薬屋のひとりごと ~毒虫回遊変転録~   作:もちごめさん

9 / 10
第九話

「――双凛(ソウリン)……!? 私たちが今まで楼蘭(ロウラン)だと思っていた彼女が、偽物……!? そんな……」

 

 バカな、という猫猫(マオマオ)の言葉尻は、声になる前に萎むようにして消え失せた。

 子翠(シスイ)――壬氏(ジンシ)を含めた兵士たちの側にいる、曰く本物(・・)である彼女が語ってくれた、猫猫たちの誘拐に端を発した後宮での経緯。その中でつまびらかにされた真相は、事実と理解できても受け入れ難いものだったのだ。

 

 壬氏という証人が黙ってそれを聞いていたのだから、嘘ではありえない。加えて子翠(シスイ)楼蘭(ロウラン)が同時に同じ場に存在しているという、動かしようのない現実も目の前にある。

 納得するための材料としてこれ以上のものはないはずなのだが、それでも尚、信じられない。偽物であるとされた楼蘭を穴が開くほどに見つめても、到底偽物だとは思えない。

 そんな、わけがわからないという困惑のみが、猫猫の中に満ちていた。

 

「あり得ない……。双凛なら私だって知っている! だが、そんなそぶりは一度もなかった。彼女(・・)はずっと、楼蘭だっただろう!? なあ!?」

 

 呆然とするばかりだった翠苓も、猫猫と同じ心境であるようだった。

 困惑が故に否定して、しかし確かな証拠としてそこにある二人の楼蘭の存在に戸惑い、処理しきれないその矛盾を猫猫にぶつけてくる。

 

「そ、そうよ!! 偽物など、何をわけのわからないことを……!! 挙句、お前が本物の楼蘭ですって!? 下女風情が……!! お前が楼蘭であるはずがないッ!!」

 

 そしてさらに、神美(シェンメイ)までもが乗じてきた。その気性から荒い語句を撒き散らす。

 ただ彼女の場合、彼女が本物であると信じる寝間着の楼蘭に飛発(じゅう)を突き付けられているのだが――奇妙なことに、それよりも下女の恰好をした子翠が楼蘭を名乗ることの方が許し難いらしい。

 相も変わらず何とも理解し難いことではあるが、その眼は怒りと憎悪をたたえ、子翠と、そして壬氏へと向けられていた。

 

 ともかく、それらが子翠の話を受けての私たちの反応だった。

 診療所で出くわしてから、攫われ、納屋に閉じ込められ、そして阿片(アヘン)に侵された身体で自ら起き上がった瞬間から今の今まで。猫猫たちは誰一人、彼女が楼蘭であることに疑問を抱いたことはなかった。ほんの一瞬すら、疑うこともなかったのだ。

 

 だからどれだけ理屈の通った話でも、信じられない。頭の理屈と目の前の理屈が、大きな矛盾をこの場に生み出している。

 それを解けるとすれば、方法は一つだけだった。

 

「……そうだよね。そりゃ、ずっと本物の私だって思って接してきたんだもんね。しょうがないか」

 

 自分たちへ向けられた神美の視線に少し悲しそうな表情を覗かせて、

 

「でも、あなた(・・・)ももう、母様たちを騙し続ける必要はないでしょう? ねえ、双凛」

 

 子翠は、寝間着の楼蘭へとそう迫った。正体を明かせ、と。

 

 猫猫たちの視線が楼蘭に、彼女に集まる。しかし当人はそれを受けてもじっと飛発で神美を捉えたまま、動かない。

 無視する気か、と思ったが。突然だった。

 

「――確かに、もう猫かぶる必要もねーな」

 

 ガラの悪い口調が、部屋に響いた。

 

