天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
EX3-1 種子発芽研究
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すべて生あるものは時の流れを歩み、その定めの尽くる時、肉の器を離るるものなり。
されど、肉を離れし魂には還るべき場所なく、次なる生へ至る道も定められず。
行き場を失いし魂は地上を彷徨い、過ぎ去りし生の痛みと穢れを抱きたるまま、終わりなき夜の底に留まりたり。
主はこれを御覧になり、深く憐れみ給うた。
かくて主は、四柱の神々を御前へ召し、仰せられた。
「命に終わりのみを与うるなかれ。終わりを始まりへと結び、すべての魂に還るべき場所を与えよ。迷える人の子を見捨つることなく、その歩みを永遠なる輪の内へ導け」
太陽神ディナスは、万物を生み出す光をその御手に集め給うた。
その光を大地へ注ぎ、天を支うるに足る幹を形作り、世界の果てにまで届く根を、地の深きところへ伸ばし給うた。
月神ディーナは、世界の隅々に満ちる魔素へ御手を差し伸べ給うた。
地を巡る魔素の流れを解き、水の潤い、火の熱、地の重み、風の息吹を、細き糸のごとく編み上げ、そのすべてを大樹へと注ぎ給うた。
四方より集められし魔素は根を巡り、幹を昇り、枝葉の一つ一つに至るまで満ちたり。
かくて大樹は光を宿し、世界の息吹とともに、静かに脈打ち始めたり。
冥神オルクスは、大樹の内へ御手を差し入れ、己が司る魂の理を授け給うた。
かくて大樹の内に泉は湧き、その水は尽くることなく、還りし魂を受け入れるものとなりたり。
泉は魂に残りし悲しみを洗い、その苦しみを鎮め、生の穢れを清めるものとなりたり。
時神オリツキは泉の流れへ御手を触れ、終わりと始まりとを結ぶ輪を定め給うた。
清められし魂は時の流れへ還り、やがて新たなる命として、再び地上へ生まれ出づるものとなりたり。
かくて、太陽の創造、月の調律、冥府の浄化、時の巡りは、一つの大樹の内に重なりたり。
四柱の御業が主の御心の下に一つとなりし時、大樹は天を覆わんばかりに枝葉を広げ、その根は世界の隅々にまで至りたり。
これすなわち、すべての魂が還るべき場所。
終わりを始まりへと結び、魂を永遠の輪へ導くもの。
かくて主は、これを世界樹と名づけ給うた。
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「……以上です」
長い一節を諳んじ終えて、ようやく息を吐いた。
場所はクロードさんの元締め邸。
机を挟んだ向かい側にはクロードさんが座っている。
私の隣では、セシルさんが何枚もの紙を広げながら、今の話を聞いていた。
机の中央には、蓋を開けた小箱。
その中では、青みがかった半透明の種子が、以前見た時と変わらずゆっくりと光を脈打たせている。
セシルさんに聖典の世界樹創造の辺りを諳んじろと言われて、聖典は何度も読み返していて覚えていたからその通りにしたけど……
「えっと、これでよかったですか?」
「ん。多分抜けてない」
「抜けはないはずですよ」
セシルさんの前に広げられている紙は、どれも見覚えがある。
ヴァイスタールの魔道図書館で、私たちが写本したものだ。
丸みのある文字でびっしりと文章が書かれている紙は、間違いなく私が写したものだった。
中には、複雑な魔術陣や細い線が何重にも描かれた紙もある。
見るだけであの時の目と手の痛みを思い出してしまう。
「セシルさん。もしかして、今日使うのって……」
「ヴァイスタールで集めた資料」
やっぱり。
セシルさんは私が写した紙を一枚持ち上げた。
そこに書かれているのは、魔素の流れや収束についての基礎理論だった。
最初の頃に、何日もかけて写した部分だ。
「今日使う術式の土台はこれ。周囲にある魔素の流れを一か所へ寄せて、狭い範囲へ集めるための基礎理論」
「じゃあ、私が最後の方に写していた、ものすごく難しい図は……?」
「その先」
「その先ですか?」
「今日試す程度の規模なら、あそこまで複雑な資料はいらない」
「そうなんですか?」
「そうなの。そもそも、今日だけで終わると思ってないから」
