シェルターから出なければよかった。
そう思いながら私はゾンビの群れに追いかけられています。彼らの腐った身体からは酷い腐臭が漂ってきます。むき出しの歯が生えている口からは、よだれと血がとめどなく溢れています。あの歯で噛まれたら痛そうだなと、この非常時に呑気に考える自分の冴えた脳みそが酷く恨めしいです。
「だれか助けてっ」
思わず小さく叫びます。あんまり大声を出すとゾンビが寄ってくるので小さな声で。しかし小さすぎる声では、もし助けてくれそうな人がいても気づいてくれるかどうかわかりません。大きくもなく小さくもなく。この塩梅が大事です。
しかし悲しいかな、助けが来る様子はありません。むしろゾンビの数が増えて電車ごっこのように次々と後ろの方に合流してきました。残念ながら人生の終点は近そうです。
「あっ」
後ろを見ながら走っていたせいで、空き缶を踏んで転んでしまいました。そのうえ足首をくじきました。ですが痛みはありません。アドレナリンとやらがドバドバ出ているのでしょう。小学生の中でもトップレベルのクソザコな身体能力を恨みます。
走馬灯のように過去の記憶が蘇ってきました。両親が海外に出張中にゾンビパンデミックが発生。自宅の核シェルターに隠れて数ヶ月。そろそろ大丈夫かなとシェルターから出た瞬間、ゾンビ化したお隣さんとこんにちは。走って逃げて今に至る、というクソみたいな走馬灯でした。
ゾンビたちが追いついて私に噛みつこうと大きな口を開けるのが見えました。思わず目を瞑ります。できれば楽に殺して欲しいものです。
「待てーい!」
突然大きな声とともに、ブロック塀の上から女子高生が現れました。金色の癖っ毛を肩まで伸ばした綺麗な女性でした。その手にはバールのようなものが握られています。
「か弱い少女を集団で襲うとは卑怯なり! とうっ!」
バールを持った女子高生がブロック塀から勢いよく飛び降り。
そのまま足首をくじいて転びました。
「は?」
思わず私は実家のような低い声が出てしまいました。
ゾンビの群れの真っ只中にヒーロー着地をしようとして、失敗した女子高生がゾンビに群がられています。どうやら肋骨が浮き出るほどガリガリな小学生の私より美味しそうに見えたのか、女子高生の方にゾンビが流れていきます。あ、今噛まれました。女子高生は「話せばわかる」や「やめっやめろー」とか言いながら美味しく頂かれてしまいました。あれはもう助からないでしょう。
今のうちに逃げればよかったと思いましたが、後の祭りです。
「伏せていろ」
後ろから突然の声。振り返るとそこには栗色の髪の毛をポニーテールにした女子高生Bが現れました。ちなみにゾンビに食べられた女子高生はAとします。
女子高生Bは持っていたスレッジハンマーでゾンビたちを薙ぎ払います。スレッジハンマーが振るわれるたびに脳みそや内臓が飛び散り、小学生の私にはキツいゴア表現が目の前で繰り広げられています。思わず吐きそうになりますが、乙女の意地でそれを我慢します。
ものの数分ですべてのゾンビが肉塊になりました。乙女の意地は限界かもしれません。今にも吐きそうです。
「怪我はないか?」
女子高生Bが血と肉片だらけのスレッジハンマーを担ぎながら聞いてきます。
「は、はい。おかげさまで助かりました」
精一杯、媚びた声で感謝を伝えます。女子高生は「そうか」と一言だけ言うとゾンビの中にあった女子高生Aの死体を見つけました。その死体に歩み寄ります。
「あ、あの! その方が引き付けてくれたおかげで助かりました」
「そうか。こいつも役に立ったか」
女子高生AとBは友人だったのでしょう。静かに黙祷を捧げています。
死に方は間抜けでしたが、この方のお陰で助かったとも言えます。私もご遺体に感謝の言葉を捧げようとした次の瞬間。
「ふん!」
グシャ、と女子高生Aの亡骸の頭部にスレッジハンマーが振り下ろされました。
「え、えぇー!?」
私は混乱して叫びます。そして乙女の意地は限界を迎えました。嘔吐します。
「こうしないとゾンビになるからな。大丈夫か?」
女子高生Bはそういいながら私の背中を擦ってくれます。情緒も常識もおかしくなりそうです。まるでDV彼氏のようです。
「おい。きなこ。何してんだ早く来い」
突然女子高生Bが誰かに話しかけます。他に誰かいるのでしょうか。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あずき! あなた達のように身体能力が高くないんだから!」
ブロック塀の向こう側からきなこと呼ばれる女子高生Cが現れました。黒髪ロングの女子高生が、荒れた呼吸をしながらブロック塀をよじ登ろうとしています。背中には規制されたはずのクロスボウを背負っています。
「お前が遅れたせいでこむぎがやられたぞ」
「いや、こちらから見てたけど勝手に飛び降りて勝手に死んだだけじゃない」
