天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
大きな犬に近い姿をした黒い魔物が、ルドガーさんの一閃で切り裂かれる。
7匹もいた群れだったけど、ルドガーさんが突っ込んでいって瞬く間に全て切り伏せてしまった。
光弾を準備していたけど、必要なかったらしい。
「……早いですね」
「この程度ならな」
ルドガーさんは剣についた黒い血のようなものを軽く振り払うと、倒れた魔物たちへ視線を向けた。
本当に、この程度と言わんばかりの反応だった。
私からすれば、7匹の魔物に囲まれるだけでも十分恐ろしい。
それなのに、ルドガーさんは真正面から踏み込んで、一匹目を切り伏せた勢いのまま二匹目の頭を叩き割り、横から飛びかかってきた三匹目を身体を半歩ずらすだけで躱して首を落としていた。
残りの魔物が怯んだように足を止めた時には、もう遅い。
ルドガーさんは地面を蹴って距離を潰し、魔物の間を縫うように動いて、剣を振るうたびに黒い身体を地面へ沈めていった。
魔物に同情するつもりはない。
だけど、ルドガーさんの戦いぶりはあまりにも圧倒的だった。
「私もほとんど何もできませんでした……」
リーゼちゃんも、持ってきていた木の杖を前に出したまま困ったように笑っていた。
肩に乗っていたフレスベルグは小さく鳴いてから翼を畳んでいる。
「フランも、手を出す暇がなかったって言ってます」
「出番がないならそれに越したことはないだろ?」
ルドガーさんがそう返すと、フレスベルグがふすんと鼻を鳴らした。
その様子を見て、リーゼちゃんが少しだけ笑う。
「ここが報告にあった場所なんですよね?」
「そ。カルドラ王国側の街道すぐ近くの草原地帯。目撃報告があった場所の一つ」
セシルさんは地図を広げながら、現在地らしき場所に小さく印を付けた。
地図には、マルタさんから聞いた魔物の出没報告がいくつも書き込まれている。
こうして印が増えていくと、ただ魔物が出たというだけでは済まない不気味さがあった。
「分かってたことだけど、やっぱりおかしいね」
「おかしい、ですか?」
「街道近くで7匹の群れ。しかも、明らかにこっちを狙って動いてた。普通なら、ここまで分かりやすいやつらは街道まで出てくる前に都市雇いの魔術師が間引いてる」
セシルさんは地図から顔を上げないまま言う。
「ヴァイスタール周辺は比較的安全。学院の実地訓練にも使われることもあるし、街道周辺は定期的に魔術師が巡回してる。だから、商人も旅人もこの街道を通る。……その場所でこれ」
「普段なら考えにくいということですか?」
「少なくとも、よくあることではない。ましてや、あの司書の話では依頼する人数を増やしまくってて、都市雇いの魔術師総出で間引いて、学生と教師連中の授業まで増やしてこれ。まず考えられない」
セシルさんの声は淡々としていた。
だけど、地図を見る目は少し険しい。
それを見て、胸の奥に小さな不安が広がっていく。
「依頼主殿がこういう依頼を受けるとは思ってなかったんだがな」
唐突に、ルドガーさんがそんなことを言った。
「なに」
「いや。依頼主殿は、図書館に籠もって研究して、飯も片手間で済ませて、また研究に戻るような人種だと思ってたんだよ。街のために魔物討伐なんて、殊勝なことする性格には見えなくてな」
「別に街のためじゃない。放置した結果、後で面倒になる可能性が高いと判断しただけ。——あとそこのクソ真面目な巫女が口うるさかった」
「あ、あはは……」
セシルさんが目を細める。
私は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
ルドガーさんはこっちを見てからからと笑っている。
セシルさんもそれ以上言い返す気はないのか、地図へ視線を落とす。
私としては、ルドガーさんの言っていることも少し分かる。
セシルさんは自分から誰かのために動くと宣言するような人ではない。
でも説得した身としては、今こうして動いてくれている事実が嬉しかった。
結構根に持たれてるっぽいのが後で怖いけど……
「つっても、街中でも腕利きの傭兵や護衛に声かけてるのは散々見かけたぜ。張り紙も多かったしな。俺も今の依頼がなきゃ適当に受けてたかもしれん」
「今の依頼ですか?」
「依頼主殿の護衛だよ。お嬢さん方を守るっていう立派な仕事の最中だろ」
「あ、そ、そうでしたね」
リーゼちゃんがアワアワしながら頷いた。