 一瞬、猫猫は混乱した。楼蘭の唇がニヤリと歪み、動いたそこから出てきたはずの声が、彼女のものだと認識できない。

 それまでは確かに、明るくはきはきとした楼蘭の声でしゃべっていたはずなのに。同じ咽喉から発せられたその声は、とてもそうとは信じられないほどに間延びして、端々が鼻にかかったような響きを帯び、全く調子が異なっている。

 からかうように笑う顔の雰囲気と台詞の中身も含め、それまでとはまるで別人だ。あまりに衝撃的な光景を前にして、猫猫はごく自然にそんな感想を抱くに至った。

 

 ――そう。だからつまり、別人なのだ。子翠の言う通り、台詞と口角を連動させているこの楼蘭は、楼蘭ではなく双凛なる侍女が化けた姿。彼女はそれを自ら認めたのだ。

 そうして矛盾は子翠の思惑通り、打ち砕かれる。――だがしかし。

 

「じゃ、じゃあ……お前は本当に、楼蘭ではないのか……!?」

 

 頭で理解できても、それで全てを受け止めるのは到底無理だ。楼蘭――双凛の別人の如き変わりようは、それほどに現実味がなさすぎる。

 故にこちらからすれば、理解不能の事態は未だに尽きない。翠苓も混乱から脱せずに眉を八の字に歪めていた。

 

「そーだよ。まだわかンねーの?」

 

 対して双凛は、そんな混乱を嘲笑うように鼻を鳴らした。

 

「姉妹だって話だし、どっかで気付かれてもおかしくねーってちょっとひやひやしてたんだけどな。ま、あたしが腹違いの姉を買いかぶり過ぎてたってことか。なぁ――翠苓ねーちゃん(・・・・・)?」

 

「ッ……!」

 

 そして嘲笑ったうえで、衝撃(ショック)に呆然とする翠苓に、楼蘭の声でそう言った。

 

 今度こそ、同じ口から双凛と楼蘭の二人の声が鳴ったのだ。ニヤニヤとしたその表情すら、一瞬のうちに楼蘭の雰囲気で完璧に隠された。

 信じられないが、もはや信じる以外にない。目の当たりにさせられて、翠苓もそしておまけに猫猫も、完全に言葉を失った。

 

「……姉さまたちが気付けなかったのも納得だわ。漣風(レンプウ)も私によく似た姿になれたけど、まさかこんな……鏡でも見ている気分」

 

「……双凛にも、身代わりを任せたことがあるのでしたね?」

 

「はい。でも、声も顔もこんなにそっくりではありませんでした。漣風と比べたら全然だったのに……。驚いたよ。双凛、あなたこんな特技を隠し持っていたんだね」

 

 子翠と壬氏もまた、その二つの声を初めて耳にし衝撃を受けたようだった。周囲を固める兵たちもが混乱するように慄いて呆然と息を呑む中、二人から思わずといったふうに驚嘆の声が漏れる。

 そんな反応に、双凛はどこか得意気なふうに鼻を鳴らした。そのままじろりと壬氏たちの一行を――そして子翠を睥睨する。

 

「お褒めの言葉をどーも。ってか、『驚き』っつーならこっちもだ。砦が官軍に攻められるって展開は想像できてたけど……そこになんであんたがいるんだよ、楼蘭様? 上級妃だってのに、よく後宮から出られたもんだねェ」

 

「……母様たちが謀反を企てているってこと、しゃべっちゃったからね。朝廷の敵の娘が上級妃でいられる道理はないでしょう? もっと言えば、公には楼蘭はあなたで、私は下女の子翠でしかないんだから」

 

「ああ、そりゃそーか」

 

 言われてみれば、子翠――本物の楼蘭がこの場にいること自体、おかしな話。しかしそれは彼女が上級妃であるが故であり、その地位を失った今となってはその枷は存在しないのだ。

 

