欲しいものは全部欲しいので、怪異になって好き勝手します 作:ナリリ
――あ。
これ、死ぬな。
人生最後の瞬間。
黒川直人が考えていたのは、そんな妙に冷静なことだった。
耳をつんざくクラクション。
誰かの悲鳴。
視界いっぱいに迫る車体。
逃げる暇なんてなかった。
強烈な衝撃。
身体が浮いたような感覚。
そして――。
黒川直人の人生は、あっけなく終わった。
◇◇◇
「…………」
目を開ける。
白い。
上も。
下も。
右も左も。
どこまで見渡しても、ただ真っ白な空間が続いている。
「……病院?」
自分で言ってから、それはないなと思った。
天井がない。
壁もない。
ベッドもない。
そもそも病院らしい匂いすらしない。
「…………」
直人は自分の身体を見る。
ある。
手。
足。
胴体。
どこにも傷はない。
「……夢?」
頬をつねる。
「痛い」
夢じゃない。
では何だ。
考える。
最後の記憶。
道路。
クラクション。
車。
衝撃。
「…………俺、轢かれたよな?」
どう考えても無傷で済む事故ではなかった。
「ってことは……」
直人は周囲を見る。
「死後の世界?」
『概ね、その認識で構いません』
「うおっ!?」
突然後ろから声がした。
直人は飛び上がるように振り返る。
そして。
「…………」
固まった。
『初めまして、黒川直人様』
一人の女が立っていた。
――綺麗。
最初に浮かんだ言葉は、それだった。
白銀にも淡い金にも見える長い髪。
透き通るような白い肌。
整いすぎて、かえって現実感を失っている顔立ち。
美人。
そんな言葉では足りない。
人間が本能的に「美しい」と感じるものだけを集めて、何かが女性の形へ押し込めたような存在だった。
『…………黒川直人様?』
「…………」
『聞こえておりますか?』
「聞こえてます」
『でしたら』
女が僅かに首を傾げる。
『なぜ、わたくしを凝視なさっているのでしょう?』
「…………」
バレていた。
「いや、その……」
『はい』
「綺麗だなって」
『…………』
「めちゃくちゃ」
『……ありがとうございます』
微妙な間があった。
しかし直人は、それどころではなかった。
(すっげぇ……)
顔を見る。
(欲しい)
髪。
(欲しい)
瞳。
(欲しい)
声。
(欲しい)
身体。
(欲しい)
全部。
(欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい)
自分でも引くくらい強烈な欲求だった。
単純に、この女を自分のものにしたい。
それだけではない。
(俺もこんな姿になってみたい)
そんな欲まで同時に湧いてくる。
あの顔。
あの髪。
あの身体。
完全に同じじゃなくていい。
もっと自分好みにして――。
『黒川直人様』
「はい!」
思考をぶった切られた。
女は微笑んでいる。
ただ。
さっきより少しだけ笑顔が引きつっている気がする。
『お話を進めても?』
「どうぞ」
死んだ直後に何考えてるんだ俺。
直人はようやく少し冷静になった。
『改めまして』
女が直人を見る。
『黒川直人様』
その瞬間だった。
「…………っ」
空気が変わる。
いや。
空気なんて、この空間に存在するのかすら分からない。
それなのに。
目の前にいた「美しい女性」が。
一瞬だけ。
人間とは根本的に違う、遥か遠い何かに見えた。
直人は無意識に息を呑む。
『あなたの生涯は終了しました』
「……やっぱり死んだ?」
『はい』
「即答かぁ……」
『死亡原因は交通事故です』
「それは覚えてる」
『本来であれば、あなたの魂は定められた循環へ戻ることになります』
「本来なら?」
『はい』
女が微笑む。
『ですが、あなたには別の世界へ転生していただきます』
「…………」
直人は数秒黙った。
「マジで?」
『まじ、です』
「そこだけ急に俗っぽいな」
『あなたに合わせました』
「親切……なのか?」
転生。
本当にそんなものがあるらしい。
「ちなみに」
『はい』
「あなたって神様?」
女は少し考えた。
『そうですね』
