欲しいものは全部欲しいので、怪異になって好き勝手します   作:ナリリ

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第3話 人間の世界、ちょっと見に行こうかな

「そういえばさ」

 

 巨大な食堂。

 

 長いテーブルの一番端で、麗は焼きたてのパンをちぎりながら口を開いた。

 

「人間って、怪異のこと知ってるの?」

 

 正面に座っていた白神千代が、僅かに目を瞬かせた。

 

「無論でございます」

 

「やっぱり?」

 

「はい」

 

 千代は静かに頷く。

 

「この国では、怪異の存在そのものは広く認知されております」

 

「見えないのに?」

 

「大半の人間には、通常は見えておりません」

 

「ああ、それは知ってる」

 

 麗も何度か遠くから人間を見たことがある。

 

 人間のすぐ横。

 

 あるいは背後。

 

 時には頭上。

 

 明らかに人間ではない何かが存在しているのに、当の人間は何も気づかず通り過ぎていく。

 

「でも見えないなら、どうやって存在が知られたの?」

 

「見えずとも、被害は残りますので」

 

「あー」

 

 納得した。

 

「人が死ぬ」

 

「はい」

 

「建物が壊れる」

 

「左様でございます」

 

「突然変なことが起きる」

 

「その通りでございます」

 

 見えないから存在しない、とはならない。

 

 怪異が原因で人間が死ねば、死体は残る。

 

 建物を破壊すれば、当然その痕跡も残る。

 

 長い歴史の中で、それらを完全に隠し続ける方が無理だったのだろう。

 

「へぇ……」

 

 麗はパンを口へ放り込む。

 

「ん、おいしい」

 

 食事は必要ない。

 

 少なくとも、麗は食べなくても困らない。

 

 空腹にもならない。

 

 それでも食べる。

 

 理由は単純。

 

 美味しいから。

 

「まあ、人間どもも馬鹿ではございません」

 

 横から声。

 

 緋月朱音。

 

 赤みを帯びた長い髪を持つ美女。

 

 麗の前ではいつも機嫌が良さそうなのだが、人間の話になると微妙に言葉が辛辣になる。

 

「昔と比べれば、随分と小賢しい真似を覚えました」

 

「小賢しい真似?」

 

「はい、麗様」

 

 麗に聞かれた瞬間。

 

 朱音の声音が露骨に柔らかくなった。

 

「現代では都市部を中心に、怪異を感知するための結界が張られております」

 

「結界?」

 

「はい」

 

「どれくらいの?」

 

「場所によります」

 

 朱音が答える。

 

「建物一つを覆うものもあれば、特定の区域を監視するために複数の術式を重ねたものもございます」

 

「へぇ」

 

「都市規模で観測網を形成している場所もございますね」

 

 千代が補足する。

 

「昔から結界自体はあったの?」

 

「無論でございます」

 

「やっぱり」

 

 麗はパンをもう一つ取る。

 

 この四人は古い。

 

 正確な年齢を聞いたことはないが。

 

 少なくとも麗より遥かに長く、この世界に存在している。

 

 そんな彼女たちが、人間の結界を知らないはずがない。

 

「昔と今で違う?」

 

「大きく」

 

 千代が答えた。

 

「古くは術者個人、あるいは寺社などを中心とした術式が大半でした」

 

「今は?」

 

「術式と科学技術を組み合わせております」

 

「科学?」

 

 麗の目が少し輝く。

 

「機械使ってるの?」

 

「はい」

 

「面白い」

 

 怪異。

 

 結界。

 

 そこに科学。

 

 前世にはなかった組み合わせだ。

 

「人間は怪異を観測する装置も作っております」

 

「そんなのあるんだ」

 

「異相圧を測る機器などが代表的ですね」

 

「いそうあつ?」

 

「怪異が持つ力を、人間側が数値化するために用いている呼称でございます」

 

「へぇー」

 

 麗は自分の手を見る。

 

「私にもある?」

 

「…………」

 

 四人が黙った。

 

「なに?」

 

 千代が慎重に口を開く。

 

「ございます」

 

「どれくらい?」

 

「…………」

 

 また沈黙。

 

「千代?」

 

「麗様」

 

「うん」

 

「その問いへ、我らが正確にお答えすることは困難でございます」

 

「なんで?」

 

「比較する対象がございませんので」

 

「…………?」

 

 麗は首を傾げた。

 

「まあいいか」

 

 深く考えない。

 

 いつものことである。

 

 朱音が僅かに息を吐いた。

 

 隣の月城静が朱音を見る。

 

「今、安心した?」

 

「しておりません」

 

「した顔」

 

「静」

 

「なに」

 

「黙っていてください」

 

「やだ」

 

「…………」

 

