天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
写本生活を始めて数日が経った。
写本作業にも一応は慣れてきて、初日程の疲労感は感じなくなってきている。
スピードも徐々に速くなってきている実感すらある。
これなら、きっとセシルさんの期待に応えられているだろう。
初日に遭遇したご飯大盛り問題も、なぜか毎日発生している。
まぁ最初の数回で慣れたから量が少ないものを頼んだり、あらかじめ量を指定したりすることで事なきを得ている。
本当になんなんだろうあれ。
そんなことがありつつも、今日も外が暗くなるまで写本作業をし終わったところだった。
「セシルさん、今日の作業一区切りつきましたけど、どうしますか?」
「ん?……あぁ、私はまだしないといけないことあるからあんたら先に帰っていいよ。もう道覚えたでしょ」
「そうですか?……分かりました。それでは、先に帰ってますね。リーゼちゃんも帰りましょうか」
「はい。ミコトさん」
リーゼちゃんは写し終えた紙を丁寧に揃えてから立ち上がった。
写本台の周りを簡単に片付けて……借りていた本をどうすればいいのかはセシルさんに確認するか。
場所覚えてないし。
「あの、セシルさん。これはどこに返せばいいですかね……? この図書館入り組んでてなかなか覚えられなくて……」
「いいよ、私がまとめて戻しとく。そこの山に重ねておいて」
「分かりました! ありがとうございます!」
「……一応注意しとく。変なところに寄り道しない。誰に声をかけられてもついていかない。知らない店に呼び込まれても入らない。まっすぐ帰れよ」
「あ、あの、私、一応もう15歳なんですよ……?」
「15のまともな自己防衛できるやつは胸元に手を翳されて受け入れたりしない」
「うっ」
痛いところを突かれてしまった。
それを出されると何も言い返せなくなってしまう。
「リーゼも、誰かに声かけられても森の感覚でほいほい応じるなよ」
「わ、分かってます」
リーゼちゃんは気合を入れるように腕を胸の前でぎゅってしてる。
……というか、この感じは……
『ねぇトコヨ……これって、子供扱いされてる、よね?』
『されてますね。まぁしょうがないんじゃないですか? ここ数日で迷子になりかけた回数とかセシルに注意された回数を思い出してみればいいかと』
『それは……そうなんだけど……』
おかしい。
セシルさんに頼りにされて手伝いに来たはずなのに、こんなことは間違っている。
でも言い返せない……
「私はもう作業に戻るから。ほら、行った行った」
セシルさんに手で追い払うような仕草をされて、私とリーゼちゃんは顔を見合わせてから小さく笑った。
とはいえ、なんだかんだで心配してくれている。
そういうところは、すごくセシルさんらしいと思う。
図書館の出口へ向かおうとしたところで、受付の方から柔らかい声がかかった。
「あら? 今日は2人だけで帰るの?」
振り向くと、受付の奥から1人の女性がこちらへ歩いてきていた。
初日に受付してくれた、落ち着いた茶色の髪を後ろでまとめた穏やかな雰囲気の女性だった。
司書さんの制服なのか、落ち着いた色の服をきちんと着こなしていて、手には何冊かの本を抱えている。
「はい。セシルさんはまだやることがあるみたいで」
「そう。あの子は相変わらずね」
女性は困ったように、だけどどこか嬉しそうに笑った。
「申し遅れました。私はマルタ・ミルフォード。この図書館で司書をしています」
「ミコト・アメノです。よろしくお願いします」
「リーゼ・システィーナ・エル・フェリークです」
私とリーゼちゃんがそれぞれ頭を下げると、マルタさんはにこやかに頷いてくれた。
「えぇ。2人のことはセシルちゃんから少し聞いているわ」
「セシルさんから、ですか?」
思わず聞き返してしまった。
セシルさんが、私たちのことを誰かに話している。
それだけで少し意外だった。
「あの子、あまり多くは話さないけどね。写本を手伝わせる子たちがいるから、少し気にかけてほしいって頼まれたの」
「セシルさんが……」
「えぇ。『箱入り娘が2人だから、万が一が無いように』って」
「は、箱入り娘……」
「前にもそう言われてましたね……」
リーゼちゃんが複雑そうな顔をしている。
私も多分、似たような顔をしていると思う。
確かに、私は故郷から出たことがなかったし、リーゼちゃんも森の外の生活には慣れていない。
だから全く否定できないのが少し悔しい。
マルタさんはそんな私たちを見て、くすくすと笑った。
「悪口ではないと思うわ。あの子なりに心配しているのよ」
「それは、分かります」
セシルさんは言い方がぶっきらぼうなだけで、ちゃんと気にかけてくれる人だ。
写本作業も最初は本当に大変だったけど、慣れるまでは何度も確認してくれた。
