天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
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一刻ほど二人の訓練に付き合い、最低限の修正点だけを叩き込んだところで、セシルは訓練場を出た。
「同じことを繰り返して。出力を上げるのは禁止。ミコトは火弾から目を逸らさない。光弾は命中精度を意識して。リーゼは説明したことを意識して。分かった?」
「はい!」
「分かりました!」
扉を閉めても、二人分の元気な返事が耳に残った。
うるさい。
訓練そのものは必要だったし、基礎が雑なまま実戦に出られる方が面倒ではある。
それでも、街の調査をするつもりだったはずが、なぜ箱入り娘2人の訓練まで見ているのかは自分でもよく分からなかった。
リーゼはまだ分かりやすい。
褒めれば喜ぶ。欠点を指摘すれば落ち込む。説明すれば真剣に聞き、分からないことがあればそのまま質問してくる。
夢見がちで、理想論が多く、王女として育った割には人を疑うことも不得手。
見た目のままの、幼いガキだった。
少し騒がしくはあるが、不快というほどではない。何を考えているのかが顔に出る分、扱いに困ることも少なかった。
問題はもう一人の方だ。
ミコトは、無遠慮に踏み込んでくるわけではない。
研究中には声をかけてこない。
部屋に入ってきても勝手に本を読み、用が済めば静かに帰る。
何かを聞く時も、こちらの手が止まるまで待っていることが多い。
最初は本を借すだけだった。
部屋に入るのを許可したら、素直に従って部屋に入ってくるようになった。
それから食事に誘われ、旅に誘われ、気づけばこちらが何をしているのかを当然のように気にされるようになっていた。
一度に踏み込んでくる距離は小さい。
こちらが拒絶するほどでもない範囲を選びながら、少しずつ近づいてくる。
本人にその自覚があるようには見えないのが、余計に対応に困る。
今回の魔物討伐の話では、珍しく明確に踏み込んできた。
家を大切にしているのではないか。
この街も、図書館も、思い出も、全部どうでもいいわけではないのではないか。
勝手なことを好き放題に言われた。
思い出すだけで腹が立つ。
だが、あの時のミコトは、ただ善人ぶっていたわけではなかった。
無くなってからでは遅い。
そう口にした時、ミコトの表情は明らかに曇っていた。
詳しく聞いたわけではない。それでも、何を思い出していたのかくらいは想像できた。
自分が後悔したから、同じ後悔をさせたくない。
恐らくは、その程度の単純な理由だったのだろう。
理解できることと、踏み込んできたことを許すかは別だったが。
『セシルには不要な言葉かもしれん。だが、質問に答え続けた先達からの最後の助言だ』
ふと、養父の声が頭を過った。
『——セシル、視野を拡げよ。セシルの頭脳を疑っているわけではない。だが、孤独は思想を単一化させる。単一化した思想は、必ず限界に突き当たる。自らを絶対視するな。他者の発想を取り入れることを、忘れてはならん』
死の間際まで、余計な心配をしていた。
養父を嫌っていたわけではない。
こちらに干渉してくることも多かったが腐っても魔術学院学長。
図書館で浮かんだ疑問は、自宅で養父に聞けば全て解消してくれた。
そんな養父が残した最後の言葉。
自分一人の考えに固執するな。
既存の理論と自分の考えだけを正しいと思い込まず、他の魔術師が組み上げた術式や発想にも目を向けろ。
セシルは、その程度の助言として受け取った。
実際、それ以外の意味はないはずだ。
各地を旅して、知らない魔術を見た。書物を集め、他者の研究を読み、自分にはなかった理論と発想を取り入れてきた。
養父の言葉には、既に従っている。
それで終わった話だった。
孤独という言葉を、研究以外へ広げる必要はない。
養父が最後まで心配そうに自分を見ていた理由も、今になって考え直す必要はなかった。
まして、拒絶しても離れずに少しずつ近づいてくるミコトや、何を考えているのか分かりやすいガキの姿と重ねるような話ではない。
「……くだらない」
小さく吐き捨て、考えを振り払う。
今は他人の心情を考えている場合ではない。
街で起きている変化を調べる方が先だった。
訓練場を出たセシルは、通りの端で一度足を止めた。
朝よりも人通りは増えている。
図書館へ向かう魔術師風の者。学院の制服を着た若者。書類の束を抱えた職員。荷車を押す商人。
物々しい準備をして門に向かっている者もいるが、魔物対応に出ようとしているだけだろう。
それ以外は、昔と大きく変わらない光景だった。
違うのは、人々の手にある食べ物だった。
