私の眠りは突然の絶叫にて阻まれました。
冷房の効いた職員室で私は目を覚まします。時刻は午前四時半頃でした。窓からは日の出が見えます。しかし外からは絶え間なく絶叫が響いてきます。なんだなんだと皆が目を覚まします。どこの馬鹿がこんな時間に騒いでいるのでしょうか。私は窓の外を覗き込みます。
校門の前で一匹のゾンビが絶叫していました。何をしているのでしょう。
「朝っぱらからうるせーな。何だあいつは。ゾンビか?」
なめこさんが窓から校門の方を眺めながら言います。
「うるさくて眠れないよ。あずき。黙らせてきてくれないかい?」
くるみさんが枕を持ちながら言います。
「わかった。任せろ」
あずきさんがスレッジハンマーを持って職員室から出ていきます。すぐに昇降口から走って出てきたのが見えました。校門に駆け寄り、騒いでいるゾンビを叩き潰そうとします。
しかしそれを見るとゾンビは絶叫を止め、あずきさんから距離を取り始めました。なかなか素早い動きです。遠くに離れたのであずきさんが諦めて戻ります。すると、ゾンビは再び校門前に戻ってきて絶叫を再開しました。あずきさんが怒った様子で再びダッシュで校門に向かいます。あ、また逃げた。これではイタチごっこです。
その様子を見て、私には心配事が浮かんできました。
「こんなに叫ばれたら周りのゾンビが来ないでしょうか」
そう呟きます。その呟きが聞こえていたのか、くるみさんがハッとします。
「皆起きて! 戦闘準備! 校庭に集合!」
くるみさんの張り詰めた声が職員室に響きます。
「え、え? どうしたの?」
寝ぼけ眼だったこむぎさんが飛び起きます。
「説明は後! 武器を持って! ゾンビが来るよ!」
その一言で空気が変わりました。皆が慌ただしく立ち上がります。私は教室から槍を持ってきていたので、それを握り締めます。
なめこさんは釘バットを肩に担ぎ、あくびを一つ。
「寝起きで戦闘とか勘弁してくれよ……」
「文句言ってる場合じゃないわ」
きなこさんがクロスボウの弦を引きながら言います。
さおりさんは散弾銃を折って中を確認し、二発の散弾を装填しました。
「ほんまに来るんやろかぁ……」
不安そうに呟きます。
皆が校庭に向かうと、あずきさんは既に昇降口まで戻ってきていました。肩で息をしています。どれだけ全力で追いかけたのでしょうか。
「逃げ足の速い個体だった。普通のゾンビではない」
「やっぱり……」
くるみさんが険しい表情になります。
「校庭へ!」
全員で昇降口から外へ飛び出しました。早朝の風は少し涼しいはずなのに、妙な熱気を感じます。校門の前では、あのゾンビがまだ両腕を広げて絶叫を続けていました。耳を塞ぎたくなるような甲高い叫び声です。本当に喧しいです。
「ほんっと腹立つ叫び声だな」
なめこさんが顔をしかめます。
「きなこちゃん!」
「わかっているわ」
きなこさんが静かにクロスボウを構えます。ゆっくり照準して呼吸を整えます。夜を裂くように矢が飛びました。
しかし。
「避けた!?」
くるみさんが驚きます。矢は地面へ突き刺さります。絶叫ゾンビは人間のような俊敏さで横へ飛び退いていました。矢を避けるとか忍者ですかね。
「普通のゾンビじゃないわね」
きなこさんがそう言います。
その瞬間でした。遠くの住宅街から。あちこちから唸り声が聞こえてきます。それは一つ、二つではありません。時間が立つごとに共鳴するようにどんどん増えていきます。地面まで微かに震え始めました。
「……え。マジ?」
こむぎさんの顔から笑顔が消えます。
街から次々と人影が現れました。四方八方からゾンビが歩いてきます。
「う、うそ……」
私は思わず後退ります。今まで見たことのない数です。百体では利きません。何百というゾンビが絶叫を目印に一直線に学校へ向かってきていました。ゾンビのブラックフライデーです。
「フェンスに来るよ!」
くるみさんが叫びます。
次の瞬間。一体目が金網フェンスへ体当たりしました。次々と後続のゾンビが体当たりをして金網一面がゾンビで埋め尽くされます。
無数の腕が金網を掴み、揺らし、押し寄せます。学校が完全に包囲されました。誰もが言葉を失います。
「……冗談だろ」
なめこさんが乾いた声を漏らしました。
「こんなん映画やん……」
さおりさんも散弾銃を握る手が震えています。