セシルさんは当然のように答えた。
「必要な術式にあたりを付けたと言っていたな。聖典から何か分かったのか?」
クロードさんが穏やかな声で尋ねた。
セシルさんは小箱の中の種子と、広げられた紙を交互に見た。
「まぁいくつか」
そう言って、一本目の指を立てる。
「まず、世界樹は種から発芽したわけじゃない可能性が高い」
「えっ」
世界樹の種子を発芽させる研究をしているのに、いきなりその前提を否定されてしまった。
「聖典には、種を植えたとも、芽吹かせたとも書かれてない。太陽神ディナスが光を大地へ注いで、幹と根を直接形作ったなんて書いてあった」
「あ……」
言われてみれば、その通りだった。
世界樹が種から育ったとは書かれていない。
太陽神ディナス様が、今の世界樹の形を直接お創りになったと書かれている。
「つまり、種子は最初の世界樹を創造するために使われてない」
「じゃあ、この種子はなんなんですかね」
「その辺りはクロードの話聞いた時にも言ったけど、自分が失われた時に備えた代替。あるいは、生命の危機を感じて初めて作られたもの。その辺りだと思う」
そういえば、世界樹が外部の人を招き入れて種子を託したのではないかと言っていた。
その推測と繋がる部分なのだろうか。
セシルさんは二本目の指を立てる。
「次。世界樹は、神代に相当な量の魔素を使って創られてる可能性が高い」
「月神ディーナ様の部分ですね」
「そ。世界の隅々に満ちる魔素へ手を伸ばして、四方から集めたとある。聖典の記述をそのまま事実として扱うつもりはないけど、少なくとも、その辺にある魔素を少し集めましたって規模じゃない」
世界樹は、どれだけ離れても見失わないほど大きい。
あれほどの大樹を形作って、枝葉の全てへ魔素を満たす。
どのくらいの量が必要なのか想像すらできなかった。
「三つ目」
セシルさんはさらに指を立てた。
「現代の世界に満ちてる魔素が、神代と同じ状態なのかは分からない」
「同じではない可能性があるということですか?」
「ある。世界樹が創られたのは、神々が地上にいた時代。今とは環境そのものが違った可能性が高い。聖獣が調整しているとはいっても、魔素の総量、濃度、流れ方とか色々ある。完全に同じとは限らない」
セシルさんの視線がクロードさんへ向く。
「種子を見つけた場所は、高濃度の魔素で満たされてたって言ったよね」
「ああ」
「なら、種子が存在してた環境自体が手掛かりになる。完全な再現は無理でも、できるだけ神代や、種子が発見された当時の環境に近づけて試す必要がある」
「そうだろうな」
クロードさんは、静かに頷いた。
「四つ目」
セシルさんの指がもう一本増えた。
「これが本当に世界樹の種子なら、冥神や時神が与えた機能は、最初から中に組み込まれてる可能性が高い」
「オルクス様とオリツキ様の御業ですか?」
「魂の浄化と、輪廻の機能。種子がただの木の種なら別だけど、世界樹そのものを再生するための種なら、その機能まで含んでないと意味がないでしょ」
「それは……確かに」
ただ大きな木が育つだけでは、世界樹が失った機能は戻らない。
魂を浄化し、次の命へと導く。
その役目を取り戻せなければ、世界樹を再生させたことにはならない。
「だから、最初にどうにかするべきなのは冥神や時神の部分じゃない。太陽神が行った、世界樹そのものの創造。月神が行った、魔素の収束と調律。その二つを補助する方が先」
セシルさんは、小箱の中で脈打つ光を見つめた。
「種子の中に全部揃ってるなら、外から必要なものを与えれば、自分で動き始める可能性がある」
「必要なものというのが、魔素ですか?」
「第一候補はね。その確認が、今日の実験」
セシルさんが椅子から立ち上がった。
机とは別に用意されていた低い台へ、小箱を移す。
台の周囲には、既に大きな紙が敷かれていた。
紙には二重の円と、そこから外側へ伸びる何本もの線が描かれている。
「まずは、高濃度の魔素に種子が反応するかを確認する」
「私にできることはありますか?」
「ないから見てて。私が術を使うだけだからミコトは離れてればいい。万が一術失敗してたら爆発するかもしれないから、その時はクロードを盾にしろ」
