「───」
予言──耳に届いた単語が鼓膜を跳ねまわった後、私が選んだ選択肢は『逃走』だった。体を支配していた記憶も、二人が殺されてしまう事も、息切れて酸素を求める頭の中には何もなくて、
「───」
ただ逃げるだけを考えて、走っていた。
背を向けて走り出す。向かう先は一択で、自分の足音が誰かに聞かれていたかなんて気にせずに逃げる。
酸素が脳みそに回らなくなってきた頃、前に転がりこけながら街灯にもたれかかる。どっ、と汗が後から湧き出てきて、瞬間的とはいえ自分の選択の愚かさを──。
「───」
「──。だめだ、戻らないと」
愚かさを、拭う為に立ち上がる。
痛みを与えられるのは自分だけでいい。優しくしてくれた人が踏みにじられる事ほど、つまらないものは無い。しかも、自分自身が招いた事態だ。
恐怖で動こうとしない足を動かす為、指先に力を入れて爪先に泥が深く入り込む。どう逃げ出したのか、どの方向へ逃げたのかを海馬から絞り出し、握りこぶしに祈りを込めて走り続ける。
隣り合わせの影法師がコマ送りの映画の様に横目の視界を流れて行って、ももの肉が沸騰しそうになっても動かし続けた。
──向かう先に、烈火の炎が立ち昇るまでは。
爆発音と共に、物理法則を無視した炎柱が吹きあがった。それは最早噴火に見間違う代物で、凄まじいエネルギーの本流は瞳の中心に捉えているだけでも失明してしまいそうになる。伝わってくる振動と大気の揺れが足をもつれさせ、前のめりに転んでしまう。
そして間違いなく、朱花小花が戻るべき場所は燃えていた。
確実に跡形も、舞い散る花弁の一欠片も遺さず。
「……」
意識を襲うストレスや苛立ち、そして恐怖が一秒先の行動を考えさせ無くする。何をすべきか、どう動くべきかも分からずへたり込ませて、コバナは思考を放棄した。
ひたすらに、目指していた場所へ。
同じ場所を行ったり来たり、冷静な時の自分が見ればなんて醜態だとあざけ笑う様な姿を晒す。
「…──」
──この世界に来てから、本当に碌な目に合っていない。
踏んだり蹴ったりにも程がある、一々進捗はリセットされるし明確に狙いをつけて殺しに来る奴もいるし、生きにくいったらありゃしない。
こんな仕打ちを受けさせるのなら、何のために異世界転移させられたんだ。自分を否定されない居場所を奪われて、次は私の存在自体を否定された。私は攻略RTAをしなきゃなのに、これでは死亡RTAだ。転移してその日の内に殺されて、次も一日が終わるより先に殺されて、次は──、
「くそっ、くそぉっ…なんでッ…ずっとこんな目に──」
「それはきっと運命と呼ばれるものさ、お嬢さん。君が戻りたくないと言った家は無くなってしまったようだし、今度こそエスコートは如何かな」
「──。ほんっとうに大嫌い」
黎明が昇る中、死を迎え入れることになる。
理不尽を嘆いても不条理に喘いでも、再び死の運命がやってくる。
炎の盛る音を切り裂いて、細く鋭く硬い足音が朱花小花の前に三度立ちふさがった。
「毎回毎回くどい上に怠い癖に強いんだよ、短いスパンでひょいひょいひょいひょい、そんなに人殺しが好きなら適当にそこら辺の悪党でもなます切りにしとけばいいじゃん」
「そこら辺の悪党が君に匹敵するのなら、言う通りにしよう。それか、君が諦めてくれれば全て丸く収まる」
「…──予言って何、どうして私を狙ってるの」
「ふむ」
憂い気な表情でルゥナは指先を唇に沿わす。事も言えない事情がありそうで、なさそうで、ルゥナが快楽殺人鬼でない事が今の所、唯一の幸運なのかもしれない。
その思考時間によって今までの最長生存時間を記録したことは、次の瞬間首と胴体が泣き別れするかもしれないこばなにとっては知る由も無かったが、悠久とも思えた沈黙はルゥナが突如歩みを寄せてきたことで終わりを迎える。
「んわっ」
「………」
「な、なに、なんですか」
「…………」
