天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
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「……ルドガーさん。申し訳ありませんでした」
最後の情報収集先だった山間の集落を出たところで、私は前を歩いていたルドガーさんへ声をかけた。
ヴァイスタールから北東へ進んだ山の中腹。
小さな集落を囲む柵が、少しずつ遠ざかっていく。
これで、セシルさんから指定された集落は全て回り終わった。
聞くべきことは全て聞けたと思う。
だけど、それはほとんどルドガーさんのおかげだった。
「何の話だ?」
ルドガーさんが足を止めて振り返る。
その手には、集落で聞いた内容が細かく書き込まれた紙が握られていた。
「今回の情報収集です。ほとんどルドガーさんに任せてしまいました。私は言われたことを記録するくらいしかできなくて……」
この集落でもそうだった。
最初は、魔物が増えたのは最近だとしか答えてもらえなかった。
そこからルドガーさんは、収穫の準備を始めた頃にはどうだったのか、その前に村へ来た商人がいた時にはどうだったのかと、相手が覚えている出来事を一つずつ確認していた。
そうして、いつ頃から変化が起きていたのかを絞り込んでいた。
私には、とても真似できそうになかった。
「私も、もっとお役に立たないといけなかったのに……申し訳ありません」
「なんだ。そんなことか」
ルドガーさんは、拍子抜けしたように肩をすくめた。
「聞き込みやら情報の整理やらは俺が慣れてただけだ。出来るやつがやりゃいいだろ」
「ですが……」
「お前さんはフレスベルグとやり取りして、集落まで運んだ。それだけで十分働いてただろ。俺一人だったらここまで回るのに何日かかったか分からねぇよ」
「でもそれは、フランがしてくれたことで……」
「そのフレスベルグと話せるのがお前さんだけなんだろ。なら、お前さんの働きで間違いねぇな」
言い切られてしまった。
それでも、素直に納得できないでいると、隣を歩いていたフランが私へ顔を向けた。
今は集落の人を驚かせないために、普段と同じ小さな姿になっている。
『リーゼ。その男の言う通りだ』
「フラン……?」
『私がこの調査に力を貸したのは、お前が望んだからに他ならない。お前から頼まれていなければ、私は人の都で起きた異変を調べるために、手を貸したりしていない』
フランはいつもの口調でそう言い切った。
『お前は自らが不得手であったことばかりを数え、果たした役割を無かったことにしようとしている。それは正しい評価とは言えない』
「……でも、私は本当に何も」
『私を動かしたのはお前だ。他の誰に頼まれていようと、動くことはなかっただろうよ』
フランが短く鳴いた。
私にはちゃんと伝わってくるけど、ルドガーさんには今の言葉もただの鳴き声にしか聞こえていない、と思う。
実際に今も私たちを不思議そうに見比べている。
「なんて言ってんだ?」
「私が頼んでいなければ、そもそも今回の調査には協力していなかったと……私にしかできないこともしているのだから、果たした役割を無かったことにするな、と言われました」
「ほらな。聖獣様も俺と同じこと言ってるじゃねぇか」
「……はい」
まだ申し訳なさが全て消えたわけではない。
だけど、これ以上謝り続ければ、2人の言葉まで否定することになる気がした。
「ありがとうございます。ルドガーさん、フラン」
『礼には及ばない。事実を述べただけだ』
「気にすんなって言ってんだろ」
2人の返答に、少しだけ胸の奥が軽くなる。
集落から十分に離れた草地まで移動したところで、フランが地面へ飛び降りた。
白い身体を包むように風が渦巻く。
小さかった身体が風の中で大きくなり、翼が広がり、太い脚が地面を掴む。
風が収まった時には、私たちの背丈を遥かに超える本来の姿へ戻っていた。
「それでは、ヴァイスタールへ戻りましょう」
「おう。帰ったらさっさと報告だな」
私は慣れた動きでフランの背へ乗った。
翼の付け根近くへ腰を下ろし、その後ろへルドガーさんが乗る。