『……ルドガーさん、こういう線引きは本当にしっかりしてるよね』
『お酒を理由に依頼の詳細聞くの断ったりもしてましたしね。依頼する側としてはこういう方が安心ですね』
最初の酒場での様子はあまり見たことがないタイプの人でちょっと不安だったけど、ここまできっちりしてるとは思ってなかった。
「こっちの依頼にまで協力させた以上、依頼の報酬も山分けする」
「いいのか?」
「戦闘の大半をあんたに任せるなら当然でしょ。ただ働きさせるつもりはない」
「殊勝だねぇ」
「その言い方やめろ」
「悪い悪い」
絶対に悪いと思っていない。
そう思ってしまったけど、セシルさんもそれ以上は言い返さなかった。
「とりあえず、もう少し周囲を探索するよ。リーゼ」
「はい! フラン、お願いします!」
セシルさんがリーゼちゃんに視線を向けると、リーゼちゃんはすぐにフレスベルグに声をかけた。
フレスベルグは小さく鳴いて、リーゼちゃんの肩からふわりと飛び立った。
それから、風に乗るように一気に上空へ舞い上がる。
「フラン、あまり遠くには行かないでくださいね」
リーゼちゃんが空を見上げながら声をかける。
フレスベルグはその声に応えるように一度旋回してから、草地の上空を滑るように飛んでいった。
「便利だな」
「フランはとっても頼りになるんですよ!」
「こりゃ確かに。上から見つけられるなら、こっちが奇襲される危険も減る」
ルドガーさんが素直に感心したように言う。
確かに、上空から探せるのはすごく便利だ。
私たちだけで草地の中を歩き回っていたら、どこに魔物が潜んでいるか分からない。
『では、私は近くを見ておきましょうか』
『お願いできる?』
『フレスベルグもいますし、私はある程度近くの茂みとか木陰とか、そういう分かりにくい場所を見ておきます』
『ありがと』
『ふふ、この頼れる友であるトコヨちゃんがいることに感謝してください』
『それ自分で言う?』
トコヨは茶化すように笑いながら、私たちの少し前へ飛んでいった。
もちろん、私以外には見えていない。
いつものことではあるけど、トコヨが見つけてくれたとしても、そのまま伝えるわけにはいかない。
少し歩いたところで、空からフレスベルグが戻ってきた。
私たちの上を旋回しながら、短く鳴く。
リーゼちゃんはその鳴き声を聞いて、すぐに顔を引き締めた。
「前方、少し右寄りに魔物がいるみたいです。数は……6匹くらい。少し大きな四足歩行の魔物の群れだと思う、と」
「依頼主殿、どうする?」
「討伐する」
「あっちです」
リーゼちゃんがフレスベルグの動きを見ながら、草地の奥を指差す。
私たちはその方向へ移動を始めた。
歩きながら、セシルさんが地図に新しい印を書き込む。
ルドガーさんは先頭を歩き、リーゼちゃんはフレスベルグとやり取りしながら位置を確認している。
私はその後ろを歩きながら、周囲に目を凝らしていた。
『ミコト、左』
『左?』
『多分ですけど、少し遠くの草むらの中に一匹隠れてます。群れからはぐれたのか、待ち伏せなのかは分かりませんが』
左。
何も見えない。
草が揺れているような気はするけど、風で揺れているだけにも見える。
でも、トコヨが言うならいる。
「ルドガーさん」
「どうした?」
「左の草むらに、何かいる気がします」
ルドガーさんは一瞬だけこちらを見て、身構えながら離れた位置にある左の草むらへ視線を向けた。
次の瞬間、黒い影が飛び出す。
犬型の魔物が、低い姿勢で私たちへ飛びかかってきた。
「おいおいまじかよ」
ルドガーさんは笑うように言いながら、踏み込んだ。
振るわれた剣が、魔物の顎から頭を斜めに断ち切る。
魔物は飛びかかった勢いのまま地面に転がり、動かなくなった。
「す、すごいですミコトさん! よく気付きましたね!」
「え、えっと……なんとなく、です」
『なんとなくで押し通すには無理がある気もしますけどねぇ』
『ま、まぁこういうしかないし……』
「なんとなくねぇ。なかなかいい勘してんな」
ルドガーさんが感心したように言ってくる。
疑われた感じはない。
むしろ、本当にすごいと思ってくれているようだった。
トコヨのおかげでしかないから反応に困る。
「い、いえ、そんな……それに、声をかけなくてもルドガーさんなら対応できたのでは?」
「まぁ否定はしないが……それでも、余裕ができたのは事実だしな」
そんな会話をしている間にも、私たちはフレスベルグが見つけた魔物の群れへ近づいていった。
