天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
その日の夜。
リーゼちゃんが眠った後も、私はなかなか寝つけずにいた。
私は役に立てただろうか。
この前聖堂騎士団やあのフードの女を相手にした時よりは実戦面では役に立てたとは思うけど、調査はセシルさんに頼り切りだったし……
そんな風に物思いに耽っていたら、眼が冴えてしまっていたのだ。
『ミコト』
ベッドの近くをふよふよ浮いていたトコヨが、小さな声で私を呼んだ。
『どうしたの?』
『セシル、一人で出ていきましたよ』
『えっ』
身体を起こす。
同じベッドのすぐ隣では、リーゼちゃんが静かに眠っていた。
フレスベルグもヘッドボードの上で目を閉じている。
『こんな時間に?』
『はい。外套を羽織って、なるべく音を立てないように出ていきました』
何か用事があるのだろうか。
夜に一人で出歩くなと散々言っていたセシルさんが、自分だけ一人で出ていった。
それが少し気になった。
『追いかけます?』
『……うん。どこに行くのか気になる』
リーゼちゃんを起こさないようにベッドから降りる。
簡単に着替えて外套を羽織って杖を持つ。
家を出ると、夜の冷たい空気が頬へ触れた。
街路の魔術灯は点いている。
だけど、昼間ほど人通りは多くない。
『あっちです』
『うん、ありがと』
少し歩くと、遠くにセシルさんの姿が見えた。
見失わないようにしながら、少し離れて後を追う。
セシルさんは住宅街を抜け、学院とは少し違う方角へ歩いていった。
途中で何度か細い道へ入る。
バレないように距離を取る関係上、どうしても見失うことがあったけど、そんな時はトコヨが案内してくれた。
こういう点では本当に役に立つ駄幽霊である。
しばらく歩くと、長い石段が見えてきた。
その上には、円形の小さな広場がある。
街の中でも少し高い場所になっているらしく、ヴァイスタールの屋根と魔術灯を広く見渡すことができた。
広場の奥にあるベンチに、セシルさんが一人で座って空を見上げていた。
深い藍色の夜空に、無数の星が輝いている。
この前のお茶会の夜ほどではないけど、それでも雲一つない空には大小様々な星が散らばり、街の明かりにも負けずに瞬いていた。
私がどうしたものかと悩んでいたら、セシルさんが急に振り返った。
「っ——…………何してんの」
凄く嫌そうな顔をしたセシルさんに睨まれた。
気付かれちゃったし、私もセシルさんの方に近づく。
「え、っと……ご、ごめんなさい。セシルさんが一人で出ていくのが見えたので、気になって追いかけてきました」
「……夜に一人で出歩くなって、何回言えば分かるわけ」
「もうある程度は道も覚えましたから、大丈夫です」
少し胸を張りながら答える。
『ここまで大体私が案内しましたけどね』
『い、今それ言わなくてもいいでしょ』
『事実じゃないですか』
胸を張っていた身体から、少しだけ力が抜ける。
セシルさんが、訝しげに私を見た。
「……なにその顔」
「な、なんでもないです」
「どうせ途中で迷いかけたんでしょ」
「迷ってません」
トコヨが案内してくれただけだ。
嘘は言っていない。
セシルさんは呆れたように息を吐いた。
「はぁ……帰りは一緒に戻るから、勝手に歩くなよ」
「はい」
柵の向こうには、静かなヴァイスタールの街並みが広がっていた。
「空を見ていたんですか?」
「見れば分かるでしょ」
「それはそうですけど……綺麗ですね、ここの景色。空も街も、すっごく綺麗です」
セシルさんの隣に腰かける。
特に文句は言われなかった。
多分大丈夫なはず。嫌だったら間違いなく怒ってるだろうし。
セシルさんは何も話さない。
私も、何を聞けばいいのか分からなかった。
ただ一人になりたかったのなら、追いかけてきたことは迷惑だったかもしれない。