2人が乗ったことを確認したフランの周囲へ、穏やかな風の膜が広がった。
大きな翼が振り下ろされる。
地面が一気に遠ざかり、私たちの身体は空高く持ち上げられた。
森や山が眼下を流れていく。
フランに乗って空を飛ぶこと自体は、珍しいことではない。
リオレ大森林でも何度か乗せてもらった。
それでも、森の外をこうして飛び続けるのは新鮮だった。
森林とは全然違う広い平原。山の間を縫うように作られた街道。
その道を進む馬車や、点のように見える小さな集落。
世界樹の麓の集落で暮らすようになってから、私の知らなかったものをたくさん見た。
ヴァイスタールに来てからは、さらに多くのことを知った。
王族のいない国があること。
魔術を学ぶためだけの学院があり、森の中の木々よりも多いのではと思うほどの本を収めた図書館があること。
写本は思っていたよりずっと難しくて、でもたくさん勉強になる本もあって……
ミコトさんと一緒に道に迷いかけて、セシルさんに本気で怒られたこともあった。
せっかく用意したお茶会の前に叱られてしまった時は、どうなることかと思った。
それでもセシルさんは、私たちが用意したお茶を飲み、お菓子を食べ、ぶっきらぼうながら話にも応じてくれた。
その夜に見た、星で埋め尽くされた空も忘れられない。
あの2人と一緒に過ごしたヴァイスタールでの日々は、外の世界を学ぶためだけのものではなくなっていた。
大切な友人たちと過ごした、楽しい旅になっていた。
帰ったら、今日聞いたことをセシルさんに伝えないといけない。
私自身はあまり力にはなれなかったけど、ルドガーさんとフランが集めてくれた情報が、少しでも役に立ってくれればいいなと思う。
そんなことを考えながら、遠くの景色を眺めていた時だった。
フランの翼の動きが変わった。
それまで一定の間隔で羽ばたいていた翼が大きく広げられ、身体が僅かに傾く。
『……リーゼ』
「どうかしましたか、フラン」
『前方の風が乱れている。警戒しろ』
フランの声は低かった。
後ろにいたルドガーさんも、ほぼ同じタイミングで身体を起こしていた。
静かに遠くを凝視している。
「ルドガーさん?」
「……フレスベルグ。もう少し高度を上げられるか」
フランが短く鳴いた。
翼を強く振り下ろし、一気に高度を上げていく。
山の向こう側が見える。
平原の先に、ヴァイスタールの外壁が小さく姿を現した。
その周囲で、何かが光っている。
様々な色の光に、地面から立ち上る煙。
少し遅れて、幾重にも重なった轟音が風に乗って届いた。
そして、街の南側。
平原を埋めるような、巨大な黒い塊が見えた。
「あれは……」
「大襲撃だ」
ルドガーさんが、低い声で言い切った。
「魔物がヴァイスタールを襲ってる。しかも、相当な数だ」
「そんな……」
『群れは一つではないな。複数の方向から集まり、都市へ押し寄せている』
黒い群れは、外壁の南側へ集中していた。
遠すぎて一匹ずつの姿までは見えない。
それでも、地面を覆う黒い影が全て魔物なのだとすれば、どれほどの数がいるのか想像もつかなかった。
「フレスベルグ! あの魔物の群れの真上まで飛べるか!」
ルドガーさんが大声で問いかける。
「ホォッ!」『問題ない』
私にだけは明確な言葉として届いた返答が、ルドガーさんには鋭い鳴き声として聞こえている。
私が伝えるより先に、フランが翼を大きく振り下ろした。
身体が前へ傾く。
風の膜に守られているのに、周囲の風景が一気に後ろへ流れていくほどの速度だった。
ヴァイスタールが急速に近づいてくる。
外壁の上に並ぶ魔術師や、南門の外で横に広がる人々。
その前へ殺到する魔物の姿が、はっきりと見え始めた。
様々な魔術が使われていて、何十体もの魔物が一度に倒れているのに、後ろから新しい群れが押し寄せていた。
「……なるほどな」
ルドガーさんが、戦場全体を見下ろしながら呟いた。
「あの旗が防衛線だ。前衛は絶対にあれより先へ出てねぇ」
「旗……?」
目を凝らす。
門の外には、確かに何本もの旗が並べられていた。
戦っている人たちは魔物を押し返しても、その旗を越えようとはしていない。
