全員元カノ〜勇者様、昔の女と再会するたびに尋問するのはやめてくれ〜   作:レトやま

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第一話「勇者様は俺を魔王より怖い目で見る」

 魔王軍との戦争が始まって、今年で十二年になる。

 十二年。

 人間が絶望に慣れるには、十分すぎる時間だ。

 国境線は何度も書き換わった。

 昨日まで人間の村だった場所に魔族の旗が立ち、魔族の砦だった場所に翌月には皇国軍の砲兵陣地が築かれる。

 地図の上では、赤と青の線が行ったり来たりしているだけだ。

 だが、その線の下には町があり、村があり、人間がいる。

 そして、死体がある。

 俺――ベルカ・ツェンクハウアーは、その十二年のうち八年を軍服姿で過ごした。

 東の皇国陸軍。

 士官学校繰り上げ卒業。

 南方方面軍。

 第七独立歩兵大隊。

 最終階級、大尉。

 華々しい経歴に見えるかもしれない。

 実際には、上官が死んだから昇進し、同僚が死んだから部隊を任され、部下が死ぬたびに生き残った人間を寄せ集めただけだ。

 英雄になった覚えはない。

 救世主になった覚えもない。

 ましてや――

 

「見つけました」

 

 ――勇者に追い回されるようなことをした覚えなど、もっとない。

 俺は酒場の卓上に置いていたエールの杯から顔を上げた。

 夕暮れ時。

 王国北部、交易都市ミレイア。

 冒険者、行商人、傭兵、旅人が入り混じる酒場の中で、その女だけが妙に目立っていた。

 黒い短髪。

 腰には細身の長剣。

 旅装の上からでも分かる鍛え上げられた身体。

 年齢は二十歳を少し過ぎた程度だろう。

 顔立ちは整っている。

 というより、かなりの美人だ。

 だが、美人であることよりも先に目につくものがあった。

 女の右手の甲。

 そこに淡い黄金色の紋章が浮かんでいる。

 剣。

 翼。

 そして太陽。

 教会が百年近く待ち続けてきた救世の証。

 勇者の刻印。

 

「ベルカ・ツェンクハウアーさんですね」

 

「人違いだ」

 

「いいえ違いません」

 

「…………」

 

 女は俺の真正面まで歩いてくると、テーブルに両手をついた。

 

「四年」

 

「何がだ」

 

「四年間です」

 

 女がずいと来る。

 顔が近い。

 

「あなたを探していました」

 

「……人違いでは?」

 

「ベルカ・ツェンクハウアーさん」

 

「はい」

 

 諦めた。

 女の顔が、ぱっと明るくなる。

 

「やっぱり!」

 

「声が大きい」

 

「あっ……すみません」

 

 周囲の視線が集まっていた。

 当然だ。

 勇者の刻印を持った美女が、酒を飲んでいる無精髭の男に向かって「四年間探していた」と言っている。

 事情を知らなければ、だいぶ面白い光景だろう。

 女は慌てて俺の向かいに腰掛けた。

 

「私、ユスティアです」

 

「知らん」

 

「ユスティア・ユレイシア」

 

「……知らん」

 

 彼女の眉がぴくりと動く。

 

「四年前のリネル村」

 

 俺の手が止まった。

 

「…………」

 

「思い出しました?」

 

 リネル村。

 王国と皇国の国境近くにあった小さな村。

 四年前、魔王軍の西進によって壊滅した。

 当時、皇国はとっくに崩壊していて義勇軍による撤退戦が展開されていた。

 俺の部隊はまさにその撤退の最中だった。

 命令では、村を無視して東へ向かうことになっていた。

 だが煙を見つけた。

 近くを通った。

 それだけだった。

 

「……あの村の生き残りか」

 

「はい」

 

 ユスティアが笑った。

 

「あなたに助けてもらいました」

 

 記憶を掘り起こす。

 炎。

 壊れた家。

 魔物の死骸。

 泣き叫ぶ子供。

 負傷者。

 そして――

 

「ああ」

 

 思い出した。

 

「荷車の下にいた娘か」

 

