天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
戦いが終わっても、治療は終わらなかった。
平原や外壁から負傷者が次々と運び込まれ、私は助祭の方々と手分けして治癒を続けた。
全ての患者さんへの対応を終え、臨時治療所を片付けた頃には、日もすっかり傾いていた。
『ミコト、大丈夫ですか?』
『うん、一応。流石にちょっと疲れたけど』
『報告が終わったらちゃんと休むんですよ。無理しすぎはよくないですから』
『……流石に今日は休むよ』
……トコヨから訝しむような表情でじっとり睨まれて流石に居心地が悪い。
そんなに信用がないのだろうか。
トコヨから疑うような目を向けられながら、助祭の方々と対策本部へ戻る。
治療室の寝台はほとんど埋まっていたけど、慌ただしさは収まりつつあった。
部屋の奥にいたヴァイゲルト司教も、私たちに気づくとすぐに歩み寄ってきた。
「皆さん、御無事で何よりです」
「臨時治療所に残っていた方々の治療は終わりました。重傷者はこちらへ運んでいただいています」
「報告は受けております。アメノさんが外壁上にまで赴き、その場で高位治癒を行ったとも聞きました」
「あれは……実際に確認したら、本当に運ぶ余裕がなかったので……」
「必要な判断であったことは理解しております。責めるつもりはありませんよ」
ヴァイゲルト司教は少しだけ困ったように笑った。
「ですが、無事に戻られた姿を見るまでは気が気ではありませんでした」
「私が自分で行くと申し出たのですから、司教様が気に病むことではありません」
「そのような無責任なことは流石にできません。私は貴方の協力の申し出を受諾し、前線に最も近い場所で治癒することを承認までした責任者なのですから」
司教様は小さく息を吐くと、近くの机へ移動した。
机の上に重ねられていた紙の中から、細い紐で束ねられたものを取り出す。
「こちらをお渡ししておきましょう」
「これは……」
「昨日までに、助祭たちが患者の方々から聞き取った内容です。本来であれば今朝お渡しする予定でしたが、あの騒ぎでしたから」
受け取った紙には、魔物に襲われた場所や時期、群れの規模とかがまとめられていた。
「ありがとうございます。こんなに詳しく……」
「本日運び込まれた方々には、落ち着いてからお話を伺います。その分は後日お渡ししましょう」
ヴァイゲルト司教はそう言うと、改めて姿勢を正した。
「此度は、我々に御協力いただき、誠にありがとうございました。危険な臨時治療所へ赴き、多くの負傷者を救い、緊急時には外壁上で高位治癒まで行っていただいた。ヴァイスタールを預かる司教として、心より御礼申し上げます」
深く頭を下げられ、慌ててしまう。
「あ、頭を上げてください。私は、自分にできることをしただけですから」
「そのできることを、危険な場所で迷わず為せる方は多くありません」
「ですが、助祭の皆さんも同じです。私は一人ではとてもできなかったと思いますので……」
「ええ。彼女たちにも、後ほど改めて礼を伝えます」
司教様はゆっくりと頭を上げた。
疲れは隠しきれていない。
それでも、穏やかな表情は変わらなかった。
「それと、アメノさん。明日からは、毎日無理をして治療室へ通おうとなさらないでください」
「えっ」
思ってもいなかったことを言われ、聞き返してしまった。
「私のお手伝いは、もう必要ありませんか?」
「まさか。来ていただければ、我々としては大いに助かります。貴方ほどの治癒を行える方が一人増えるだけで、救える命は確実に増えるでしょうし、我々の負担も大幅に軽減されます」
「それなら——」
「ですが、助かることと、毎日来ていただかなければならないことは別です」
言葉に詰まる。
「やらなければならないことがあるからこそ、この異変の原因を調べておられるのではありませんか」
「……はい」
「目の前の負傷者を救うことはもちろん重要です。しかし、我々の人手不足を埋めるために、貴方が本来為すべきことへ使う時間を奪ってしまっては本末転倒でしょう」