「魔術師の広域術を最大限使うための布陣だ。前衛が魔物を防衛線で止める。押し込まれたら門まで後退して、あの光の壁で止める」
ルドガーさんが示した先で、前衛の人たちが一斉に門へ下がった。
その直後、門の間を塞ぐように半透明の壁が現れる。
追いかけてきた魔物がそこへ殺到した。
「魔物が壁に群がって固まったところへ、外壁上から広域術を叩き込む。その後、前衛がもう一度外へ出る。追撃しねぇのも、戦線を崩さないためだろうな」
言葉通り、いくつもの魔術陣が外壁上へ広がった。
炎や氷、岩の塊が密集した魔物へ降り注ぐ。
門前が光と土煙に覆われた。
光の壁が消えると同時に、前衛の人たちが再び外へ出ている。
「魔術師が多い街だから出来る防衛だ。考えたやつも、指揮してるやつも悪くねぇ」
ルドガーさんの目は、戦場の細かな動きを追い続けていた。
一度見下ろしただけで、何が行われているのかを理解している。
素直にすごいと思った。
「では、このまま守り続ければ——」
「無理だな」
期待しかけた言葉を、ルドガーさんが短く切り捨てた。
「前衛の列が最初から薄すぎる。交代に回せる予備もほとんど見えねぇ。魔術も、並んでる人数に対して飛んでる量が少なすぎる。ありゃ魔力切れ寸前だな」
……言われてみれば、魔術が放たれるまでに時間がかかっている。
前衛の人たちにも、肩を借りて門へ運ばれていく者が増えていた。
「壁の立ち上がりも遅くなってる。使う度に魔力を食うんだろ。なのに、魔物は後ろから増え続けてる」
平原の左右から、別の黒い群れが近づいている。
倒しても、倒した以上の数が増え続けていた。
「守り方が悪いんじゃねぇ。単純に数が違いすぎる。このままじゃ、防衛側が先に力尽きる。一度でも前衛が崩れたら、そのまま門まで押し切られる可能性が高い」
「そんな……」
あの街の中には、ミコトさんとセシルさんがいる。
図書館にはマルタさんもいる。
これまで関わった大勢の人が、今も街の中にいる。
「リーゼ。フレスベルグに聞け」
ルドガーさんの声が、さらに低くなった。
「あの群れに対してどの程度対応できる」
「フラン」
呼びかけると、フランは飛びながら僅かに顔をこちらへ向けた。
「街を守っている方々を巻き込まないようにしながら、魔物だけを押し返すことはできますか?」
フランは一度、眼下の戦場へ視線を向けた。
『可能だ』
迷いのない返答だった。
『人の軍勢とは異なり、あれらには隊列も、装備も、連携もない。味方を巻き込む懸念がないのであれば、広く吹き飛ばし、相応の数を始末することもできる』
お母さんたちは、帝国軍に攻められている時でもフランを頼ろうとしなかった。
きっと今のフランの言葉に、その理由が詰まっているんだろう。
だけど、眼下にいる魔物たちは違う。
連携する様子もなく、ただヴァイスタールへ殺到しているように見える。
「街の方々を巻き込む危険がないなら、広範囲を吹き飛ばして、ある程度の数を倒すこともできるそうです」
「十分だ」
ルドガーさんは即座に答えた。
「じゃあ、フレスベルグ。それをやってくれ」
『承知した』
フランが答える。
その直後、背後で衣擦れの音がした。
不思議に思って振り返ると、ルドガーさんがフランの背の上で立ち上がっていた。
「えっ……ルドガーさん? 何をしているんですか?」
「俺は、あのでかいやつを止める」
ルドガーさんが指した先には、他の魔物よりも何倍も大きな四足の魔物が走っていた。
人の背丈を遥かに超える、フランにすら匹敵しそうな巨大な身体。
太い脚で地面を踏み締めるたびに、周囲の小さな魔物が押し退けられている。
「止めるって、まさか……」
「飛び降りる」
「ここからですか!?」
どう考えても無理だった。
外壁よりも、さらに高い場所を飛んでいる。
ここから落ちれば、どれほど剣の腕が優れていても助かるはずがない。
「フレスベルグに少し高度を下げてもらえりゃ大丈夫だよ」
「大丈夫なわけがありません!」
ルドガーさんは既に、腰の剣へ手をかけていた。
本気で飛び降りようとしている。
止めないといけない。
だけど、力ずくで止められる人だとは思えない。
「フラン、待ってください! ルドガーさんを落とさないように——いえ、その前に!」