「はい!」

 

「右脚を怪我していた」

 

「はい!」

 

「十三、四歳くらいの」

 

「十七歳です!」

 

 かぶせるようにユスティアが言う。

 

「…………」

 

「十七歳でした!」

 

「そうか」

 

「そうか、じゃありません!」

 

 卓を叩くな。

 

「当時から私、そんなに子供っぽかったですか!?」

 

「戦場で女の年齢を気にしている暇はない」

 

「私の人生最大の出来事だったんですよ!?」

 

「俺にとっては撤退戦の途中だ」

 

「ひどい!」

 

 四年前。

 俺は二十三。

 こいつは十七。

 なるほど。

 どうりで記憶の少女と目の前の女が一致しないわけだ。

 

「それで勇者様が俺に何の用だ」

 

「勇者様って呼ばないでください」

 

「ではユレイシア殿」

 

「ユスティア」

 

「ユレイシア殿」

 

「ユスティア」

 

「…………ユスティア」

 

「はい!」

 

 嬉しそうにするな。

 

「あなたに、私の仲間になってほしいんです」

 

「断る」

 

「ありがとうございます!」

 

「断った」

 

「えっ」

 

「俺はもう軍人じゃない」

 

「知っています」

 

「魔王討伐にも興味はない」

 

「それも知っています」

 

「なら帰れ」

 

「嫌です」

 

「即答するな」

 

 ユスティアは背筋を伸ばした。

 

「三日前、聖教会から正式に魔王討伐の命を受けました」

 

「ご苦労」

 

「勇者には同行者を自由に選定する権利があります」

 

「へえ」

 

「ベルカさんを選びました」

 

「断る」

 

「却下します」

 

「俺の自由意思はどこへ行った」

 

「魔王を倒した後に返します」

 

 とんでもない勇者だった。

 

「そもそも、なぜ俺なんだ」

 

「強いからです」

 

「強い奴なら他にいくらでもいる」

 

「頼りになるから」

 

「他を探せ」

 

「あなたがいいんです」

 

 妙に真っ直ぐな目だった。

 俺はこういう目が苦手だ。

 戦場でも時々いた。

 自分なら何とかしてくれる。

 この人についていけば生き残れる。

 そんな目をする新兵が。

 大抵、そういう奴から死んだ。

 

「買い被りだ」

 

「違います」

 

「四年前に一度会っただけだろ」

 

「一度じゃありません」

 

「?」

 

「私にとっては、ずっとです」

 

 意味が分からない。

 ユスティアは少しだけ俯いた。

 

「村が襲われた日、みんな逃げていきました」

 

 酒場の喧騒の中。

 彼女の声だけが妙に鮮明に聞こえた。

 

「仕方なかったんです。魔物が百体以上いました。近くにいた王国兵も撤退しました。助けに来てくれる人なんているはずがなかった」

 

 覚えている。

 オーク三十。

 ゴブリン六十。

 大型魔獣が四。

 俺の部隊は三十二人。

 援軍なし。

 本来なら、交戦すべきではなかった。

 

「でも、あなたは来た」

 

「通りかかっただけだ」

 

「命令違反だったって、後から聞きました」

 

「誰に」

 

「あなたの元部下の人です」

 

 余計なことを。

 

「ベルカさんは私を荷車から引っ張り出して、背負ってくれました」

 

「そうだったか」

 

「『泣くな。生きてるなら歩け』って言いました」

 

「怪我人に歩けとは言わん」

 

「言いました」

 

「覚えてない」

 

「私は一言一句覚えています」

 

 怖いな。

 

「それからずっと探してたんです」

 

「何のために」

 

 ユスティアは答えなかった。

 代わりに、右手を俺の前に出した。

 勇者の刻印。

 

「これが現れた時、思いました」

 

 彼女は少し照れくさそうに笑った。

 

「やっと、あなたと同じ場所に立てるって」

 

「…………」

 

「だから、一緒に来てください」

 

