-10??話
『だから先生、どうか──』
「……っ!」
肌に張り付く汗が気持ち悪い。
薄暗いコンクリートに囲まれた部屋で、先生は目を覚ました。
『大丈夫ですか』
眠っている間も腕に抱えたままだった端末から、心配そうな声が響く。
『……ひどく、魘されていました。また、例の夢ですか?』
「まあ、ね。そんなとこ」
慣れた風に言い返す。
端末の中の白髪の少女も、その気のない返事にほんの少しだけ顔を顰めた。
けれど、それ以上追及することはなく、静かに口を閉ざす。
「お目覚めになられたようで」
不意に、出入口に男が立っていた。
音もなく。
黒いスーツに身を包み、スーツの黒と大差ない、ひび割れた漆黒の顔面。
明かりのない部屋では、闇と同化してしまいそうなほどの姿だった。
「準備は滞りなく。あとは先生のみです」
カツ、カツ、と革靴が地面を鳴らす。
その音とともに、男──黒服は先生の目の前まで歩み寄った。
「覚悟は、おありで?」
挑発するような言葉。
少なくとも、先生にはそう聞こえた。
「……とっくにね」
「クク……では、こちらに」
先生は素直に黒服の後をついていく。
その足取りは、いつもより早かった。
落ち着きがない。
まるで、焦燥に駆られているかのように。
***
「ここに辿り着くまでに、かなりの月日を要しました」
導かれた先。
大きな広間の中央に佇む、巨大な機械。
それを感慨深そうに見上げながら、黒服は呟いた。
「様々な遺物を用い、解釈を捻じ曲げ、曲解し……ようやく、実を結んだ」
そこまで言うと、黒服は先生へ視線を向ける。
「ですが、やはり開発に大きく影響したのは、あなたの持つその箱、です」
「へぇ」
「クックック……相変わらずつれませんねぇ。端末相手だと、あれほどおしゃべりだというのに」
「……さっさと説明しろ。この装置で、どうやって過去に戻る?」
切羽詰まった様子で問いかける。
この装置を待ち望んでいたのは、他でもない先生なのだから。
「簡単です。あそこのシャトルに入り、私がここでスイッチを押すだけ」
「確証はあるのか?」
「いえ、全く」
「はあ?」
先生の素っ頓狂な声が、広間に木霊した。
その反応を楽しむように、黒服はくつくつと喉を鳴らす。
「無機物や小動物で試した結果としては、どちらも反応が消失しました。ピットを確認した時には、もぬけの殻」
「……つまり、どこに飛ばされたのかなど、当人にしか分からない。ただ──どこかへ飛ばされる、ということだけは確実です」
「なら……」
先生の言葉を遮るように、黒服はさらに続ける。
「ですが、飛ぶ座標や時間も調整できます。理論上は。その点は安心してください」
「まあ、『理論』という言葉から一番遠い技術ばかり用いていますが」
先生は、もう一度機械へ目を向けた。
この装置で、救える。
あの子たちを。
そして──
⬛︎⬛︎⬛︎も。
「やめますか? 正直、私にもどうなるか分かりません」
「……いや」
先生は迷うことなく答えた。
「装置を起動してくれ。今すぐ飛ぶ」
「せっかちですねぇ。この世界に未練などないのですか?」
心底呆れた様子の黒服に、先生は向き直る。
そして、真っ直ぐに言い放った。
「ない。この子も連れていけるんだろ」
「ええ、まあ。同乗してもらいますので」
「なら、ない」
黒服は「はぁ」と一つため息をついた。
呆れは、さらに加速したようだった。
「では、お望みの通り起動します。シャトルに入ってください」
数々のケーブルやパーツを避け、淡い白い光を放つシャトルへ、先生は足を踏み入れた。
「大丈夫。私はいなくなんてならない」
返事のない端末。
銃弾でぼろぼろになった液晶を、先生はそっと撫でる。
そして、端末を懐へしまった。
「さて、これ以上の口出しも余計でしょう。あと一分で起動します」
黒服がスイッチを押した。
ごう、と低い機械音が鳴り始める。
目の前の液晶に、残り時間が表示された。
「黒服」
名前を呼ばれ、黒服が顔を向ける。
「なんでしょうか? まさか、今になって怖気付きましたか?」
「ありがとう」
黒服は目を見開いた。
まさか、感謝の言葉を掛けられるとは思っていなかったのだろう。
「ククッ……クックック。ええ、どういたしまして」
猶予は残り僅か。
三十秒を切った。
「やはり先生、あなたは面白い」
黒服は笑う。
「先生ならば、この捻れて歪んだ先の終着点とは違った結末へと...」
『先生』
少女の声がした。
「……どうしたの?」
『……いえ』
少しの沈黙。
『なんでも、ありません』
「・・そう」
白く染まっていく意識の中。
最後まで、あの男の声だけが嫌に鮮明に頭へ響いていた。
「ククッ...あなたの望む未来に繋がる道は、きっと見つかるでしょう」
「だから先生、どうか──」
完結してるのは頭の中だけ