「二人とも喧嘩しない」

 

『申し訳ございません』

 

 二人が同時に頭を下げる。

 

「息ぴったりじゃん」

 

「…………」

 

「…………」

 

 麗が笑う。

 

 久遠美琴も口元へ手を添えて笑っていた。

 

「それで」

 

 麗が話を戻す。

 

「人間って怪異と戦えるんだよね?」

 

「はい」

 

「誰が?」

 

「現在の日本では、主として怪異対策局が対応しております」

 

「怪異対策局」

 

 麗が繰り返す。

 

「政府の組織?」

 

「左様でございます」

 

「警察みたいな?」

 

「近い部分もございますが、怪異への対処を専門としております」

 

「千代たちも知ってる?」

 

 麗が何気なく聞く。

 

 今度は。

 

 四人が揃って微妙な顔をした。

 

「…………麗様」

 

「ん?」

 

「我らがどれほど長く、この世界に存在しているとお思いでしょうか」

 

「あ」

 

 麗は察した。

 

「そりゃ知ってるか」

 

「現在の怪異対策局という名称になる以前から、同様の役割を持つ者たちは存在しておりました」

 

「陰陽師とか?」

 

「そのような者も」

 

「退魔師」

 

 静が言う。

 

「僧侶」

 

 美琴も続ける。

 

「巫女や神職などもおりましたね」

 

「へぇ」

 

 麗は興味津々だ。

 

「戦ったことある?」

 

「ございます」

 

 千代が即答。

 

「何回くらい?」

 

「…………」

 

「覚えてない?」

 

「正確な数は」

 

「そんなに?」

 

「長く生きておりますので」

 

「勝った?」

 

「無論でございます」

 

 千代は涼しい顔。

 

「おお」

 

「とはいえ」

 

 千代の表情が少しだけ真面目になる。

 

「麗様」

 

「ん?」

 

「人間を侮ることは、お勧めいたしません」

 

「強いの?」

 

「個体として見れば、大半は脆弱でございます」

 

「うん」

 

「しかし」

 

 千代は続ける。

 

「人間は知識を残します」

 

「…………」

 

「一人が我らに敗れれば、次の者がその記録を読む」

 

「なるほど」

 

「十年で通用しなければ、百年を費やして術を改良する」

 

「…………」

 

「そして現代では、そこへ科学技術まで加わりました」

 

「結構すごいじゃん」

 

「はい」

 

「朱音なんて、昔一度封印されかけておりますものね」

 

 美琴が突然言った。

 

「…………」

 

 朱音が固まった。

 

「美琴」

 

「はい?」

 

「なぜ今、それを麗様へ申し上げたのですか?」

 

「あら。事実でしょう?」

 

「え?」

 

 麗が身を乗り出す。

 

「朱音、封印されかけたの?」

 

「…………」

 

「朱音?」

 

「……麗様」

 

「うん」

 

「その件につきましては」

 

「うん」

 

「お忘れいただけますでしょうか」

 

「やだ」

 

「…………」

 

 朱音の顔が僅かに引きつる。

 

「三日」

 

 静がぼそり。

 

「静!」

 

「三日間、出られなかった」

 

「ふふっ」

 

「美琴まで!」

 

 麗は笑う。

 

「結構やられてるじゃん」

 

「…………麗様」

 

「なに?」

 

「当時の人間どもが卑劣だったのでございます」

 

「負け惜しみ?」

 

「違います!」

 

「ふふっ」

 

「麗様まで……」

 

 朱音が本気で落ち込んだ。

 

 麗はそんな朱音を見て。

 

「朱音」

 

「……はい」

 

「おいで」

 

「!」

 

 朱音が一瞬で麗の横へ移動する。

 

「速っ」

 

「お呼びになられましたので」

 

「そんな急がなくても」

 

 麗は朱音の頭へ手を置く。

 

 ぽんぽん。

 

「まあ今は強いんでしょ?」

 

「――っ」

 

 朱音が固まる。

 

「麗様」

 

「なに?」

 

「もう一度」

 

「え?」

 

「もう一度お願いいたします」

 

「何を?」

 

「今のを」

 

「…………?」

 

 麗がもう一度頭を撫でる。

 

「…………」

 

 朱音の表情が。

 

 ものすごく幸せそうになった。

 

「……何これ」

 

 千代。

 

 静。

 

 美琴。

 

 三人の視線が。

 

 朱音の頭に置かれた麗の手へ集中している。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「なに?」

 

『なんでもございません』

 

「絶対なんかあるじゃん」

 

 麗は少し笑った。

 

 四人とも。

 

 麗に対してだけ妙に重い。

 

 本人もそれくらいは理解している。

 

 ただ。

 

 どれほど重いのかまでは。

 

