天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
街の中心から少し離れた場所に、ヴァイスタールの教会はあった。
大聖堂と比べればもちろん小さい。
世界樹の麓の集落にある教会よりは大きく、白い石壁の正面には世界樹を模した彫刻が刻まれている。
だけど、落ち着いて建物を眺めている余裕はなかった。
教会の正面には、人が並んでいた。
腕に包帯を巻いた人。
足を引きずっている人。
遠目に見ても分かるほどの火傷を負っている人。
付き添いに肩を借りて、どうにか立っている人までいる。
教会の中からは、慌ただしく人を呼ぶ声が聞こえていた。
『……ここも手が足りていないみたいですね』
『うん』
列の横を通り、教会の中へ入る。
礼拝に使う長椅子は壁際へ寄せられ、空いた場所に敷物や簡易的な寝台が並べられていた。
神官服を着た女性が、横たわる子供の腕へ治癒を施している。
そのすぐ横では、教会の手伝いをしているらしい人が包帯や聖水を運んでいた。
見える範囲に神官は、その女性1人しかいない。
女性神官の周りには、治癒を待っている人が何人もいた。
列の先頭にいた男性の腕には、布がきつく巻かれている。
それでも血が止まりきっていないのか、布の端から赤い滴が落ちていた。
女性神官は、まだ子供の治癒を終えられていない。
誰かに許可を取っている場合ではない。
「失礼します。傷を見せていただけますか?」
「えっ……あ、あんたは?」
「治癒を使えます。すぐに終わりますから」
男性の前にしゃがみ込む。
戸惑う男性から許可をもらい、巻かれていた布を解いた。
腕の外側が深く裂けていた。
何か鋭いもので切られた傷。
魔物の爪だろうか。
出血を止めようと布をきつく巻いていたみたいだけど、それでも完全には止まっていない。
私は傷口に手をかざした。
オリツキ様へ祈りを捧げる。
手のひらに淡い黄緑色の光が灯った。
光が傷へ染み込み、開いていた皮膚が少しずつ閉じていく。
男性は、自分の腕と私の顔を交互に見ながら目を丸くしていた。
「痛みはどうですか?」
「……ない。いや、少し引っ張られてるような感じはあるが……さっきまでの痛みは……」
「傷は塞がっています。ですが、しばらくは無理に動かさないでください」
「ありがとう。助かった」
男性にお礼を言われ、次の人へ目を向ける。
足を引きずっている若い女性。
見える範囲では、足首が大きく腫れている。
「次の方、こちらへお願いします」
「えっ、でも……」
「あちらの神官様もまだ治療中ですから、私でよろしければ対応させていただきます」
女性を長椅子へ座らせ、傷を確認する。
その間に、最初の男性が周囲へ事情を説明してくれたらしい。
治癒を待っていた人たちが、少しずつ私の前にも並び始めた。
「そちらの方」
子供の治癒を終えた女性神官から、声をかけられた。
「は、はい。勝手に治癒を始めてしまい、申し訳ありません」
「謝罪は後で伺います。治癒を使えるのであれば、次にそちらの御老人をお願いできますか」
「分かりました」
咎められるかと思ったけど、そうではなかった。
女性神官はすぐに次の患者さんへ向かう。
私も言われた通り、背中を打ったという老人のもとへ移動した。
それからは、話をしている余裕もなかった。
治癒をして患者さんがお礼を言って去っていったら、空いた場所へまた新しい人が運び込まれる。
女性神官と私で、患者さんを手分けしながら治療を続けた。
どれだけの時間が経ったのか分からない。
教会の中にたくさんいた治癒待ちの人がいなくなった頃、女性神官が大きく息を吐いた。
「改めまして、ヴァイスタール支部の司祭、ロジーナ・アレンスと申します」
女性神官が、丁寧に頭を下げる。
肩のあたりで切り揃えられた淡い金色の髪に、灰色の瞳。
柔らかな表情ではあるけど、言葉の端々から芯の強さを感じた。
「ミコト・アメノです。世界樹の麓の集落にある神社で、筆頭巫女を務めています」
「……貴女が」
