天青の巫女 ~箱入り少女とおちゃらけ幽霊の死に戻り救済譚~ 作:あじのふらい
「リーゼさん、包丁を上から力任せに押し込まなくても大丈夫ですよ。刃を少し前後に動かしながら、ゆっくり切ってみてください」
「は、はい」
集合住宅の共有スペースにある台所で、シルヴィアさんに教えられたリーゼちゃんが、真剣な表情で根菜へ包丁を当てている。
包丁を持っていない方の手は、指先を少し曲げた形。
ついさっきまでは食材を指先で押さえていたけど、何度か注意されてからは、きちんと教えられた形を維持できていた。
相変わらず、シルヴィアさんの教え方は具体的で分かりやすい。
「……切れました」
「はい。とても上手ですよ」
「本当ですか?」
「ええ。では、今切ったものと同じくらいの大きさになるように、次も切ってみましょうか」
「分かりました」
リーゼちゃんは嬉しそうに笑ってから、再び包丁へ意識を集中させた。
「シルヴィアさん。こっちはこのくらいで大丈夫ですか?」
「はい。十分です。ミコトさんは、そのまま鍋へ入れてください。それは火が通るまで時間がかかるので、先に煮始めてしまいましょう」
「分かりました」
切り終わった根菜を、火にかけている大きな鍋へ移していく。
鍋の中には、先に表面を軽く焼いておいた鳥肉と水が入っている。鳥肉は普段よりもかなり小さめに切ってあった。
これも、今日試作している料理を後日食べる相手に合わせたものらしい。
「子供向けなら、食材は全部このくらい小さくした方がいいんですか?」
「年齢にもよりますが、今回の子供たちはまだ皆10歳にもなっていませんからね。口へ入れやすく、噛みやすい大きさに揃えておいた方が安心です」
「なるほど……」
「ただし、小さくしすぎると煮崩れてしまいます。特に柔らかい野菜は、根菜より少し大きめでも構いません。ミコトさんには後でそちらをお願いしますね」
「はい」
鍋の中を木べらで静かに混ぜる。
今日は鳥肉と根菜を使った柔らかい煮込みを作っている。
これにパンを添えて、今日の昼食にする予定だ。
台所から少し離れた机には、サヨとフリッカが座って楽しそうに話している。
2人とも、今日の味見役だった。
「それにしても、子供向けのお料理を作るのって難しいんですね」
リーゼちゃんが、切り終わった根菜を見つめながら呟いた。
「大人向けのお料理とは、食材の大きさ以外にも違いがあるのでしょうか」
「そうですね。味付けも少し変えます。特に、先ほどリーゼさんが好物だと言っていた山菜類は、苦みで食べられない子が多いので」
「その苦いのがいいんですけど……」
「ふふ。もちろん、食べられる子もいないわけではありませんが、苦いものや辛いものは子供には好まれづらいんですよね。次はリーゼさんの好みに合わせてみますので、今回は申し訳ありませんが……」
「あ、いえいえ! 文句を言っているわけではないんですよ!? ただ、私が好きなのに意外だっただけで……!」
そういえば、前にもリーゼちゃんの好物を聞いた気はするけど、実際にどのくらい苦いものが好きなのかは、ヴァイスタールでもはっきりとは分からなかった。
食事処では人間に幅広く受けやすい味付けの料理を食べていたし、私が作る時は、まだ冒険できるほどの腕がないからシルヴィアさんに教えてもらった通りに作っていたし。
『私はもっとはっきりした味付けが好きなんですけど』
『知ってる。いつも食べたがるのがそんな感じだよね』
『ミコトは甘いものが一番好きですよね。お菓子を食べている時の目の輝き方はすごいですし。小さい時からずっとそうですし』
『め、珍しかったんだから仕方ないでしょ。そもそも果物すら珍しかったのに』
『駄目とは言ってませんよ。ただ、お子様だなぁと』
『っ! トコヨも同じでしょ! 見た目通りのお子様な好みのくせに!』
『はぁー!? 私のどこが子供だっていうんですか!?』
この駄幽霊は相変わらず自分を大人だと言い張るけど、どこが大人なのか。