間違えた時も、面倒くさそうにしながらもちゃんと教えてくれた。
「貴方たちはセシルちゃんのお友達なの?」
「はい」
迷わずにすぐに返事をした。
セシルさん本人に聞いたら絶対肯定はしないだろうけど、私は大事なお友達だと思っている。
リーゼちゃんも少しだけ照れたようにしながら頷いた。
「私も、そう思っています。セシルさんには、大変なところを助けていただきましたから」
「そう」
マルタさんは、ほっとしたように目を細めた。
その表情はとても穏やかで優しい表情に見えた。
「ねぇ、少しだけ昔話をしてもいいかしら」
「昔話、ですか?」
「えぇ。ほんの少しだけ。あの子には内緒でね」
マルタさんは人差し指を口元に当てた。
悪戯っぽい仕草なのに、どこか真剣さもある。
私とリーゼちゃんは一度お互いに顔を見合わせてから、迷うことなく頷いていた。
「セシルちゃんね、小さい頃……確か、5歳くらいからずっとこの図書館に通っていたのよ」
「そんなに小さい時から……?」
「えぇ。それこそ、椅子に座るのも少し大変そうなくらいの頃から。朝早くに来て、閉館ぎりぎりまで本を読んでいたわ。魔術書も、理論書も、子供が読むようなものではなかったのに、あの子は1人で読み続けていた」
その姿は、なんとなく想像できた。
小さなセシルさんが1人で本を抱えて、静かな図書館の隅に座っている姿。
今のセシルさんとあまり変わらないような気もする。
「そんなのを見かけちゃったら心配になるし、最初は周りの大人も声をかけたのよ? 司書も、ここを使う学院の教師も。もちろん、私もね」
「マルタさんもですか……?」
「えぇ。私、これでも魔術学院卒なのよ? その時あの子が読んでいた本も学院で学んだものだったし、教えてあげようかと思って。だけどね、あの子はその本を読んで、お義父さんにする質問をまとめていた。教えてあげるって言った私にそれをぶつけてきたけど……即答できないものばかりだったのよ」
「えっ」
「そ、それはすごいですね……」
魔術学院を卒業している人でも即答できない考察を、5歳のセシルさんがしていた。
それは、もう凄いとかそういう次元ではない気がする。
マルタさんは懐かしむように目を細めていた。
「貴方たち、セシルちゃんの御両親のことは聞いてる?」
「えっと、はい。お亡くなりになって叔父に引き取られたという程度には……」
「そっか。……多分ね、魔術書に没頭していたのはご両親を亡くした喪失感を埋めるためでもあったのかもしれないなと思って。誰かと遊ぶでもなく、学院の子たちに混ざるでもなく、ただ本を読んで、書き写して、考え込んで……気が付けばセシルちゃんのお義父さんが迎えに来て。そんな毎日だった」
小さなセシルさんが、机に向かって1人で本を読んでいる姿を想像する。
今のセシルさんと変わらないようで、でも、やっぱり少し違う。
5歳の子供が、広い図書館で一人きり。
そう考えると、胸の奥が少しだけ締め付けられた。
「寂しくは、なかったんでしょうか……」
リーゼちゃんがぽつりと呟いた。
マルタさんは、すぐには答えなかった。
少しだけ考えるように視線を落として、それから小さく首を傾ける。
「分からないわ。あの子は昔から、寂しいなんて絶対に言わない子だったから。それどころか、声をかけた大人たちをまとめて鬱陶しがっていたもの。それを見て私は、朝夕の決まったタイミングでだけ声をかけるようにしていたけど……」
……私がセシルさんの自室でしているようなことを、この人はしていたってことだろうか。
それは、研究中の邪魔を嫌うけど、一区切りついているタイミングで声をかけるくらいなら対応は素っ気ないけど拒絶はしないっていう、いつものセシルさんの姿そのものだった。
「……セシルさんらしいですね」
「えぇ、本当にね。でも、同じ年頃の子たちが楽しそうに話しながら帰っていくのを、少しだけ見ていたことはあったわ。すぐに本へ視線を戻していたけれど」
「…………」
マルタさんはそれがどういう感情かなんて言わなかったけど、嫌でも想像できてしまった。
何も言わない。
寂しいとも、羨ましいとも言わない。
ただ少しだけ見て、すぐに本へ戻る。
それが、妙にセシルさんらしくて、だからこそ胸が痛かった。
「だからね、2人があの子のことを友達だと言ってくれて、私は少し安心したの」
マルタさんは、私たちを見て穏やかに笑った。
「セシルちゃんは優秀よ。昔からずっと、周りの大人が驚くくらいに。でも、優秀だからって、誰とも関わらなくていいわけじゃないでしょう?」
「……はい」
「もちろん、あの子は貴方たちにそんなことを望んでないって言うでしょうけど。きっと、友達だと言われても変な顔をするでしょうね」
「すると思います」
「絶対にしますね」
私とリーゼちゃんの返事が重なった。
思わず顔を見合わせて、小さく笑ってしまう。
マルタさんもつられるように笑った。