「盾ですか!?」
「っ、くくく……あぁ、その時は、私が身体を張ってミコトを守るとしよう」
『まぁクロードなら守ってくれるとは思いますし、その時は遠慮なく盾にすればいいと思いますよ』
『結界張っちゃうくらいすごいらしいし守ってくれる気はするけど、盾って言い方はちょっとなぁ……』
クロードさんなんて笑いがこらえきれなくなって震えてるし、トコヨはなんてことないようにセシルさんの言葉を支持してるし……
なんとも言えなくて困ってしまった。
いや、まぁ、私が咄嗟に光盾なんて出せると思えないからその方がいいのは確かなんだろうけど……
「ミコト、もうちょい離れて」
「は、はい」
言われた通り、壁際まで下がる。
クロードさんも椅子から立ち上がり、私より少し前の位置まで移動した。
トコヨだけは関係ないと言わんばかりに、種子のすぐ近くを飛び回っている。
『トコヨ?』
『私は実体ありませんし、近くで見ておいてあげます』
『そう?』
『任せてください! トコヨちゃんがちゃんと見ておいてあげますよ!』
小さな身体で胸を張るその姿はとても頼もしいとは言えないけど……助かるのは確かかな。
「外周固定……流路形成……中心座標——」
セシルさんの足元に、淡い青色の魔術陣が広がった。
そこから光の線が伸び、紙の上に描かれた陣と重なる。
「第一収束……」
部屋の中に、青白い光の粒が現れた。
最初は数えるほどだった。
だけど、少しずつ数が増えていく。
部屋のあちこちにあった光が、魔術陣へ吸い寄せられていく。
これが魔素なのだろうか。
普段の私には全く見えないものが、密集したことで光として見えるようになっているらしい。
集まった光は、種子の周囲をゆっくりと巡り始めた。
「……反応なし」
セシルさんが呟く。
「次。流路狭窄……第二収束……密度上昇」
魔術陣の外周が狭まった。
種子の周囲を回っていた光が、さらに小さな範囲へ押し込まれていく。
光の粒同士が重なり、輪郭が分からなくなる。
種子の周囲だけ、空気そのものが淡く青色に染まっているように見えた。
『……ん?』
トコヨが種子のすぐ近くで首を傾げた。
『どうしたの?』
『今、少し光り方が変わりませんでした?』
言われて、種子を凝視する。
青みがかった半透明の外側。
その中心で脈打つ、温かな光。
変わった……? 本当に?
『私には正直分からないんだけど変わった?』
『本当に微かにですけど、周囲の輪がぎゅううって絞られたタイミングで光が強くなった気がしますよ? 多分ですけど』
『うーん……でも、一番近くで見てたのはトコヨだもんね。それなら……』
「あ、あの! セシルさん!」
伝えるために声を上げる。
セシルさんの視線がこちらへ向いた。
「なに」
「今、種子の光り方が少し変わった気がして」
「——どのタイミング」
「えっと、魔術陣が一番狭くなったタイミングだと思います」
セシルさんはすぐに種子へ視線を戻した。
クロードさんは……私を見てる?
「クロードさん……?」
「ふむ……いや、なんでもない。気にしないでくれ」
誤魔化された?
声を掛けたらスッと種子の方に視線を戻したし。
「もう一回、同じ密度を維持する」
セシルさんが短く告げる。
「流出抑制……密度固定……」
種子の周囲に集まった光の動きが止まった。
完全に止まっているわけではない。
陣の縮小に伴って狭い範囲を細かく巡り続けながら、それ以上外へ広がらなくなっている。
目を凝らすけど私には全然分からない。
本当に変わったのだろうか。
「……全然分からないんだけど」
眉間に皴を寄せたセシルさんが呟く。
「いや、私にも確認できた。本当に微かな反応だな。術の行使に意識を割いているセシルが気づかなくても不思議はない」
クロードさんも静かに頷いた。
やっぱり、トコヨの見間違いではなかったということなのだろうか。
「なら反応あり、っと……高密度かつ圧縮が必要か……? ま、とりあえずここでやるのはここまでにしよう」
セシルさんが片手を下ろした。
魔術陣の光が薄れる。
種子の周囲に集まっていた光の粒も、ほどけるように部屋の中へ散っていった。
……? なんか、セシルさんの顔が青いような……?
