天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~   作:あじのふらい

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3-26 異変の中心

背後から響いていた魔物の咆哮と戦いの音が、少しずつ遠ざかっていった。

振り返ってもヴァイスタールへ押し寄せていた魔物の大群はもう見えない。

外壁上から放たれていた魔術の光も、地平の向こうで僅かに瞬いているだけだった。

地上を走っていたセシルさんが片手を上げる。

 

「リーゼちゃん」

 

「はい。フラン、一度降りてください」

 

フレスベルグが大きな翼を広げた。

ゆっくりと高度を落とし、平原の中にある少し開けた場所へ降り立つ。

リーゼちゃんが先に地面へ降りた。

私も差し出された手を借りながら、フレスベルグの背中から降ろしてもらう。

その間に、ルドガーさんとセシルさんも追いついてきた。

ルドガーさんは普段とほとんど変わらない。

走りながら何匹もの魔物を切り伏せていたはずなのに、呼吸すらほとんど乱れていなかった。

その隣で、セシルさんが杖を地面につく。

肩を上下させ、何度も深く呼吸していた。

 

「依頼主殿、随分と息が上がってるじゃねぇか」

 

ルドガーさんが、少しだけ口の端を上げた。

 

「どうしてもって言うなら背負ってやろうか?」

 

「はぁ……はぁ……——傭兵と比較すんな。死んでもごめんだから」

 

「その口が回るなら、まだ平気そうだな」

 

ルドガーさんはからからと笑っている。

だけど、その目はセシルさんの顔色や足元を確認しているように見えた。

 

「あの、セシルさん。少し休みませんか?」

 

「私もそう思います。ここまでずっと走ってましたし……」

 

私とリーゼちゃんが声をかける。

セシルさんは何度か呼吸を繰り返した後、杖から手を離した。

 

「平気。息整えてただけ」

 

「でも——」

 

「怪我もしてないし、まだ動ける。ゆっくり休んでる時間ないでしょ」

 

セシルさんは取り合わず、鞄から地図を取り出した。

 

「ヴァイスタールがここ。今いるのは大体この辺」

 

地図の上を指でなぞる。

昨日までに集めた情報を時期ごとに分けて描いた、いくつもの円。

その中心を繋いだ線は、ヴァイスタールから南へ伸びている。

 

「方角は今までと同じ。このまま南へ進む。最新の中心と見てる範囲は、この辺り一帯」

 

セシルさんは中心をつないだ線の端、その辺り一帯を丸で囲んだ部分を指さした。

 

「正確な場所までは絞れてない。中心自体が動いてるなら、今も同じ場所にいる保証はないけど、今の襲撃が南から来てることを考えれば大きく外れてはいないはず」

 

「ここからどのくらいだ?」

 

「今の速度なら数時間。途中から低い丘が増えてくる。その一帯に入ったら、上空から周囲を探す」

 

「随分と広いな」

 

「しょうがないでしょ。最初から点まで絞れるほど情報は揃ってない。近づいてから痕跡を探す」

 

セシルさんは地図を畳み、再び鞄へ押し込んだ。

 

「ミコトとリーゼは、引き続きフレスベルグに乗れ。低い位置を飛んで、私らから離れすぎないように。地上の進路と上空の魔物を見て」

 

「待ってください」

 

リーゼちゃんが、セシルさんの前へ出た。

 

「セシルさんがフランに乗ってください。私はまだ疲れていません。ここまでほとんどフランに乗せてもらっていただけですから、私が走ります」

 

「却下」

 

「ですが……」

 

「あんたが降りたら、フレスベルグとの情報伝達が遅れる。上空から周囲を見る役も必要だし、今の配置を変える意味がない」

 

「それなら……」

 

リーゼちゃんは何か言い返そうとしていたけど、言葉が続かなかった。

セシルさんの言っていることにも納得できてしまったらしい。

だけど、このままセシルさんだけ走らせ続けるのも心配だった。

 

「あの、フレスベルグに3人で乗せてもらうことはできないんですか?」

 

「3人?」

 

「はい。私とリーゼちゃんとセシルさんの3人です。フレスベルグは大きいですし、それくらいなら——」

 

『ホォ』

 