ロジーナさんは私を改めて見た。
「聖都からの発布で存じ上げています。聖樹の麓の集落で時神オリツキ様を奉じているという」
「そこまで把握してくださっていたのですか?」
「はい。神社を教会の公認組織として保護すること。その監督をフェルト司教が担われること。信仰や祈りの形が教会とは異なることも含めて、通達されています」
ロジーナさんは穏やかに笑う。
そのまま静かに目を閉じると手を組んで祈り始めた。
「これも聖樹のお導きでしょうか……感謝いたします」
「……ロジーナさんは、聖樹派なのですか?」
「ええ。聖樹の麓で時神様の教えを伝える方にお助けいただけたのも、聖樹のお導きでしょう。……一応言っておきますが、私たちは神聖派のように異端だなどと声を荒げることはありませんよ? それこそ、教皇猊下が御裁可なされたのですから」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
聖都で神社の保護が認められているとはいえ、それを各地の人がどう受け取っているかまでは分からなかった。
ロジーナさんは私が安心したのを見て取ったのか、少し笑みを深くした。
「それに、実力も十分に拝見しました。名乗るより先に、困っている方へ手を伸ばされる人柄も」
「勝手に始めてしまったことは、本当に申し訳ありません」
「本来なら咎めるべきところですが、私だけでは手が回っていなかったのも事実です。むしろ私は、お礼を申し上げるべきでしょう。貴女がいなければ、今も多くの方を待たせていました。ご協力、心より感謝いたします」
「いえ。私も、治療を手伝うために来ましたので」
「手伝うために?」
そのままセシルさんと進めている調査について簡単に説明した。
魔物が活性化した時期と、街の人たちの食事量が増え始めた時期が近いこと。
その原因を調べていること。
その確認のために、魔物の被害に遭った人から、無理のない範囲で話を聞きたいこと。
「もちろん、治療を優先します。聞き込みのために治療を手伝うというわけではなくて……その、困っている人のお力になりながら、もしお話を聞かせていただけるならと」
「お気持ちは分かりました」
ロジーナさんは少し考えるように、教会内の人たちを見渡す。
「教会での治療は、私一人で続けます」
「一人ですか?」
「はい。ヴァイスタール近辺を管轄する司教様と、この教会の助祭は、全員が対策本部の治療室で治癒を行っています。私は街の方々が普段訪れるこの教会を閉めるわけにはいかないため、こちらへ残りました」
だから神官がロジーナさん1人しかいなかったのか。
納得してしまった。
「先ほどまでは手が回っていませんでしたが、ミコトさんのお力添えで落ち着きました。この後来る方々であれば、私一人でも対応できます」
ロジーナさんは、少し申し訳なさそうに私を見た。
「ですので、可能であれば、対策本部の治療室へ向かっていただけないでしょうか。あちらは司教様と助祭総出でも手が足りていないと聞いています」
「もちろんです!」
「ありがとうございます」
ロジーナさんは近くの机へ移動すると、小さな紙に急いで何かを書き始めた。
最後に教会の印章を押し、私へ渡してくれる。
「これを治療室の神官へ見せてください。私から協力をお願いした方であると記してあります。調査についても、治療が落ち着いた時であれば、患者本人の負担にならない範囲でお話を伺って構いません」
「分かりました」
「どうか、無理はなさらないでくださいね」
「ロジーナさんも」
お互いに頭を下げ、私は教会を後にして真っすぐ学院へ向かった。
さっきとは違ってロジーナさんが持たせてくれたメモを見せて学院へ入り、対策本部の治療室の場所を尋ねる。
治療室として使われていたのは、対策本部のある中央講堂から少し離れた2つの大教室だった。
入口へ近づくだけで、呻き声と慌ただしく指示を出す声が聞こえてくる。
中へ入る。
室内には寝台が隙間なく並べられていた。
それでも足りないのか、床へ直接敷物を敷き、その上へ寝かされている人までいる。
