週末からの連休を利用して二泊三日で温泉へ行くという高町家の面々。
お人好し度が高過ぎる高町一家全員の、妾も一緒にというお誘いを丁寧に固辞。
計画のためとはいえ住まわせて貰って、しかもその迷惑料も感謝料も受け取らず、その上一家水入らずの旅行にまで同行などと、図々し過ぎて胃に穴が開く。
今回行く温泉旅館でジュエルシードが発動するのは妾も承知しているので、妾は妾で別ルートで現地入りする予定だったのだ。
ちなみにだが、お金は受け取れないというので、スザクと共同でアウグストゥス名義で新鮮な食材や調味料を贈っておいた。既に郵送された物でもあるので、困った風な顔をしながらも確かに喜んでもらえたようで何より。
しかしこちらが引けば引くほど乗算でパワーアップするのが高町という家族の流儀らしい。
最終的に――
「アルちゃんは、私たちと温泉はいや?」
「そうなの、アルちゃん?」
「ふぇ……。お友達になれたと思ったのに……」
という女性陣三人の涙目による強迫と、その後ろで「この涙を見てもことわるのな……わかるね?」みたいな、殺気というのも烏滸がましいような見えて触れる濃密なナニかを放つ二人の男に白旗を上げざるを得なかった。良心の呵責と命の危機って同時に味わえるものじゃないはずなんだが……。
ともあれ、なし崩し的にだが二泊三日の温泉旅館へと旅立つことになったのだが――。
「あら、やっぱりアンタも来たのね」
「こんにちは、アルくん」
当日。高町家の前にすずかとアリサが迎えに来たのだ。
降って沸いた望外の幸運に混乱しがら後ろを振り返ると、苦笑気味のなのはが口を開いた。
「えっと、アリサちゃんやすずかちゃんも一緒って、言わなかったっけ……?」
「……聞いておらんぞ」
「にゃ、にゃははは」
笑えば許されると思っているのかその通りだ! むしろ怒ってないしな!
サプライズプレゼントにも似たこの状況の何処に怒る要因があるというのか。
「なによ、あたしたちが居ちゃいけないのっての?」
「そんな事はない! ただ驚いただけだ。聞いてなかったのでな」
「なのはちゃん、ちゃんと説明しなかったの?」
「にゃははは、したような気がしてたんだけどなー」
胃へ掛かるストレスを気にしなければならなかった二泊三日が、急に魅力溢れる旅路へと昇華された。なんという僥倖。あとはこれを上手く活かして、未だに微妙な距離感のすずかとちょっとでも親しくなれれば良いのだが……。
大人組を待ちつつ、談笑している三人へと目を向ける。
「あ、」
それはどちらのものだったか。
妾が彼女ら――正確にはすずかへと視線を向けるのと同じく、チラッと妾を見るすずかと目があった。
思わず、反射的に首から異音がするほどの勢いで目を反らしてしまう。
うーあーやっばい。鏡見なくてもわかる。顔が超熱い。心臓がデスメタルのがマシなレベルの過激なビートを刻んでいる。これはきっと下は首から上は頭皮まで真っ赤に違いない。なんだこれスゴイな。ヤバイな。パないな。今まで幾つか恋愛物を読んだことあるが、それらと同じような症状じゃないかこれ。
あー、これ三日も保つのか妾……。
そんな最初の一歩を踏み出す前からの個人的一波乱もありがら出発となった。
参加メンバーは前回のプールの時と同じだ。鮫島さんは居ないが。
旅館までの移動は車である。とは言え中々の大人数。車は二台に別れてとなった。
妾も一緒にと誘うなのはを丁重に断って、士郎さん、桃子さん、恭也さん、忍さんと同じ車に乗車した。
昔の偉い人は言った。
後悔先に立たず。
聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥 と。
なので。妾は偉大なる先人の言葉に従い、身近に居る偉大なる先人たちからアドバイスを得ようと考えたのだ。
詳細は省いて結論から言うと、恭也さん使えねー。忍さん貴女は本当にすずかの姉か? 士郎さんはなんかカッコイイこと言ってたけど、それなんのアドバイスにもなってないぞ。
そんなダメダメな中で頼れるのはもはや桃子さんのみ、という状況で告げられた言葉だけが、他人から安易に答えを得ようとしていた妾の甘ったれた心に勇気の灯を点してくれた。
「すずか」
「? アルくん?」