腕ほどの長さがあるパンを両手で抱えている学生。
串に刺さった肉を何本も持って歩く男。
大きな紙袋から焼き菓子を取り出しては、立て続けに口へ運ぶ女。
ヴァイスタールでは珍しい光景だった。
この街には、食事そのものに時間をかけたがらない人間が多い。
本を読む。書類を書く。術式を組む。実験をする。
その片手間に腹を満たせれば、それでいい。
だから手を汚さず、片手で食べられ、作業を中断しなくて済むものが好まれていた。
少なくとも、セシルがこの街で暮らしていた頃はそうだった。
セシル自身もその一人であるのだから、疑いようもない。
10年近くこの街で過ごしたが、この点に関しては自分が異端であったことなどない。
変わった理由を確かめる必要がある。
ただし、聞き方は選ばなければならない。
最近の料理はおかしい。
量を増やす必要などなかった。以前の方がこの街らしかった。
そう否定して聞けば、店側は自分たちの判断を責められたと受け取る。
そうなれば、変えた理由を正当化しようとする。
曖昧な記憶を都合よく整え、客の要望だったと話をまとめる可能性もある。
要望だったというのが事実であるのならそれでもいい。
だが、意図的に捻じ曲げられた回答では意味がない。
欲しいのは弁明ではないのだ。
いつ、何を、何がきっかけで変えたのか。
その事実だけだった。
それに、可能性を口にするわけにもいかない。
セシルの中には、現状を最も無理なく説明できる形が一つあった。
魔物の活性化と、人間の食欲の変化。
同じ時期に広い範囲で起きた二つの異常が、一つの大きな影響によって引き起こされている可能性。
だが、現状の推測は荒唐無稽過ぎる。
他者の食欲だけを長期間にわたって増大させるなど、前例があるわけがない。
理解が得られるとも思わない。
セシルが秘めていたその推測こそが、『なんらかの魔術実験の影響』というものだった。
精神干渉に類する術であれば、対象ごとに術式を作用させる必要がある。街全体に影響を及ぼす規模となれば、必要な魔力も術式も現実的ではない。
そもそも魔物と人間の両方へ、異なる形で同時に影響を与える理論など聞いたこともなかった。
魔術師に話せば、まず存在しないと切り捨てられる。
セシル自身も、少し前までならそうしていた。
"あの術式"を、知ってしまうまでは。
新しい料理が流行しただけでは、魔物の活性化を説明できない。
だが、あれを踏まえて考えれば、セシルがしていた推測は、他の可能性よりは筋が通る。
食材や水に何かが混ざったのであれば、広い範囲にいる魔物まで同時に変化する理由がない。
街の人間が偶然同じ時期に食欲を増し、その時期と魔物の異常が偶然重なったと考えるよりは、まだ一つの原因が存在すると考える方が自然だった。
常識から外れている。
だが、間違っているとは限らない。
もっとも、それは仮説ですらない。
根拠の薄い、現時点で最も説明力が高いというだけの想定だった。
そんなものを聞き込みの最初から持ち出せば、相手の証言を歪める。
逆に、馬鹿げた話だと判断されれば、まともに取り合われなくなる。
だから聞かない。
魔術の話も、異常の話も、自分の推測も伝えない。
客のために量を増やした。
売れ筋に合わせて品を変えた。
恐らく店側は、善意か商売上の合理性で調整しただけだ。
ならば、その工夫を否定せずに聞けばいい。
セシルは腰の鞄から小さな帳面と羽ペンを取り出した。
最初に向かったのは、魔道図書館からほど近い食事処だった。
昔から学院の学生や職員がよく使う店で、肉と野菜を包んだ小さなパイが売りだった場所。
セシル自身が幼少期に通った場所でもあり、少し前にもミコトたちと訪れた場所。
昼前にもかかわらず、店内には既に何人もの客がいた。
テーブルの上には、大きな皿が並んでいる。
以前の倍はありそうな肉料理。深い器いっぱいに盛られた煮込み。籠から溢れそうなほど積まれたパン。
どれも一人分として出されているらしい。
「いらっしゃい。空いてる席に――あら、セシルちゃんかい?」
店の奥から出てきた中年の女が、セシルの顔を見て目を丸くした。
……あの時いなかったのは好都合だと思ったが、今日はいたらしい。
この人は無駄に話しかけてくるから苦手だ。今回に限っては、好都合ではあるが。
「久しぶりだねぇ。いつ帰ってきたんだい?」
「少し前」
「そうかい。相変わらず愛想がないね。今日はいつものパイでいいのかい?」
「食べに来たわけじゃない。聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
女は不思議そうにしながらも、近くの机を布で拭き始めた。
忙しくなる前なら、多少の話をする余裕はあるらしい。