「大丈夫ですか?」
「魔力の大部分を使っただけ。少し休めば戻る」
「えっ……セシルさんの魔力ってすごい多かったはずじゃ……」
「私の魔力のほとんどを使って起点にしたうえで、周囲の魔素を集めたの。それでこの程度の反応」
「と、とりあえず座って休んでください! 顔真っ青ですよ!?」
大急ぎでセシルさんの後ろに椅子を持っていく。
特に抵抗することなく椅子に座ってくれた。
「ただの魔力切れに近い症状だからそこまで気にしなくていい」
「そんなこと言われても……」
「——で、少なくとも、魔素に対して完全に無反応ではなかった。それも、一定以上の密度になったところで変化が出た」
「これをセシルはどう見る」
「可能性はありそう。ただ現状の条件じゃ話にならない。周囲の魔素も、収束のための術式も、術者の魔力も、何もかもね」
セシルさんは、すぐに別の紙を手元へ引き寄せた。
「反応したのが魔素の密度なのか、総量なのか。それとも、一定以上の密度を維持した時間なのか。今の一回だけじゃ分からない」
「え、まさかまだやるんですか?」
「私の魔力が戻ってから——」
「そこまで待つ必要はないな。セシルの体力の回復だけを待とう」
「……なんで」
「案内したい場所がある。……以前話した、世界樹の種子を見つけた場所だ」
セシルさんの目が僅かに細くなった。
「世界樹の中にあるっていう泉?」
「ああ。世界樹の洞と呼んでいる」
「高濃度の魔素で満たされてるって言ってたよね」
「少なくとも、私が知る限りでは、この周辺で最も魔素が濃い場所だ」
セシルさんは少し考えてから立ち上がった。
疲れていたはずなのに、目には明らかに興味が浮かんでいる。
「まだ入れる状態なら先に言え」
「この部屋で反応の有無を確認してからの方が、比較しやすいと思ってな」
「……まぁ、それはそうだけど」
珍しくセシルさんが素直に納得した。
それから少しだけ休憩して、必要な資料と記録だけを持ってクロードさんの案内で元締め邸を出る。
案内されたのは、黒竜に傷つけられたという場所だった。
遠くからでも見えていた傷。
だけど、近くで見ると傷という言葉では到底言い表せない。
幹の一部が深く抉られ、周囲には焼け焦げたような黒い跡が残っている。
その奥に、人一人が通れるほどの暗い穴が開いていた。
「本当に、世界樹の中に続いているんですね……」
「……あんたよくこれに入る気になったな。パッと見ただけだと身の危険しか感じないんだけど」
「滑りやすいから、足元に気を付けてくれ」
クロードさんを先頭に、暗い穴へ入っていく。
最初は狭かった。
両側には、木の内側とは思えないほど滑らかな壁が続いている。
ところどころに青白い光の筋が走り、灯りがなくても足元を見ることができた。
壁に浮かんだ光は、ゆっくりと明滅している。
まるで、世界樹そのものが呼吸しているみたいだった。
『なんだか、不思議な感じだね』
『そうですね』
いつもなら何かしら冗談を言うトコヨも、今は静かだった。
細い道をしばらく進む。
そして、曲がりくねった通路の先へ足を踏み出した瞬間。
視界が一気に開けた。
「わぁ……」
声を抑えることができなかった。
そこに広がっていたのは、樹の内部とは思えないほど広大な空間だった。
天井は高く、青白い光に照らされている。
壁も床も木でできているはずなのに、半透明の結晶を重ねたように輝いていた。
太い根のようなものが天井から垂れ、壁の奥へ向かって伸びている。
空間の奥の方に、大きな泉も見える。
遠くから見ているだけでも水面は鏡のように静かで、底から淡い光が湧き上がっている。
その泉の上を、数え切れないほどの青白い光が飛び交っていた。
光は泉の上を漂い、ゆっくりと水面へ近づいていく。
「これが……」
以前、クロードさんから聞いた光景。
世界樹の内部にある泉。
その周囲を飛び交う、浄化を待つ魂。
アンデッドの浄化で魂を目にしたことはあるけど、ここまでのはっきりと、多くの魂を見たのは初めてだ。
聞いただけでは、全く想像できていなかった。
「すごい……」
辺りを見回す。
どこを見ても、淡い光がある。
怖いとは思わなかった。
むしろ、不思議と温かくて、ずっと見ていたくなる。
『これ、全部……魂なんだよね……って、トコヨ、ここに来て大丈夫なの!?』
『……? 何がですか?』
『だ、だって、トコヨ幽霊でしょ!? 魂なのにここに来たら浄化されちゃうんじゃ!?』
いきなりトコヨとお別れなんて絶対に嫌だ。
大急ぎで出た方がいいだろうか。
『あぁ、私はここにいる魂とは違うので気にしなくて大丈夫ですよ。なんていうんでしょうかね……格、っていうんですかね。ミコトには分かりませんか? この溢れ出る威容が! トコヨちゃんパワーが!』
