我こそは十四番隊隊長(自称) 作:かなりゆっくりめ
八番隊五席。週末になると現世と尸魂界を好き勝手に往来する、瀞霊廷の勤務管理制度に対する生きた挑戦状。九番隊へ押しかけ、東仙要と正義について意気投合した末、その盲目を治療し、ついでに「全能なる調停者」という怪しげな肩書まで授けて帰る。本人としては善行しかしていない。
東仙要(とうせん かなめ)
九番隊隊長。「恐怖なき世界」を正義として掲げる男。古男の正義論に最初は共鳴するものの、途中から正義そのものについて説教され、最終的には「戸川五席」から「戸川先生」へ呼称が昇格する。さらに生来の盲目まで治療され、思想面でも物理面でも世界の見え方が大きく変わった。
檜佐木修兵(ひさぎ しゅうへい)
九番隊副隊長。古男からはいまだに三席扱いされている。この話における数少ない常識人であり、壊される障子、暴走する正義論、戸川先生と化した上官のすべてを間近で見届けることになる。隊長の目が治ったことだけは心の底から嬉しいため、強く止めづらい。
市丸ギン(いちまる ギン)
三番隊隊長。数日後、すっかり視力を得て笑顔まで増えた東仙と遭遇する。「東仙隊長」と呼んだだけなのに、「全能なる調停者」と呼ぶよう要求され、古男による思想汚染の深刻さをいち早く察知した。
緋山染華(ひやま せんか)
十一番隊十席。顔も体も戦闘能力も一級品だが、本人は何よりも「痛いのが嫌い」という理由で戦闘を徹底的に避ける女。虚に囲まれても実況と応援で乗り切ろうとするが、味方が全員倒れたため渋々始解。結果、周囲からは血飛沫の中で狂笑する恐るべき戦闘狂にしか見えなくなる。
斑目一角(まだらめ いっかく)
十一番隊第三席。染華の普段の怠惰さとは裏腹に、その実力が副隊長級に達していることを知る人物の一人。血狼を解放した染華を実際に見た経験から、彼女の「本性」を恐ろしいものとして認識している。当然ながら本人の認識とは盛大に食い違っている。
綾瀬川弓親(あやせがわ ゆみちか)
十一番隊第五席。染華について「顔と体の美貌」にはかなり関心があるが、それ以外にはさほど興味がないらしい。一角から染華の実力と異名を聞き、その認識を改めることになる。
「お……戸川五席か。随分と久しぶりだな」
週末、隊舎で檜佐木修兵が出会ったのは、八番隊五席の戸川古男だった。
現世に行ったかと思えば、思い出した頃に尸魂界へ戻ってくる。
瀞霊廷の出勤簿に彼の生活を正確に記録できる欄はない。
今日も八番隊へ顔を出す前に九番隊の廊下を歩いているが、本人の中では正規の順路らしかった。
「おお。檜佐木三席ではないか。……ふむ、以前より男の色気が出たか? 肩だけをやたらと露出しても無駄な色気は出んぞ。俺を見習い、良い女を嫁にするんだな」
「……………副隊長だ。俺はもう副隊長に昇進してんだよ」
修兵が副隊長になって変わったことは多いが、古男から受ける扱いだけは三席の頃に据え置かれている。
「クックック、誤差だ誤差。そんな些細なことでムキになるな。……ところで藍染隊長はご在宅かな?」
「五番隊の舎宅に聞いてくれ。今は真っ昼間だ。隊長が自室に引きこもって書道でもしてなけりゃ、在宅なわけないだろうよ」
「ふむ、では通らせてもらう」
古男は返事を待たずに廊下の奥へ進んだ。修兵が腕を掴んでも歩幅は変わらない。
「おい、人の話を聞けよ!! そっちは東仙隊長が執務中だぞ!! 邪魔すんじゃねえ!」
「おう! 東仙要よ、オラわくわくすっぞ!!」
「変なセリフ吐くな! てか、おい、待て……! すげえ霊圧だ……ッ!」
執務室の障子が横へ開く機会は与えられなかった。古男の足が枠ごと室内へ蹴り込み、書類を整理していた東仙要の前を木片と破れた紙が横切った。
「…………騒々しい。執務室でみだりに大声を上げるのは誰だ」
「クックック…………結婚式以来だな、東仙よ。あの時の謝罪は、例の『ワンちゃん』にきちんとしたか? クックック…………」