どうやらゾンビに食べられた挙げ句、脳天を潰された女子高生Aはこむぎさんと言うそうです。こむぎさんのお陰で助かったようなものなので「ま、まあそのおかげで私は助かりましたので……」と一応フォローを入れておきます。
きなこさんはそう言う私の方を向いて固まりました。なんででしょうか。
「あ、あなた大丈夫? け、怪我してない?」
先程までの凛とした話し方ではなく、突然吃った話し方に変貌しました。何故に。
「え? あ、はい大丈夫です」
「そ、そう。な、なら良かったわ」
「気をつけろ少女よ。そいつ、きなこは同性愛者のロリコンだ」
即座に女子高生Bあらため、あずきさんの後ろに隠れます。きなこさんはものすごい眼力で私のことを目で追います。性癖は人それぞれですが正直気持ち悪いです。
「というか友人が亡くなられたのに皆さんドライ過ぎやしませんか……?」
つい思っていた言葉が口に出てしまいました。その言葉にあずきさんときなこさんが顔を見合わせます。まずったでしょうか。謝罪する言葉を考えます。
「いつものことだ」
「い、いつものことよ」
なんてことでしょう。ゾンビパンデミックから数ヶ月、女子高生たちの心はここまで擦れてしまったようです。私は絶句します。
「今回は遠征帰りだったが、普段通らない道を選んで正解だったな」
「そうね。そのおかげでこの子の声が聞こえたわけだし」
「偶にはこむぎも役に立つときがあるんだな」
「ええ、そうね。全くだわ」
なんとこの状況で世間話を始めましたよ。この二人。コミュ症の私は会話に混じれず、かと言って一人で行動できないまま数分が経ちました。その時です。
「おーい!」
遠くからどこかで聞いた声。振り返るとそこには一糸まとわず全裸の姿でこちらに走ってくる笑顔のこむぎさんの姿が。
「え? え? ……え?」
私の脳はフリーズします。
「リスポーンしたならさっさと来い。夜になるだろ」
「そうよ。反省しなさい」
「酷い! 全裸でリスポーン地点の学校からここまで全力で走ってきたのに!」
三人が当たり前のように会話します。私はさも当然のように行われる会話についていけません。リスポーン地点とは何のことでしょうか。
「いや、予備の服を着てくればいいだろ」
「シャラップ! 私のお陰でこの娘が助かったんだよ! というか君!」
私が指さされました。私はハッとします。
「は、はい?」
「お名前教えて!」
こむぎさんが笑顔で詰め寄ってきます。全裸で。ここに常識人はいないのでしょうか。
「まず死体から服を回収しろ馬鹿者」
あずきさんがこむぎさんのお尻に蹴りを入れます。こむぎさんは「いったーい!」と言いながら飛び跳ねます。ものすごい音だったので相当痛いことでしょう。
「お、お嬢さん、お名前は何ていうの? 教えて頂戴」
「ひっ。し、しぐれと申します」
素早く距離を詰めてきたきなこさんの問いかけに、私は再びあずきさんの後ろに隠れて自己紹介します。「しぐれ。いい名前ね」ときなこさんは褒めてくれますが、下心を感じるので全然嬉しくありません。
「いてて……しぐれちゃんは今までどこにいて、何回死んだの?」
服を着たこむぎさんが自分のお尻を擦りながら話しかけてきました。
しかしその質問の内容は意味不明でした。
「核シェルターに数ヶ月いましたが……何回死んだのっていう質問の意味がわかりません」
当然です。人間は一回しか死ねません。
「文字通りだよ。死んだ回数。ちなみに私はさっきので十回目!」
そう言ってこむぎさんは笑います。この人は何を言っているのでしょうか。やはりゾンビパンデミックのせいで心を病んでしまっているのでしょうか。そうだとしたらこの発言も無理はありません。
「しぐれ。こむぎがさっき死んだところを見ていたろ。あれが現実だ」
あずきさんまで妙なことを言い出します。確かにゾンビに飛び込んで食べられた人にそっくりですが、双子の可能性などがあります。同一人物だとは思っていません。
「ま、まあ信じられない気持ちもわかるわ。私も最初はそうだったもの」
きなこさんまで。どうやら皆おかしくなってしまっているようです。
「皆さん一体何の話をしているのですか!」
私はついに大声を上げて抗議します。三人して私をからかっているのでしょうか。さすがの私も激おこモードです。
「しぐれ。はっきり言おう。この世界はゲームの世界だ」
あずきさんが突拍子もない事をいいます。
この世界がゲームの世界。漫画やアニメの見すぎではないでしょうか。一度病院で受診することをおすすめします。もっとも病院はもう機能していないでしょうが。
「疑うのなら自分の頭の上をよーく見てみろ。HPバーがあるだろ」
あずきさんがそう言って頭の上を指差します。
そんなあからさまにゲームみたいな演出があってたまるものですか。私は私の正常さを見せつけようと上を見ます。
赤と緑のシンプルなバー。わずかに減っているのはさっき転んだせいでしょうか。
「……あるー!?」
私は思わず大声を上げてしまいました。