「ですが、治療室が忙しいのも事実ですよね」
「ええ。ですから、都市政府にも増員と物資の支援を要請しています。この異常事態に対して、教会の人員だけで全てを賄おうとすること自体に無理があるのです。治癒以外の補助に関しては、神官でなくともできるのですから」
ヴァイゲルト司教は、私が持っている紙の束へ視線を落とした。
「こちらの記録も、毎日受け取りに来ていただく必要はありません。数日分をまとめてお渡しすることもできます」
穏やかな声だった。
だけど、こちらが遠慮しても考えを変えるつもりがないのははっきりと伝わってきた。
「もちろん、治癒を手伝いたいと思われた時に来ていただくことを拒むつもりはありません。ただし、毎日来なければならないなどとは考えないでください」
「……分かりました」
「緊急時にどうしても御力をお借りしたい場合は、こちらからお願いします。その時に余裕があれば助けていただければ十分です」
「はい。その時は、必ずお力になります」
「余裕があれば、ですよ」
「……はい」
念を押されてしまった。
トコヨの方を見ると、満足そうに何度も頷いていた。
『なかなか話の分かる司教ですね。いい判断ですよこの人』
『私もそう思う……すごくいい人だね』
『えぇ、ほんとに』
トコヨも目を細めて穏やかな表情でヴァイゲルト司教を見ていた。
ここまで話が分かって統率力もあるいい人が上に立っているヴァイスタールの教会は安心だ。
そう思えるくらい、知り合ってから悪いところが見当たらなかった。
ヴァイゲルト司教と助祭の方々へ挨拶をして、対策本部を後にする。
外はもう暗くなっていた。
「ただいま戻りました」
セシルさんの家へ入ると、広間から紙をめくる音が聞こえてきた。
机には大きな地図が広げられ、その周りにセシルさん、リーゼちゃん、ルドガーさん、ファロさんが座っている。
小さな姿に戻ったフレスベルグも、リーゼちゃんの椅子の背に止まっていた。
「おかえり、ミコト」
ファロさんが最初に声をかけてくれた。
全員疲れた様子ではあるけど、大きな怪我は見当たらない。
「皆さん、無事でよかったです」
「ミコトさんも。外壁で治癒をなさっていたと聞きました」
「その時はセシルさんが守ってくれましたから!」
「わぁ! そうだったんですね!」
私の返答にリーゼちゃんも満面の笑みを浮かべた。
その隣で、セシルさんだけが両手で頭を抱えている。
青い髪はいつも以上に乱れていた。
「セシルさん……?」
「今はそっとしておいた方がいいかも」
ファロさんが小声で教えてくれる。
「リーゼとルドガーが集めた情報を地図に書き込んだら、こうなったの」
机の上の地図には、ヴァイスタールの街中だけでなく、周辺の村や街道にも日付が書き込まれていた。
「繋がらない」
セシルさんが低い声で呟いた。
「一つの大規模術式が原因なら、起点に近い場所ほど早く、強く影響が出るはず。でも、街も周辺の村も時期がばらばら。どこを中心にしても順番が合わない」
「複数の原因がある可能性は?」
ファロさんが尋ねる。
「それなら、影響が重なった場所にもっと強い偏りが出る。今のところ、それもない」
「情報が間違っているということは……」
「多少の誤差はある。でも、帳簿や村の出来事と照らし合わせてる情報まで全部間違ってるとは思えない」
「食欲と魔物のことが関係なかったとかはないのか?」
「相関だけで見れば調べれば調べるほどむしろ濃くなってる。どこの村もほぼ同時期に魔物が増えて食欲も増加してるんだから疑いようがない。食欲は常駐してない商人に聞いてやっと分かる辺りが全く同じ傾向だし……」
セシルさんは再び頭を抱えた。
情報が足りないわけじゃなくて、増えたことで今まで以上に分からなくなってしまったってことなのかな。
「あの、セシルさん」
「なに」
「治療室から、昨日までに聞き取っていただいた記録を預かってきました」
紙の束を机へ置く。
セシルさんはすぐに受け取り、必要な部分だけを拾いながら目を通していった。
