堵の溜息がこぼれた。