旅館に到着し、各々が荷物を部屋へと運び入れ、早速温泉へ行こうとする中ですずかへと声をかけた。
「先ずは、その想いを直接伝えてみなさい」
桃子さんから言われたのはこの一言だけだ。
だが、この一言は天恵にも似てストンと妾の行き詰まって閉塞し、どうすれば良いのかわからないと言い訳を捲し立てる心を落ち着かせてくれた。
そうだ。そうだった。妾はまだ、この気持ちを一言も彼女自信に告げていない。はじめてのことで、訳がわからなくなって、舞い上がって、混乱して、臆病になって。
まずはこの気持ちを伝えよう。全てはそれからだ。まずは、一歩を踏み出すのだ。
そんな思いに駆られてすずかを呼び止めた。
不思議そうに、妾のことを窺うように振り向くすずか。
「あとで、話したいことがある。とても大事な話だ」
「……なん、ですか?」
「今は、言えぬ。だから、後で少しだけ時間をくれ」
それが限界だった。始めてまともに正面から会話をした。始めてきちんと彼女の瞳を見て話した。
そして、その瞳に恐れるような警戒の色が視えてしまった。
だから、それが限界だった。
逃げるように走って、走って走って、走って走って走って。
「――っ、はぁ」
大きく息を吐いて足を止めた。
温泉旅館の裏手に山があったのは見ていた。雑談の中で散歩用のコースがあるのも耳にした。
けれど、ここはそれから大分離れた場所だと推測する。
コースどころかまず道がない。獣道すら見当たらない完全な山中。すわ遭難かと焦るが、冷静になってみると飛べばいいのだと簡単な答えに行き着いた。
春真っ直中なだけあり木々には葉が繁り、その隙間から木漏れ日が射し込んでいる。葉の擦れる音と、遠くに聴こえる鳥の声が、ぐしゃぐしゃな心を次第に落ち着かせてくれる。
――いかんな。
全ての熱が逃げ、冷静さを取り戻すと己の醜態に嫌悪感を抱いてしまう。
警戒はあって当然。結局聞けず終いではあったが、月村家には何か事情があるらしいのは、魔術師という裏の存在を護衛にするという交渉が罷り通る時点で察していたはず。それは翻って、表には出せない裏の事情であるということ。
ならば、突然現れた妾という魔術師を警戒するのは当たり前。しかも、そんな要警戒対象から話がある、だなんてのは控え目に考えても良くない前兆だ。
――嗚呼。なんて不様。
勝手に盛り上がり熱くなって混乱して。一体何をやっているのか。
衝動的に両手両膝を地につけ項垂れたくなるが、それどころではないとグッと堪える。
あまり長く皆から離れていると何処へ行ったのかと心配させてしまうだろう。せっかくの楽しい旅行で、そんな余計な思いをさせるのは本意ではない。
後悔も反省も後回しに、とりあえずは旅館へと戻ろうと飛行術式・シャンタクを起動させようとして――。
何かが近づいてくる気配を感じた。
術式の起動をキャンセル。咄嗟に簡単な気配隠蔽術式を構築し、念のために近くの茂みへと身を隠す。
これまでに何度か魔術を使い、時間を見つけては誰にも察せられないように多少の訓練をしてきたお陰か、【デモンベイン】作中で[アル・アジフ]が魔力弾を放ったりしていたように、簡易術式の演算構築くらいは出来るようになったのだ。もっとも、魔力弾の威力は構成が甘過ぎるのか精々が拳大の石を投げた程度の威力。隠蔽術式も息を潜めておかねば気配探知に優れた者には容易に見つけられるし、防御術式は対物特化で一度防いだら崩壊するような杜撰さだが。……使えないよりはマシだし、これからも研鑚あるのみだ。
身を隠してから少しして、空から少女が降りてきた。
煌めくような金髪をツインテールにして、なのはのレイジングハートに通じるような機械的な杖を携え、レオタードか水着かというような格好にマントを羽織っている。瞳の色はルビーのような赤。どこか喜色とやる気をブレンドした意志が見てとれる。
察するに、彼女がフェイト・テスタロッサなのだろう。よくよく思い出してみれば、確かに前世の記憶に見覚えがある。
フェイトは少しの間何をするでもなく立っていたが、突然光が弾けるように辺りを小さく照らすとそれまでの格好から普通のシャツとスカートという姿に変わっていた。
前世でも思ったが、なのははあんなに肌の露出が少ない格好なのに、なんでフェイトはあんなにエロい格好なのだろうか?