言い終わるよりも先に、フレスベルグが低く鋭い鳴き声を上げた。

翼を僅かに広げ、こちらへ顔を向けている。

明らかに、何かを訴えていた。

 

「えっと、リーゼちゃん?」

 

「フラン?」

 

リーゼちゃんがフレスベルグを見上げる。

何度か短い鳴き声が続いた。

リーゼちゃんはそれを聞きながら、少し困ったように眉尻を下げていく。

 

「なんて言ってるんですか?」

 

「……飛ぶだけであれば、3人を乗せることもできなくはないそうです」

 

「それなら——」

 

「ですが、3人を乗せた状態で飛行する魔物と戦えば、急な旋回や高度の変更をした際に、誰かが落下する危険があると……それでも構わないのであれば乗せる、と言っています」

 

「落下……」

 

思わずフレスベルグの背中を見上げる。

今までは穏やかな風に守られていたし、飛んでいる最中も思っていたより安定していた。

だけど、魔物に襲われて急に身体を傾けるようなことがあれば、絶対に落ちないなんて言い切れない。

 

「駄目。却下」

 

セシルさんが、強い口調で言い切った。

 

「ここまで来る間にも、飛行型の魔物は何匹もいた。戦闘にならない前提で3人乗るなんて現実的じゃない」

 

「ですが、セシルさんが——」

 

「私の心配して、3人まとめて落ちたら意味ないでしょ。ミコトは治癒要員だから疲れさせたり怪我させるリスクが他より高い。リーゼはフレスベルグとの連携役。今の配置は変えない」

 

セシルさんはそれだけ言うと、私たちに背を向けた。

もう話を続けるつもりはないらしい。

 

「依頼主殿は休む気も譲る気もないらしいな」

 

「うるさい。分かったなら行くよ」

 

「はいはい」

 

ルドガーさんが剣の位置を確認し、セシルさんの隣へ並ぶ。

リーゼちゃんはまだ心配そうにしていたけど、やがて小さく息を吐いた。

 

「……分かりました。ですが、本当に無理はしないでくださいね。いつでも変わりますから」

 

「分かってる」

 

「私も、いつでも変わりますよ!」

 

「分かったからさっさと飛べ」

 

リーゼちゃんと顔を見合わせる。

リーゼちゃんも困った表情を浮かべていたけど、どうしようもないと思ったらしい。

お互いに頷いてから、もう一度フレスベルグの背中に乗った。

 

私たちが乗ったことを確認すると、フレスベルグは大きな翼を広げた。

地面を蹴り、先ほどよりも低い高度まで飛び上がる。

その下では、セシルさんとルドガーさんが再び移動を始めていた。

最初のような全力疾走ではない。

時折歩きも交えて体力の消耗を抑えてそうではある。

それでも、立ち止まることなく平原を進み続けている。

ルドガーさんはセシルさんの少し前を進み、僅かに速度を抑えているように見えた。

 

 

 

移動を再開してからも、魔物の数は減らなかった。

平原の至る所に、ヴァイスタールへ向かっていた大群から外れたと思われる魔物がいた。

草の中から四足の魔物が飛び出してくる。

ルドガーさんは走る速度をほとんど落とさず、剣を抜いた。

先頭の一匹を切り伏せ、その身体を蹴り飛ばして後ろの魔物へぶつける。

体勢を崩した魔物の横を、セシルさんと一緒に通り抜けた。

残った魔物が追いかけようとした瞬間、フレスベルグが片翼を振るう。

地面を這うように吹き抜けた風が、魔物たちを進行方向とは反対側へ吹き飛ばした。

ルドガーさんも、フレスベルグも、立ち止まって全てを倒そうとはしない。

進路を塞がれたり襲われたりした場合だけ、最低限排除しながら前へ進み続けていた。

 

上空から飛行する魔物が近づいてくることもあった。

一度、横から大きな翼を持つ魔物が飛びかかってきた時には、フレスベルグが身体を大きく傾けた。

 

「ひっ……!」

 

身体が横へ引っ張られる。

必死に羽毛を掴んだけど、腰が僅かに浮いてしまった。

前に座っていたリーゼちゃんがすぐに腕を伸ばし、私の身体を支えてくれる。

フレスベルグは急旋回して魔物の攻撃を躱すと、振り抜いた翼から風を放った。

魔物が風に呑み込まれ、地面へ向かって落ちていく。

 