「……また合わない……この魔物被害の場所は偏りまくってるし……どこを起点に考えれば……こんな広大な範囲で、こんな半端な位置だけ偏るなんてことになる……」
さっきよりも重い声だった。
「俺は聞き間違えちゃいねぇぞ」
「分かってる。だから困ってんの」
セシルさんは羽ペンを置き、椅子の背へ身体を預けた。
地図の上には、数えきれないほどの印が散らばっている。
沈黙が広間を満たした。
リーゼちゃんと目が合う。
お互いに小さく頷いた。
「で、でも、セシルさん」
「……なに」
「これだけ情報が集まったことは、前進ではないでしょうか」
「そ、そうです。少なくとも、単純に一つの場所から広がっているわけではないかもしれないと分かったのですから」
セシルさんが、疲れた目をこちらへ向けた。
「単純に広がってないのか、情報の取り方が間違ってるのか、別々の異変なのかも分かってないけど」
「……あぅ」
「……すみません」
リーゼちゃんと一緒に俯いてしまう。
『セシルが困っている理由を言い直しただけですよそれ』
『空気を明るくしようと思ったんだけど……』
『見事に空回りしましたね』
トコヨのなんとも言えない生暖かい視線が痛い。
否定もできないし……
「はい、そこまで」
ファロさんが両手を叩いた。
「空腹のまま難しい顔をしてても、地図から答えは出てこないでしょ」
「……空腹は関係ない」
「あるって。あたしは戦ってないけど、セシルは朝から調査して、その後は戦闘。外壁の上からバカスカ魔術飛ばしてたうちの一人だったんだから、魔力だってだいぶ減ってる。ミコトは一日中治療。リーゼとルドガーも村を回った帰りに戦ってる。皆、まともに食べてないでしょ」
言われて初めて、空腹をはっきりと自覚した。
「それに、あたしもお腹が空いた。何か作って食べようよ」
「今から作るんですか?」
「食材は宿に置いてあるあたしの商品から使えそうなものを持ってくるからさ」
「ですが、それはファロさんの商品ですよね」
リーゼちゃんが申し訳なさそうに耳を伏せている。
私も同感だった。
商品を使ってもらってしまったら、ファロさんが損をしてしまうじゃないか。
「あたしは命を助けてもらったお礼を、一度の食事で返し切ったとは思ってないの。今日の食材もその続き。あたしが納得して持ってくるんだから、気にしないで」
……前にも似たようなことを言われた気がする。
「……ありがとうございます」
「うん。素直でよろしい」
ファロさんはセシルさんへ顔を向けた。
「セシル、台所借りていい?」
返事はなかった。
セシルさんは地図を見つめたまま動かない。
「俺は肉が食いてぇな」
「聞いてるのは家主になんだけど」
「家主は返事しねぇだろ。なら食う側の要望くらい言ってもいいじゃねぇか」
「肉ねぇ。あったとは思うけど、その辺りは在庫状況確認してから判断する」
「なるべく多めで頼む」
「はいはい。在庫かっつかつだったら肉なしだけどね」
ファロさんは呆れたように尻尾を振った。
もう一度セシルさんを見たけど、やっぱり返事はない。
「止められてないから、借りてもいいってことにしようか。ここ数日一緒に街調査してて分かったけど、セシルって嫌なことははっきり拒絶するでしょ」
「え、っと……そうですね。私もそう思います」
シルヴィアさんへの態度とか見ていたら一目瞭然だ。
セシルさんは嫌なことはとことん拒絶するはず。
私も勝手に使っちゃったことあるけど怒られはしなかったし……
ファロさんは一度宿に戻って、食材の入った大きな袋を抱えて帰ってきた。
中には燻製肉、根菜、葉野菜、パン、木の実や乾燥果物が入っている。
「燻製肉と根菜を焼いて、残りの野菜はスープとサラダにしようか」
「私もお手伝いします」
「わ、私も手伝います!」
私とリーゼちゃんも立ち上がり、3人で台所へ移動した。
「二人は料理したことある?」
「はい。シルヴィアさんに教えていただきました」
「なら、ミコトはまず根菜を切ってくれる?」