そう思い始めた頃、セシルさんが静かに口を開いた。
「……親父に言われたことを思い出してたんだよ」
「養父さんにですか?」
「……視野を広げろって」
セシルさんは空を見上げたまま言った。
「視野ですか?」
「そう。死に際にわざわざ……視野を広げろ。孤独は思想を単一化させる。自分を絶対視するな。他者の発想を取り入れることを忘れるな。なんて言われた」
「……なんていうか、優しい人ですね」
「……優しい?」
思ったことを素直に言ったら、怪訝な顔を向けられた。
「はい。私はそう感じました。セシルさんのことを心配して、セシルさんのためになることを必死で考えたんだろうなって」
「……」
だって、そうでもないとこんな風にセシルさんがすんなり受け入れられる言葉として整えられると思えない。
以前から準備していたのではないだろうか。
死に際に、セシルさんのためにって。
だって、この言葉って、一人になるなって言っているのと同じだと思うし。
「これさ……私が旅に出た理由なんだよ」
風が広場を抜ける。
青い髪が僅かに揺れた。
「前に少し話したでしょ。私はヴァイスタールの近くにある集落で生まれた。両親は魔術師だったけど、私が5歳の時に2人とも死んだ」
「……はい」
「それで、ヴァイスタールに住んでた叔父に引き取られた。叔父は当時の魔術学院学長。私にとっては叔父で、養父で、師匠みたいなものだった」
マルタさんから聞いた話と重なる。
小さなセシルさんを心配していた、先代学長。
夜遅くまで図書館に残るセシルさんを、迎えに来ていた人。
だけど、マルタさんとの約束がある。
私は初めて聞いたように、静かに話を聞いた。
「引き取られたばかりの頃は、何を見せても興味を示さなかったらしい。親父が色々連れ回して、最後に連れていかれたのが魔道図書館だった」
「そこで、魔術書に興味を持ったんですね」
「そ。最初に読んだ本が何だったかとかは全然覚えてないけど、気づいたら毎日通うようになってた。朝から閉館まで本を読んで、分からないことをまとめて、家に帰ったら親父に聞く。それの繰り返し」
セシルさんの声は、いつも通り淡々としている。
それでも、普段は話したがらない養父さんのことを、自分から話してくれている。
「学院には行かなかったんですよね」
「親父に勧められはしたよ。授業で教える範囲は自習で終わってたから。金と時間の無駄だって言ったら、最後には納得した」
「それはやっぱり、普通ではない気がします……」
「ま、そんなの全員が全員出来たら魔術学院なんか必要ないしね。私には、魔術しかなかっただけだし」
「っ——そ、そんなことはないと思います!!」
「事実でしょ。一人で部屋に閉じこもって魔術の研究だけしかしてない偏屈女なんか」
「それでも、それは……」
即答だった。
セシルさん自身どう思ってるか分からないくらい。
「親父が死んだのは、私が14の時。死ぬ間際まで、くだらない心配してた。余計な心配だと思ったけど」
セシルさんの目が、少しだけ細くなる。
「さっきのも、遺言みたいな感じで言われたんだよ。言われてからそんなに時間も置かずに死んじゃったし」
「……それで、旅に出たんですか」
「そ。最後の親父の助言だ。10年近く教えてもらった師匠の言葉を無視するのはどうかと思った。それで、色々な国と街を回った。土地によって発展してる魔術は違う。見たことない術式や独自の使い方を見て、研究してきた」
「世界樹の麓にも、その旅の途中で?」
「たまたま立ち寄っただけ」
セシルさんは、少しだけ肩をすくめた。
「集落の周辺で魔物の出方が全然違うのはいくら何でもおかしいと思った。細かく調べたら、明らかに集落から一定距離が境になってる。この街の防壁を発展させたヤバい術でもあるのかと思って必死に調べた。それなのに、術式が何一つ理解できなかった。魔素の流れも、魔力の起点も、なにも分からなかった」