大急ぎでルドガーさんへ手を向ける。
術式を思い浮かべる。
落下速度を抑えるための風。
対象を包み、下から支える柔らかな流れ。
「風よ、優しく受け止めて——フェザーフォール!」
詠唱を始めるのと同時に、フランが両翼を大きく広げた。
雪のように白い羽の間から、若葉色の光が溢れ出す。
私たちを守っていた穏やかな風とは、全く違う。
巨大な力が、フランの周囲へ集まっていた。
地面を行進し、その上空をも飛び交う、眼下の様々な魔物たちが、こちらを見上げる。
外壁上の魔術師たちも、フランの姿に気づいたようだった。
フランの翼が振り下ろされる。
緑色に輝く暴風が、魔物の群れだけを呑み込むように平原へ降り注いだ。
地面を埋め尽くしていた魔物たちが、一斉に宙へ浮かび上がる。
小さな魔物は何体もまとめて吹き飛ばされ、互いにぶつかりながら地面を転がった。
翼を持つ魔物は風に巻き込まれ、空中で体勢を失って墜落していく。
巨大な魔物でさえ、足を踏ん張って風に耐えるだけで前へ進めなくなっていた。
その光景に意識を奪われかけたタイミングで術が完成して、ルドガーさんの身体を淡い風が包んだ。
「——へぇ? ありがとさん、助かるよ」
「えっ」
ルドガーさんは笑った。
フランが高度を下げ始めるのを待つことなく、地面へ飛び降りた。
「ルドガーさんっ!?」
ルドガーさんの身体が、あっという間に遠ざかっていく。
フェザーフォールによって落下速度は抑えられている。
それでも、ゆっくりと地面へ降りているとは到底言えない。
服をはためかせながら落下する最中、ルドガーさんは剣を抜いた。
身体を捻り、狙いを定めている。
その下にいるのは、フランの暴風を受けても踏みとどまっていた巨大な魔物だった。
「ま、待ってください! そんな使い方をする術では……!」
私の声が届くはずもない。
ルドガーさんは落下の勢いを乗せたまま、剣を振り下ろした。
刃が巨大な魔物の肩口へ深々と食い込む。
黒い血が飛び散った。
魔物が地面を揺らすほどの咆哮を上げる。
ルドガーさんは剣の柄を掴んだまま魔物の背へ着地すると、暴れる身体の上を駆けた。
剣を引き抜き、頭部へ向かってもう一度振り下ろす。
魔物が大きく身体を傾けた瞬間に横へ飛び降り、何事もなかったかのように地面へ着地した。
あまりにも常軌を逸していた。
フェザーフォールがあったとはいえ、空から飛び降りながら魔物へ斬りかかるなんて、普通の人が考えることではない。
それなのに、ルドガーさんはもう次の攻撃へ移っていた。
巨大な前脚を躱し、足元へ踏み込む。
剣が振るわれるたびに、巨大な魔物の身体へ深い傷が刻まれていく。
「……私も」
呆然としている場合ではない。
ヴァイスタールは、私にとっては初めて訪れた学術都市だった。
だけど、セシルさんにとっては違う。
セシルさんが育った街。
養父の方と暮らした家があり、マルタさんとの思い出がある場所。
私たちが一緒に写本をして、お茶を飲んで、綺麗な星空を見上げた場所でもある。
私がセシルさんのことを全て理解しているわけではない。
それでも、この街が壊されてしまうのを、ただ見ていることなんてできなかった。
「フラン」
『なんだ』
「魔物を倒すことよりも、広い範囲を吹き飛ばして、動けなくすることを優先して。街を守っている方々が、立て直せる時間を作りたいんです」
フランが確認するように顔を向けてくる。
それに対して、すぐに頷く。
『承知した』
フランは理由を問い返さなかった。
迷うこともなく、私の言葉を受け入れてくれた。
『リーゼがそう望むのであれば、その通りにしよう』
大きな翼が、再び振り下ろされる。
今度の風は、先ほどのように一度で全てを吹き飛ばすものではなかった。
地面を這うように広がり、立ち上がろうとしていた魔物の脚を払う。
前へ進もうとする魔物だけを押し返し、外壁から引き離していく。
風に巻き上げられた土煙で、魔物たちの視界も塞がれていた。
ルドガーさんは、巨大な魔物と戦い続けている。
あの人なら、1人でも倒せるのかもしれない。
実際、私が見ている間にも巨大な魔物の攻撃を全て躱し、少しずつ足を傷つけていた。
だけど、その背後。
