天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
「ちゃんと読み込んだ?」
「……はい。多分、大丈夫、だと思います」
「そ。ならこの基礎理論の本の26ページ目から54ページ目まで写して。今日中に全部やらないといけないわけじゃないから焦る必要はない。1ページ写したところで1回見せて。出来てるか確認するから」
「は、はい」
「あと、冊子にも書いてあったと思うけど、上段に何も置かずに下段で書き始めたら警報鳴るから。やらかすなよ」
「さ、流石に大丈夫ですよ——多分」
写本台に備え付けの椅子に座って冊子を読み込んだ後に、セシルさんに魔術書を手渡された。
写本の方法に関しては、冊子に手順も注意事項も丁寧にまとめられていた。
これを破った場合叩き出されて、内容によっては永久に出禁にされてしまうらしい。
怖い。怖いけど、やるしかない。
ルール自体は難しくない。
どれも本を汚さず、破損させずに写本をさせるためのルールなのはすぐ分かったし。
目の前にある写本台は上下二段に分かれていた。
上の段には傾斜のついた台があり、そこに原本だけを置くらしい。
下の段には写本用の紙と筆記具、それからインク壺を置くための窪みがあった。
上段にも下段にも、複雑な陣が刻まれている。
これがセシルさんが言っていた警報に関わるのだろうか。
窪みは原本とインクを同じ場所に置かないための作りなのだと冊子に書かれていて、なるほどと納得した。
頁をめくるための薄い板のような棒も備え付けられていた。触った感じ、多分ただの棒でも板でもない。
写本中に本を指で擦ったり、爪で引っかけたりしてはいけないらしい。
蔵書には劣化を防ぎ、紙や綴じを強くする地の魔術が刻まれているらしいけど、それでも汚れや無理な扱いでの破損まで防げるわけではないみたい。
頁をめくるにも手順があって、上段に原本を置いた状態で、備え付けの道具以外を使って頁をめくろうとすると、これも警報が鳴るとかなんとか。
……警報の魔術だけですごい複雑そうだ。
「それにしても、この警報の魔術すごいですね……こんな複雑なこと……」
「台の方は錬金術製の魔道具。感圧とか色々仕込んでるのはそっちの仕事。魔術っていうよりも魔道具による検知システム」
「な、なるほど……」
とりあえず途方もない道具なのは分かった。
……これ、いくらくらいするんだろう。すごく高そう。
「リーゼはやれそう? 風が関連するの選んで渡しはしたけど」
「お、恐らく、なんとかなるかと。……分からないことがあったら、聞いてもいいですか?」
「……まぁいいけど、冊子に書いてあることは冊子見てよ」
「はい!」
「あ、あの、セシルさん、私も……」
「はいはい。ほら、さっさと作業するよ。あんたらもいるし昼には一回出て食事するから、それまでこの作業ね」
私たちがいるからってことは、もしかしてセシルさんだけなら食事すら取らないのか。
セシルさんなら想像に難くないけど……
私とリーゼちゃんは顔を見合わせてからお互いに気合を入れて写本台の方を向いた。
魔術書に書かれている文字は、思っていたよりずっと細かかった。
魔術の基礎理論。
そう言われても、書き出しからすでに難しい。
魔力の循環、魔素の流動、魔素の収束、術式の構築。
その中でも、収束の部分が細かく書かれている場所、かな。多分だけど。
セシルさんが以前説明してくれた言葉もいくつか混ざっているけど、文章として並んでいると一気に難しくなる。
それを読みながら、同じように紙へ写していく。
一文字ずつ、丁寧に。
原本の行と、紙の行を何度も往復しながら書く。
「……」
『……』
「……」
『……ミコト』
『なに?』
『これ、眠くなりません?』
『……集中してるんだからやめて』
そんなやり取りをしながら、1刻近くかけてどうにか最初の1ページを写し終えた。
終わった瞬間、思わず大きく息を吐きそうになって、慌てて口を押さえる。
静かにしないといけない場所だ。
それに、写本台の近くには他の利用者もいる。
少し離れた場所では、リーゼちゃんも真剣な顔で書き写していた。
……私も頑張ろう。
ただ、その前に確認してもらわないと。
「セシルさん」
小声で呼びかけると、セシルさんは自分の写本台から顔を上げた。
いつの間にかセシルさんも作業を始めていたらしい。
