天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
セシルさんの家へ戻った頃には、外はすっかり暗くなっていた。
疲れのせいか身体が重い。
聖魔法自体で疲れるわけではない。
だけど、集中して祈らないといけない上に、緊迫した状況になることも多い治療室で人の波が来るたびに走り回って治癒を施し続けていた。
特に、重傷者が来ると私かヴァイゲルト司教しか対応できないというのも大きかった。
ヴァイゲルト司教と交代で何度か休みはしたけど、助祭の人たちではどうしても対応できない患者さんが多数発生する。
むしろ、私が行くまで司教様はどうやって休んでいたのかすら分からないような状況だった。
『大丈夫ですか? 疲れが顔に出ちゃってますけど』
『うん、一応。ありがと』
ヴァイスタールの中も、セシルさんの自宅から図書館や魔術学院の往復程度は迷わず移動できるようになった。
そのおかげもあって、疲労感はあっても迷わず夜道を歩くことができていた。
「ただいま戻りました」
「やっと戻ってきたか」
家の中へ入った瞬間、セシルさんの声が飛んできた。
広間の机には、ヴァイスタールと周辺地域の地図が広げられている。
その周囲にはセシルさん、リーゼちゃん、ルドガーさんが座っていた。
フレスベルグは小さな姿で椅子の背へ止まっている。
それに加えて、見覚えのある猫耳と尻尾もあった。
「ファロさん?」
「おかえり。……随分疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
ファロさんが心配そうに耳を伏せる。
「えっと、ちょっと……いえ、だいぶ、治療室が忙しくて。でも大丈夫です」
「……無理はするなよ」
セシルさんが目を細めながら呟く。
少しの気まずさに苦笑しながら、空いていた椅子に座る。
「それで、ファロさんはどうしてこちらに?」
「セシルに頼まれたの。話せる範囲でいいから、調査を手伝ってほしいって」
ファロさんが尻尾をゆらゆら揺らしながら答えてくれた。
「客の名前とか細かい契約内容は話せないけど、どの辺りの人かとか、いつ会った時に様子が変わっていたかくらいなら出せるからね」
「ご迷惑ではありませんか?」
「命を助けてもらったお礼だよ。あたしが納得して引き受けたんだから、気にすることじゃないわ」
ファロさんはそう言って笑った。
「全員揃ったし、さっさとやって共有終わらせるよ」
セシルさんの声で、私たちの視線が地図へ集まった。
街中を調べたセシルさんとファロさんによると、食事量の増加は一部の区画や特定の職業だけに起きているわけではないらしい。
商人や職人、学院の学生、街に住む人たち。
住んでいる場所も利用している店も違うのに、以前より多くの食事を求める人が増えていた。
ただし、変化に気づいた時期は場所によってばらつきがあった。
「店側が変化に気づいた時期しか分からないから、正確にいつ始まったかまでは絞れない」
セシルさんが地図へいくつかの印を書き加える。
続いて、リーゼちゃんとルドガーさんが周辺の村で得た情報を共有した。
「魔物が増えていると感じている村はほぼ全部でした。一応南西側に大きく外れた辺りにある村だけは分からないという感じでしたが、他は異常を感じ始めた時期に違いはあっても増えているというのは変わらず感じているみたいでした」
「どの村も殺気立ってたよ。ここ程じゃねぇが魔物が頻繁に村に侵入しようとしてくるらしい。フレスベルグで一気に村に近づくと魔物と勘違いされて襲い掛かってくるくらいだったよ」
「えっ、そ、それ大丈夫だったんですか?」
「あはは……最初の2か所でそうなった時点で少し離れたところに降りてから村に近づくようにしたのでなんとか。襲われてしまった2か所はルドガーさんとフランがなんとかしてくださったので」
ルドガーさんは軽い感じで言ってるけど、リーゼちゃんの説明を聞く限りルドガーさんがいなかったら危なかったのではないだろうか……
聖堂騎士団の心配をして言ったことではあったけど、本当に魔物に間違われるとは思っていなかった。
「俺的には嬢ちゃんのあまりの無警戒ぶりの方が問題だったがな。襲われた後に誤解が解けたと見るや否や笑顔で近づいて話を聞こうとし始めた時には頭痛がしたよ」
「で、でもそれで話を聞けたんだからよかったじゃないですか」
「結果としてはな。護衛が止めるより先に近づくのはやめろって言ってんだよ」
『……多分ミコトでも同じことしましたよね』
『……否定はできない』
多分、というか間違いなく私もやっちゃってた気がする。
ルドガーさんの呆れてる様子を見る限りダメな行動なのは間違いないだろうから、余計なことは言わないでおこう。
「魔物以外は?」
「食事量についても尋ねました。増えていると答えた村が多かったのですが、いつ頃からかは明確ではありません」
「村によっては、元からよく食うやつが多いから分からんなんていうところもあった。気づいた時期も、10日前だとかひと月くらい前だとか、ばらばらだったな」
「……村とかに日付とか直に書いて」
セシルさんがペンをルドガーさんに渡すと、ルドガーさんは地図にすらすらと書き加え始めた。
「あたしも勝手に書いちゃっていい?」
「ん。書いておいて」
「はいはい了解ーっと」
ファロさんもペンを持ってすらすらと書き込み始める。
それを横目に、セシルさんがこっちを向いた。
「ミコトは?」
「私は……ほとんど治療をしていたので、患者さんから直接お話を聞くことはできませんでした」
持ち帰った紙を机の上へ置く。
「ですが、教会学校? へ通っている子供たちも、以前より食事量が増えているそうです。司教様が気づかれたのは3週間ほど前だと仰っていました」
「……それは有用な情報だけど、ミコト教会学校知らないな?」
「え、っと……」
「はぁ……教会が日の節に子供に字を教えてるんだよ。聖典読ませたりして」
そういうところがあるのか……あれ、でもシルヴィアさんはそういうことをしていただろうか。
……そもそも子供がまだあんまりいないからやってないのかな……?
