──知識は呪いである。
無知が罪であるように、知恵は毒となる。最悪なのは無知を抱えながら『毒』に犯されて、無知による幸福も毒を飲み干して得られる免疫のどちらも手に入らない事。
知恵の毒は恐ろしい、檻にも凶器にも変わりうる毒は誰も克服できない。病原菌に対する免疫を持っていても、一切毒牙に掛からない人間は居ないでしょ?
例え無病息災の元気が有り余った健康クンが居ても、病気は克越できるものじゃないってのは分かる。
だからこそ人類は同じように、一生『知恵』の檻からは出られはしない。大層に語っているけれど、サイズダウンすれば同じこと。
「あの、クリスさんに…ここを紹介されて、どうか泊めて頂けないでしょうか?」
「──。あらあら、クリスちゃんが?」
常識という奴さ、皆様方。
人生において苦痛は数あれど、すぐさま解放を求められない理由は私達の頭の中に知恵の檻があるからだ。解放されたい、解放されたいと檻を内側から叩き続けている獣性。
──カッコつけるのはここまでとして、古い軒屋から出てきた端麗な女性へと頭を下げる。
家の外張りには植物のツタがまとわりついているが、無論お世話の手が回っていない訳ではなく、寧ろ外見を華やかに彩り飾る様に花を開かせていた。女性の方も、服装は長いローブを羽織い絢爛な宝石の耳飾りを付けていて、お淑やかな雰囲気と華やかさを両立していた。
あらあら系お姉さんの登場にはお似合いの、実に『花屋』的エッセンス豊富な家を訪れるキッカケになったのは、受付嬢クリスへのコバナの嘘である。
『私の名前は、ルゥナ・アヤカ。助けを頂いた身分でありながら傲慢ですが、どうかこの事は内密に』
──。本当に卑怯な奴だと自分でも思う。
見慣れない服、見慣れない髪、見慣れない人相。どこからどう見ても…は過言だが、それでも社会に慣れない箱入り娘感は満載。ルゥナ家の詳細なんて知りもしないが、彼女の脳内で私の存在を一旦保留にさせる程度の力はあったようだ。
宿敵の名前を借り、慌てた様子でこの家までの経路を紙で案内された。本格的な話し合いは仕事を終えてからと告げられ、一旦は身を隠す場所を得た。
「どうぞいらっしゃい、お茶を用意するわね〜」
家の奥に案内され、白く清楚なティーテーブルとチェアが視界に入ってくる。着席を促されるままに座り、内装をキョロキョロと見渡す。
──模範的な花屋だ、客の来訪を待ちながら、この場所で余暇を楽しみ育てた花達を眺める。
全国アンケートでも取ればきっと、理想の生活ランキング一桁には入ってそうな感じ。
「有難うございます!…その、貴方のことはなんてお呼びすれば?」
「セレナと呼んで。お花屋さんのセレナ、最近は副業もしてるけど…こう見えて調合師の資格も持ってるの」
「…調合師?」
「そう!こうやって──」
何故か手に馴染む箱入り娘RP。オンラインVRで姫プされまくった過去に感謝しつつ、全体的にビッグで包容力のあるセレナの気遣いを受け取る。
浅く注がれ、湯気の立つティーカップの端へ唇を付け、正体不明の液体を飲み込むと──思ったより爽やかな、果実系統の味わいがした。
レモンティー……だろうか、いや、レモンと言うには甘さが強い。異世界にも交雑があるなら、先にこの地へ根を下ろした異人が育てでもしたのか、紅茶に近い味わいだ。にしても、現代の紅茶にも劣らない美味さである。
「……美味しい」
「調合師の名は、美味しいお茶を上手に作れるよーって証なの。お口にあって良かった!」
「ご親切に…ありがとうございます」
「それで──貴方、本当にクリスちゃんに紹介を受けてここに?」
「ぇ、あ、はい…」
「ふーん」
──湯気越しに見える彼女の顔はやけに蠱惑的で、温かみを感じる姿とは打って代わり、茶を飲み干したコバナを面白そうに見つめていた。
悪意ある視線には、相応に気配がある。コバナの背筋を伝う冷たさが手元のカップ、その中に注ぎ込まれていた液体への異物混入を疑わせる。
「だめよぉ?調合師って名前を聞いて、何の警戒も無しにお茶を飲む世間知らずさんはぁ〜…簡単に騙せちゃうんだから」
「──。何か、混ぜたんですね」
「うふふっ、クリスちゃんとは仲良しこよし…なんだけど、あの子が私を頼る時って大抵大事に巻き込まれた時なのよね〜。だから、貴方には『正直さ』が欲しいかな〜って」
「別に構いません。私は我欲で他者を利用している身分、何をされても文句は言えない」
「あらあら…」
翠髪を揺らし、コバナの瞳を見つめる。試金石を擦り付けるように零した言葉へ、目の前の少女は薬を盛られた上で『正直』に話した。
軽いため息を吐き、新たな一杯をカップへ注ぎ入れる。今度は煎り深いナッツ系の匂い──珈琲が差し出され、「一口どうぞ」と、二度目の試金石を打ち出す。
「……。んっ、見た目通りの珈琲…」
「コウヒイ、美味しいわよね〜。身も心も落ち着かせてくれるというか、安心出来る味がして好きなの」
「こちらは?」
「解毒。…『正直さ』はもう大丈夫よ。改めて『調合師』セレナ・アルマ。一泊とは言わず何泊でも泊まっても構わないわ〜」