今も丁寧に教えてくれているシルヴィアさんの方が、よほど大人に見える。
それからリーゼちゃんが野菜を切り終えるまで、内心での口喧嘩は続いた。
もともと今日は、私とリーゼちゃんが料理を教えてもらうだけの予定ではなかった。
先に相談を持ちかけてきたのは、シルヴィアさんの方だ。
教会学校へ通う子供たちに出す食事を試しに作るため、味を見てほしい。
お茶会でそう頼まれた私とリーゼちゃんが、ついでに料理も教えてほしいと頼み込み、今日のお料理教室が開かれることになった。
煮込み始めたばかりの鍋を見つめながら、リーゼちゃんが口を開く。
「教会学校? というのを私は知らないんですけど、どんなことをするんですか?」
「日の節に教会を開き、簡単な読み書きを教えているんですよ。基本的には子供が対象ですが、希望があれば大人にも。大人の場合は、子供たちと時間をずらしたりしますが」
「聖典を読ませるって聞いたんですけど、そうなんですか?」
「はい。ミコトさんはご存じだったんですね。概ねその認識で合っていますよ」
「えっと、ヴァイゲルト司教やセシルさんから少しだけ……ですが、ほとんど知らないです」
本当に少しだけだ。
ヴァイゲルト司教からは、子供たちの教会学校での食事量について。
セシルさんからは、聖典を読ませる程度のことしか聞いていない。
「それなら簡単に説明しますね。教会学校は、日の節に教会を開き希望する方へ無償で文字の読み書きを教えるものです。基本的には司祭が教師を務め、助祭がその補助に入ります」
「司祭となると……」
「あはは……そうです。私の教会は、私が司教になってから司祭の方が補充されていません。ですので、教師を務めるのは私ですね。フリッカには子供たちの様子を見たり教材を配ったりする補助をお願いすることになります」
「任せてください。私、精いっぱい頑張りますから」
フリッカが勢いよく胸を張る。
その動きに合わせて、尻尾まで真っすぐ立ち上がっていた。
「教会が文字を教える目的は、子供たちがいずれ自分で聖典を読み、神々の教えに触れられるようにするためです。ただ、文字を学べること自体がその子の将来の助けにもなりますからね」
「私たちエルフは身近な大人から文字を教えてもらいますけど、人間の方はそうではないんですか?」
「そうできるのが一番なのでしょうけど、必ずしもそうではないというのが正しいですね。裕福な家庭なら教える余裕もあるのでしょうけど、働かなければ、その日を生きることすら難しい方もいます」
シルヴィアさんは、鍋を混ぜながら続ける。
「ですが、読み書きができないままでは、就くことができる仕事も限られます。そのような方々を見捨てないための試みでもありますね」
ヴァイスタールでは誰もが魔術書や研究資料を当たり前のように読んでいた。
あそこは学術都市というだけあって、そもそもの知識水準が高かったのかもしれない。
「私もお母様から教えてもらいましたね……サヨは——」
「私もお母さんに教えてもらいましたよ! 文字が読み書きできないと見習いとして出仕させることなんてできないって言われたので、必死で覚えました!」
「あ、やっぱりそうなんですね」
私も、お母さんから当たり前のように文字を教えてもらっていた。
サヨの話を聞く限り、里でもそれが普通だったということだろう。
「今、この集落で教会学校を必要としている年齢の子供は3人です」
シルヴィアさんは、鍋へ視線を向けたまま静かに続ける。
「人数としては少ないですが、教会学校は人数が増えるまで待ってから開くようなものではありません。学びたい子供がいるなら、その子たちのために開くべきだと考えています」
「3人とも、この集落へ来たばかりの子供たちですか?」
「はい。御家族で移住してきた方も、ソルミアから避難してきた方もいます。いずれも、今は新しい生活を整えている最中ですね」