 まだ理解していなかった。

 

「でもさ」

 

 麗は席へ戻る。

 

「そんなに人間が色々できるなら」

 

 少し考える。

 

「見てみたいな」

 

「何をでしょう」

 

「人間の街」

 

 四人の視線が麗へ向く。

 

「前からちょっと気になってたんだよね」

 

 前世。

 

 自分も人間だった。

 

 今の世界が、前世の日本とどれくらい違うのか。

 

 怪異が存在する社会で。

 

 人間たちはどんな生活をしているのか。

 

「怪異対策局っていうのも見てみたいし」

 

「麗様」

 

 千代が即座に口を開く。

 

「我らも御供いたします」

 

「四人とも?」

 

「当然でございます」

 

「いや」

 

 麗は四人を見る。

 

 千代。

 

 朱音。

 

 静。

 

 美琴。

 

 そして。

 

 自分。

 

「…………」

 

 美女が五人。

 

「目立つでしょ」

 

「問題ございません」

 

「あるよ」

 

「麗様へ不躾な視線を向ける者がいれば、私が――」

 

「殺さない」

 

「…………」

 

 朱音が黙る。

 

「今、何するつもりだった?」

 

「何も」

 

「絶対殺そうとしたよね?」

 

「滅相もございません」

 

「目逸らしてるじゃん」

 

「…………」

 

 麗はため息。

 

「今回は私一人で行く」

 

 その瞬間。

 

 空気が変わった。

 

「…………」

 

 千代。

 

「…………」

 

 朱音。

 

「…………」

 

 静。

 

「…………」

 

 美琴。

 

「え?」

 

 麗が四人を見る。

 

「なに?」

 

「麗様」

 

 朱音が。

 

 明らかに動揺していた。

 

「我らに……」

 

「うん?」

 

「何か不手際がございましたでしょうか」

 

「ないよ?」

 

「では」

 

「うん」

 

「なぜ我らをお連れくださらないのでしょう」

 

「だから目立つから」

 

「…………」

 

 四人が。

 

 露骨に安心した。

 

「…………?」

 

 麗は眉を寄せる。

 

「何だと思ったの?」

 

「見限られたのかと」

 

「なんで!?」

 

 麗が思わず声を上げた。

 

「ちょっと一人で出かけるだけで!?」

 

「麗様に不要と判断されることは」

 

 千代が静かに答える。

 

「我らにとって、死よりも耐え難きことにございます」

 

「…………」

 

 麗の笑顔が少し固まった。

 

「重っ」

 

「麗様」

 

「いや」

 

 麗は手を振る。

 

「別に捨てたりしないよ」

 

「――」

 

 四人が。

 

 同時に。

 

 跪いた。

 

「え?」

 

「勿体なき御言葉」

 

「ちょっと待って」

 

「我らが存在のすべては麗様のもの」

 

「待って」

 

「この身も」

 

「千代?」

 

「命も」

 

「朱音?」

 

「魂も」

 

「静まで?」

 

「麗様がお望みであれば、何一つ惜しむものなどございません」

 

「美琴!?」

 

 麗は頭を抱えた。

 

「朝から重い!」

 

 四人が止まる。

 

「普通にして」

 

『承知いたしました』

 

「本当に?」

 

『はい』

 

「…………」

 

 信用できない。

 

 まあ。

 

 いつものことだ。

 

「じゃあ」

 

 麗が立ち上がる。

 

「ちょっと人間の街、見てくる」

 

「麗様」

 

「今度はなに?」

 

「人間社会へ赴かれるのでしたら」

 

 千代が立ち上がる。

 

「お召し物を」

 

「服?」

 

「はい」

 

「あるの?」

 

「麗様がお好みになりそうなものを、いくつかご用意しております」

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

「さすが千代」

 

「――っ」

 

「…………?」

 

 千代が一瞬。

 

 固まった。

 

「千代?」

 

「……身に余る光栄にございます」

 

「大袈裟だなぁ」

 

 麗は笑いながら食堂を出ていく。

 

 その後ろ。

 

 千代は平静を装っている。

 

 しかし。

 

 耳が。

 

 僅かに赤い。

 

「…………」

 

 朱音が千代を見る。

 

「何ですか」

 

「別に」

 

 静が言う。

 

「羨ましい」

 

「…………」

 

 美琴が微笑む。

 

「私もです」

 

「…………」

 

 朱音が麗の消えた扉を見る。

 

「次は私が褒めていただきます」

 

「競争ではありませんよ」

 

「千代は黙っていてください」

 

 そんな会話を。

 

 麗は知らない。

 

 そして。

 

 この日。

 

 黒月麗は初めて。

 

 本格的に人間社会へ足を踏み入れることになる。

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