血と汗。
聖水と薬草。
様々な匂いが混ざっていた。
神官服を着た助祭たちが、患者さんの間を走り回っている。
聖水の瓶が入った箱を運ぶ人。
汚れた布を回収する人。
患者さんへ治癒を施している人。
誰一人、立ち止まっていなかった。
部屋の奥は布で区切られている。
そこから、強い聖魔法の光が漏れていた。
おそらく、司教様が重傷者の治療をしているのだろう。
「すみません」
入口近くにいた助祭へ声をかける。
「新しい患者さんで——」
「患者ではありません。アレンス司祭から、治療の協力を頼まれてきました」
渡された紙を見せる。
助祭は急いで内容を読み、私の姿を見た。
「聖樹の麓の……」
「はい。治癒を使えます。どこを手伝えばよろしいですか?」
「助かります。司教様は奥の重傷者へかかりきりです。この教会の助祭は全員こちらへ来ていますが、軽傷者の治療すら追いついておらず」
助祭が室内を見渡す。
誰から手を付ければいいのか、それすら迷っているようだった。
『ミコト。右奥の壁際にいる方を先に』
『あの、胸元を押さえている人?』
『はい。見た目の出血は多くありませんが、さっきから呼吸が浅くなっています。呼びかけへの反応も鈍そうです』
私は言われた方向を見る。
男性が、壁にもたれるようにして横たわっている。
胸元には、魔物に殴られたらしい大きな痕があった。
「右奥の方から見ます。呼吸が弱くなっています」
「えっ……分かりました。お願いします」
『そっちは任せるので私は他に重傷者が紛れてないか確認してますよ』
『うん、お願い』
トコヨに返事をしてから動き出す。
トコヨも危機感を持っているのか、真剣な表情で人々の間を飛び交いながら様子を見てくれていた。
それがすごく頼もしい。
私がすぐに動き出したことで、助祭も戸惑いながらついてくる。
男性の前に膝をつき、声をかける。
「この方のお名前は分かりますか」
「い、いえ。街道で魔物に襲われていたところを保護された別の方がお連れに」
「分かりました……聞こえますか! 答えられるなら何でもいいので声を出してください!」
「…………きこえ、ます……」
返事はあった。
でも、声がとても弱い。
トコヨの言う通りだ。
外傷はほぼないに等しいけど、明らかにおかしい。
意識が朦朧としているし、内部で出血している可能性があるだろうか……
見た目だけじゃ判断できない。これを助祭……私たちでいう見習い巫女だけで判断させるのは確かに酷だ。
油断して強度が足りないと危険だ。強めにかけた方がいいかな。
「穏やかなる癒しの光りよ、かの者を癒したまえ——」
そう判断して胸元へ手をかざし、治癒を施す。
淡い光が男性の身体を包む。
少しずつ呼吸が深くなり、強張っていた表情も落ち着いていった。
「ひとまず様子を見ます。定期的に声をかけて意識を失っていないか確認してあげてください」
「分かりました」
『次は左側の、腕に血が付いている包帯を巻いている人の隣の女の子です』
『分かった』
治癒の方法そのものは、私が判断する。
だけど、誰を先に治療するべきかを一緒に見て助言してくれる。
それだけですごく助かった。
「次は、あちらの女の子を診ます」
「お、お願いします」
私は、患者さんの間を移動し続けた。
呼吸が苦しそうな人。
出血が止まりきっていない人。
一人を治療し終えるたびに、次の人へ移る。
その繰り返しだった。
治癒を施し続ける。祈りを捧げる。
目の前の人が、痛みから解放されるように。
命を失わずに済むように。
それだけを考え続けた。
汗が額から流れ、目に入りそうになる。
拭っている暇もなかった。
「重傷者です! 道を空けてください!」
突然、入口の方から大きな声が響いた。
担架を持った人たちが、室内へ駆け込んでくる。
担架に乗せられていたのは、若い男性だった。
討伐隊の人だろう。
着ているローブは引き裂かれ、胸から脇腹にかけて大量の血で染まっている。
呼吸は途切れ途切れ。
手足から力が抜けていて、揺らされても反応がない。