そこで、シルヴィアさんはリーゼちゃんへ視線を向けた。
「エルフの方々でもご希望があれば受け入れできますが、リーゼさん的にはどうでしょうか?」
「え、っと……エルフは私より幼い子は一人だけですけど、読み書きはできたはずなので、多分大丈夫かと」
「そうですか。それならよかったです。もし必要になった場合は、遠慮なく仰ってください」
「はい、ありがとうございます」
リーゼちゃんが笑顔を浮かべた。
忘れがちだけど、リーゼちゃんは14歳でも、エルフの中ではほとんど赤ん坊のような年齢だ。
100歳で成人だと言っていたし。
それでも写本ができる程度には読み書きができるのだから、確かに今のところ教会学校は必要なさそうだった。
「教会学校を開くこと自体は、もう子供の御両親へお話ししたんですか?」
「簡単にはお伝えしています。皆さん、文字を教えてもらえることは大変ありがたいと仰ってくださいました。ただ……」
シルヴィアさんが鍋の近くに置いていた塩の容器へ視線を向ける。
「日の節に子供を教会へ通わせれば、その間にできたはずの家の手伝いができなくなります。着の身着のままここへ来た方もいます。クロード様も支援はしていますが、お金はいくらあっても足りないでしょう」
「子供も働き手になるからですか……?」
「ええ。それに、教会へ来るのであれば、その間の食事も必要になります」
そこでこの料理に話が繋がるのか。
「以前、教皇猊下がフェリシア王国の王女殿下と、王国内の識字教育について話し合われたことがありました」
「王女殿下……あっ! もしかして、慈愛の姫と呼ばれている方ですか?」
ソルミアにいた時、ライルさんから聞いたことがある。
民のための政策を次々と行い、国民から熱狂的な支持を得ている王女様だったはずだ。
「そうですね。シャーロット・アディラ・フェリシア王女殿下です」
シルヴィアさんは、穏やかな笑みを浮かべた。
「私も当時、猊下の側付きとして後ろに控えていました。王女殿下が提示された施策は、教会にとっても民にとっても利のある、とても素晴らしいものでした」
「どのようなものだったんですか?」
リーゼちゃんが興味深そうに尋ねる。
同じ王族として、気になるのかもしれない。
「王女殿下はフェリシア王国でしっかりと識字教育を行いたいとお考えでした」
「それは、民にとっては素晴らしいことですよね?」
「はい。ですが、教会は既に教会学校を開いています。国が新たに識字学校を作れば利害がぶつかりますし、民もどちらに通えばいいのか迷ってしまいます」
「それは……」
言われてみればそうだ。
既に文字を教えている場所があるのに、国が別の学校を作れば、単に選択肢が増えるだけでは済まない。
「そこで王女殿下は、教会施設を教育の場として活用し、文字の基礎は神官が教える。その上で、国から選ばれた教師が各地を巡回し、さらに踏み込んだ教育を行うという形を提示されました」
「えっと、つまり……?」
「教会が教える場を奪うつもりはない。基礎は教会に任せ、その先を国が担当するという話ですね」
「それは……教会に場所を貸してほしいと言っているのと同じですか?」
「ここまでならそうですが、王女殿下は、さらに子供たちが通いやすくなる案も出してくださいました」
シルヴィアさんは懐かしむように頬を緩めながら言葉を続けた。
「教会学校や識字学校へ通ってきた子供に、その日一日分の食糧を国が支給するというものです」
「一日分もですか?」
それは、かなり大きな支援なのではないだろうか。
子供一人が一日に食べる量でも、それが毎週なくなれば、家族にとっては相当な助けになるはずだ。
「国の負担は大きくなりますが、子供が労働力であるという問題に対して、とても明確な答えを返しています。実際、フェリシアでその施策が始まってから、教会学校へ来てくださる子供は増えました。それこそ、通っていない方が稀というほどに」