虚圏で東仙と狛村が同時に卍解し、二人が衝突した挙げ句、狛村が転倒した件である。
「………ふっ。わざわざ嫌味を言いに来たのかね?」
東仙の声は平静だった。訪問目的が嫌味だけなら早く帰ってほしいと願っている。
「クックック………いや、貴様が我が同士であるという面白い噂を聞いてな……」
「何を馬鹿なことを………。いったい誰から聞いた?」
「藍染にだが」
藍染の名に東仙の呼吸が止まった。何をどこまで話したのかと問い返せば、自分から話の内訳を増やす危険がある。沈黙した東仙を前に、古男は両腕を広げ、背の羽織を無用に大きく揺らした。
「カーカッカッカッ!! 聞いたぞ聞いたぞ!! 貴様も『正義』という言葉を高らかに叫ぶ誇り高き同類と言うではないか!! さあ!! 今日はお互いに『悪辣なる正義』について、夜が明けるまで語り合おうではないか!!」
藍染が教えたのは、東仙が正義を掲げているという部分だけだったらしい。致命的な秘密の漏洩はなかったが、代わりに夜明けまで続く対談が始まろうとしている。東仙は安心すべきか逃げるべきかを決められず、畳の上で座り直した。
壊れた障子から入る風を背負い、古男は世界の腐敗を断じ始めた。
「この世界は腐っている!! 正義という名はすでに枯れていると言っても過言ではない! 貴族どもによる欺瞞! 停滞し腐敗した中央四十六室!! そして、あまつさえ我ら死神すらもだ!!」
「………ほう」
語り手の身なりと侵入方法を除けば、主張は彼が長く胸中へ抱いてきたものと重なっている。
「我らは今! アマゾンして隊長格の椅子にしがみついていて良いのか!?」
「……『甘んじて』って言いたかったんだろうなあ……」
廊下の修兵が障子の裂け目から訂正した。演説の熱は、間違いでは止められない。
「いや違う!! このままではいけないのだ!! 自分の足で大地を歩き、自らの意志で刀を取って戦うことを選んだ我々は……超えていかなければならない!! 自らの力でこの世界を憂い、より良きものへ変革していかなければならないのだ!!」
「……そのとおりだ……!」
東仙の身が机へ寄った。正義という言葉は、九番隊の入室許可より強い通行証だった。
「ならば問う!! 正義とは何か!? 独善か? ――違う!! 慣習か!? ――違う!! 常識か!? ――違うだろう!!! 東仙よ、貴様にとっての正義とは何だ?」
「……私の言う正義とは……『恐怖なき世界』だ。己の犯す罪の重みと、我が振るう刃の重みを恐れ、血を流さぬ道を選ぶこと……。血を流さぬ平和こそが、この世界にとって最も美しき――」
「違うぞ!! それは根本から違う!!」
「なっ……!?」
これほど深く同意された直後に、正義の根を引き抜かれるとは東仙も考えていなかった。
「正義なき殺戮は悪だ! では、正義ある殺戮なら正義なのか? 己に大義名分があれば暴力を振るってよいのか? それでは、己の特権にあぐらをかく貴族どもと何ら変わらんではないか!!」
「むううう……! では、いったい何が真の正義だというのか……!」
「正義とはな……我ら死神が目指すべき正義とは、他の正義を力で屈服させることではない!! 他の正義を己の理想に魅せ、導くものなのだ!! それでこそ、真のバランサーと言えよう!!」
「では……悪が牙をむいた時、それにどう立ち向かうというのだ!?」
「外道は斬るしかないこともあるだろう! だが………!! 己の掲げる理想にそれほどまでの自信があるのなら、いかに愚かな民草であっても、その背中で魅せられるはずだろうがっ!!」
東仙の口から反論が消えた。古男の正義には制度も計画も担当部署もなく、理想を掲げ、背中で魅せ、従わない外道は斬る。演説として聞く限りは恐ろしく強い。
「他者を魅せることを忘れ、己の小さな個我にこだわった者の成れ果てこそが……今の腐りきった尸魂界ではないか!!」