草地の先に、大きな四足歩行の魔物がいた。
狼みたいなそうでないような形だけど、身体は黒くて目は赤い。
フレスベルグの言っていた通り6匹。
こちらに気付くと、低く唸りながら散開する。
一匹が正面から、二匹が左右に回り込み、残りは少し後ろで様子を窺っている。
「群れで動く知恵くらいはあるわけだ」
ルドガーさんが剣を構える。
「リーゼ、右に回ったやつを止められる?」
「はい! 風よ、収束せよ。天駆ける翼よ、鋭き螺旋となりて敵を撃て——貫け、エアロランス!」
リーゼちゃんの放った風の槍が、右側から回り込んでいた魔物を吹き飛ばす。
地面に転がった魔物が立ち上がる前に、ルドガーさんが正面の一匹を斬り伏せ、そのまま身体を捻るようにして左から来た魔物の爪を避けた。
剣の柄で魔物の顔を叩き、体勢が崩れたところに刃を突き込む。
速い。
私が光弾を飛ばす隙を探している間に、二匹、三匹と倒れていく。
「光弾っ!」
それでも、後ろでルドガーさんへ飛びかかる機会を狙っていた魔物へ光弾を放つ。
命中した光が魔物の肩を焼き、動きを鈍らせた。
「助かる」
ルドガーさんは短く言うと、その魔物へ踏み込み、一撃で仕留める。
最後の一匹が逃げようとしたところで、私の背後から飛来した雷撃が突き刺さった。
セシルさんが手早く詠唱を済ませていたらしい。
草が大きく倒れ、魔物の足が止まる。
その隙にルドガーさんの剣が届いた。
「終わりだ」
「……本当に、ほとんどルドガーさんが倒してしまいますね」
「それが仕事だからな」
何でもないことのように言う。
だけど、近くで見ていると分かる。
ルドガーさんはただ強いだけじゃない。
私たちの位置、リーゼちゃんの詠唱、セシルさんの立ち位置、フレスベルグの動きまで見ている。
私たちの邪魔にならない場所で魔物を倒し、私たちに魔物を近づけないようにしている。
私たちの魔術や聖魔法は確かに援護になってはいるけど、ルドガーさんだけでもできたことを補助して手早く済ませているという意味合いの方が強い気がする。
セシルさんは倒れた魔物と地図を見比べて、また印を増やしていく。
こうやって魔物を討伐する度に記録しているみたいだけど、あらかじめ報告されていた場所以外の印があまりにも多すぎた。
「……多い」
「だな」
「この周辺だけで、既に報告数と合わない。ある程度のズレはしょうがないにしても、何倍にもなってるのは普通におかしい」
「街道周辺でこれなら、少し奥に入るだけで相当いるな」
「そういうこと。だから、もう少し広く見る」
「夕方までか?」
「日が落ちる前には戻る。夜にこの数の魔物を相手にするのは面倒」
「妥当だな」
その後、私たちはさらに広範囲を移動することになった。
フレスベルグが上空へ舞い上がり、目立つ魔物の群れを見つける。
リーゼちゃんがフレスベルグの鳴き声や動きから位置と数を読み取る。
ルドガーさんが先頭で進み、見つけた魔物を討伐して、セシルさんが地図に記録する。
トコヨは私の近くを飛び回りながら、草むらや岩陰に潜む魔物を見つけてくれる。
私はそれを、なんとなく違和感があるという形で皆に伝える。
その繰り返しだった。
移動と討伐を繰り返していると、少し開けた斜面に出た。
風が吹き抜けて、草が波のように揺れる。
空はまだ明るいけど、少しずつ日が傾き始めていた。
「セシルさん、魔物って……なんなんでしょうか?」
その移動の最中、リーゼちゃんがぽつりと言った。
「何が聞きたいの」
「いえ、その……動物とは違うのは分かります。でも、群れで動いたり、逃げようとしたり、隠れたりもしますよね。生き物のようにも見えるのに、私たちを見つけると必ず襲ってきます。どういう存在なのかなって」
リーゼちゃんの疑問に、私も少し考える。
魔物。人を襲う恐ろしい存在。
私にとっては、故郷を襲ったものでもある。
「正体不明の生物。それ以上のことはほとんど分かってない」
「分かっていないんですか?」
「そ。初めて魔物が報告された記録があるのは……大体3000年前くらいかな。それ以前の記録には魔物の存在が見当たらない。ある時から、世界中に発生するようになったって考えられてる」
「3000年も前からいるのに、分かっていないんですね……」
「動物のような営みを送っているのは観測されてる。群れを作る。縄張りに近いものを持つ。餌を食う。休む。繁殖に近い行動が記録されたこともある。でも、どこから発生して、どう増えて、なぜ人を襲うのか。根本的な部分は不明」