別の大型の魔物が、ルドガーさんへ向かっていた。
太い前脚を持ち上げ、背後から押し潰そうとしている。
「ルドガーさん!」
声をかけても、戦場の音に掻き消される。
ルドガーさんは気づいているのかもしれない。
すでに片足を僅かに引き、振り返る準備をしているようにも見えた。
それでも、私は杖を構えた。
「風よ、私に力を貸して——」
セシルさんから教えてもらったことを思い出す。
先に術式を作る。
術式へ繋がる魔力の道を作る。
必要な分だけ魔力を流し、魔素を集めるのはその後。
出力で押し切らない。
味方を巻き込まないよう、発動する場所と風が流れる方向を定める。
大型の魔物の足元。
ルドガーさんのいる方向へは、風を広げない。
乱れそうになる術式を、一つずつ丁寧に整えていく。
「空翔ける翼よ、舞い降りて鋭い刃となれ——テンペスト!」
大型の魔物の足元に、緑色の魔術陣が広がった。
次の瞬間、地面から巨大な風の柱が立ち上がる。
その中で、無数の風の刃が吹き荒れた。
持ち上げられていた前脚が横へ弾かれる。
大型の魔物が体勢を崩し、ルドガーさんとは反対側へ大きくよろめいた。
風の柱は、ルドガーさんの直前で途切れている。
彼の服が僅かにはためいただけで、身体を巻き込むことはなかった。
「やるじゃねぇかっ!」
ルドガーさんは短く声を上げると、よろめいた魔物へ一瞬だけ視線を向けた。
それから、目の前にいた巨大な魔物の懐へさらに深く踏み込む。
振り下ろされた剣が、傷ついていた前脚を切り裂いた。
巨体が傾く。
地面へ倒れ込む前に、ルドガーさんは魔物の首元へ剣を深く突き込んだ。
巨大な身体が一度だけ大きく震え、そのまま動かなくなった。
ルドガーさんはすぐさま剣を引き抜くと、私のテンペストを受けて体勢を崩していた別の大型個体へ向かって走り出した。
「風よ——!」
ルドガーさんの側面から飛びかかろうとしていた小型の魔物へ、細い風の刃を飛ばす。
狙うのは首ではなく、前脚。
風刃が脚を切り、魔物が地面を転がる。
ルドガーさんは視線を向けることもなく、その横を通り抜けた。
別の魔物が背後から迫れば、風で押し返す。
大型個体が爪を振り上げれば、その顔へ風をぶつけて僅かに狙いを逸らす。
私の魔術だけで倒す必要はない。
ルドガーさんが目の前の相手へ集中できるように。
そのための隙を作ればいい。
フランの風も、戦場全体へ広がっていた。
地面を埋めていた魔物の群れが、至る所で分断されている。
前へ進もうとしても、横から吹きつける風に押し流される。
互いにぶつかり、倒れた仲間へ足を取られ、まともにヴァイスタールへ向かえなくなっていた。
飛行する魔物が何体もこちらへ向かってきた。
フランは私を背に乗せたまま翼を翻す。
急激に方向を変え、飛びかかってきた魔物の横を通り抜ける。
その瞬間に片翼を振り抜いた。
目に見えるほど凝縮された風が飛行する魔物をまとめて捉え、地面へ叩き落とす。
「ありがとう、フラン」
『造作もない。空は任せろ。リーゼは地上だけを見ていればいい』
「はい!」
フランの言葉通り、地上へ意識を戻す。
外壁上で人が活発に動いている様子が見えると同時に、外壁上へ巨大な魔術陣が広がった。
炎が平原を走る。
フランの風に押し戻され、身動きが取れなくなっていた魔物の群れがまとめて呑み込まれた。
魔術師の人たちも、フランが敵ではないと理解してくれたらしい。
風によって生まれた隙を逃さず、次々に攻撃を重ねている。
門前へ殺到していた魔物が、一気に押し返されていく。
その最中にも、ルドガーさんの剣の刃が魔物の顎から頭部へ走り、巨体が後ろへ倒れ込んだ。
ルドガーさんは倒れてくる身体から飛び退く。
着地した直後には、もう周囲の魔物へ剣を向けていた。
それから、どれほど戦い続けたのか分からない。
私はルドガーさんの周囲へ近づく魔物を妨害し続けた。
フランは広い範囲へ風を吹かせ、魔物たちの動きを止め続けた。
ヴァイスタールの人たちも、少しずつ押し返していく。
最初に変化したのは、群れの外側にいた魔物だった。
街へ向かうことを諦めるように、平原の向こうへ走り出す。
一匹が離れると、それに続いて別の魔物も背を向けた。