 そういう理屈で、子翠は首を振っていた。双凛もそれで納得がいったようなのだが、しかし。

 それを傍から聞いていた猫猫は、なんとなく収まりの悪さを感じていた。

 それだけの理屈では、少し弱くないだろうか。何か他の理屈がまだある気がする――と、双凛の衝撃(インパクト)によって少々滞り気味だった猫猫の思考が、新たな疑問の到来で再起動し始める。

 それに伴い双凛のこともようやくちゃんと吞み込めた、ちょうどその時だ。

 

「ただ牢に繋ぎ処刑するよりもよほど有用な使い方があるだろうと……羅漢(ラカン)殿に詰められたからな。あの方の進言となれば、私も主上も無下にはできん」

 

「は……?」

 

 案の定まだ他にあった理屈が壬氏の口から付け加えられ、途端、猫猫の思考はまたピシリと固まった。

 気持ちおずおずと、猫猫の様子を伺いながらの言葉である。次いでちらりと猫猫を見やった子翠も然り、その理由は承知の上だろう。

 

「羅漢様は国一番の軍師様だからね。私が砦の隠し通路を把握していることを伝えたら、すぐに後ろ盾になってくれたよ。……『猫猫、爸爸(パパ)が今助けに行くぞ』って、今も本隊を率いてこっちへ向かっているはずなんだけど――」

 

「違います」

 

 だからはっきりと簡潔に、その点(・・・)に絞って猫猫は否定の言葉を口にした。

 

 猫猫の父親を自称するあのおっさんは、子翠の言う通り軍師としては超一流だ。その影響力ももちろんのこと、奴が所属する軍部に留まらず広く、強い。

 血の縁という意味ではそうであっても、諸事情あって奴が父親であるなどと認める気はない猫猫だったが、ともかく、その点に於いては納得だった。奴の権力が、子翠の諸問題を力づくで薙ぎ倒してしまったのだ。

 

 ……それで以ってこっちへ向かっている、というのがまだ猫猫の嫌悪感を刺激してやまないが、しかしおかげで現状も凡そが見通せた。

 子翠がこの場にいる理屈と目的は、共にやはり当初猫猫と翠苓が推測した通り、謀反の阻止にあったのだ、と。

 

 そして、だからこそなのだろうか。ここにきて神美が我が意を得たりと言うように、再び迫真の声を張り上げた。

 

「そうか……お前か!! お前がこの者たちをここまで引き入れたのだな!? 私に、子の一族にたてついたっ!! やはりお前が私の楼蘭であるわけがないではないか!!」

 

 神美の血走った目と人差し指が子翠へと突き付けられた。唾を飛ばし、憎悪を迸らせたその声は、それだけで人を怯ませる圧がある。

 が、子翠はそれを真正面から受けてもまるで気圧されなかった。ただ静かに微笑んで、首を横に振った。

 

「いいえ、母様。これが、戦を止めることが、子の一族(私たち)のためにできるもはや唯一のことなのです。……どれだけ準備を重ねようが、元よりこれは勝てぬ戦。母様もわかっておられるのではないですか?」

 

「ついでに言えば、その“準備”はあたしの手の中であんたを狙ってンだけど」

 

 さらに次いで、双凛が言葉の通り、その手の飛発(じゅう)を神美の額に押し付けた。途端、神美が身を強張らせ、見開いた目でゆっくりと双凛を見上げた。肌に塗りたくられた白粉が一部剥げ、その奥の本来の肌が露になる。

 双凛はそれを見て、鼻で笑った。

 

「なんで信じられねーって顔してンだよ。あんたの旦那を殺したのもあたしなんだぜ? ……わかんねーけど、妻としても母親としても、普通ならあたしを憎んだりする場面なんじゃねーの?」

 

 眼で子晶の亡骸を示し、バカバカしいと彼女は笑う。察しはついていたが、やはり子の一族の主を殺めたのは彼女であるらしい。

 であるのに、それでもなお神美がああ(・・)なのは、やはり双凛がそれだけ楼蘭そっくりだったということと――そしてもう一つ、認めたくなかったからなのではないだろうか。今のこの、詰んでしまった現実を。