『今は冗談を言ってる場合じゃ……本当に大丈夫なの?』
『はい。問題ありません。今もぴんぴんしてますよ? ほら!』
そう声をあげると同時にトコヨは凄まじい勢いで飛び回り始めた。
いつもの惚けた笑顔を浮かべながら高速で飛び回るその様子は、幻想的な雰囲気とはあまりにも噛み合わなかった。
心配していたのにいつも通り過ぎるトコヨを見て、思わず笑ってしまう。
「ふふっ」
「どうした、ミコト」
「あ、い、いえ! なんでもないです!」
「そうか。何か気づいたことがあれば遠慮なく言ってくれ」
クロードさんの声は穏やかだった。
「……ここ、魔素が濃すぎる」
セシルさんの呟きが聞こえた。
セシルさんは片手を前へ出し、何かを確かめるようにゆっくりと指を動かしている。
「外の森も普通じゃないくらい濃いと思ってたけど、比較にならない。何もしてないのに、魔素の流れが見える」
セシルさんの視線の先には、空間を漂う淡い光の筋があった。
魂とは違う。
泉や壁から流れ出し、空間全体をゆっくりと巡っている光。
あれが魔素なのだろう。
「世界樹の種子は、あの泉の中央に浮かんでいた」
クロードさんが泉を指差した。
「その周囲を魂と魔素が巡っていた。私が見つけた時から、種子は今と同じように光を脈打たせていた」
「ここにあったなら、さっきの部屋よりは条件が近い」
セシルさんは、すぐに泉の周囲を歩き始めた。
神秘的な光景への感動はもう終わったらしい。
今は完全に研究者の顔をしている。
泉の周囲を一周し、魔素の流れを確認する。
それから、私たちが持ってきた荷物へ手を伸ばした。
「ここで試す」
「今からですか?」
「ここまで来て何もせず帰るつもり?」
「それは、そうですけど……でも、魔力は大丈夫なんですか?」
「この環境なら私の魔力なんて微量で済む。教えたでしょ。基本魔術で使う魔力はあくまで起点に過ぎないって……まぁ、そもそも術式自体こんな環境を想定してないから成功はしないだろうけど、この環境でどうなるかだけでも見ておく必要がある」
そう言うと、セシルさんは素早く準備を始めた。
準備自体はすぐに終わった。
場所を見繕って、持ってきた魔術陣を記載した紙を広げただけだったし。
クロードさんが小箱を開き、種子を取り出して魔術陣に置く。
セシルさんは泉の縁に立ち、種子へ手を向けた。
「ミコトは離れてて。クロード、何かあればすぐ教えて」
「はい」
「分かった」
セシルさんが深く息を吸う。
足元から、淡い青色の光が広がった。
「外周領域固定……広域流路形成……」
魔術陣が光った瞬間、さっきよりもずっと多くの光が陣に集まり始めた。
壁から、床から、天井から。
無数の光の筋が、魔術陣へ向けて流れ始める。
魔術自体の基本的な動きは変わってなさそう。
だけど、明らかに魔素の量が違う。
素人の私でも分かるくらい。
そして、変化も分かりやすかった。
魔素の光の輪が狭くなると、種子の脈動が僅かに早くなっただけ。
今度は私にも反応していると分かるくらいだった。
少しして、魔術陣の光が弱まっていった。
「……終わり」
セシルさんが腕を下ろした。
巨大な陣から、順番に光が消えていく。
種子は何事もなかったように元の脈動へ戻っていた。
「今度は私にも見えた。魔素の密度を上げれば、それに応じて光も強くなる。脈動も早くなった。結論としては——魔素が足りない。量なのか密度なのか、あるいは両方なのか、やり方がそもそも間違ってるのかは分からないけど、この方向性で色々確かめる必要がある」
セシルさんは、静かに結論を口にした。
「ま、高濃度の魔素に種子が反応することが分かっただけ収穫だね。密度を上げるほど反応が強くなるみたいだし」
「え、っと、じゃあ今日の研究は……?」
「これで終わり。私はさっさと次の術式とか考えたいから帰る」
そう言うとセシルさんは踵を返して歩き出した。
「あ、ま、待ってくださいセシルさん! まだ片付けも……!」
あまりにも早いその行動に驚いてしまう。
なんなら挑戦的に細められた目が爛々と輝いていた。
未知の研究をするのが楽しいのかもしれないけど、私としてはとても困る。
「片付けは私がやっておく。ミコトはセシルと戻ってくれていい」
「え、い、いいんですか?」
「ああ。遠慮しないで大丈夫だ」
片づけをして私も役に立つべき……
だけどセシルさんとお喋りできる数少ない機会を逃したくない……
「…………そ、それじゃあ」
「また必要なことがあれば声をかける。急がないとセシルが行ってしまうぞ」
「あ、ありがとうございます!!」
悩んだ結果、クロードさんに勢いよく頭を下げてセシルさんを追いかけることにした。