 俺は杯の中を見た。

 残ったエールに、自分の間抜けな顔が揺れている。

 断るべきだ。

 魔王討伐など正気の沙汰ではない。

 軍を辞めた理由の半分は、もう二度と魔族との戦争に関わりたくなかったからだ。

 人間一人の力で戦争は変えられない。

 何百回、何千回と思い知った。

 勇者が現れたところで同じだ。

 ……と思っていた。

 

「一つ聞く」

 

「はい」

 

「もう仲間はいるのか」

 

「二人います」

 

「どんな奴だ」

 

「一人は魔術師です。もう一人は斥候兼治癒術師」

 

「戦闘経験は」

 

「魔術師は冒険者歴六年。斥候の子は三年です」

 

「補給担当は」

 

「補給?」

 

「食料管理、装備修繕、行軍計画、野営地の選定、敵情収集」

 

「…………」

 

「誰がやる」

 

 ユスティアは目を逸らした。

 

「……私?」

 

「疑問形にするな」

 

「なんとかなります!」

 

「ならない」

 

 頭が痛くなってきた。

 

「魔王領まで何日かかると思っている」

 

「三か月くらい?」

 

「最短でも半年だ」

 

「えっ」

 

「山岳路を使えば冬季は封鎖される。帝国領を通れば検問がある。魔王軍支配地域に入れば街道も使えん。途中で馬も交換する必要がある」

 

「…………」

 

「野営中の見張り順は」

 

「順番に……」

 

「見張りは二名一組だ」

 

「…………」

 

「水場に魔物の死骸があった場合は」

 

「飲まない?」

 

「正解だ」

 

「やった」

 

「褒めてない」

 

 俺は額を押さえた。

 死ぬ。

 こいつら、このまま行ったら魔王に会う前に死ぬ。

 

「……一か月」

 

「え?」

 

「一か月だけ同行する」

 

 ユスティアが固まった。

 

「次の大都市までだ。そこでまともな軍務経験者を探す。引き継いだら俺は抜ける」

 

「本当ですか!?」

 

「一か月だけだぞ」

 

「はい!」

 

「絶対に抜けるからな」

 

「はい!」

 

 なぜそんなに嬉しそうなんだ。

 

「ベルカさん!」

 

「何だ」

 

「よろしくお願いします!」

 

 差し出された手。

 仕方なく握る。

 その瞬間。

 彼女の顔が真っ赤になった。

 

「……どうした」

 

「い、いえ」

 

「熱でもあるのか」

 

「ありません」

 

「顔が赤いぞ」

 

「気のせいです!」

 

 勇者が病弱でなくて何よりだ。

 

     ◇

 

「ということで、新しい仲間を連れてきました!」

 

 翌朝。

 宿の食堂で、俺は勇者パーティの残り二名と対面した。

 

「ベルカ・ツェンクハウアーだ。一か月だけ同行する」

 

「一か月?」

 

 最初に反応したのは女だった。

 長い金髪を後ろで束ねた、二十代半ばほどの魔術師。

 深緑色のローブ。

 杖は持っていない。

 代わりに腰に魔導書を吊るしている。

 

「そういう契約だ」

 

「ふうん」

 

 女が俺をじっと見る。

 妙な視線だった。

 

「何だ」

 

「いや」

 

 女は薄く笑った。

 

「どこかで会ったことある?」

 

「ないと思うが」

 

「そう」

 

 何だ。

 今の間は。

 

「私はミレーネ。魔術師。炎と雷が得意」

 

「よろしく」

 

「こっちはノア」

 

 とユスティアが指さす。

 

「よろしくお願いしまーす」

 

 小さな手が上がる。

 十二、三歳にしか見えない少年だった。

 淡い水色の髪。

 丸い大きな目。

 小柄。

 肩から下げた薬鞄。

 どこからどう見ても少年だが、妙に中性的な顔をしている。

 

「子供じゃないか」

 

「十四歳です!」

 

「子供だ」

 

「大人です!」

 

「十四は子供だ」

 

「帝国では十五歳から兵役ですよ!」

 

「ここは帝国じゃない」

 

 ノアは頬を膨らませた。

 

「それに、ボクは治癒術が使えます。斥候もできます。野草の知識もあります!」

 