「まぁいい。それで?」
「正確にいつからかは、ヴァイスタール支部の司祭様に確認すると言ってくれました」
セシルさんが、それも地図の横へ書き留める。
「それと、治療室……対策本部の治療室の方々が、患者さんから魔物に襲われた場所や時期を聞いてくださることになりました」
セシルさんの羽ペンが止まった。
「治療室の全員が?」
「全員というか、手が空いた助祭の方や司教様が、患者さんの負担にならない範囲で尋ねてくださるそうです。聞けた内容は簡単にまとめて、私が治療室へ伺った際に渡していただけることになりました」
「……継続して?」
「はい!」
セシルさんは少しだけ目を見開くと、私が置いた紙へ視線を落とした。
「数人から話を聞ければ十分だと思ってたんだけど……想定外の収穫。治療室に運び込まれた患者全体から継続して情報が来るなら、想定してたより広い範囲を調べられそう」
「ふふ、治癒をお手伝いしたお礼として、ヴァイゲルト司教から申し出てくれたんです。原因特定の手助けになるかもしれないならって」
「はいはいすごいすごい」
「て、適当に流してません?」
「すごいとは思ってるよ。私じゃ絶対そんな結果にはならん」
褒められてる、よね、これ。
それだけ言ってまた羽ペンを動かし始めてるけど。
それを実感したら、なんだかすごく嬉しくなってきた。
どの変化が起きた時期にもばらつきがあって、様々な情報が地図の広い範囲に雑多に書き込まれていた。
「……合わない」
セシルさんが地図を見つめながら呟く。
「大規模な魔術の中心があるなら、もう少し偏ると思ってた。これじゃどこを中心にしても外れる場所が多すぎる」
「……予想は間違っていたのでしょうか?」
「その可能性はある。ただ、まだ周辺の村を全部回れてるわけでもないし……私の予想以上に範囲が広すぎるだけの可能性も……でもそれだとヴァイスタールの中でばらつきが出る理由が……」
答えている途中からぶつぶつと呟いて考えこみ始めてしまった。
……あんまりこういうセシルさん見たことなかったけど、研究してるときってこんな感じなのだろうか。
部屋で研究している時はすごい勢いで何かを書いてるか静かに深く考え込む感じだから少し珍しい。
少ししてからセシルさんが羽ペンを置いた。
「調査続行。リーゼとルドガーは残ってる村。ミコトは治療室の情報を受け取る。私はファロと街をもう少し細かく調べる」
「分かりました」
「はいよ」
「こっちも了解」
その日の話し合いは、それで終わった。
結論は出なかった。
人と魔物の変化が広い範囲で起きていることだけは分かったけど、原因に繋がるような規則性は見つからなかった。
それから、私たちは同じように調査を続けた。
私は対策本部の治療室で治療を手伝いながら、まとめてくれた記録を受け取る毎日だったけど……
記録には、魔物に襲われた場所や時期、数や種類が書かれていた。
毎晩それらを持ち帰り、皆の情報と合わせて地図に書き込む。
それでも、関連性はあまり見つからなかった。
情報が増えても、セシルさんの表情が晴れることはなかった。
調査を始めて数日が経った朝。
リーゼちゃんとルドガーさんは、残っている中で最も遠い北東の山へ向かった。
帰りが遅くなるかもしれないと言っていた2人を見送って、私もいつも通り対策本部へ向かう。
その日の治療室は、ここ数日と比べれば落ち着いていた。
空いている寝台もあり、助祭の方々も物品の整理を進めている。
私も軽傷の患者さんへ治癒を施し、次の寝台へ向かおうとしていた。
その時だった。
——ゴォン
低い鐘の音が、建物を震わせた。
いつもの警鐘とは鳴らし方が違う。
一度で終わらず、間を置かずに何度も鳴り響く。
治療室の中にいた人たちが、一斉に動きを止めた。
「何かがあったようですね」
奥から出てきたヴァイゲルト司教が、険しい表情で言った。
それから間を置かず、対策本部の方から報告する大声が漏れ聞こえてきた。
「南外壁へ大規模な魔物の群れが接近しています! 確認できるだけでも数百!」
『数百って……』
『……ずっと警戒していた大襲撃が起きたってことですね、間違いなく』
数百……そんなのが来てしまったら、追い返せなければ街はひとたまりもないのは言うまでもない。
聞こえてしまったその情報に、治療室がざわめいた。