クロードさんが張っている結界のことだよね、これ。
多分だけど。
「そんな未知の術式に、嫌でも興味を引かれた。絶対に調べて調べて調べ尽くしてやるって思った」
「それで、あの集合住宅に?」
「まぁそう。結局まだ何も分かってないけど」
セシルさんは不満そうに言った。
「だから今も居座ってる。それだけ」
「それだけ、ですか」
少しだけ寂しく感じてしまった。
私たちと一緒に暮らしていることも、セシルさんにとっては結界を調べるためだけなのだろうか。
「じゃあ、セシルさんは調べ終わったら出ていっちゃうんですか……?」
「……特に決めてないけど」
「……その、私は、セシルさんがいなくなってしまうのは、寂しいなって……」
思ったことを素直にそのまま伝える。
だけど、セシルさんはしばらく何も言ってくれなかった。
「……今回、私が最初に考えた大規模な魔術実験って仮定は外れてた」
「……でも、食欲の異常と魔物の異常に関係があるというところは当たっていました」
「魔術の常識に当てはまらないからって仮説を切り捨てなかったのは正しかった。でも、あれは答えじゃない。私一人じゃ原因の特定すらできなかった。」
セシルさんは、そのままぽつぽつと静かに言葉を続けた。
「ファロの話がなければ、食事内容の変化も無視してた。リーゼとフレスベルグが村を回らなければ、街の中だけで調査を完結してた可能性が高い。傭兵がいなければ、洞窟へ辿り着いても全滅してた」
「それは、セシルさんが皆に指示を出したから、集められた情報ですよ」
「それでも、私だけじゃ集められない」
少し間を置いて、セシルさんが私を見た。
「ミコトもそう。治療院の全面協力も、襲撃は南からだけだって言ったのも、なかったら中心が移動してることにも気づかなかった」
何か言おうかと思ったけど、まだセシルさんが続けようとしているのに気付いて口を噤んだ。
「私は、自分の頭だけで原因を見つけたわけじゃない。他人が見つけたものを集めて、ようやく答えに辿り着いた」
セシルさんは、自嘲するように小さく息を吐いた。
「親父が言った視野を広げろっていうのは、他の土地の魔術や、他の魔術師の理論を見ろって意味だと思ってた。実際、それも間違いではないと思う」
夜空の星々が、セシルさんの瞳へ映っていた。
「でも、それだけじゃないっていうのは、なんとなく分かった」
「私も、そうじゃないかなとは——」
「ただ、死んだ人間がどう思うかなんて分からない」
言葉を遮られてしまった。
だけど、声は冷たくなかった。
「でも、これが本当の意味だっていうなら……遅いって呆れられるくらいはするかもね」
セシルさんは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
その表情はすぐに消えた。
見間違いだったのかもしれないと思うくらい、一瞬だけだった。
「——そうだ。せっかく夜に出てきたんだし、前に話した占星術、見せてやる」
「占星術ですか?」
「そ。夜ならいつでも使えるのがあるって教えたでしょ。それくらいなら私も知ってるから」
セシルさんはそう言うと、右手を夜空へ向けた。
「占星術は、自分の魔力で現象を作るんじゃない。星が持ってる魔力を、術式へ引き込んで使う」
細い指先が、空にある一つの星を指す。
「一番明るいあれ。その右下にある二つ。見える?」
「えっと……これと、これですか?」
「そ。その三つを頭の中で線にして繋ぐ」
セシルさんの指が、夜空をなぞるようにゆっくり動いた。
星と星の間を結ぶ、見えない線。
その形を空中へ写し取るように、指先が小さな三角形を描く。
次の瞬間、伸ばされた人差し指の先で、小さな光が弾けた。
小さな黄色い火花。
それが一つ、二つと続いて弾けていく。
夜空から落ちてきた星の欠片みたいな光が、セシルさんの指先から静かに散っていく。