「戦闘は」

 

「弓が少し」

 

「魔物を殺したことは」

 

「あります」

 

 即答だった。

 表情も変わらない。

 なるほど。

 見た目よりは場数を踏んでいるらしい。

 

「ならいい」

 

「急に扱いが変わった!」

 

「戦場では年齢より経験だ」

 

「ベルカさん」

 

 横からユスティアが口を挟む。

 

「ノアは男の子ですよ」

 

「見れば分かる」

 

「たまに間違われるので」

 

「誰が間違えるんですか!」

 

 ノアが机を叩いた。

 

「ボクはどこからどう見ても立派な男です!」

 

 言われてみれば、服装も男物だ。

 ただ顔が少女じみているだけだろう。

 

「それにボクは女の人が好きなんですからね!」

 

「聞いてない」

 

「特に年上のお姉さん!」

 

「聞いてない」

 

「胸が大きいともっと好き!」

 

「朝食時に何の話をしてるんだ」

 

 ろくなパーティじゃない。

 

「ベルカさんは?」

 

「何が」

 

「どういう女性が好みですか?」

 

 ノアが興味津々で聞いてきた。

 

「ない」

 

「またまたー」

 

「興味ない」

 

「二十七歳なのに?」

 

「軍にいた」

 

「軍人さんでも恋愛くらいするでしょ」

 

 面倒な話になった。

 

「昔のことは忘れた」

 

「へえ」

 

 なぜかミレーネが反応した。

 まただ。

 こいつ、さっきから何なんだ。

 

「ベルカさん」

 

 今度はユスティア。

 

「昔のことって?」

 

「軍の話だ」

 

「恋愛の話をしていましたよね」

 

「朝飯を食え」

 

「ベルカさん」

 

「パンが冷める」

 

「ベルカさん?」

 

 妙な圧を感じる。

 魔王より勇者の方が怖い、という話を誰かから聞いたことがある。

 昔は笑った。

 今なら少しだけ分かる。

 

     ◇

 

 出発から五日。

 勇者パーティは、思っていたよりマシだった。

 ユスティアは強い。

 強いという言葉では足りない。

 初日の夕方、街道に現れた大型のトロールを一撃で斬り伏せた。

 俺でも正面から戦えば苦戦する相手だ。

 勇者の刻印による身体能力強化。

 噂以上だった。

 ミレーネの魔術も一級品。

 炎を使う癖に周囲を燃やさない。

 戦場を知っている魔術師だ。

 ノアも足が速く、索敵能力が高い。

 それぞれ単体では優秀。

 問題は。

 

「ユスティア! 前に出すぎだ!」

 

「分かってます!」

 

「分かってる奴は一人で突っ込まん!」

 

「でも倒せます!」

 

「倒せるかどうかの話をしていない!」

 

 連携だった。

 個人能力が高すぎるせいで、全員が好き勝手に動く。

 

「ノア! 左!」

 

「分かってます!」

 

「ミレーネ、三秒後に正面へ雷撃!」

 

「三秒?」

 

「撃て!」

 

「もう撃つの!?」

 

 街道を塞いでいたオーガ五体。

 俺が一体を引きつける。

 左からノアの矢。

 右からユスティアが斬り込む。

 中央へ雷光が走った。

 五体。

 十三秒。

 全滅。

 

「……あれ?」

 

 ユスティアが剣についた血を払う。

 

「いつもより楽でした」

 

「当たり前だ」

 

「ベルカさんのおかげです!」

 

「違う。お前たちが勝手に動かなければこの程度で済む」

 

「同じことでは?」

 

「違う」

 

 俺はオーガの死骸を確認する。

 まだ動いていた一体の首に剣を突き立てた。

 

「敵は倒したと思うな。死んだことを確認しろ」

 

「はい」

 

「死体を漁るぞ」

 

「え」

 

「魔物にも金になる部位はある」

 

「勇者が魔物の死体漁りを……?」

 

「旅費は無限じゃない」

 