あずきさんだけは静かにスレッジハンマーを構えました。
「来るなら迎え撃つだけだ」
その一言で皆が我に返ります。流石切り込み隊長です。
「フェンスが破られたらまずい! ゾンビの多いとこから防衛して!」
くるみさんの号令と同時に、学校始まって以来最大の防衛戦が幕を開けました。
♢
「北側は私となめこちゃん!」
くるみさんが素早く指示を飛ばします。改造ネイルガンでは致命打にならないと判断したのか、農業用のつるはしに持ち替えています。
「しぐれちゃんとこむぎちゃんはプールのある南側! あずきとさおりときなこちゃんは校門のある東側!」
全員が散開します。私はこむぎさんと並び、校庭南側の金網フェンスへ走りました。フェンスの向こうでは、何十体ものゾンビが金網へ張り付き、腕を伸ばしています。
「帰ってください!」
槍を突き出します。金網の隙間から穂先が頭へ突き刺さりました。何度も何度も反復練習のように槍を突き出します。ゾンビは次々と倒れていきます。
「ははっ! 今日は殴り放題だー!」
隣ではこむぎさんがバールの先端を金網へ叩きつけ、近寄ったゾンビの頭を潰しています。どうやら血に酔っているようです。
「こむぎさん! 返り血に気をつけてくださいよ!」
「分かってるって――ウェ。口になんか入った」
「大丈夫なんですかそれ!?」
「多分大丈夫だいじょーぶ!」
こちらの数はそう多くありません。回りの様子を見回してみます。
校門のある東側では、あずきさんのスレッジハンマーが唸りを上げるたび、ゾンビが脳漿をぶちまけて倒れます。金網がひしゃげますがお構いなしです。
きなこさんのクロスボウが、フェンスによじ登ろうとする器用な個体を正確に撃ち抜いていきます。
散弾銃も火を吹きました。さおりさんの一撃で金網の向こうのゾンビが数体まとめて倒れます。本来クレー射撃に使う弾は小さい散弾で、ゾンビには大した効果がないそうです。なので私が学校に来る以前に、家から父の狩猟用の弾薬を持ってきていたそうです。
「まだまだ来るえ!」
倒しても倒しても、住宅街の隙間から新しいゾンビがやってきます。
「減ってない……?」
私は思わず呟きました。倒した数よりも押し寄せる数の方が明らかに多いのです。
「くるみ!」
きなこさんが叫びます。
「いくら倒しても補充されているわ!」
くるみさんは絶叫を続ける特殊個体へ視線を向けました。校門の向こう、少し遠いところでまだ両腕を広げて叫び続けています。
「……あいつだ」
その瞬間、さおりさんが散弾銃を閉じました。
「くるみちゃん!」
さおりさんが叫びます。
「どうしたの!?」
「職員室にスラッグ弾置いてあるんよ!」
全員がさおりさんを見ます。
「狩猟用に持ってきといたんよ! 数は少ないけど、あれなら届く!」
「お願い!」
「任しとき!」
さおりさんは校舎へ駆け込みます。残された私達は必死に時間を稼ぎました。
「通すな!」
あずきさんの怒号。スレッジハンマーがフェンス越しに振るわれます。衝撃でゾンビたちが将棋倒しになります。
「うおおっ!」
なめこさんも負けじと、金網を広げて突き破ろうとしているゾンビに釘バットを振るいます。
しかし、校門側の金網を支える支柱が少しだけ内側へ傾きました。
「まずい」
くるみさんがゾンビの頭部からつるはしを引き抜きつつ、校内へ撤退するか躊躇しています。その時でした。
二階の職員室の窓が開きます。さおりさんが散弾銃を窓枠へ預け、静かに構えていました。数秒の照準。引き金を引き、乾いた銃声が空へ響きました。
校門前、他のゾンビに紛れていた絶叫ゾンビの頭部が弾け飛び、その場へ崩れ落ちます。叫び声が止みました。ほんの一瞬だけ場が静寂を包みます。ゾンビ達は動きを止めます。
「やった!」
私は叫びます。
ですが、既に集まったゾンビは消えません。数百体がなおも金網を押し続けています。金網はそんなゾンビの攻勢をなんとか耐えています。
「増援は止まった! 後は掃討戦だよ!」
くるみさんが皆の士気を上げるために叫びます。そこへあずきさんがやってきました。
「校舎裏のフェンスが心配だ。私が裏を見てくる」
あずきさんが言いました。
「校舎裏が無事なら、まだ持ちこたえられる」
「気を付けて!」
返事も待たず、あずきさんは校舎裏へ走っていきました。