高鳴る心臓のリズムは、上下する瞳孔の動きとリンクする。一刻一刻が立つたびに心臓の音色は大きくなり、限界だと感じるその先へ進んでいった。
「…君には猶予が与えられている」
「はぃ…?」
「君を助けたいと願う女性が、私に言い残した言葉があってね。君を本当に『脅威』だと思うのなら、先に自分の目で確かめて欲しい、と」
「言い残し──。お前ッ……」
緩やかに立てられた一本の指が、今度はコバナの唇を塞いだ。
目を丸くするコバナをよそに、ルゥナは最初の疑問へ答え始める。与えられた猶予に応えるように。
「問いに答えようお嬢さん。──このサンディオス国はある異人の手によって作られた過去がある、彼は死後も国を守る為『予言』を残した。国を滅亡に陥れる災厄、災害、あらゆる敵は予言の力によって討ち滅ぼされてきた。君もまた、その内の一人だったに過ぎない。私は予言に従い、害ある全てを滅ぼす『王剣』なんだ」
「───」
「予言は常に移り変わる。が、私達には一片の変化すら読み取ることができない。……この程度だろうか、君に教えられるのは」
「っ……?」
馬鹿げたぐらい律儀さは言葉の裏に隠れた仁義というもので、セレナかクリスか、はたまた両者か、ルゥナの殺意を押さえつけているモノの正体は想いが込められた──懇願。
ただでさえ混乱しているのに、知らない情報を突き付けられても。なんて顔をするコバナへ手を差し伸べて、ルゥナはこう呟いた。
「──少し、散歩でもしようか」
■
──私は今、人を…精霊を人として扱うのなら二人も殺めた奴にエスコートされながら、夜明けの街を散策している。
何という異常事態だ、頭がおかしくなりそうだ。発狂できるのならしてしまいたい、それでも私は、私自身の矜持として、あの二人が与えてくれた『猶予』を無駄には出来なかった。
ネットでは山ほどのイカレた奴らに出会ってきたものだが、一切の迷いも無く人の首を斬れる奴の、急な散歩の誘いには腹の底から理解不能だと叫べる。
連れられるままに歩いて、何処に辿り着くのかと震えながら待っていると、
「クリス・カイルはどうして君の事を助けたいと願ったのだろう」
唐突に、頓珍漢なセリフを吐き出された。
「───は。お、お前が…殺しておいて…」
「ああ。明確な殺意と動機を以て殺した、死が遠い場所にある異人には難しい理念だろうけれど、この世界の住人は皆、『死』を受け入れ愛している。故に死に様を穢す魔種は悪であり、我々は死の間際を祝福するんだ」
「…死を悲しむ人もいるってのは知ってるよ」
「あははっ、ならその人はかなりの変わり者か、『死』に耐えがたい苦痛を植え付けられたかのどちらかだね」
「………」
「つまりは、死に直面して彼女は、彼女らは君を救う事を選んだ。……何故、そう思わずにはいられない。精霊は単にクリス・カイルの選択を尊重しただけに見えたけれど……そうだ、君なら分かるかい?」
「知らない。私だって出会って一日で…」
「一日、で……」
改めて──どうして、なんだろう。
ブラウの時もそうだった、今回も同じで、どうして?の答えは無い。
二人共私の嘘を暴いていたり、異人であることを見抜いていたり、なのに何故か助けてくれたり。聞かれた『何故』を知りたいのはこちらの方。
「これでも、家ではかなり厳しく躾けを受けている。その上、民との関わり合いも無かった。──それでも彼女らが普通ではない判断を下した事は分かるのさ」
「知らないからこそ、知っておきたい。いつか私は私自身の間違いを認識できなくなる、握る刃に濁りが増える。唯の肉の塊では国を守る盾に足り得ず、王の意志を貫く剣ではなくなる」
「何それ、私にメンケアしろって?」
「めんけあ」
「──迷いを晴らしたい、自分を理解したい人を助ける行為」
「ふふっ…なるほど。確かに、私は君に助けて欲しいのかも」
「………イカれてるよ」