 ユスティアの顔が曇る。

 五日で分かった。

 こいつは勇者としては優秀だ。

 旅人としては零点に近い。

 

「ベルカさん」

 

 ユスティアが渋々と言った顔で言う。

 

「何だ」

 

「軍隊って、こんなことまで教えるんですか?」

 

「生き残る方法なら何でも教える」

 

「ベルカさんも?」

 

「何が」

 

「こうやって旅をしたことがあるんですよね」

 

「まあな」

 

「……誰と?」

 

「部隊だ」

 

「女性はいました?」

 

「いた」

 

 ユスティアの手が止まる。

 

「何人くらい?」

 

「知らん」

 

「知らない?」

 

「数えてない」

 

「数え切れないほど?」

 

「言い方に悪意があるぞ」

 

「ありません」

 

 ある。

 絶対にある。

 ミレーネが少し離れた場所で笑っている。

 

「ユスティア」

 

「はい?」

 

「そのうち胃を悪くするよ」

 

「どういう意味?」

 

「別に」

 

 何なんだ、あいつ。

 

     ◇

 

 七日目の夜。

 一行は小さな宿場町へ到着した。

 人口三百ほど。

 宿は一軒。

 酒場と食堂を兼ねている。

 

「部屋が二つしかありません」

 

 ユスティアが宿の鍵を持って戻ってきた。

 

「俺とノア。お前とミレーネでいいだろ」

 

「え」

 

「え?」

 

「いえ」

 

 なぜ残念そうなんだ。

 

「お風呂もありますよ!」

 

 ノアが嬉しそうに言った。

 

「珍しいな」

 

「温泉らしいです。男湯と女湯があります!」

 

「なら先に入ってくる」

 

「ボクも行きます!」

 

「好きにしろ」

 

 旅の汗を流せるのはありがたい。

 風呂場は宿の裏手にあった。

 木造の小屋。

 中には石造りの湯船。

 

「うわー!」

 

 ノアが服を脱ぎながら歓声を上げる。

 

「久しぶりのお風呂!」

 

「走るな。滑るぞ」

 

「大丈夫ですって」

 

「そういう奴が転ぶ」

 

 俺は湯船へ入る。

 久々に熱い湯へ肩まで浸かる。

 

「はぁ……」

 

 思わず声が出た。

 戦争が終われば毎日風呂に入れる生活をしたい。

 昔からそう思っていた。

 

「ベルカさん、背中すごいですね」

 

「何が」

 

「傷」

 

 見る必要はない。

 知っている。

 背中。

 肩。

 腹。

 脚。

 傷だらけだ。

 

「戦場にいたら増える」

 

「痛くないんですか?」

 

「昔の傷は痛まん」

 

「この大きいのは?」

 

「覚えてない」

 

「じゃあこれは?」

 

「触るな」

 

「わっ」

 

 ノアの手を払った。

 

「す、すみません」

 

「傷は触られると痒い」

 

「はい……」

 

 少ししょんぼりしている。

 

「気にするな」

 

「はい!」

 

 忙しい奴だ。

 

「ベルカさん」

 

「今度は何だ」

 

「やっぱりモテたでしょ」

 

「何でそうなる」

 

「傷だらけの元軍人で、背も高くて、顔もまあまあ」

 

「まあまあは余計だ」

 

「女の人ってこういうの好きそう」

 

「知らん」

 

「恋人いたことないんですか?」

 

「…………」

 

「その間は何ですか?」

 

「風呂くらい静かに入れ」

 

「いたんだ!」

 

「うるさい」

 

 ノアが笑う。

 俺はため息をつき、石鹸を取った。

 こいつと二人なら静かな風呂は無理そうだ。

 

     ◇

 

「ベルカさん遅いです!」

 

 風呂から上がると、ユスティアが食堂で待っていた。

 

「風呂くらいゆっくり入らせろ」

 

「お腹空きました」

 

「先に食えばいいだろ」

 

「皆で食べたかったので」

 

「そうか」

 

 一行で卓につく。

 宿の女将が料理を運んできた。

 鹿肉の煮込み。

 黒パン。

 豆のスープ。

 悪くない。

 