「それが、教会側に提示された利点ですか……?」
「はい。教会は既に開いている場所を国との合同施策に提供する。国は国庫の資金で教会へ布教機会の増加という目に見える効果を齎す。どちらにも利のある提案です」
「すごくよく考えられていますね……」
「はい。王女殿下は、民の識字率を上げるという課題に真摯に取り組むと同時に、交渉相手である教会の利益も考えてくださったのです」
「……すごいです」
シルヴィアさんの声音から、シャーロット王女殿下への尊敬が伝わってくる。
リーゼちゃんも、話を聞きながら目を輝かせていた。
規模の違いはあっても、有用な施策なのは間違いないと思う。
「それを、ここでもやるということなんですか?」
「この集落で同じことをそのまま行うことはできません。集落が食料を負担してくださるわけでもありませんし、毎回一日分を支給するだけの余裕があるとも言い切れませんから」
「それで、お昼ご飯だけなんですね」
「ええ。今は3人だけですから、昼食を一食用意する程度であれば、私の教会の余剰資金だけで賄えます」
シルヴィアさんは、少し困ったように笑った。
「もっとも、今後もずっと同じ形で続けられるかは分かりません。集落の子供が増えれば、必要な食材も増えます。教会の収支や寄付の状況によっては、毎回の支給が難しくなることもあるでしょう」
「では、最初から御両親へそのことをお伝えするんですか?」
「はい。今は3人ですので実施できますが、今後も必ず継続できるとはお約束できない。その点を御理解いただいた上で、昼食も提供させていただくので、日の節にはぜひ教会学校へお子様を通わせてくださいと」
できないことまで約束しない。
それでも、今できることは行う。
シルヴィアさんらしい、誠実な考え方だと思う。
「御両親にとっても、子供一人分だけでも食費が浮くなら助かりますよね」
「ええ。特に、移住や避難をしてきた直後の御家庭は、生活を整えるために様々なものが必要になりますから」
シルヴィアさんは、鍋の中を静かに混ぜた。
「子供たちに教会学校へ来てもらうための理由ではあります。ですが、それだけではありません。一食分だけでも御家族の負担を軽くする、教会の慈善事業としての意味も持たせたいと思っています」
「素晴らしいと思います」
リーゼちゃんが迷うことなく言った。
「文字を学ぶことができて、助けにもなる。私も、その王女殿下の施策をもっと詳しく知りたいです」
「ふふ。機会があれば、私の知っている範囲でお話ししますね」
シルヴィアさんは嬉しそうに笑った。
いい試みだと思う。
思うんだけど——
「……あの、シルヴィアさん」
「はい。なんでしょうか」
「教会学校で文字を教えるのは、シルヴィアさんなんですよね」
「はい」
「その日の昼食を作るのも?」
「私ですね」
即答だった。
「それは……大変じゃないですか?」
「フリッカにも手伝ってもらいますし、なんとかなりますよ。大丈夫です」
授業前に3人分の昼食を作り、授業中は子供へ文字を教える。
その間にも、治療院へ患者さんが来る可能性がある。教会学校が終われば、片付けもしなければならない。
3人だけとはいえ、シルヴィアさん一人では負担が大きすぎると思う。
「私もお手伝いします」
「ミコトさん?」
「毎回必ずとはお約束できませんけど、お料理の手伝いならできます。もっと色々教えてください。味付けも! 私も役に立ちたいです」
まだ、私一人で3人の子供に食べさせる料理を作る自信はない。
だけど、もっと教えてもらえば、いずれ一人でも作れるようになるかもしれない。
「ミコト様がお手伝いするのであれば、私も当然お手伝いします! なにより、フリッカだけがお手伝いだと、成功するものも成功しないと思います!」
「それどういう意味!?」
「いつも言ってるでしょ! フリッカは雑なんだよ!」
口論を始めてしまった二人を見ながら、シルヴィアさんと顔を見合わせる。