どうやら──試練は乗り越えられたようだ。
恐ろしい女である、初対面の人間に異物混入ドリンクを飲ませてニヤニヤしているなんて、とんだ性悪。
クリスさんが私をこの人を頼れと言った真相を小一時間問い詰めたい所ではあるが、今は先に好感度を稼ぐ方が優先か。
「こほん。ルゥナ・アヤカ──とクリスさんには言いましたが、本当の名前はアヤカ・コバナと。様々な事情によって命を狙われているので仕方なく─────あれ」
「あら。あらあらあらあら」
「……はぁ。なんちゅー性悪女だ」
「うふふふふっ…よく言われるの、
「…………」
──本当の本当に、か弱い乙女をこんな性悪ババアへ送り付けてくれたクリスさんには、この後聞かなきゃいけないことが無限にあるようだ。
■
「貴方ねぇ…甘すぎるわよ、ルゥナ家の名前を持ち出して乗り切ろうなんて…クリスちゃんも分かってて私に押し付けたわね〜?全くもう!」
「やっぱりバレてたのかぁ…」
「バレバレも大バレ、おバカさん丸出しよぉ」
否定は出来ない。本当にバカ丸出しだから。
自己批判はさておき、今度こそ仕掛けのない茶会をセレナと囲むコバナはテーブルの中央に置かれた謎菓子を摘みつつ、コバナの選択の愚かさを主題にして話し合っていた。
口元に運ぶ薄っぺらい煎餅の様なモノは一枚一枚色が違い、味も違う。緑は薬草風味、赤は甘酸っぱさ残る果実、白は──白は、何だコレ、本当に何だこれなにも分からん。平べったさに対しやけに食感が水々しい事だけは分かる。
「他のはパリパリしてたりクッキーみたいなのに、何だこれ…」
「それはぁ、私の実を乾燥させたものよ」
「……えっと?」
「私、こう見えても精霊種なのよ〜。種族の名前は無いんだけど、むかーしに『ドライアド』って名付けられて、今はそれが主流かなー?」
──また異人がやりやがったなッ!
しかしまぁ、唐突な異種族カミングアウトもさして驚愕する程でも無い。かなりの数、街で獣人が練り歩く姿を見ているからこそ、そういうものもあるか程度に受け止められる。
………勝手に人の身体に成った実を食わされた身にもなって欲しいのだが、私の眼光では威力不足である。
「それでぇ?貴方は何の為に人を騙してまで、助けを求めてたの〜?」
「文字通り死にたくないから、としか」
「デーモンニモスガルオモイって奴ねぇ、私、既に貴方の事が結構好きかも。なりふり構わず生き抜こうとする人間の姿はいつだって美しいわ」
「…そうですよ、生き抜く為に隠れ場所が欲しかった。命を狙われてるのは本当なので」
「それじゃ、貴方の指輪が『異人』の遺物っていうのも本当ぉ?」
「一応は」
異人である自分の手で複製されたものなのだから、正真正銘、異人の遺物だと胸を張ろう。
嘘を感じさせないように話すだとか、そういった技能が欠片も無いコバナにとってこのお茶会は胃が痛み続ける代物。
長く続けていれば腹の内側を洗いざらい吐き出させられそうだというのに、ここがこれからの宿泊先である事実は余計、腹痛を大きくさせる。
「まっ、どんな事情があったとしても、クリスちゃんが助けたいと思ったのなら助けるだけ。ちゃぁんと働いてくれるなら、何も文句は言わないし守ってあげる」
「──。貴方からすれば、少しの利益もないのに?」
「利益って話だと、私にはクリスちゃんからの笑顔と抱擁が待ってるからそれでいいのよ〜。本来お金で満たせないものが、巡り巡ってお金で解決できる、それって素晴らしい事だと思わない?」
「同感です。けれど…金を本気で使えば、出来ない事はない。お金で満たせないと感じるものは単に使い方と量の問題かと」
「言うわねぇ…──」
これでも上から数えた方が早い、元高額納税者の自負がある。自慢することでも無いが、金とは力、金とは権利、金とは天下の回し者と教鞭を打たせてもらおう。
妥協しない『金』には不自由が存在しない。何処かしらでの諦めが、妥協が、不満足を作り上げるだけなのだ。
「そういえば、様々な事情で命を狙われてるって…例えばどんな事?」
「えぇー…言わなきゃダメですか?」
「家主を楽しませておいて損は無いと思うな〜」
「……なら、楽しませる方向で」
テーブルの上に肘をつき、両手を組む。何処ぞの司令官の様なポーズを決めながら──そうだな、話すとするなら規模は大きい方が楽しめるか。
単純な嘘でもなく、複雑な真実でも無い。けれど確かに暗闇の中で蠢く何かを想起させながら彼女を楽しませるとするのなら、
「──この国で今、とてつもない陰謀が渦巻いているとするなら、どうします?」
「……ふぅん?」
「例えばソレは、街が滅ぶだけで終わらない、国が滅ぶだけでは終わらない、世界を破滅させる危機を孕んだ代物で、口にすることすら許されない悪意の数々が練り歩いているとして」
「今、貴方の家に唐突に、見た事も無い服装で身を隠すために転がり込んできた少女がいるとして」
「──とても、ワクワクしませんか?」
「………うーん」
「──。追い出しても良いかしらぁ…?」
「えちょ、ストップ!ストーーップ!?!?」