そして。
『神――とでも思っていただければ』
「とでも?」
『あなたが理解しやすい表現です』
「じゃあ、本当は神様じゃない?」
『さて』
微笑む。
答えるつもりはないらしい。
「まあいいか」
『……随分あっさりしておりますね』
「考えて分からないこと考えても仕方ないし」
『なるほど』
女が少しだけ面白そうに直人を見る。
『それでは、本題へ移りましょう』
「本題?」
『はい』
女が直人へ近づく。
一歩。
二歩。
近くで見ると、さらに綺麗だった。
(欲しい)
また出た。
直人は自分でも呆れる。
『黒川直人様』
「はい」
『あなたには新たな世界で生きる機会が与えられます』
「うん」
『そのうえで――』
女が直人の目を見る。
『何を望みますか?』
「…………」
『次の人生で、あなたは何を望みますか?』
普通なら迷うのだろう。
金。
才能。
強さ。
権力。
健康。
容姿。
長寿。
幸運。
いくらでもある。
直人だって、欲しいものはいくらでもある。
だから。
「全部」
『はい?』
「全部欲しい」
『…………』
女の表情が止まった。
『全部、とは?』
「だってせっかく転生するんでしょ?」
『ええ』
「だったら妥協する必要なくない?」
『…………』
「強くなりたい」
『はい』
「金にも困りたくない」
『……はい』
「好き勝手生きたい」
『はい』
「長生きもしたい」
『…………はい』
「見た目も好きにしたい」
『…………』
直人の視線が。
再び女へ向かう。
「あなたみたいに綺麗なのもいいな」
『…………』
「完全に同じじゃなくていいけど」
『そうですか』
「もっと自分好みにしたい」
『…………』
「それから――」
『まだあるのですか?』
「あるよ?」
『…………』
女が遠い目をした。
「せっかく第二の人生なんだから」
直人は笑う。
「欲しいもの全部欲しいじゃん」
『…………』
長い沈黙。
やがて。
『分かりました』
「いいの?」
『可能な範囲で考慮いたしましょう』
「おお!」
『ただし』
女が人差し指を立てる。
『すべてがあなたの思い通りになる保証はありません』
「それくらい分かってる」
『本当に?』
「たぶん」
『…………非常に不安ですね』
「神様なのに?」
『神にも色々あるのです』
「便利な言葉だなぁ」
女が小さく息を吐いた。
そして。
直人へ手を伸ばす。
『では――』
足元に光が広がった。
『行ってらっしゃいませ、黒川直人様』
「おお……」
身体が透け始める。
本当に転生するらしい。
「……あ!」
『なんでしょう?』
「最後に一つ!」
『はい』
直人は消えかけながら。
目の前の女を指さした。
「やっぱりあなたも欲しい!」
『…………はい?』
初めて。
女の完璧な表情が崩れた。
「いつか貰いに来てもいい!?」
『な――』
「絶対迎えに来るから!」
『何を言って――』
光が直人を包む。
最後に見えたのは。
初めて見る。
神を名乗る女の、心底困惑した顔だった。
◇◇◇
真っ白な空間。
一人残された女は。
しばらく。
何も言わなかった。
『…………』
やがて。
自分の額へ手を当てる。
『なんだったのでしょう、あの方は……』
転生者など珍しくもない。
最強になりたい。
英雄になりたい。
裕福になりたい。
愛されたい。
永遠に生きたい。
様々な願いを聞いてきた。
しかし。
『……わたくしを欲しい、と?』
理解できない。
『まったく……』
女は小さく笑う。
『もう二度と会うこともないでしょうに』
そう呟いて。
背を向けた。
だから。
女は気づかなかった。
黒川直人を送り出した場所。
そこに。
――ピシッ。
小さな。
小さな。
黒い亀裂が走ったことに。
『…………?』
女が振り返る。
だが。
もう何もない。
『……気のせいでしょうか』
女は知らない。
それが。
これから別世界で誕生する「何か」と。
自分自身が。
いつの日か再び出会うことになる。
最初の兆候だったことを。
「初投稿です。ゆるめの現代怪異ものとして楽しんでいただければ幸いです。」