「君は人に優しさを与えられたから、同じく優しさを返されて今生き延びている。言葉にできる何かは、あるんじゃないかい?」
──。
本当に、頭がおかしいとしか思えなかったけど。
私はコイツに、ルゥナ・フライに答えを返さないといけない気がした。何も言わず押し黙ることが何よりも間違いだと感じてしまった。
──記憶に付けられた傷は、決して鋭い刃を刺し込まれる様な痛みを与えるものではなく、古傷が湿気を吸って疼くような、そんな鈍い痛みである。
そこから生まれた苦しみが血管を通って、胸を締め付けながら全身を巡るのだ。そして苦しみはまた、新たな傷を作る。
「優しさじゃ、ない」
「打算だよ。私は何もかもを信じてない」
優しさというものはいつも突然で、いつも準備が整っていない時に降ってくる。
そして、受け止められなかった者を責めるところまでがセット。優しさと名のついたものは基本、裏切られない事が前提の押し付けだ。
「へぇ」
「それに二人は間違えただけ、間違えた理由でいいなら…私なりに解釈してあげる」
「頼もうかな?」
ルゥナは歩く速度を落とし、私の横に並ぶようにして歩く。距離は近すぎず、遠すぎず、
まるで私に気を遣っているような距離だった。
それがまた、癪に障る。
──どうして、こんなふうに歩いているんだろう。
殺されるはずだった相手と並んで歩くなんて、まともな人間なら絶対にしない。
でも私は悪い方向でまともじゃない。まともでいられなかったから、こうして異世界に放り込まれているのかもしれない。簡単にストレスを消化して、続きを述べていく。
「記憶」
「……?」
「求めた記憶が、足りなかった記憶が、与えた記憶が、喜びの記憶が、奪われた記憶が、苦痛の塊みたいな記憶が、錯覚を作り上げる。『生きる』を誤魔化す」
「では、彼女らの善意は錯覚だ。と言えばいいのかな」
──善意は錯覚。
物は言いようだ、まぁ私はその通りとしか。
「人の行動は記憶を材料に、他人を判断して生まれる幻だ。偶然私が『助けたい誰か』の枠に滑り込んだだけ。どうしても意味を見出したいのなら、自分がそこに何を感じたのか、何を思ったのかを口に出さなきゃ」
「……」
「意図と意図、錯覚と錯覚が合わさって初めて……──意味になる。理由になる。錯覚を錯覚のままで終わらせない為に言葉を交わす。それでダメなら、そこで終わりだ。繋がり合わなくなった時点で…もう…」
その先は、人と人じゃない。どちらかが否定され拒絶され、物言わぬ木偶になるまで終わらない精神の殺し合いで、敗者は奪われ続ける。
「──だから、否定だけはさせない。お前は私を否定する為だけにあの二人を殺したんだ、絶対に許さない」
「…はははっ」
「私を敵だの脅威だの悪党だの、そう思うのなら、そんな私が居るのはお前の中だけだよ。私はいつだって私を否定する奴にしか牙を向けないんだから」
胸の奥の痛みが少しだけ軽くなる、怒りを吐き出したからじゃない。自分の存在を守るために言葉を使えたからで、これは朱花小花にとっての反撃の形。
ルゥナは吐き捨てるような言葉を受けて沈黙し、コバナを見ていた。その瞳には殺意も怒りもなく、ただ、理解しようとする色だけがあった。
納得できない不満足を相手に理解させる、攻撃性とも呼べるそれは地球じゃ公にしていると即刻病院送りだけど、ここは異世界。
「何十回、何百回繰り返してもお前を、この世界を許さない」
「──ルゥナ・フライッ!お前は、私の敵だっ!!」
「……。確かに君は脅威では無かった、夜道で泣く一人の少女…だった。どうやら私は大きな間違いを犯したらしい」
「どうせ最初っからどっかに連れて行って殺すつもりだったんだろ…!」
「──。いいや、お嬢さん。散歩の目的は散歩をする事さ」
「あっそ、それじゃ早く散歩を終わらせたら?」
「ああ。君の言葉に甘えようか」
「さようなら、名も無き異人。私達を決して許さなくていい」