そんなどうでも良い考えをしていると、「よしっ!」という小さく気合いを入れるような呟きを残して何処へと歩き去っていった。
ばれることなくフェイトを見送り、念のためにしっかりと百二十秒数えてから茂みから出て隠蔽術式を解除する。
今まで幾らかのイレギュラーが発生し、妾たちもまたイレギュラーを生じさせてきたが、今回は特に問題もなく役者が揃った。
タイムスケジュールは狂ったが、なのはは此処でフェイトと出逢いを果す。
そして、フェイトがなのはを打ち負かすことになるだろう。
今回此処での妾の役割は
そんな風に今後の予定を確認しながら、今度こそ飛行術式を起動する。シャンタクの黒い翼を背負い、一瞬で上空へと飛翔。旅館があるだろう開けた場所へと翔る。
――それにしても、いきなり逃げるように走り去った妾を変な奴だとか奇行に奔る危ない奴だとか、すずかに思われてないと良いのだが。
冷静さを取り戻したところで暗澹たる思いは抜けぬままだ。
宿に戻り、温泉に入っている女性陣――すずかを待つ。
と言っても女湯の前で堂々と待つのは不審者のそれだ。見た目的には然したる問題ではないかもしれないが、心情的には大問題である。そもそもストーカーと変わらないだろう。
なので、温泉を出た後で部屋に戻るにも娯楽室へと向かうにも通る廊下で待つ事にする。景観を楽しむための庭のような場所もあるので丁度良い。
何をするでもなく、ただ心を無にして景色を眺める。ここで色々考えたところで考えが纏まらないのは、何となく理解している。それなら、心を無にして自然体で。
暫くして姦しい声と共にすずか、なのは、アリサが歩いてきた。浴衣姿で。上気した頬がやや朱に染まっている。
――もう既にアラート前回である。
心を無にし過ぎて、温泉宿での温泉上がりは浴衣姿である、という確率の高い未来がまったく考慮になかった。
「あ、アルくん」
妾に気付いたなのはが笑顔で声をかけてきた。
ああ、だか、うむ、だか自分でも何を言ってるのかわからない不鮮明さで応える。
落ち着け。落ち着こう。冷静になろう。
「なのはちゃん、アリサちゃん。先に行ってて。私、少しだけアルくんとお話があるから」
――!?
心中で必死に冷静になろうと努めていると、すずかはそう言って二人を促した。
なのはとアリサは二人して顔を見合わせると、頷いて「がんばって!」と謎のエールをすずかに残して去っていった。
まさかこちらからではなく、すずかの方からのアクションで二人きりになるなんてまったく考えてなかった。
思考が纏まらない。
口は渇いているのに唾がひっきりなしに生じる矛盾。
ループしているのか。こんがらがっているのか。千々としているのか。それすらも判断が出来ないまま、それでも伝えたい想いだけは聖域のように確かに其処に在るのだ。
落ち着け、と。
もはや何度目かわからない命令を念じる。今はソレ以外の一切は必要ではないのだと。
乱れた思考ならば、いっそ考えることを棄てろ。
今、必要なのは。
一欠片の、前へと進む勇気。
声を出そうとして、緊張から呼気が漏れるだけの口を一度閉じて。舌でちょっとだけ、下唇を湿らせる。
短く深呼吸。
「月村すずか、妾は、一目見たときから汝が好きになった」
言った。
何を言われるのか、と不安に染まっていた顔が、ややをして驚愕へと塗り変わられる。
「今すぐ返事をして欲しいとは言わぬ。だが、知っておいて欲しかった。伝えたかった」
緊張と興奮で無茶苦茶な旋律を刻む心臓が苦しい。
言葉を切り、心臓を掴むように胸に手を当てる。
「妾はすずかが好きだ! 大好きだ!―――」
叫ぶように告げるが、後が続かない。言いたいことはもっとたくさんあるのに。感情が言葉にならない。もどかしい。
――嗚呼、それ以上に。
「突然、すまなかった! ではな」
もうこれ以上すずかの前に居るのが耐えられない。
羞恥と歓喜と興奮と緊張で、途中からすずかの顔をまともに見れなくなってしまった。
嗚呼、もう! これでは少し前と同じではないか!
またも脱兎のように逃げ出した自分自身にキレながらも、ちょっとだけ充足感のようなものが胸に点ったような気がした。