「だ、大丈夫ですか、ミコトさん?」

 

「う、うん。ありがとう、リーゼちゃん」

 

心臓が激しく動いている。

風に守られていても、急激に方向を変えれば、身体まで完全に固定されているわけではない。

今の動きを3人で受けていたら、誰かが落ちていた可能性もあったと思う。

フレスベルグが警告した理由も、セシルさんが拒否した理由も、嫌でも実感できてしまった。

 

それからも、何度も魔物に襲われた。

ルドガーさんが地上の魔物を切り伏せる。

フレスベルグが空から近づく魔物を吹き飛ばし、地上で追ってくる群れの足を止める。

私たちは一度も長く足を止めることなく、ひたすら南へ進み続けた。

 

 

 

太陽が少しずつ傾いていく。

平坦だった草原には、やがて低い丘が増え始めた。

膝ほどの高さまで伸びた草が風に揺れ、その間から黒い魔物の姿が何度も見える。

魔物は大量にいる。

だけど、ここへ近づいた途端に数が増えたようには見えなかった。

ヴァイスタールを離れてから、ずっと同じような状態が続いている。

さらにしばらく進んだところで、セシルさんが再び手を上げた。

フレスベルグが速度を落とす。

地上では、セシルさんが地図と周囲の丘を交互に見ていた。

 

「この辺りから、中心と見てる範囲に入る!」

 

セシルさんが、こちらを見上げながら声を張り上げる。

 

「上から何か見えないか確認しろ! 人でも、建物でも、魔術陣でも、他と違うものなら何でもいい!」

 

「分かりました! フラン、少し高く飛んでください!」

 

『ホー!』

 

フレスベルグが大きく羽ばたいた。

地面がさらに遠ざかる。

低い丘が連なる一帯を見渡せる高さまで上がると、その場で大きく旋回し始めた。

私も周囲へ目を凝らす。

草原。

地面から突き出した岩。

低い木が集まった小さな林。

丘と丘の間を移動している、いくつもの魔物の群れ。

見えるのはそれだけだった。

何かの実験をしていたような跡も、人が暮らしているような建物も、野営地もない。

魔術に使うような巨大な魔術陣が地面へ描かれていることもなかった。

 

「……何も、ありませんね」

 

リーゼちゃんが不安そうに呟く。

 

「うん。魔物はたくさんいるけど、それ以外は……」

 

『私にも変わったものは見えませんね』

 

トコヨも、私たちの周囲を飛びながら辺りを見回している。

何度か場所を変えつつ大きく旋回してもらったりもしたけど、原因と思えるものは何一つ見つからなかった。

地上で待っているセシルさんへ報告するため、フレスベルグが高度を下げ始める。

その途中だった。

 

『……ん?』

 

トコヨが、後ろを振り返った。

 

『どうしたの?』

 

『少し待ってください。さっき通り過ぎた辺りです』

 

トコヨが、私たちの後方へ飛んでいく。

少し前に通り過ぎた、低い丘。

トコヨはその斜面を凝視している。

 

『ミコト。あの丘の横です。草に隠れていますけど、穴みたいなものがありませんか?』

 

トコヨが指している場所へ目を凝らす。

 

今の位置からでは、丘の裏側に隠れてほとんど見えない。

 

だけど、通り過ぎる時に斜面の一部が黒く見えたような気もした。

 

『洞窟かもしれません。横穴みたいになってます』

 

「リーゼちゃん。少し前に通り過ぎた丘へ戻ってもらえますか?」

 

「何か見つけたんですか?」

 

「えっと、洞窟みたいなものがあった気がして……」

 

「分かりました。フラン、お願いします」

 

フレスベルグが翼を翻し、来た方向へ戻り始める。

 

「セシルさん!」

 

地上を移動している二人へ声を張り上げる。

 

「少し戻った丘に、洞窟みたいな横穴が見えました!」

 

「どの丘!!」

 

「あそこです!」

 

トコヨが教えてくれた丘を指差す。

セシルさんとルドガーさんも、すぐに進行方向を変えた。

丘の近くまで戻り、フレスベルグが地面へ降り立つ。

斜面の下側には、低い木と背の高い草が密集していた。

その奥に、岩肌の一部が大きく窪み、確かに人が何人か並んで通れるほどの横穴が開いていた。

上空からじゃないと草と木の影に隠れてほとんど見えない場所だった。

 