「お待たせしました」

 

 女将は四十前後の女だった。

 ふくよかで、人の良さそうな顔。

 

「旅の方ですか?」

 

「はい」

 

 ユスティアが答える。

 

「魔王討伐の旅をしています!」

 

「ちょっと待て」

 

「え?」

 

「大声で言うな」

 

 周囲が静かになった。

 当然だ。

 

「勇者様!?」

 

 女将が驚く。

 

「あ」

 

「旅では身分を隠せ」

 

「すみません……」

 

 だから旅人として零点なんだ。

 

「でも勇者様がこんな場所に……」

 

 女将の視線がユスティアから俺へ移る。

 

「……あら?」

 

 嫌な予感がした。

 

「あなた」

 

「?」

 

 女将が目を細める。

 

「ベルカ?」

 

 卓上が静まった。

 

「…………」

 

「ベルカ・ツェンクハウアーでしょ?」

 

 思い出す。

 顔。

 声。

 場所。

 

「……エマ?」

 

「やっぱり!」

 

 女将――エマが笑顔になる。

 

「生きてたのね!」

 

「ああ」

 

「十五年ぶりじゃない!」

 

「十年だ」

 

「同じようなものよ!」

 

 エマが俺の肩を叩く。

 

「全然変わってない!」

 

「老けた」

 

「昔から老け顔だったでしょ」

 

「失礼な奴だな」

 

「懐かしい!」

 

 笑うエマ。

 俺も少しだけ頬が緩む。

 本当に久しぶりだった。

 士官学校へ入る前。

 まだ戦争を知らなかった頃の知り合いだ。

 

「ベルカさん」

 

 横から声。

 

「ん?」

 

 ユスティアが笑顔で座っていた。

 笑顔。

 なのだが。

 目が笑っていない。

 

「こちらの女性は?」

 

「エマだ」

 

「それは今聞きました」

 

「昔の知り合いだ」

 

「どういう?」

 

「昔、世話になった」

 

「どういう意味で?」

 

 何だ、この尋問。

 

「エマの父親が宿屋をやっていてな」

 

「へえ」

 

「士官学校へ入る前にしばらく働いていた」

 

「へえ」

 

「ベルカ」

 

 エマが口を挟んだ。

 

「懐かしいわね。あなた、うちの屋根裏部屋で寝泊まりしてたものね」

 

「そうだったな」

 

「私、毎朝起こしに行ってた」

 

「寝起きが悪かったからな」

 

「そうそう」

 

 ユスティアの笑顔が固まる。

 

「毎朝」

 

「はい?」

 

「毎朝、起こしに?」

 

「ええ」

 

 エマが楽しそうに答える。

 

「若かったわねえ。私もベルカも」

 

「…………」

 

「この人ったら、初めての時なんて緊張しちゃって――」

 

 俺は咳き込んだ。

 

「エマ」

 

「何?」

 

「言葉を選べ」

 

「?」

 

 ユスティアがゆっくりこちらを見る。

 

「初めて?」

 

「違う」

 

「まだ何も聞いてません」

 

「誤解だ」

 

「何が?」

 

「今からする誤解が」

 

「ベルカ?」

 

 エマが首を傾げる。

 

「何を焦ってるの?」

 

「お前は黙ってろ」

 

「でも本当でしょ? 初めて私とやった時――」

 

 ガタン。

 ユスティアが立ち上がった。

 

「ベルカさん」

 

「待て」

 

「座ってください」

 

「お前が立っているだろ」

 

「座ってください」

 

 何だ。

 なぜ俺が怒られている。

 

「何をしたんですか」

 

「仕事だ」

 

「エマさんと?」

 

「そうだ」

 

「初めて?」

 

「そうだ」

 

「屋根裏で?」

 

「違う」

 

 ユスティアの目が細くなる。

 

「詳しく」

 

「薪割りだ」

 

「…………」

 

「は?」

 

「薪割り」

 

 沈黙。

 エマが手を叩いた。

 

「ああ! その話!」

 

「他に何がある」

 