「……俺はぶっちゃけ、あんたの言う『十四番隊』とかいう与太話の電波には一ミリも魅せられねえけどな……!」
「修兵!! 今は高邁なる正義の語らいである!! 水を差すな!! ……失礼しました戸川先生! どうか続きを!」
三十分前まで戸川五席だった男は、東仙の中で戸川先生になった。
現時点で古男に制圧されたのは九番隊の執務室だが、被害は思想面から広がり始めていた。
「うむ。今の秩序を保っているのはこの古い制度だけだと言うが、それこそが浅薄よ。制度にしがみつくだけでは血が流れるだけだ。貴様は山本元柳斎重國を老いぼれの愚物と断ずるか?」
「いや……流石にそこまでは……」
「あのハゲジジイはなんだかんだでなかなかのやり手ハゲジジイだ。今さら責任を押し付けるわけにもいかのう」
総隊長への評価として礼を失しているが、古男の中では最大級の信頼だった。修兵は訂正を諦め、東仙は真剣に受け止めている。
「それは道理……ですが………。私には、この目を覆う闇のように、世界の先が見えない……」
「ええい、女々しい!! 貴様のその目は、いったい何を映しているというのかっ!!」
修兵が障子の残骸を踏み越えた。演説の内容には口を挟まないと決めていたが、隊長が生まれつき背負ってきたものを罵倒の材料にされては黙っていられない。
「おい戸川! テメエ、隊長に喧嘩売ってんのか!! いい加減にしろ!!」
「ん? なぜだ?」
「目が見えねんだっての、隊長は!!」
「修兵、そこまでだ……」
「はっ……失礼しました」
古男の動きが止まった。東仙へ向けていた顔が修兵へ動き、また東仙へ戻る。
九番隊の部屋から音が消え、先ほどまで世界を導いていた男が初めて事情を理解した。
「………………何だ、そうだったのか。早く言ってくれればよかったのに」
「え?」
正義論の中で闇と視界を語っていた東仙は、自分の障害が比喩としてしか伝わっていなかった事実を知った。古男は腕を組んで考え込み、やがて両手を身体の前で重ねた。
「ふん、これは本来は私の管轄外なのだが……。まあ、熱く語り合った貴様だからこそ、『代償』の必要もあるまい」
「………は……?」
畳を低く鳴らしながら、古男の足元から押し出された霊圧が机を震わせ、破れた障子を廊下側へ膨らませる。
隊舎の上空で空間が歪み、昼の光へ黄金の筋が走った。修兵は隊長を庇おうと踏み出したが、東仙自身が手で制した。
古男の口から、現代の鬼道には収録されていない言葉が流れ始めた。
「――かへれ、名を失ひしもの。
起きよ、影を棄てしもの。
天に録されし日は違へども、地に刻まれし貌は違へじ。
アナンタ・シュラーダ・ヴィジャヤ
ナーマ・サンジャ・マハー・カラ
アーユル・デーヴァ・プラティシュタ
サハスラ・サハスラ・アートマン
プラーナ・ヴァルタ・サンバヴァ――
耶々曇 羅婆迦
吽曳曳 覘摩羅
伽羅那 毘々々
曇々曇 羅耶 羅耶
阿――吽――耶――無――
――裏縛道・天の界『叛魂創神(はんこんそうしん)』」
黄金の光が東仙の頭部を包んだ。
「むううううううううっっ!!?? ………こ、これは…………!?」
長く目元を覆っていた布が解け、畳へ落ちていく。閉じた瞼の奥で眼球へ血が巡り、神経がつながり、光を受け取る器官として組み直された。
東仙が瞼を開いて最初に見たのは、黒い長羽織を着て、両手を組んだまま得意げに立っている古男の顔だった。
長年求めた光景の第一号としては、選択の余地があってもよかった。
「……目……私の目が、見える…………っ!!」
東仙は自分の手を見た。指の形も、死覇装の黒も、頬を伝って掌へ落ちる涙も、触れる前から分かる。声しか知らなかった修兵が目の前で泣きそうな顔をしていることまで見えた。
「両の目と、心の目――二つを持って大義と正義を見据えるならば、我らに不可能など何もない!! さあ行くがいい、要よ」
「………戸川……先生……!!」