セシルさんは地図を畳まずに、歩きながら説明してくれる。
こういう話になると、やっぱりセシルさんは分かりやすい。
「確実なのは、人を食料として見ていること。群れ単位の行動までしか観測されない生物としては考えられないような集落、村、街への大襲撃も時々起きること。今回ヴァイスタールが警戒して依頼を流しまくってるのも、それを疑ってるからだって言ってたでしょ」
「大襲撃……」
その言葉に、喉の奥が詰まるような感覚があった。
故郷の光景が、少しだけ頭を過る。
燃える神社。黒い魔物。
倒れていた人たち。
『ミコト』
『……大丈夫』
『本当ですか?』
『うん。今は大丈夫』
トコヨの声が少しだけ柔らかくなる。
私は小さく息を吐いて、前を向いた。
「街や村が襲われると、どうなるんですか?」
「防衛力次第。ある程度の外壁があって、魔術師や傭兵がいて、神官が治療できるなら耐えられる可能性はある。小さな村なら助けを呼ぶ前に終わる。ヴァイスタールレベルだと相当な規模じゃない限りそこまでにはならん」
セシルさんの言葉は淡々としている。
だからこそ重かった。
故郷のことがあるだけに、大量の魔物の襲撃による脅威は身に染みている。
神官や魔術師すら碌にいない集落が襲撃にあえばどうなってしまうかなんて、考えるまでもなかった。
「街道沿いの魔物討伐が仕事になるのも、それが理由だな。商人が襲われりゃ物が届かなくなる。村が孤立する。護衛を雇えない連中から死んでいく。だから、こうやって間引く奴が必要になる」
「シスイやライルさんも、そういう依頼を受けているって言ってました」
「……あぁ、あいつらのことか。ま、そういうこった」
ルドガーさんは短く言った。
それから、少しだけ口の端を上げる。
「ま、依頼主殿の場合は、後で面倒になるかららしいがな」
「しつこい」
返答がすごく早かった。
リーゼちゃんと少しだけ顔を見合わせて笑ってしまう。
「なんで笑う」
「いえ、なんでもありません」
「なんでもないです」
「……」
セシルさんが不満そうに睨んできている。
そんな会話をしていると、上空からフレスベルグが戻ってきた。
また魔物を見つけたらしい。
それからも、私たちは魔物を見つけては討伐した。
小さな群れを7つ。
単独で潜んでいた獣人のような姿の魔物を1匹。
街道へ向かうように移動していた少し大規模気味の群れを1つ。
ルドガーさんはそのほとんどを1人で制圧した。
リーゼちゃんとフレスベルグが動きを乱して、セシルさんが隙を見て撃ち抜いて、私は光弾で足止めをする。
だけど、倒したのはほとんどルドガーさんだった。
気付けば、空は赤く染まり始めていた。
草地も林も、夕陽に照らされて色を変えている。
戦闘を繰り返したせいで、足も少し重かった。
「今日はここまで」
セシルさんが地図を畳んだ。
「こんだけやりゃ十分でしょ」
「魔物の数は十分じゃ済まねぇけどな」
ルドガーさんが剣をしまいながら言う。
その声は軽いけど、表情は真剣だった。
「報告がかなり面倒だなこりゃ」
「分かってる。報告地点より広範囲に出没。街道近辺にも複数の群れ。大型個体も確認。全く抑えきれてない可能性がある」
「フランも、離れた位置にはまだたくさんいると言っています。今日見つけたものだけではないみたいです」
リーゼちゃんが空から戻ってきたフレスベルグを肩に乗せながら言う。
フレスベルグは疲れた様子もなく翼を畳んでいた。
でも、リーゼちゃんの表情は暗い。
「……ヴァイスタール、大丈夫でしょうか」
「だから依頼を出してる。まだ間に合う段階だと思いたいね」
セシルさんはそう言って、街の方向へ歩き出そうとした。
その時だった。
「きゃあああああっ!」
夕暮れの草地に、甲高い悲鳴が響いた。
遠くない。
街道の方角からだ。
「女の子の声……?」
リーゼちゃんが息を呑む。
フレスベルグが鋭く鳴いてすぐに翼を広げ、上空に飛び上がった。
「フランが、魔物に襲われている人がいるって!」
「依頼主殿?」
「……いい。気にせず行け」
「りょーかい。走るぞ!」
ルドガーさんが真っ先に駆け出した。
私たちもその後を追う。
草をかき分けて走ると、街道脇に猫の耳と尻尾を持つ少女が腰を抜かしたように後ずさっている。
旅商人らしい荷物が散らばり、その前には黒い犬型の魔物が数匹、唸り声を上げながら迫っていた。