「でも、嫌ならそもそも近くに置かない子よ。あの子はそういうところだけは分かりやすいから」
「それは……そうですね。すごい毛嫌いされちゃってる人も知ってます」
「ふふ、本当に変わってないのね。……でも、だからこそ、貴方たちに写本を手伝わせているのだって、ただ便利だからというだけではないと思うわ」
「……そうだと、嬉しいです」
思わずそんな言葉が出た。
セシルさんに聞かれたら、何馬鹿なこと言ってるのとか呆れられそうだけど。
それでも、嬉しかった。
「だから、これからも仲良くしてあげてね」
マルタさんはそう言ってから、もともと潜めていた声をさらに少しだけ潜めた。
「ただし、この話は本人には内緒。絶対に」
「は、はい。絶対に言いません」
「私も言いません」
「ありがとう。あの子に知られたら、私まで毛嫌いされちゃうもの」
マルタさんはそう言って、困ったように笑った。
その笑い方がセシルさんを大切に思っているのが伝わってきて、なんだか温かい気持ちになった。
私たちはマルタさんに見送られながら図書館を出た。
夜の学術都市は昼とはまた違っていて、魔道具の灯りが通りを柔らかく照らしている。
道行く人の数は減っているけど、完全に静まり返っているわけではない。
セシルさんの家に帰る途中、リーゼちゃんが小さく口を開いた。
「セシルさん、ずっと1人だったんですね」
「……そうみたいですね」
正直に言えば、セシルさんの事情はまだ全然理解できてない。
なんで私とリーゼちゃんをシルヴィアさんみたいに毛嫌いしていないのかも、ここに連れてきてくれたのかも、完璧には理解できてない。
「……リーゼちゃん」
「はい」
「明日の夜、セシルさんを誘ってみませんか?」
「誘う、ですか?」
「はい。お茶とか、お菓子とかを用意して……小説に載っていたみたいに、女の子だけでお話しするみたいな」
リーゼちゃんは少しだけ目を丸くして、それからふわりと笑った。
「いいですね。セシルさん、嫌がるでしょうか」
「多分、嫌そうな顔はすると思います」
「ならどうすればいいですかね……?」
「……セシルさん、実は区切りがついている時にお誘いしたりすると結構乗ってくれるんですよ? だから、一緒に帰って家についてすぐに誘えば、多分」
2人で顔を見合わせて、また小さく笑った。
セシルさんを誘う。
ただそれだけのことなのに、少しだけ緊張する。
でも、楽しみでもあった。
「お菓子は手が汚れにくいものにしましょうか」
「あ、確かに。セシルさん、書き物しながら食べられるもの好きそうですもんね。お茶は……苦いものより、香りがいいものの方がいいでしょうか」
「なんと私、少しだけお金を持ってきています。それで買いましょう……この後、寄り道することになっちゃいますけど」
「……ふふ、怒られてしまいそうです。セシルさんには内緒の計画ですね」
「はい。内緒です」
そうして、私とリーゼちゃんはセシルさんに内緒で、明日の夜の小さなお茶会を企画し始めた。
上手くいくかは分からない。
セシルさんは呆れるかもしれない。
それでも、少しだけでも、セシルさんが楽しいと思ってくれたらいい。
そんなことを考えながら、行動を開始した。
「え、っと……ここ、どこ、ですかね……?」
「私も、分からないですね」
『……案の定こうなりましたか』
リーゼちゃんと顔を見合わせながら困り果ててしまう。
リーゼちゃんの耳も心なしか垂れ下がっている気がする。
『トコヨは分かったりは……』
『そりゃ帰路は分かりますけど、目的はお茶菓子ですよね? 流石に私もそんなの知らないですけど』
「ふ、フラン……」
私がトコヨに声をかけると同時に、リーゼちゃんも肩に乗っているフレスベルグに声をかけていた。
……リーゼちゃんのしょんぼりした感じとフレスベルグの嘴をカチカチと鳴らして咎めるように見据えてる感じからして、返答は芳しくなさそうだけど。
どうしよう……あんまり遅くなりすぎてもセシルさんに心配かけちゃうだけだし……
「ん? おい、そこのちびっこ2人組は何してんだ。依頼主殿はどうした」
「へ?」
「ルドガーさん?」
私たちにかけられたと思われる声の方向を振り返ると、そこにはルドガーさんがいた。
「もう暗くなってきてんだろ。警戒心薄いお前さんたちを依頼主殿が放っておくと思えないんだが?」
「えっと、ですね……」
『もう素直に話して協力してもらった方がいいんじゃないですか? ルドガーならある程度は信じられますしこの辺のお店くらいは把握してそうですけど』
トコヨの言うことももっともな気がする。
少なくとも、私とリーゼちゃんだけではどう考えてもセシルさんが帰宅するまでに帰宅できると思えない。
「あ、あの! ルドガーさん! 少し力を貸してほしいんですが!」
ルドガーさんなら大丈夫だよねと思って意を決して声を張り上げた。