セシルは店内の料理へ視線を向ける。
「量、増やしたんだ」
「ああ、それかい。驚くだろう? 最近は皆よく食べるからねぇ」
女の表情が少し明るくなった。
責められたとは思っていない。
このままでいい。
「大盛りにするサービスも始めた?」
「始めたよ。普通盛りでも前より増やしてるけど、足りないって言う子も多くてね。追加のパンと煮込みを無料にしたんだ。学生は金がない子も多いだろう?」
「評判いい?」
「そりゃもう。始めてから客も増えたよ。食べ盛りの子に腹いっぱい食べさせてやれるし、あんなにガツガツいい食いっぷり見せられたらこっちも嬉しくなっちまう」
善意だった。
少なくとも、女は本心からそう思っている。
「いつから始めたの」
「大盛りのサービスかい? 二週間くらい前だったかな」
「料理自体を増やしたのは」
「その少し前だね。三週間くらい前から、常連の子たちに少ないって言われることが増えたんだよ。最初は何人かだけだったけど、一週間もしないうちに皆似たようなことを言い始めてね」
セシルは帳面に書き込む。
三週間前から増量の要望。
二週間前から大盛りと追加の無料提供。
唐突な要求に違和感を覚えている様子すらないということは、この人自身も量に違和感をあまり抱かなかったということ。
ここまで聞かなくても分かってしまう。
「一番最初に言い始めたのは、学院の学生?」
「そうだね。学院の研究棟によくいる子たちだったと思うよ。その後は図書館の職員も、近くで働いてる商人も、皆だね」
「量を増やした後、残す客は増えた?」
「それが全然。前より多いのに、綺麗に食べるんだよ。追加を頼む子までいるくらいさ」
女は困ったように笑った。
「材料の仕入れが追いつかなくてね。肉も小麦も今までよりずっと多く買ってる。儲かってはいるけど、このまま量を増やし続けたら、値上げも考えないといけないかもしれないねぇ」
「そ」
客が食べきれない量を店が勝手に出しているわけではない。
客が要求し、実際に食べている。
店の判断は、その需要に応えた結果だった。
セシルはもういくつか確認した。
味付けや材料の仕入れ先は変えていない。
客層にも大きな変化はない。
学院や図書館以外から大量の人間が流れ込んだわけでもない。
変わったのは、同じ客が求める量だけだった。
「助かった」
「もういいのかい? 何を調べてるのか知らないけど、昼でも食べていったらどうだい?」
「いらない」
「相変わらずだねぇ。ちゃんと食べてるのかい?」
「食べてる」
これ以上続けると、堕神官と同じような説教が始まりかねない。
セシルは早々に店を出た。
次に向かったのは、図書館前の通りに出ている屋台だった。
昨日マルタと話した時にも見えた場所。
以前は小さなパンや焼き菓子、薄く切った干し肉を紙に包んで売っていた店が並んでいた。
今は違う。
太い串に何枚もの肉を刺した串焼き。
拳より大きな揚げ物。
具材を詰め込みすぎて片手では持てないパン。
商品を並べる台そのものまで、以前より大きくなっていた。
その中の一つ、品物は違うものの店主に覚えがある屋台に近づく。
「いらっしゃい。串焼きかい? 今焼けたところだよ」
「買わない。最近、品を変えた?」
「ん?」
屋台の男が手を止める。
セシルは台の上に並ぶ大きな串焼きを指差した。
「前は細い干し肉と小さいパンが中心だったでしょ。今の方が売れてるみたいだけど、変えたのはいつ?」
「ああ、そういうことか」
男は嬉しそうに笑った。
「十日くらい前だよ。最初はでかい串焼きを試しに何本か出しただけだったんだ。最近、もっと腹に溜まるものはないのかって聞かれることが増えてたからな」
「売れた?」
「昼前に全部なくなった。それで次の日から数を増やした。小さいパンよりこっちの方がずっと売れる。だから、今はほとんど大きいものに変えたってわけだ」
「誰に言われて試したの」
「誰っていうより、客だよ。図書館の利用者も、学院の学生も、通りがかりの商人も。最初は何人かだったが、気づけば皆似たようなことを言ってた」
先ほどの店とほぼ同じだった。
「手が汚れるとか、食べづらいって言われない?」
「前はよく言われたな。串のたれをもっと落とせだの、紙を二重にしろだの。最近はそんなことを気にする客の方が少ない。両手が塞がるパンだって売れるんだから、分からんもんだよ」
「小さいものは売れなくなった?」
「全くってほどじゃないが、前よりは落ちたな。小腹を満たすより、きっちり腹を満たせるものが欲しいらしい。だから完全にメニューを置き換えたんだ」
「変えた理由は、客の要望と売れ行きってことね」
「そりゃそうだ。客が欲しがるものを売るのが商売だからな」
男は当然のように言った。
間違っていない。