私達はその間も必死に防衛を続けます。永遠にも感じる時間が過ぎます。それでも確実に数は減っています。もう少しの辛抱です。
「あと少しだよ! 踏ん張って!」
くるみさんが声を張ります。
「おう! おらぁっ!」
なめこさんの釘バットが金網越しにゾンビの額を叩き割ります。返り血を浴びようがお構いなしです。
「えいっ!」
私は機械のように正確に槍を突き出します。ぷすっ。ぷすっ。ぷすっ。なんだか工場で流れ作業をしているような気分です。ぷすっ。ぷすっ。ぷすっ。一定のリズムでゾンビの頭に穴を開けていきます。刺して。抜いて。刺して。抜いて。刺して。抜いて。
「しぐれちゃんが無意識でゾンビを倒してる!?」
「刺して。抜いて。刺して。抜いて――ハッ!?」
「大丈夫!? しぐれちゃん死んだ目をしていたよ!?」
「なんだか働いたこともないのに、ライン工をしている気分になっていました……」
その時でした。
「くるみ!」
校舎裏からあずきさんの声が響きます。
振り向くと、あずきさんが左腕から血を流しながら走ってきました。
「噛まれた!」
「えっ!?」
「校舎裏の一部フェンスが破られた! 物量で押し切られた!」
見ると校舎脇から五十体ほどのゾンビが校庭へ雪崩れ込んできます。
「まずい!」
くるみさんの表情が曇ります。
「数は!?」
「全部で百前後! もう後続はいない! これが最後だ!」
最後。その言葉に少しだけ希望が見えました。ですが。
「百体でも十分多いよ!」
くるみさんが叫びます。
正面にもまだ百体近く残っています。挟み撃ちの状態です。このままではまずいと思ったその時でした。
――ブォォォォォン!!
突然、校舎のガレージからエンジン音が響きます。
「え?」
次の瞬間、ガレージのシャッターを突き破って軽トラックが飛び出しました。
「こむぎ様のダイナミックエントリーだぜぇ!」
「えぇっ!?」
運転席にはこむぎさん。……いや、こむぎさんは今まで私の隣にいたはずでは?
「さっき乗り込んどいた!」
「心を読まないでください! というかいつの間に!?」
「しぐれちゃん! なめこちゃん! 乗れー!」
「面白そうじゃねえか!」
なめこさんが真っ先に荷台へ飛び乗ります。
「私もですか!?」
「早く!」
言われるまま荷台へ飛び乗ると、軽トラックはそのまま校舎裏から来たゾンビへ一直線。
「どけどけぇ!」
先頭のゾンビがボウリングのピンみたいに吹き飛びました。
「うおおっ!」
荷台のなめこさんが立ち上がり、通り過ぎざまに釘バットを振り回します。ゾンビの頭部が明後日の方向に吹っ飛んでいきます。
「ホームラン!」
「ナイスショット!」
楽しんでいる二人の傍ら、私は荷台から必死に槍を突き出します。思った以上に揺れます。
「こむぎさん! もう少し安全運転で!」
「ゾンビ相手に安全運転なんてあるかぁ!」
「車ぁぁぁ!」
くるみさんの悲鳴が校庭へ響きました。
「バンパー! フェンダー! お願いだから壊さないでぇぇぇ!」
「ヒャッハー! バンパーはぶつけるためのもんだぜー!」
くるみさんの叫びも虚しく、こむぎさんが叫びながらゾンビを跳ね飛ばしていきます。
そんな混沌の中。一体のゾンビが器用にもボンネットへ飛び乗りました。まるでアクション映画です。
「うわっ!」
そのままフロントガラスを拳で叩き割ります。ガラスが飛び散りました。
「こむぎさん危ない!」
私が叫んだ瞬間。ゾンビが運転席へ身を乗り出し――ガブッ。
「いったぁぁぁ!」
こむぎさんの腕に噛み付きました。
一瞬だけ静まり返ります。
「……」
「……またか」
「……よくもやったなぁぁ!」
こむぎさんは片手でハンドルを押さえたまま、もう片方の腕でゾンビの首根っこを掴みました。
「人の車壊しやがってぇぇ!」
「そっちかよ!?」
そのまま風通しの良くなったフロントからゾンビを豪快に放り投げます。ゾンビはそのまま軽トラックに踏み潰されました。
「まだまだぁ!」
軽トラックは校庭を縦横無尽に走り回ります。荷台ではなめこさんが笑いながら釘バットを振るい、私は必死に槍を突き出し続けました。
気付けば校庭には動かなくなったゾンビばかりが転がっています。
「……終わった?」
私は肩で息をしながら辺りを見回します。もう立ち上がるゾンビは、どこにもいませんでした。