「落ち着きなさい」
ヴァイゲルト司教の声で、ざわめきが収まる。
「私たちのするべきことは変わりません。怪我をした方を治癒し、助けられる命を助ける。ただそれだけです。落ち着かなければ、治せるものも治せなくなります」
ヴァイゲルト司教が、治療室にいる助祭の方々をゆっくりと見渡す。
「今まで皆さんが行ってきたことを、そのまま続けてください。恐怖を感じるなとは言いません。ですが、治癒を求めて運ばれてくる方々は、それ以上の恐怖と痛みを抱えています。私たちまで取り乱してしまえば、その方々を安心させる者がいなくなってしまいます」
先ほどまでざわめいていた助祭の方々が、真剣な表情で頷いていく。
……すごい。
怯え始めていた助祭の人たちをすぐに落ち着かせて、治療者として動ける状態にしてしまった。
たったこれだけの声掛けで。
「まず、現在治療中の方への対応を続けます。動かせる方は奥の寝台へ移し、入口側を空けてください。聖水、包帯、止血用の布もすぐに使える状態に」
ヴァイゲルト司教の指示を受けて、助祭の方々が動き始めようとする。
だけど、すぐに司教様は言葉を続けた。
「それと、南門の外壁側にも臨時の治療室が必要になるでしょう。負傷者を全員ここまで運んでいては間に合いません。外壁の内側に臨時の治療場所を設け、軽傷者をその場で治療する者が必要になります」
ヴァイゲルト司教が少しだけ間を置く。
「ですが、外壁側はここよりも遥かに危険です。魔物が侵入すれば、戦いに巻き込まれる可能性もあります。そのため、私から無理に命じるつもりはありません。協力してくださる方はいますか?」
その言葉に、辺りが一瞬静まり返った。
それから、一人の助祭が手を上げた。
それに続くように、別の人も手を上げる。
最終的には、治療室にいる助祭の半分ほどが手を上げていた。
「ありがとうございます。ですが、全員を送るわけにはいきません。こちらの治療室も維持する必要がありますから」
ヴァイゲルト司教は手を上げた人たちを見渡した。
「……経験年数を加味して、貴方たち3人にお願いします。私はここで重傷者の対応を続けるため同行はできません。助祭3人での対応になります」
治癒の経験が長いらしい助祭を3人選んだ。
選ばれた3人は真剣な表情で頷いている。
「外壁の内側から出ないこと。軽傷者の治療を優先し、重傷者には止血と応急処置を施してこちらへ送ってください」
「はい」
3人が揃って返事をした。
「司教様」
私も手を上げた。
「私も同行させてください」
「アメノさんはこちらへ残っていただいても構いませんよ」
「ここには司教様がいらっしゃいます。私も高位治癒が使えますし、司教様がこちらにいらっしゃる以上、私はそちらに行った方が、より多くの命を救うことができると思います」
ここなら高位治癒が必要な人が運び込まれても、ヴァイゲルト司教なら対応できる。
それなら、ここに運ぶ余裕すらない人をその場で治した方がいいはずだ。
『まぁその方が助けられる人が多いのは間違いないですね。いい判断だと思いますよ』
『……止めないの?』
『止めたところで行くでしょう?』
『……うん』
『だから私から言えることは一つだけです。無理しないこと! はい復唱』
『うん。無理しない。約束する』
トコヨが真剣な表情で頷く。
ヴァイゲルト司教は少し考え込んでから、静かに頷いた。
「分かりました。アメノさんにも同行をお願いします」
「ありがとうございます」
「ただし、現地では防衛の指揮を執る方の指示に従ってください。危険だと判断された場合は、すぐに退避すること。高位治癒も必要な場合以外は控えてください」
「はい」
「それでは準備を。聖水と包帯を多めに持っていきなさい」
選ばれた助祭の方々と一緒に、必要なものをまとめていく。
治療室に残る人たちも、運び込まれる負傷者を受け入れる準備を進めていた。
私たちも大急ぎで準備を終わらせて、南門に向かった。
南門では、戦える人たちが大急ぎで門の外に向かっていた。
……その門の向こうに見える平原を、黒い群れが進んでいた。
四足の魔物。人に近い形をした魔物。
翼を持つものや、周囲より何倍も大きなものまで混ざっている。
種類はばらばらなのに、争う様子はなかった。
全てが、ヴァイスタールへ向かっていた。