「任せてください」
包丁を受け取り、皮を剥いた根菜を同じくらいの大きさに切っていく。
ファロさんが横から手元を覗き込んだ。
「普通にできるじゃん。手つきも危なくないし、大きさも揃ってる」
「シルヴィアさんに、たくさん教えていただきましたから」
『教えてもらってる時は手が血だらけになってシルヴィアに治癒してもらってましたけどね』
『トコヨうるさい』
胸を張っていたのに気分を害さないでほしい。
できるようになったのは事実なのだから。
「すごいです、ミコトさん」
リーゼちゃんからも褒められ、頬が緩んでしまった。
「リーゼは?」
ファロさんに聞かれ、リーゼちゃんが少しだけ身体を強張らせる。
「申し訳ありません。料理をした経験は、ほとんどありません」
「なら、まずは葉野菜を洗って、食べやすい大きさにちぎってくれる?」
「食べやすい大きさ……」
ファロさんがお手本を見せる。
リーゼちゃんも慎重に葉をちぎった。
最初は小さすぎたり、大きすぎたりしていたけど、ファロさんに教えられながら少しずつ大きさが揃っていく。
「お料理……難しいですね……」
「今は葉っぱをちぎってるだけよ」
「あぅ……」
「馬鹿にしたわけじゃないって。少しくらい大きさが違っても味は変わらないから、そんなに難しく考えなくていいの。ぱっぱっぱと素早く適当にやっていいから」
「そうなんですか?」
「そうなの。それに、多少失敗しても可愛いもんよ。初心者が頑張って料理に挑戦した証じゃない」
……シルヴィアさんにもそんなことを言われた気がする。
リーゼちゃんは少しだけ肩の力を抜き、再び野菜をちぎり始めた。
私は切った根菜と燻製肉の一部を鍋へ入れ、スープを作る。
ファロさんは残りの肉と根菜を焼き、リーゼちゃんには木の実と乾燥果物をサラダへ混ぜてもらっていた。
しばらくすると、台所に肉の焼ける香ばしい匂いが広がった。
「いい匂いがしてきてんじゃねぇか」
広間からルドガーさんの声が飛んでくる。
「もう少しだから待ってて……つまみ食いしにきてもあげないからね」
「んなガキくせぇことしねぇよ」
「初対面で酒と女好き隠さない言動してた人に言われても説得力ないのよ」
ファロさんの呆れたような言葉に、リーゼちゃんと私はつられて笑ってしまった。
私との初対面、というか酒場でのやり取りの時も一切隠してなかったし、その辺りはその通りかもしれない。
料理が完成し、皆で机へ運んだ。
ファロさんがセシルさんの前へスープを置く。
「考えるのは一度中断」
「……後で食べる」
「行き詰まってんでしょ。なら思考を切り替えるためのリフレッシュも必要だと思うけど?」
「…………はぁ。さっさと並べて」
セシルさんは渋々羽ペンを置いた。
地図を机の端へ寄せ、全員で料理を囲む。
焼いた燻製肉と根菜は香ばしく、スープは疲れた身体を温めてくれた。
リーゼちゃんが作ったサラダも、木の実の香ばしさと乾燥果物の甘さがよく合っている。
セシルさんも黙ってスープを飲んでいる。
深く刻まれていた眉間の皴が少しだけ緩んだ気がした。
「セシルさん。お味はどうですか?」
「……普通に美味い」
「——本当ですか?」
「嘘言ってどうすんの」
「い、いえ、初めてぼかさずに美味しいって言ってもらえた気がして……」
私が正直に思ったことを言った瞬間、セシルさんがプイっと顔を背けた。
「…………前言撤回。普通」
「んなっ!? でももう美味しいって言ったじゃないですか!! 撤回なんてできませんよ!? 私ははっきり覚えてますから!!」
「はいはい。すごいすごい」
表情すら見せずに手でシッシと払うようにあしらってくるセシルさんに呆然としてしまう。
だけど、美味しいって言ってくれたのは間違いない。
ファロさんとの合作に対する評価だとしても、すごく嬉しかった。
『よかったですね、ミコト』
『うん!』
地図の上に散らばった情報は、まだ何一つ繋がっていない。
原因へ続く答えも見つからないままだった。
それでも、沈んでいた空気だけは少しマシになった気がした。