少しして、シルヴィアさんは小さく笑った。
「……それでは、余裕がある時に手伝っていただけると嬉しいです」
「もちろんです。任せてください」
私だって、いつまでも教えてもらってばかりではないのだ。
「では、料理へ戻りましょうか。リーゼさん、次はこちらを」
シルヴィアさんはお手本として葉野菜を一枚手に取った。
それをある程度の大きさに切り、リーゼちゃんへ見せる。
リーゼちゃんも真似をして、慎重に葉を切り始めた。
「このくらいですか?」
「はい。ちょうどいいですよ」
「よかったです」
リーゼちゃんの耳が、嬉しそうに少し持ち上がる。
「シルヴィアさん。葉野菜は根菜が柔らかくなってから入れるんですよね」
「ええ。今入れると食べる頃には形も食感もほとんどなくなってしまいます。根菜へ火が通り始めたところで入れましょう」
「味付けは最後ですか?」
「塩は最後ですね。香草は少しだけ先に入れて、香りを馴染ませます。ただし、今日は本当に少しで構いません。強い香りが苦手な子供もいるので」
シルヴィアさんは、乾燥させた香草を指先で少し摘まんだ。
普段の料理へ入れている量よりも、かなり少なく見える。
それを鍋へ落とすと、柔らかな香りが湯気と一緒に広がった。
それからしばらく鍋の中身を煮込み、根菜が柔らかくなったところでリーゼちゃんが切った葉野菜を加える。
鳥肉も木べらで押せば簡単にほぐれるくらいには柔らかくなっていた。
シルヴィアさんは根菜の一部を鍋の中で軽く崩し、煮汁へ馴染ませていく。少しだけとろみがつき、最初よりも食べやすそうになった。
「では、一度味を見てみましょうか」
ついに、味見の時間が来た。
シルヴィアさんが小さな器を四つ用意し、煮汁と小さく切った鳥肉や根菜を少しずつ入れる。
私とリーゼちゃん、サヨ、フリッカの前へ器が置かれた。
「熱いので、気をつけてくださいね」
「はい」
息を吹きかけて冷ましてから、煮汁を一口飲む。
鳥肉の味と柔らかく煮えた根菜の甘みが口の中に広がった。
確かに、普段のシルヴィアさんの料理より味は薄い。だけど、味がしないわけではない。
優しい味、と言えばいいのだろうか。
『薄いですけど、おいしいですね』
『うん、おいしい。お母さんが作ってくれた味に近いかも?』
『あー、確かにそうかもですね。あの辺境だと香辛料もほとんど手に入りませんでしたし。味付けはいいとして、お肉はもう少し欲しいかもですが』
『費用は教会持ちって言ってたでしょ。お金がかかり過ぎるし無理だよ』
とりあえず、トコヨの最後の意見は聞かなかったことにしよう。
「どうでしょうか」
シルヴィアさんが、私たちの反応を窺う。
「おいしいと思います。いつもの料理より素材の味を活かした優しい味ですけど、根菜の甘みが分かりやすいです」
「お肉が小さくて柔らかいので、私でも食べやすいです。お肉を食べ慣れていない子供でも、これなら大丈夫かもしれません」
リーゼちゃんは、もともとお肉があまり好きではないと言っていたはずだ。
そのリーゼちゃんが食べやすいと言うなら、子供向けとしては良い結果なのかもしれない。
サヨは真剣な表情で何度も味を確かめていた。
「サヨはどう?」
「とてもおいしいです。ただ……」
サヨが、少しだけ言いづらそうに視線を揺らす。
「遠慮しなくて大丈夫ですよ。今日は意見を聞くために作っていますから」
シルヴィアさんに促され、サヨはもう一度煮汁を飲んだ。
「もう少し濃い味でいいかもしれません。あくまで私の好みなんですけど……」
「なるほど」
シルヴィアさんが頷き、続いてフリッカへ視線を向けた。
フリッカの耳はぴんと立ち、尻尾はゆっくりと揺れている。
「香草はこのくらいでいいと思いますけど、概ねサヨと同意見です」
犬獣人であるフリッカは、私たちより嗅覚が鋭い。
香りに関する意見は、特に参考になりそうだった。
「濃い味ですね……なるほど、ありがとうございます。では、少し調整してみましょうか」