感謝に震える東仙の肩へ、古男は重々しく手を置いた。
「クックック!!! さあ東仙要よ!!! 貴様は今日より、全能なる調停者を名乗るがよい!!」
「………『全能なる調停者』……!! 何と素晴らしい、気高き響き……!!」
修兵は二人を止めなかった。隊長の目が治った喜びと、新しい肩書への不安が同時に押し寄せ、どちらを先に口へ出せばよいか分からなかったからである。
古男が九番隊を訪れた結果、執務室の障子一枚と東仙の失われた視力が修復不能な変化を受けた。前者は張り替えれば戻せるが、後者に戻す理由はない。
◇◇
数日後、市丸ギンは回廊の中央で立ち止まっている東仙を見つけた。
「あらら……どないしなはりましたのん? 東仙隊長。こんなところで佇んで……」
「巡回だが……。市丸隊長。私を『東仙隊長』などと堅苦しく呼ぶのは、もうやめてくれないか」
以前の東仙なら、任務中の立ち話を好まなかった。
今は視線を市丸へ向け、慈愛を形にしたような笑みで両腕を広げている。
「へえ……名前が変わったんか、それとも何か悟らはったん?」
「ああ。これからは私のことを……『全能なる調停者』東仙と呼ぶように」
笑みは崩さなかったが、額に浮いた汗までは隠せない。
「…………なんか、あの古男ちゃんに影響されて、えらい胡散臭い感じになりはりましたなぁ……」
古男は東仙の目から闇を取り除き、空いた場所へ新しい二つ名を詰めて帰った。
藍染が期待していた変化かどうかは、次の密談で慎重に確認する必要があった。
◇◇
「こんにちは!! 緋山染華が現世の虚討伐現場からお知らせします!!」
現世の雑居ビルに挟まれた空き地で、緋山染華は存在しない視聴者へ元気よく呼びかけていた。
前方にカメラはなく、後方に撮影班もいない。いるのは十一番隊から派遣された五人の死神と、彼らを幾重にも取り囲む虚の群れだけである。命の危機を報道番組へ変換しているのは染華一人だった。
「いや~すごいですね〜。今回の討伐は〜。我ら十一番隊からわざわざ五人の死神を駆り出された理由が今わかりました!! 皆様、ご覧ください!! 見事にそこら中から虚に囲まれています!! これは絶体絶命と言うやつではないでしょうか!!? 彼らはいったいどうやってこの窮地を切り抜けるのか!! 目が離せません!!!」
画面はないため、目を離す以前に番組を受信できない。
隊員の一人が虚の爪を刀で受け、押し戻されながら染華へ怒鳴った。
「てめえ!!! 緋山!!!………いえ、緋山十席!!! いつまで中継ごっこしてやがる、さっさと戦ってください!!」
「えー。いやよ! 私、痛いの大嫌いだもん!!」
「ですがこのままでは我々が全滅しますよ!!」
「痛いのはあんたたちでしょ! 私じゃないし……。見殺しにするには忍びないから応援くらいはしてあげるわよ!」
応援を戦力へ換算する制度は、護廷十三隊に存在しない。
染華が両手を口元へ添えて声援を送る間にも、隊員の脇腹へ虚の牙が食い込んだ。
「なんと薄情な……!! くっ、があああああっ!!」
肉を裂く音が続き、隊員たちが地面へ沈んでいく。
「お〜っと!! 一人が虚の牙にとらわれた!! このまま食われてしまうのか!? がんばれー!! 負けるなー!!」
「緋山十席…………っ!!」
実況されている本人から救援要請が届いた。
染華は周囲を見回したが、立っている味方はもう自分しかいない。
応援だけで窮地を切り抜けるという当初の企画は、出演者全員の負傷によって打ち切られた。
「わかったわよ〜、まったく……。しりょあ!!」
腰の刀を抜いた途端、硬い柄が掌の皮へ擦れた。染華は虚ではなく、自分の手を見て顔を歪める。
「……っ、痛った!! 掌の皮が擦れてすぐに豆ができるじゃない!! ほんと最悪……!」
倒れた隊員は返事をしなかった。虚の輪が縮まり、染華の背中が建物の壁へ近づいていく。