「大型個体の爪を受けました! 途中で意識を失っています!」
「司教様を!」
「司教様は今、別の重傷者へ高位治癒を施されています! 途中で止められません!」
助祭たちの顔から血の気が引いたのが分かった。
一人がすぐに男性へ駆け寄り、治癒を始める。
緑色の光が傷口を包んだ。
だけど、傷が深すぎる。
表面が少しずつ塞がっても、その奥から血が溢れ続けている。
「止まらない……」
「治癒を続けて! 司教様の治療が終わるまで持たせるの!」
「でも、このままでは……!」
助祭の声が震えている。
普通の治癒だけでは間に合わない。
私も、それを見れば分かった。
『ミコト』
『うん』
トコヨの表情は真剣だった。
私も男性のもとへ駆け寄る。
「私が治癒します」
「ですが、この傷は通常の治癒では——」
「普通の治癒ではありません。準備が必要です。聖水と大き目の清潔な布を持ってきてください。大規模な聖魔法を使います」
「えっ」
「早く!」
思わず強い声が出た。
助祭は一瞬驚いたけど、すぐに動いてくれた。
「貴女はそのまま治癒を続けてください。傷がこれ以上悪化しないように、最低限で構いません」
「は、はい」
私も手伝いながら別の助祭たちに周囲の寝台を少し動かして場所を空けてもらう。
程なくして、頼んだものが運ばれてきた。
故郷の神社で、お母さんから教えられた手順を思い出す。
普段の治癒では間に合わないほどの重傷者へ施すためのもの。
オリツキ様の御負担にもなるのだから、必要かどうかはきちんと見極めるようにと言い聞かせられたその魔法。
今が、間違いなく必要な場面だった。
広げた布に聖水で陣を描く。
神楽殿の床に刻まれていたものほどではないけど、治癒や聖水づくりよりもはるかに複雑な魔法陣。
持ってきてもらった聖水を2つ使って、それを書き上げた。
「この方を布の上へ移します。身体を傾けすぎないようにお願いします」
皆で慎重に男性を動かす。
助祭が治癒を続けてくれているおかげで、まだ命は繋がっている。
だけど、いつ途切れてもおかしくない。
故郷で教えられた通り、患者さんの周囲と傷口へ、治癒のために必要な準備を整えていく。
教会式の魔法陣とは異なる。
神社で祈りを捧げるための所作。
神楽殿に張った水へ、静かな波紋を広げる時と同じように。
心を落ち着ける。目の前の命だけを見る。
ただ、オリツキ様へ祈りを捧げる。
「過ぎゆく時を見守り、来たる時へ命を導くオリツキ様——そのお力を、此処にお貸しください——」
私の手のひらに、黄緑色の光が灯った。
いつもの治癒よりも強い。
それでも眩しく弾けるような光ではなく、穏やかで、温かい光。
周囲に小さな光が少しずつ浮かび上がり始める。
一つ、また一つと浮かび上がって、その光一つ一つから波紋のような光が広がっていく。
「時はあらゆる命に等しく流れ、一人としてその歩みを免れること能わず……命は時の大河に浮かび、絶えず未来へと流れゆく——」
周囲の音が遠くなる。
助祭たちの声も。患者さんたちの呻き声も。
私は祈りを途切れさせないことだけに集中した。
無数の光から広がる波紋同士がぶつかりあい、反響するようにさらに広がって、男性の身体を包み込んでいく。
「未だ終わるべき時にあらぬこの命を、あるべき未来へと還したまえ——
そこまで言って手を翳すと同時に、光が一際強く輝いた。
脇腹の深い傷へ、光が染み込んでいく。
引き裂かれてしまった場所を、一つずつ元へ戻していくように。
流れ続けていた血が止まる。
開いていた傷が、内側からゆっくりと閉じていく。
途切れかけていた呼吸が、一度大きく震える。
「……っ」
男性の指先が、僅かに動く。
まだ意識は戻っていない。
それでも、もう命が途切れそうな気配はなかった。
光の波紋が少しずつ薄くなっていく。
最後の光が聖水で刻んだ魔法陣へ溶けるように消えたところで、私は祈りを終えた。
「……もう、大丈夫です」
どのくらい祈っていたのだろうか。
それすら分からないくらい集中していた。