私とは比べものにならない速さで手を動かしていたのに、書かれている文字はきっちり揃っているように見える。
……すごい。
「1ページ、終わりました」
「見せて」
「お願いします……!」
慎重に紙を持って、セシルさんに差し出す。
その後に原本も持ちあげて、併せて差し出した。
セシルさんはそれを受け取ると、原本と見比べながら目を走らせ始める。
そのまましばらく沈黙が続いた。
「…………内容に間違いはない。まぁ及第点かな」
「ほんとですか!?」
「嘘言ってどうすんのさ。若干癖字ではあるけど、使用には全く問題ない」
「く、癖字ですか?」
「読みやすい字ではあるけど、丸文字になってる。女がよくなる感じの癖だね。これは原本に近い文字で直せたら直すくらいの感覚で問題ない」
「と、いうことはつまり……私、馬鹿じゃないですよね!」
言われた通りに出来ているということは、致命的な馬鹿じゃなかったということだ。
そういうことだろうという確信とともに、胸を張りながらセシルさんに主張する。
「は?」
「ちゃんとできましたし!」
「……まぁ、そうなんじゃない。続きもよろしく。これなら戦力にはなるから。欲しい資料の量が多いんだよ」
「はい! 頑張ります!」
戦力になる……戦力になる!
認めてもらえた! 続きも頑張ろう!
『よかったですね、ミコト』
『うん!』
セシルさんから返された魔術書と写した1ページ目を持って、確認してもらいにきたリーゼちゃんと入れ替わりになりながら自分の台に戻る。
この調子で頑張って写していこう。
癖字は……直せたら直す。
聖魔法の魔法陣を書くときみたいに意識すれば多分いけるはず。うん。
「つ、疲れました……」
「ほんとに……」
リーゼちゃんと一緒に食事処の机でぐったりと項垂れる。
あれから数刻、集中してひたすら写本作業を続けた結果がこれだった。
お昼過ぎくらいになったところで受付に入館札と一時退館札を交換して図書館をでた。
飲食物を持ち込まれないようにするために一時退館はできるようにしているらしい。
それで、セシルさんに連れられてお昼ご飯を食べに来たのだ。
それはいいんだけど……頭から煙が出ているのかと思ってしまうほどの疲労感が私を襲っていた。
集落の指導者としての勉強とも巫女としての鍛錬とも全然違う。
対面に座って涼しい顔をして頼んだ食事を待っているセシルさんとは酷い差だった。
「この程度でそんなんになってたらキリないんだけど」
「だ、だって……ずっと文字を追い続けて、間違えないように書き続けるのって、思っていたよりずっと大変なんですよ……」
「私も、目がちかちかします……」
リーゼちゃんも耳を少し伏せながら、机に突っ伏しそうな勢いで項垂れている。
私も似たようなものだった。
手は痛いし、肩も凝っているし、頭の中にはさっきまで写していた魔術書の細かい文字がまだ残っている気がする。
『私の応援は効果なかったですかね』
『応援……してたっけ?』
『してましたよ? 心の中で、フレー! フレー! って今回もやってました』
『なんにも伝わってこなかったんだけど……』
そんなことを言い返していると、お店の人が料理を運んできてくれた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたのは、湯気を立てる具沢山のスープと、厚めに切られた肉を挟んだパン、それから焼き野菜を盛った皿だった。
香ばしい匂いが一気に広がって、疲れていた身体が少しだけ持ち直す。
……持ち直した、けど。
「……あれ?」
思っていたより、量が多い。
パンは片手で持てるくらいのものを想像していたのに、両手で持たないと安定しないくらいには大きい。
スープも深めの器になみなみと注がれていて、具も遠慮なく入っている。
焼き野菜も添え物というより、普通に一皿分あった。
隣を見ると、リーゼちゃんも自分の前に置かれた料理を見つめたまま固まっていた。
「……多い、ですね」
「多い、ですよね……?」
「はい……」
小声で確認し合う。
私の感覚がおかしいわけではなさそうだ。
対面では、セシルさんが自分の前に置かれた料理を見て、ほんの少しだけ目を細めていた。
表情はほとんど変わっていないけど、いつもより一呼吸だけ動きが止まっている。
……セシルさんも多いと思ってる?