「え………ええ………と。――あー、虚の皆さん!! ちょっとインタビューを受けてはもらえないでしょうか……」
「……死神が何を言ってるんだ? 食べるのであれば、そこに美味そうな新鮮な男どもが転がっているが……」
単眼の虚が倒れた隊員を爪で示すと、隣の虚が染華の露出した腕と太腿を眺めた。
「まあいい。お姉ちゃんは可愛いし、こっちの方がより美味そうだ」
「……………。……いやーーーーーーっ!! 来ないで!! こっち来ないでよバケモノども!!」
染華は空き地を駆けた。右へ逃げれば爪が落ち、左へ跳べば牙が待ち、後ろには壁がある。戦うのが嫌で逃げ続けた結果、戦う以外の道から順番に塞がれていった。
「くひひひひひ、そんな見せつけるようなエロい格好しやがって……! 誘ってやがったのかよ!!」
「うう……………こんなの嫌だけど、選んでられないわね………本当に…………痛いのはいやぁぁぁっ!! ……でも、ここで死ぬのはもっと痛いだろうし…………ッ……!」
死ぬ方が痛いという比較だけが、染華の右手を刀へ向かわせた。
虚たちは得物を握った死神を見て身構えたが、震えている本人の目は刀より自分の掌へ向いていた。
「ケケケケケケ!! 死ねえええええ!!」
虚の群れが地面を蹴った。
「……いくわよ……! ――我が血よ刃に溶け、彼の血よ刃に乗れ――《血狼(けつろう)》!!」
刀身が鳴り、鍔が割れた。
柄巻が解けた内側からも刃が現れ、鍔と柄頭まで鋭利な金属へ変わっていく。
握るために残されるべき場所が、持ち主を傷つけるための刃へ変貌した。
染華が手を放すより早く、手首から鎖が走った。金属の輪は右手を柄へ巻き込み、手の甲で噛み合う。刀を捨てるという彼女の最も堅実な選択を、血狼は始解の機能として封じていた。
刃が掌へ沈み、染華の悲鳴が空き地を貫いた。
「――っ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!! 」
指の隙間から噴き出した血が柄を伝い、刀身へ吸い上げられる。赤い流れは刃の外側へ絡みつき、長大な血の刃となって空き地を横切った。
痛みから逃れるには手を開けばよい。鎖が許さない。
刀を落とせばよい。血狼が許さない。
戦いをやめればよい。周囲の虚が許さない。
逃げ道をすべて奪われた染華の中で、恐怖と嫌悪をつないでいた何かが切れた。
「ふ………ふふふふふふふふふふふふふふっ!!!!! やああっ!! 死ねぇ!! 死ね死ね死ねぇっ!!」
横へ走った右腕から血の刃が伸び、虚の爪を通り、仮面を割り、胴を薙いだ。
斬られた虚が悲鳴を上げる頃には、その後ろにいた虚の身体まで上下へ分かれていた。
染華を囲んでいた輪が崩れ、切断された肉と仮面が地面へ降り注ぐ。
「あはっ! ははははははははははははははははははははははははーーっっ!!!!!」
鮮血をまとった刀を振り回し、染華は笑い続けた。
虚から見れば、傷つくほど力を増し、己の血を刃へ変え、肉片の中で哄笑する戦闘狂である。
◇◇
「ねえ一角。なんであんな役立たずの緋山さんを現世の虚討伐になんて行かせるんだい? 彼女、顔と体の美貌だけは見事なものだけど、戦いじゃ全く役に立たないでしょう?」
同じ頃、隊舎の縁側では、一角と弓親が湯呑みを挟んで座っていた。
「おう。弓親、お前……緋山の本当の恐ろしさを知らねえのか?」
「僕は彼女の体と顔の美貌には興味があるけれど、それ以外はどうでもいいからね」
美貌へ二回言及した時点で、興味の範囲は明確だった。
一角は鼻で笑い、湯呑みを板敷きへ置いた。
「あ、そ。緋山は普段あんなふうに腐ったミカンみたいにサボってばかりだが……いざ本気を出せば、もっと上の席――副隊長クラスにだって余裕で行ける実力を持ってる。なのに、自分の意志で昇進を断り続けてやがるのさ」
「へえ……? 不思議な女だね。『私は自由が一番!』とかそういう理由かい?」