「ベルカ、薪割りしたことなかったのよ。初めて斧を持った日に手の皮が全部むけちゃって」

 

「余計なことまで言うな」

 

「夜、私が薬を塗ってあげたのよね」

 

「…………」

 

 ユスティアの肩から力が抜けた。

 俺はスープを飲む。

 

「だから言っただろ」

 

「言ってません」

 

「誤解だと」

 

「紛らわしすぎます!」

 

「俺のせいか?」

 

「半分くらいは!」

 

「理不尽だ」

 

 エマが俺とユスティアを交互に見る。

 

「あら」

 

「何だ」

 

「彼女?」

 

 ブッ。

 ユスティアが水を噴いた。

 

「ち、違います!」

 

 勢いよく否定する。

 なぜか少し傷ついた。

 いや。

 何で俺が傷つく。

 

「ベルカさんは、その、仲間で!」

 

「そうかい」

 

「一か月だけだ」

 

「一か月!?」

 

 今度はユスティアが反応した。

 

「約束しただろ」

 

「……覚えてます」

 

 露骨に不機嫌になった。

 面倒くさい。

 

「まあ、ベルカにもようやく春が来たのね」

 

「違う」

 

「昔は女っ気なんて全然なかったのに」

 

「そうなんですか!?」

 

 ユスティアが身を乗り出す。

 何だ、その嬉しそうな顔は。

 

「ええ。女の子に告白されても全然気づかないし」

 

「なるほど」

 

「おい」

 

「私の妹なんて三年間片思いしてたのよ?」

 

 俺の手が止まった。

 

「……妹?」

 

「覚えてない?」

 

「誰だ」

 

「レティシア」

 

「…………」

 

 名前を聞いた瞬間。

 記憶が蘇った。

 栗色の髪。

 いつも宿の裏庭で本を読んでいた少女。

 俺より二歳年下

 ある夏の日。

 祭り。

 川辺。

 そして――

 

「ベルカさん?」

 

 ユスティアの顔が肉薄する。

 

「…………」

 

「今の間は何ですか?」

 

「何でもない」

 

「ベルカさん?」

 

「飯を食え」

 

「こっちを見てください」

 

「鹿肉が冷める」

 

「ベルカさん」

 

「…………」

 

 逃げられない。

 勇者の刻印が淡く光っている。

 なぜ光る。

 それ、魔王と戦うための力じゃないのか。

 

「エマさん」

 

 ユスティアが笑顔で尋ねる。

 

「妹さんとベルカさんは、どういうご関係だったんですか?」

 

「あら?」

 

 エマが少し考える。

 

「そうねえ」

 

「エマ」

 

 嫌な予感しかしない。

 

「余計なことは言うな」

 

「何よ」

 

 エマは楽しそうに笑った。

 

「ベルカの、初恋の相手よ」

 

 静寂。

 食堂から音が消えた気がした。

 

「…………」

 

 ユスティアが俺を見る。

 

「ベルカさん」

 

「違う」

 

「まだ何も聞いてません」

 

「違う」

 

「何がです?」

 

「全部だ」

 

「全部?」

 

「全部だ」

 

 エマが首を傾げる。

 

「でもキスくらいはしたわよね?」

 

 やめろ。

 

「…………」

 

「ベルカさん?」

 

 この時。

 

 俺は初めて理解した。

 魔王討伐の旅というものは、おそらく俺が想像していた以上に過酷なのだ。

 魔族。

 魔王軍。

 死の大地。

 魔王城。

 そのどれよりも。

 今、俺の隣に座っている勇者の方が怖い。

 

「説明」

 

 ユスティアが微笑む。

 

「していただけますよね?」

 

 逃げたい。

 心の底から。

 逃げたい。

 だが俺は知っている。

 戦場では、背中を見せた者から死ぬ。

 

「……長い話になる」

 

「夜は長いですから」

 

 にっこり。

 その笑顔に。

 俺の胃が、きりきりと痛み始めた。

 魔王との戦いが始まるより、ずっと前に。

 俺の地獄は始まっていた。




こんな感じでいっぱい元カノっぽい人が出てきます。
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