そう思ったけど、セシルさんは何も言わなかった。
ただ、器とお皿を一通り見てから、無言でスプーンを手に取った。
「……食べなよ。冷める」
「は、はい」
「いただきます」
リーゼちゃんと一緒に手を合わせて、食事を始める。
スープは美味しかった。
野菜の甘みと肉の旨味がよく出ていて、疲れた身体に染みる感じがする。
パンも表面が香ばしく焼かれていて、挟まれたお肉は柔らかい。
とても美味しい。
美味しいんだけど……
「……」
食べても、食べても、減らない。
最初は空腹もあって順調に進んでいた。
写本で疲れた分、お腹も空いていたんだと思う。
だけど、半分くらいまで食べたところで、急に胃が重くなってきた。
隣のリーゼちゃんも似たような状態らしく、パンを両手で持ったまま、少し困ったように見つめている。
「リーゼちゃん、大丈夫ですか?」
「お、美味しいです。美味しいんですけど……」
「気持ちは、分かります……」
美味しい。本当に美味しい。
だから残したいわけではない。
残して捨てるのはもったいないし……
でも、多い。
ちらりとセシルさんの方を見る。
セシルさんは特に苦しそうな様子もなく、淡々と食べ進めていた。
だけど、その視線が一度だけ自分のお皿から私たちのお皿へ向いて、それからお店の奥の方へ向いた。
ほんの少しだけ、眉が寄った気がした。
……やっぱり、何か思うところはあるみたいだ。
でも、口には出さない。
そのまま何事もなかったかのようにスープを飲んでいる。
「セシルさん……」
「なに」
「この料理って、いつもこの量なんですか……?」
「……少なくとも、前はそうじゃなかった」
「そ、そうなんですね……」
やっぱり。
その一言で、リーゼちゃんの耳がさらに下がった。
「馬鹿みたいな量を出してきた方が悪い。無理して午後の作業に支障出したら意味ない。食べられる分だけ食べればいい」
「で、でも、せっかく出していただいたものを残すのは……」
「なら食べれば」
「うっ……」
正論だった。
正論だけど、苦しい。
リーゼちゃんも同じように葛藤しているらしく、パンを少しずつ齧りながら必死に咀嚼している。
私も負けていられない。
そう思って、スープの具を一つずつ口に運ぶ。
「……午後も、写本ですよね?」
「そうだけど」
「眠くなったりしませんかね……?」
「あの写本台で寝たら警報鳴るけど」
「うぅ……が、頑張ります……」
食べ過ぎで眠くなって、写本中に意識が飛ぶ。
想像するだけで怖い。
「もう無理です……フラン、食べられますか……?」
『ホー』
「あ、ず、ずるい……」
フレスベルグが机にピョンと飛び乗ってお皿の上のものをつついて食べ始めた。
『トコヨも食べてよぉ……』
『無理言わないで下さいよ……』
『うぅ……でもぉ……』
『無理しない方がいいですよ、ミコト』
フレスベルグが食べてくれているのを見て私の相棒は食べてくれないのかという感情が湧いてきてしまった。
幽霊に食べられるわけがないのは分かってはいたけど……辛い……
「……わ、私ももう無理です……ごめんなさい……」
「誰に謝ってんの。そりゃそうでしょこんな量」
これ以上食べたら気持ち悪くなりそう。
そう判断して、諦めることにした。
うぅ……勿体ない……でも無理……
申し訳なさと自己嫌悪に苛まれながら食事を打ち切った。
それからフレスベルグが食べられる分だけ残っていたものを食べてくれて、もう無理と主張したところでお店を出た。
残しているのを見てもお店の人が何も言ってなかったあたり、このお店ではこれが普通なのだろうか……?