『よくこんなの見つけたね』

 

『ふふん。もっと褒めてくれてもいいですよ』

 

得意げに胸を張るトコヨを横目に、セシルさんたちの方へ向かう。

セシルさんは入口の前で地図を広げていた。

 

「ここは依頼主殿的にはどうなんだ?」

 

「中心と見てた範囲。その中でもかなり中心寄り」

 

「地上に何もねぇなら、調べる価値はありそうだな」

 

ルドガーさんが洞窟の奥を覗き込む。

外からでは、暗くて何も見えない。

微かに、生暖かい空気が流れてきている。

 

「入るよ」

 

セシルさんが地図を畳む。

その言葉を聞いたフレスベルグの身体を、白い風が包んだ。

巨大だった身体が小さくなり、普段と同じ大きさへ戻る。

リーゼちゃんの肩へ飛び乗ると、洞窟の奥を警戒するように翼を僅かに広げていた。

ルドガーさんが剣を抜く。

 

「俺が先に行く。依頼主殿は後ろから周囲を見ろ。嬢ちゃんたちは離れすぎるなよ」

 

「分かりました」

 

「はい」

 

ルドガーさんを先頭に、洞窟へ入る。

 

「明かりは私に任せてください!」

 

「神官様がいるとこういうのは便利だな」

 

「私、神官じゃなくて巫女ですけどね」

 

「俺にはそんな細かい違いは分からんけどな」

 

ルドガーさんの軽口に苦笑しながら、祈りを捧げて見慣れた光弾を生成する。

柔らかく穏やかな光が、暗い洞窟を照らしてくれた。

照らされた洞窟は、自然にできたもののように見えた。

剥き出しの岩肌や足元には細かな石が散らばっている感じからして、穴を掘って作ったとかそういう感じには見えない。

道は緩やかに下へ傾き、奥へ向かって続いていた。

少なくとも、入り口から見える範囲に魔術陣や何かの装置が置かれている様子もなかった。

 

 

 

進むほどに獣に近い臭いが強くなっていく。

湿った土の臭いが強いのは間違いない。

だけど、絶対にその臭いだけじゃない。

生温かく淀んだ空気が、辺りを満たしていた。

洞窟の中は、不気味なほど静かだった。

 

私たちの足音だけが、何度も岩壁へ反響する。

しばらく進むと、先頭にいたルドガーさんが足を止めた。

片手を上げ、声を出さないように合図している。

通路の先が、急に開けていた。

ルドガーさんがゆっくりと進む。

セシルさんが続き、私とリーゼちゃんも足音を立てないように後を追う。

狭かった通路を抜けた瞬間、巨大な空間が視界に広がった。

天井は高く、フレスベルグが本来の姿へ戻っても飛び回れそうなほど広い。

私が浮かべていた光が、洞窟の奥を照らす。

その瞬間、それが視界に入った。

 

見上げなければ視界に収めきれないほど、巨大な猪のような魔物。

胴体だけでも、今まで見た大型の魔物とは比べものにならないほど大きい。

黒ずんだ赤褐色の剛毛が全身を覆い、異様に膨れた腹が呼吸するたびに上下している。

太い四肢。

岩を簡単に抉れそうなほど大きな蹄。

口元から伸びる、湾曲した二本の牙。

猪に似ているのは形だけだった。

見ているだけで身体が強張るような、禍々しい何かが、巨大な身体から溢れ出しているように感じる。

 

そして、その魔物の傍ら。

巨大な魔物と比べれば、あまりにも小さな人影が立っていた。

身体をすっぽりと覆う、金糸で装飾された白い外套。

顔を隠すように、目深にかぶられたフード。

 

「……あの人」

 

声が漏れた。

こちらの気配に気づいたのか、白いフードがゆっくりと持ち上がる。

顔はほとんど見えない。

それでも、見間違えるはずがなかった。

同一人物かは分からない。

だけど、あのフードは、リオレ大森林で私たちを襲い、リーゼちゃんとフレスベルグを最優先殺害目標と呼んだ——あの白いフードの女と同じものにしか見えなかった。

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