やがて、同じような動きが群れの各所へ広がっていった。
まとまりを失った魔物たちが、四方へ散っていく。
戦いの音が、少しずつ遠ざかっていく。
魔物の咆哮も減っていく。
完全にいなくなったわけではない。
平原の遠くには、まだ黒い影がいくつも見えている。
それでも、ヴァイスタールへ押し寄せていた大群は散っていた。
「……もう、大丈夫ですかね?」
『少なくとも、今この場の危機は去った』
フランの返答を聞いて、ようやく息を吐く。
気づかないうちに、杖を強く握りしめていたらしい。
地上では、ルドガーさんが剣についた黒い血を振り払っていた。
服や腕には黒い血がついているけど、大きな怪我をしている様子はない。
「フラン。ルドガーさんの近くへ降りてください」
『承知した』
フランがゆっくりと高度を下げる。
地面が近づくにつれて、戦いの跡がはっきりと見えてきた。
怪我をした人たちが門の中へ運ばれていく姿も見える。
フランが地面へ降り立ってすぐに、背中から飛び降りた。
「ルドガーさん! 大丈夫ですか?」
「見ての通り、問題ねぇよ」
「でも、あんな高いところから飛び降りてましたし……!」
「ちゃんと術をかけてもらっただろ」
「っ! あれは、あんな高いところから勢いよく飛び降りることを想定した術ではありません!」
思わず強く言い返してしまう。
ルドガーさんは悪びれる様子もなく笑っていた。
「でも、助かった。あの術がなきゃ、流石にもう少し低くしてもらう必要があったからな」
「フェザーフォールがあっても、普通はあんな高さからは……」
「結果良ければいいだろ」
「よくありません!」
もう一度言い返したところで、こちらへ近づいてくる人影に気づいた。
装飾の多い濃紺のローブを着た、年配の男性。
その後ろには、杖を持った数人の魔術師が続いている。
警戒している様子はある。
だけど、杖はこちらへ向けられていない。
男性はフランの少し前で足を止めた。
大きな身体を見上げる。
「失礼ですが……」
男性が、フランの方を手で示した。
「そちらは、風の聖獣フレスベルグ様で相違ありませんか?」
「……はい。フランは、風の聖獣です」
「やはり……」
男性は目を見開いた。
それから、すぐに深く頭を下げる。
後ろにいた魔術師の方々も、それに続いた。
「貴方様も、エルフの王族であるとお見受けいたします。この度の御助力、心より感謝申し上げます。貴方様方がいらっしゃらなければ、南門の防衛線は間違いなく崩壊していました」
「い、いえ。私たちは出来ることをしただけですので……」
「それでも、救われた命がどれほどあるか分かりません」
男性は頭を上げ、改めてフランを見た。
「風の聖獣様がヴァイスタールに滞在なされていることは、魔道図書館から報告を受けていました。入館規則の特例を認めたため、上席を通して都市政府へも情報が共有されていたのです」
図書館で、フランを入れてもらえるか相談した時のことを思い出す。
マルタさんが確認してくれて、特例として入館を認めてもらった。
その情報が、都市政府にまで伝わっていたらしい。
「ですが、まさか都市の防衛にまで御協力いただけるとは思っておりませんでした。本当に、ありがとうございました」
『私は人の都を守るために動いたわけではない』
フランが静かに言う。
男性たちには、短い鳴き声にしか聞こえていない。
『リーゼが守ると決めた。故に、私は力を貸した。それだけだ』
「……フラン」
『礼を受けるべき者がいるとすれば、それはお前だ。私をここへ連れてきたのも、力を振るうように望んだのも、お前なのだからな』
「……ありがとうございます」
小さく答える。
その時、ヴァイスタール側からこちらへ歩いてくる人影が見えた。
土と黒い血で汚れているけど、青い髪をした紺色のローブを着ている女性。
いつもより髪も乱れていて、疲れているのか歩みも少し重い。
それでも、見間違えるはずがなかった。
「セシルさん……」
その姿が見えただけで、ようやく緊張が解けた気がした。
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