「だ、大丈夫ですか?」
「はい……少し疲れただけです」
男性の状態を確認していた助祭が、信じられないものを見るような顔で私を見た。
「傷が……完全に塞がっています。それに、呼吸も……」
別の助祭も、白い布の上に残った聖水と光の痕跡を見つめている。
「今の治癒は……司教様方が行う高位の治癒と、同じほどの……」
「やり方は違いますけどね」
私は、どうにか自分の足で立ちながら答える。
「教会のも一度見たことがありますが、これは教会式の聖魔法ではありません。故郷の神社で、重傷者を治療するために教わった治癒です」
「神社の……」
助祭はそれ以上何かを尋ねようとした。
だけど、別の寝台から呼ぶ声が上がる。
今は、魔法の違いを説明している場合ではない。
「この方は、しばらく動かさずに休ませてください。傷は塞ぎましたが、失った血が湧き出るわけではありません」
「分かりました」
私は再び、治療を待っている人たちへ向き直った。
それからどのくらい治療を続けたのかは分からない。
気づけば、窓から入る日の光が少し傾いていた。
新しく運び込まれてくる人も、一度途切れている。
室内を走り回っていた助祭たちも、ようやく立ち止まって水を飲む余裕ができていた。
私も空いた椅子へ座り、渡された水を飲む。
動き続けていたせいか身体が重い。
『ミコト、少し休んでください』
『うん……でも、今なら少しだけ聞けると思う』
『……本当に少しだけですよ。ミコト自身も緊張と集中のしっぱなしで疲れてますし』
『分かってるよ』
セシルさんから渡されていた紙と筆記具を取り出す。
話を聞く相手は、意識がはっきりしていて、既に治療を終えている人だけ。
そう思って立ち上がったところで、初老の男性が近づいてきた。
白髪の混じった濃い茶色の髪を後ろへ撫でつけた、背の高い男性だった。
疲れが滲んだ顔をしているけど、姿勢は真っすぐ伸びている。
神官服の胸元には、シルヴィアさんが付けているのと同じ世界樹を模した小さなブローチが留められていた。
「アメノさんですね」
「はい」
慌てて立ち上がろうとすると、男性は片手を上げて制した。
「そのままで結構です。先ほどまでずっと治癒をしていたでしょう。無理をなさらないでください」
「ありがとうございます。あの、司教様でしょうか?」
「申し遅れました。ヴァイスタールと周辺地域の教会を預かっております、ハインリヒ・ヴァイゲルトと申します」
男性はそう名乗ると、胸元へ手を添えて深く頭を下げた。
「此度は、我々の治療をお助けいただき、誠にありがとうございました」
「そ、そんな、頭を上げてください。私は当然のことをしただけですから」
司教様にここまで深く頭を下げられるとは思っていなかった。
慌てて声をかけると、ヴァイゲルト司教はゆっくりと顔を上げた。
「当然のこととして、あれほどの治癒を行える者は多くありません。貴女がいなければ、先ほど運び込まれた青年を救えなかった可能性もあります」
「助祭の皆さんが治癒を続けて、命を繋いでくださっていたからです。私一人では、準備を整えることもできませんでした」
「それでも、最後に命を繋ぎ止めたのは貴女の祈りです。助祭たちにも、良い経験となったでしょう」
ヴァイゲルト司教は、少し離れた場所で休んでいる助祭たちへ視線を向ける。
「教会とは異なる高位治癒を目にする機会など、滅多にありませんからな。落ち着いた後で質問攻めにされるかもしれません」
「あはは……私に説明できる範囲であれば」
「その際は、疲れているから後日にしてほしいと断ってくださって構いません。皆、少々熱心すぎるところがありますので」
穏やかに笑いながらそう言われ、私も小さく笑った。
「しかし、アレンス司祭からの書状には、治療への協力だけではなく、何か調査もなさっていると記されていましたが」
「はい。こちらへ来た本来の目的は、その調査です」
ヴァイゲルト司教に、セシルさんたちと進めている調査について説明する。
周辺の魔物が活性化し始めた時期と、街の人たちの食事量が増え始めた時期が近いこと。