シルヴィアさんは塩や香辛料を手に持って鍋へ向かった。
私も、その様子を隣で見させてもらう。
塩を気持ち多めに、胡椒をごく少量。
細かく味見をしつつ、さらに他のものも少しずつ加えていく。
「……これって、何を基準に足してるんですか……?」
「えぇと……慣れと勘、つまり経験に基づいた目分量ですね。今は目指す味を探すために調整している段階なので」
「め、目分量……」
「ミコトさんも慣れればできるようになりますよ。味が決まったら、きちんと目安をお教えしますね」
「わ、分かりました」
目分量で調整すると言われると、今の私には真似できそうになかった。
完成した煮込みを、もう一度味見する。
さっきよりも味がはっきりしている。
それでも濃すぎず、鳥肉と根菜の味はきちんと伝わってきた。
「おいしいです!」
「私もおいしいと思います!」
サヨとフリッカが強く頷いている。
今回の子供たちと年が近い2人がこう言っているなら、安心だろう。
「それでは、完成ですね」
シルヴィアさんが鍋へ蓋をした。
「そうだ。セシルさんも誘っていいですか?」
「ええ、もちろんいいですよ。セシルさんの食生活が改善するなら、こちらとしても万々歳なので」
「ありがとうございます! ちょっと声だけかけてきます!」
朝食の後、セシルさんはいつも通り自分の部屋へ戻っていった。
多分、部屋の中で研究を続けているのだと思う。
以前から何度も食事に誘っているし、断られたらその時はその時だ。
セシルさんの部屋の前で足を止める。
いつも通り、中からは何の音も聞こえない。
セシルさんは研究に集中していると、本当に物音を立てなくなる。
扉を一度だけ軽く叩いた。
「セシルさん。少しいいですか?」
返事はない。
少し待ってみても中から声は聞こえてこなかった。
普段なら、返事がなくても部屋にいることは多い。
何度もノックして研究の邪魔をするより、静かに中を確認した方がいい。
セシルさんからも、研究を邪魔しないなら勝手に入って構わないと許可をもらっている。
「失礼します」
扉を少しだけ開き、隙間から中を覗く。
いつも通り本と紙に埋め尽くされた部屋だ。
机の上には開いたままの本があり、その横には何枚もの紙が重ねられている。
椅子も少しだけ後ろへ引かれていた。
だけど——
「……あれ?」
セシルさんがいない。
部屋の中を見渡しても、どこにも見当たらなかった。
「セシルさん?」
小さな声で呼んでみる。
やっぱり返事はない。
『いないんですか?』
トコヨが、私の横から部屋の中を覗き込んだ。
『うん、いない。トコヨ、セシルさんが外に出るところ見た?』
『いえ。見てませんね』
トコヨと一緒に首を傾げる。
そもそも、セシルさんが外出する予定なんて聞いていない。
いや、予定をいちいち教えてくれる人ではないけど……
少し考えてみても、分からなかった。
だけど、セシルさんがいない以上食事に誘うこともできない。
「……仕方ないか」
静かに扉を閉め、共有スペースへ戻る。
「おかえりなさい。どうでした?」
シルヴィアさんが、お皿の準備をしながら尋ねてきた。
「それが……お部屋にいませんでした」
「外出していたんですか?」
「分かりません。出ていくところは見てないと思うんですけど……」
「そうですか……?」
シルヴィアさんも不思議そうに首を傾げた。
「まぁ、いないなら仕方ありませんね」
「……そうですね」
少し前にセシルさんがいない時の分まで食事を作っておこうとして、いらないとはっきり言われたことがある。
だから、こういう時は何もしないのが正解なのだろう。
それでも、なんとなくもやもやしてしまうのは仕方がなかった。
それから少しして、完成した料理が並べられた。
これなら教会学校に来る子供たちにも喜んでもらえると思う。
この味付けを覚えて、私も料理で役に立とう。
改めてそう考えながら、皆で作った昼食を食べ進めた。