♢
「また噛まれちゃったよー……最悪ー」
「油断した」
防衛戦で噛まれたあずきさんとこむぎさんが畑の横に座っています。
「言っては何だがこの程度の被害で助かった。夜だったら全滅もあり得た」
あずきさんはそう言いながら周りを見ます。傾いたフェンス。破られかけの金網。
そこいら中に転がっているゾンビの死体。大激戦の後でした。
「ねーねー。私の死体って畑の養分になるかな?」
「やめてください。食欲がなくなります」
私はこむぎさんに言います。
「人間もゾンビも肥料にはならんよー。そりゃ何年もかければ大丈夫やけど」
さおりさんがやんわり否定します。
「はぁ。あずきとこむぎちゃんの見張りと介錯は僕がするから皆はゾンビの後片付けをお願い。校門前にでも置いておいて。そうすれば一日で勝手に消えるから」
くるみさんがベコベコにへこんだ車を見ながら言います。「直るかなぁ……」と呟いています。
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。不思議なことに。ゲームみたいな世界だからね。処理落ち防止だったりして?」
くるみさんがそう言います。だとしたら現実よりはいくらか楽かもしれません。
♢
「さて」
くるみさんがパン、と手を叩きました。
「片付けも終わったし、反省会をしようか」
皆が畑の近くへ集まります。戦闘の疲れもあって、その場へ座り込む人ばかりです。校庭にはまだ金網の歪みや、壊れたフェンスが戦いの跡として残っていました。
「まず良かった点。死人ゼロ」
「いや、あたしとあずきちゃん死ぬ予定だけど?」
こむぎさんが腕の噛み跡をひらひらさせます。
「まだ生きてるからゼロでいいの」
くるみさんが即答しました。
「あと絶叫する個体がいることもわかったわ」
きなこさんが静かに言います。
「遠距離武器がないと倒しにくい相手ね」
「ほんまやなぁ。普通のゾンビと違って逃げるんやもん」
さおりさんもうんうんと頷きます。
「フェンスも思ったより丈夫だったな」
あずきさんが金網へ視線を向けました。
「でも壊れたよ?」
こむぎさんが指差します。
「壊れたけど、あれだけの数を相手によく耐えてくれたよ」
くるみさんが苦笑しました。
「次の襲撃までには補強しよう。支柱を増やして、金網も二重にしたい」
「木材ならまだホームセンターにあったぜ」
なめこさんが言います。
「校門にもバリケードを作った方がいいかもしれないね」
「落とし穴とか作る?」
こむぎさんが目を輝かせます。
「僕が落ちそうだから却下」
くるみさんが真顔で返しました。……それは否定できません。
「校舎裏にも見張りが欲しいわね」
きなこさんが周囲を見回します。
「今回みたいに裏から破られたら気付くのが遅れるもの」
「交代で見張りを立てるのも必要やなぁ」
さおりさんも続けます。
「夜勤かぁ……」
なめこさんが空を見上げました。
「寝不足で戦うの嫌なんだけど」
「私もです」
心から同意します。少しだけ笑いが起こりました。ですが、その空気はすぐに静まります。
「あと、一つだけ」
くるみさんが噛まれた二人を見ました。
「二人とも、ごめんね」
「何が?」
こむぎさんが首を傾げます。
「ゾンビになったら……ちゃんと倒すから」
一瞬だけ空気が止まりました。シリアスな空気なので黙ります。
「あー、その話か」
こむぎさんはあっさり笑います。
「別にいいよ。いつものことだし」
「ああ」
あずきさんも静かに頷きました。
「ゾンビ化したままではリスポーンできない。誰かが倒さないと戻れないからな」
その言葉を聞いて、私は絶句しました。
「そうだったんですか!?」
「言ってなかったっけ? そうなのだよしぐれちゃん」
こむぎさんが軽く言います。
今までは誰かが生き残っていたから、ゾンビになった人を倒して助けられました。
でも、もし。もし今日、全員が噛まれていたら。全員がゾンビになってしまったら。誰がゾンビになった皆を倒すのでしょう。誰も倒せなければ、誰一人、リスポーンできない。それはつまり――。
「……」
背中を冷たいものが流れました。夜明けの太陽は暖かいはずなのに、私だけが寒気を覚えていました。
この世界は、まだまだ私達の知らない『ゲームオーバー』を隠しているのかもしれません。