客が求めるものへ品を変え、売れ行きに合わせて数を増やす。
商人としては正しい判断だった。
セシルは礼だけ告げて、次の屋台へ移った。
同じような話を、場所を変えながら聞いていく。
焼き菓子を売っていた女は、12日前から一つ一つを大きくしたと話した。
パン屋では、16日前から具材の増量を始めていた。
食事処では、20日前には量を増やす注文が増えていたと答える店もあった。
10日前から急に客の注文が変わったという屋台もある。
始まった日は完全には揃わない。
だが、どこもひと月以内だった。
そして、店側から変えた場所はほとんどない。
客が求めた。
その要望が一部ではなくなり、店が合わせた。
売れたから、さらに変えた。
善意と商売上の判断が重なり、街全体の食事が少しずつ今の形に変わっていった。
セシルは通りの端で帳面を見下ろした。
書き込んだ日付と場所を、簡単な地図に移していく。
学院に近い店。図書館前の屋台。商人が多い通り。南門に近い宿場側。
今のところ、特定の客層だけに限られてはいない。
学院の人間だけでも、図書館の利用者だけでもない。
変化の始まりが早い店と遅い店はあるが、その差は店が客の要望にどれだけ早く応えたかでも変わる。
これだけでは、変化がどこから広がったのかは判断できない。
ただ、街の文化が自然に変わったという説明は苦しい。
人間の好みは変わる。流行もある。
だが、片手で済ませることを優先してきた人間たちが、短期間で一斉に食べやすさを捨て、量を求め始めるものなのか。
しかも、今までの倍近い料理を食べきり、さらに追加まで求めている。
セシルは顔を上げた。
通りの向こうで、細身の学生が大きなパンを食べ終えたところだった。
両手は油で汚れているだろう。
にもかかわらず、拭きもせずに本に手をかけた。
今までだったらあり得ない光景だった。
だが、学生は汚れを気にする様子もなく、隣の屋台で串焼きを二本買っている。
腹が減っている。単純に言えば、それだけだろう。
問題は、なぜ街中の人間が同じ時期に、同じように腹を空かせ始めたのか。
現時点で最も説明しやすい形は変わらない。
街と周辺一帯に、何かが影響を与えている。
そうとしか考えられなかった。
だが、常識に反する仮説を、説明しやすいというだけで事実として扱うのは愚かでしかない。
今必要なのは、それを主張することではない。
否定できなくなるだけの事実を集めることだ。
食欲が変化した時期。
変化が起きている範囲。
魔物が活性化した場所と時期。
それらが明確に重なれば、少なくとも偶然や流行という説明は切り捨てられる。
その先で初めて、あり得ないものを検討する価値が生まれる。
次に確認すべき相手は決まっていた。
街に住む人間よりも広い範囲を移動し、変化する前と後の客を直接見ている旅商人。
ファロ・ポロニア。
彼女は客の要求が変わった時期を、ひと月前から10日前の間だと話していた。
周囲の人間にも似た変化があったとも言っている。
客の信用に関わる部分は話せないと言っていたが、場所と時期だけでも価値はある。
セシルは南門へ向けて歩き始めた。
銀の止まり木亭は、南門から一本内側に入った通りにあった。
銀色の鳥が木の枝に止まっている看板が、建物の入口から吊り下げられている。
旅人向けの宿らしく、一階は食事処と酒場を兼ねていた。
昼前だというのに、既に何人かの商人が卓を囲み、次の目的地や街道の話をしている。
入口から中を見回すと、奥の席に見覚えのある猫耳があった。
ファロは卓の上に小さな包みをいくつも並べ、帳簿らしき紙と見比べながら荷物を整理していた。
セシルが近づくと、先に耳がこちらを向いた。
少し遅れて顔が上がる。
「あ、セシルちゃん! どうしたの?」
「ちゃん付けやめろ。昨日の話を聞きに来た」
「じゃあセシルって呼ぶね。昨日となると……客の食べ物の話?」
「そ。名前は出さなくていい。どの辺りの客が、いつ頃から、何を欲しがるようになったのか。周りで同じ変化があったなら、それも全部」
ファロはセシルの手にある帳面を見た。
軽い笑顔が消え、商談の時に近い真面目な表情へ変わる。
「……何か分かった?」
「まだ。だから聞く」
「分かった。座って。あたしも、昨日の後に少し思い出したことがあるから」
ファロは卓の上の荷物を端へ寄せ、向かいの椅子を引いた。
セシルはそこへ座り、閉じていた帳面の新しい頁を開く。
「じゃあ、一番最初に変だと思ったところから話すね」
「ん。順番に」
ファロの尻尾が、椅子の横で静かに揺れた。
セシルは羽ペンを取り出し、聞き込みを始めた。
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