二つの変化に、何らかの原因に繋がるかもしれないこと。
魔物による被害の発生地点や時期を調べながら、原因を探していること。
「そのために、治療を終えて落ち着いている方から、襲われた場所や当時の状況を聞かせていただこうと思っていました」
「なるほど」
ヴァイゲルト司教は顎へ手を添え、静かに考え込んだ。
「魔物の活性化と、人々の食事量の増加ですか。私には魔術の知識がほとんどありませんので、2つが結びつくのかは分かりませんが……確かに、どちらもここ最近になって顕著になったものです」
「司教様も、食事量の変化を感じていたのですか?」
「ええ。教会が日の節に開いている教会学校で、子供たちの食事量が以前よりも明らかに増えておりましたからな。子供が満腹になるのはよいことだと思っていただけでしたが……」
今までとは少し違う情報だった。
すぐに紙へ書き留める。
「いつ頃からか、分かりますか?」
「私が見たのは3週間前ですが……アレンス司祭に任せているので、それほど頻繁に教会学校は見ておらなんだ。いつ頃からかは聞いておきましょう」
「ありがとうございます。とても助かります」
「この程度でよろしければ、いくらでも」
ヴァイゲルト司教はそこで一度言葉を切り、治療室を見渡した。
休憩を終えた助祭が、寝台の間を回り始めている。
まだ忙しさが終わったわけではない。
それでも、先ほどまでの切迫した空気は少しだけ和らいでいた。
「治療を優先しなければならないため、すぐに全員から詳しい話を聞くことはできません。ですが、手が空いた時に、私たちからも患者の方々へ尋ねてみましょう」
「よろしいのですか……?」
「ええ。助けていただいたお礼としては、あまりにも小さなことですが」
ヴァイゲルト司教は近くにいた助祭を呼び止める。
「アメノさんは、魔物の被害について調査をなさっているそうです。手が空いた時で構いません。治療を終えた方へ、襲われた場所や時期、魔物の様子に変わったところがなかったかを尋ねてください」
「分かりました。他の者にも伝えておきます」
「患者の負担にならない範囲でお願いしますね」
「はい」
助祭は頭を下げると、ほかの助祭たちのもとへ向かった。
「私たちは、今回被害に遭われた方々と接する機会が多くあります。治療の最中には聞けなくとも、経過を確認する際に話題へ出すことはできるでしょう」
「本当に、よろしいのですか?」
「もちろんです。この異変の原因が分かれば、救われる命も増えるはずですから」
ヴァイゲルト司教の表情から、疲れが消えたわけではない。
それでも、向けられた眼差しは力強かった。
「聞くことができた内容は、こちらで簡単に記録させましょう。アメノさんがまたいらした際にお渡しするということでよろしいですかな」
「はい! もちろん大丈夫です! ありがとうございます!」
自分一人で聞き込みをするよりも、ずっと多くの人から話を聞ける。
それに、治療を担当している神官から尋ねられるのであれば、患者さんたちも話しやすいかもしれない。
「ですので、今、無理に調査しようと為されるな」
「えっ」
「ご自身ではお気づきでないかもしれませんが、立っているだけでも少しふらついていますよ」
言われて、自分の足へ目を向ける。
確かに、膝に上手く力が入っていない。
『だから言ったじゃないですか』
『……うん』
「……分かりました。少し休んでから、また治癒でお手伝いさせていただきます」
「そうしてください。治療を行う者が倒れては、助けられる方も助けられませんからな」
「はい。肝に銘じます」
もう一度頭を下げると、ヴァイゲルト司教は穏やかに頷いた。
すぐに助祭から呼ばれ、別の患者さんのもとへ向かっていく。
それを見送りながら、椅子へ座り直した。
調査はほとんど進められなかったけど、それでも、たくさんの人の助力を得られそうだった。
司教様も穏やかでお優しい方みたいだし、安心かもしれない。
少しでもお力になることができるように、私も頑張ろう。