「いや、理由は単純だ。『痛いのが死ぬほど嫌いだから』だそうだ。……だがな………俺も、更木隊長も、あの女の『本性』を知っちまっているのさ」
一角が他人の強さをここまで勿体ぶって語るのは珍しい。
「へえ……? 一角がそこまで言うなんて珍しいね」
「あいつはな……斬魄刀を解放すると、笑うんだよ」
「笑う?」
「あんな、使うだけで自分の肉体をズタズタに自傷するような、頭のイカれた斬魄刀を持ってやがる。自分の手のひらの骨が露出するまで柄の刃を握りしめ嗤う姿を見て、昔からの古株どもはこう恐れを込めて呼んでるのさ」
一角の脳裏に、血の中で笑う染華の姿がよみがえった。
恐怖を知らず、痛みを喜び、傷つくほど獰猛になる女。
現世の染華が聞けば全力で否定しただろう。否定に使うはずの口は今も笑い声しか出せず、右手は血狼の鎖へ縛られている。
「――『血飛沫に嗤う女、鮮血の血染め花』……ってな」
一角が二つ名を口にした頃、現世では最後まで残った虚が血の刃に追い回されていた。
「はーーーっはっはっはっはっはっはっは!!!! 死ねええええええ!! 死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇ!! ふふふふふふふふふふふふふふふふっっ!!!!」
戦いの喜びと恐れられたその哄笑は、右手が痛すぎて、もう笑うしかなくなっただけである。
全能なる調停者
戸川古男が東仙要へ勝手に授けた称号。
意味するところは、単純に力によって異なる正義を押さえつけるのではなく、自らの理想と行動によって他者を魅せ、世界全体の均衡を導く者――という、古男なりの「真のバランサー」
東仙本人には非常に刺さったらしく、数日後には正式な呼称として他人へ要求するまでになった。
九番隊内部で定着するかどうかは、檜佐木修兵の胃次第である。
裏縛道・天の界『叛魂創神(はんこんそうしん)』
戸川古男が使用した、現代の鬼道体系には存在しない裏縛道。
本来は、一万の魂を捧げることで、どれほど昔に死亡した存在であっても全盛期の状態で蘇生させるという規格外の術である。
今回は古男が術理を応用し、東仙要の失われていた視覚器官を「本来あるべき状態」へと再構成した。
なお古男曰く、本来これは自分の管轄外らしい。
管轄内なら何が飛び出してくるのかは考えない方がよい。
血狼(けつろう)
緋山染華の斬魄刀。
解号は、
「我が血よ刃に溶け、彼の血よ刃に乗れ――《血狼》」
始解すると鍔・柄・柄頭まで刃へ変化し、さらに鎖によって染華自身の右手を柄へ固定する。
つまり、握れば痛い。
手を離そうとしても離せない。
そして流れた染華自身の血を吸収し、巨大な血の刃として攻撃へ転用する。
戦えば戦うほど持ち主が血を流すという、痛いことが死ぬほど嫌いな染華にとって最悪の相性を誇る斬魄刀である。
「血飛沫に嗤う女、鮮血の血染め花」
十一番隊の古参たちが緋山染華へ付けた異名。
血狼を握り、己の手から血を流しながら敵を斬り刻み、傷つけば傷つくほど笑い声を上げる姿から生まれた。
そのため周囲からは、
「痛みすら悦楽へ変える狂戦士」
と思われている。
実際には、
「痛すぎて精神的に限界を突破し、もう笑うしかなくなっている」
だけである。
この認識の食い違いは、現在まで誰にも訂正されていない。
戸川先生
東仙要の中でのみ急速に成立した戸川古男への敬称。
初対面ではない。
師弟関係もない。
三十分ほど正義について語り合っただけである。
しかし視力まで治してもらった以上、もはや東仙の中では五席という階級で処理できる人物ではなくなったらしい。
十四番隊
戸川古男が以前から口にしている構想。
檜佐木修兵からは「与太話の電波」と評されており、この時点では少なくとも九番隊副隊長の心を魅せることには成功していない。
古男の掲げる「他者を理想によって魅せる正義」という理屈から考えると、最初の攻略対象は案外すぐ近くにいるのかもしれない。