火花は熱を持っているようには見えなかった。
地面へ落ちる前に、淡い光の粒となって消えていく。
星々が広がる夜空。
手を伸ばす青い髪のセシルさん。
小さな火花が横顔を照らすたび、普段は冷たく見える表情が柔らかく浮かび上がった。
目を逸らすことができなかった。
「……綺麗」
思わず呟く。
「これだけ。火をつけることもできない。昼は使えない。実用性はほとんどない」
「でも、すごく綺麗です」
「見た目だけはね」
セシルさんが指を下ろす。
火花はすぐに消えてしまった。
少し残念に思っていると、セシルさんがこちらへ手を差し出した。
「ミコトもやってみる?」
「私も、使えるんですか?」
「占星術は自己魔力をほとんど使わないって説明したでしょ。あの測定結果でも、この程度なら使える」
「あんなダメダメでも……」
「まだ気にしてたの」
「す、少しだけ」
魔術の才能が普通だったこと。
時間をかけて勉強しても、簡単な術を数回使えるかもしれない程度だと言われたこと。
聖魔法があるから困るわけではない。
それでも、少しだけ残念だったのは事実だった。
「右手出して」
「はい」
言われた通り、右手を空へ向ける。
セシルさんが私の手首を掴み、指先の向きを調整した。
「さっきの三つの星。見失ってない?」
「大丈夫です」
「じゃあ、線で繋ぐ。聖魔法みたいに祈るなよ。願うんじゃなくて、手順通りに道を作る」
「祈らない……」
それだけでも難しかった。
私は何か力を使う時、いつもオリツキ様へ祈っている。
それをせずに、ただ理論通りに星の力を借りる。
「自分で光を出そうとしなくていい。星から流れてくるものを、指先まで通すだけ」
「やってみます」
夜空の三つの星を見つめる。
頭の中で、一つ目と二つ目を繋ぐ。
二つ目から三つ目へ。
最後に、最初の星へ戻る。
三角形。
その形を崩さないように、指先をゆっくり動かす。
何も起きなかった。
「……あれ」
「聖魔法を使う癖が出てる。星に応えてもらおうとするな。最初からそこにある魔力を、決めた道へ通すだけ」
「難しいです……」
「一回でできたら、学院の連中が誰も占星術を知らないなんて状況にはなってない」
セシルさんが、もう一度私の手首を動かした。
「ここ。最後に指先を出口にする。道を閉じる前に、少しだけ流す」
「はい」
もう一度、星を見る。
祈らない。
願わない。
ただ、そこにある光を結ぶ。
星と星の間に、細い道があるように思い描く。
その道を通ってきたものを、指先へ流す。
指先が、僅かに温かくなった。
次の瞬間。
ぱちりと、小さな光が弾けた。
「っ……!」
黄色い火花が一つ。
すぐに消えてしまった。
それでも、確かに見えた。
「今の……」
「成功。もう一回。同じ感覚で」
「はい!」
もう一度、三つの星を繋ぐ。
今度は、さっきよりも少しだけスムーズに道を作ることができた気がした。
指先に光が集まる。
いくつもの小さな火花が、私の指先から散った。
「わぁ……」
思わず息が漏れる。
攻撃には使えない。
火をつけることもできない。
それでも、自分が組み上げた術式に、星の光が応えてくれた。
私の指先から、魔術の光が生まれている。
「セシルさん。私、魔術を使えました」
「占星術だけどね」
「それでもです!」
嬉しくて、何度も同じ術式を繰り返す。
火花が散る。
夜空にある星々とは比べものにならないほど小さい。
それでも、セシルさんに教えてもらって私が使えた、初めての魔術だった。
『よかったですね、ミコト』
『うん!』
トコヨの声も、いつもより少しだけ穏やかだった。
もう一度火花を散らしてから、隣にいるセシルさんを見る。
セシルさんは、私の指先で生まれては消えていく小さな光を見つめていた。
いつもの呆れた表情でも、冷めた表情でもない。
星明かりの下で、ほんの少しだけ穏やかに目を細めていた。