 

 だから突き付けられた銃口と、そして双凛の嘲笑に滲んだ冷ややかな視線は、その認めたくない現実を無理矢理口にねじ込まれたようなものだったのかもしれない。

 神美の咽喉を、その時とうとう現実が滑り落ちていったのだ。飛発(じゅう)と双凛と壬氏たちと、そして子翠へと順にその眼を巡らせて、そして彼女は唇を噛み俯いた。

 神美の無謀な企みは、この瞬間に完全に潰えたのだ。

 

 そんな場面だった故に、だろう。

 続いて子翠が放った台詞は、実に自然にこの流れに入り込んできた。

 

「そう。もう母様の願いは叶わない。だから――双凛、あなたもお疲れ様でした。(楼蘭)の代わりに事態をこの結末へ導いたあなたの忠義、嬉しく思います」

 

 そんなことを、彼女は何でもない表情で口にしたのである。

 

 ……本当に、わけがわからないことばっかりだ。紆余曲折を得て双凛を理解したと思ったら、今度は子翠がわからなくなってしまった。立て続けの困惑に胃がもたれるような心地になる。

 

(双凛が忠臣……? 何言ってんだよ、子翠)

 

 そんなわけがないだろう。双凛自身もが胡乱気な表情をしているように、彼女のその行動原理は、子翠への忠誠とは全く別のところにある。誰の目にもそれは明らかではないか。

 

 のだが、しかし。間もなく猫猫はふと気が付いた。

 

(ああ……そうか。子翠、全部一人で背負い込むつもりか)

 

 子翡翠の表情は、さっきと同じ静かな微笑だった。

 つまり彼女が壬氏に同行しているその理由。

 自身の命ではなく、もっと大事なもののため。子の一族の姫として自らが責任を取るという、覚悟のそれだ。

 

 子晶はこと切れた。神美は潔くなどなれるはずがなく、翠苓に関しては妾の娘で荷が重い。ならば今、この謀反を収束させることができるのは、大勢の人間の死か――あるいは“楼蘭”だけだろう。

 だから子翠は、双凛からそれを取り返そうとしているのだ。彼女が子翠の命で動いていたという方便を用いて、ついでに神美と同様、もはや捕らえられるしかない双凛へ恩情も差し出して。

 

 もう自分(子翠)は戻らない。戻れない。そんな壮絶な覚悟が、確かにあった。

 

 だが――

 

「はン! 忠義? なんだよそりゃあ。あたしがまだあんたの侍女やってるとでも思ってンのかよ」

 

 子翠の思いに気付いているのかいないのか、双凛は彼女の恩情と決意を一蹴した。

 

 いや、きっと気付いてはいるはずだ。その上での拒絶であるに違いない。馬鹿にするように細められた眼がそれを物語っている。

 彼女もまた、自分の手で決着をつけることを望んでいるのだ。

 

「……この場が収まっても、母様も私も処刑は免れない。子の一族は罰を受け、この国から消えることになるでしょう。それでも(・・・・)なの?」

 

それでも(・・・・)だね。あんたが処刑されようがあたしには関係ねーし、子の一族がどうたらってのも心底どーでもいい。……ああ、ついでにそっちの姉さま(・・・)もな」

 

「……あなたは、そうまでして私の父様と母様を殺したいの? 自分の手で」

 

「そーだよ。あたしはそのためにここにいる。これがあたしの……復讐だからだ」

 

 子翠の責任と、双凛の復讐。二人にとってそれはとても重要で、決して譲れないものなのだろう。よくわかる。二人の意思は思いがけないほどに硬かった。

 

 その対峙を目の当たりにして、猫猫はつい思ってしまう。

 

(逃げてしまえばいいのに)

 

 謀反を企てた神美の命運は尽きた。そして子翠も双凛も、互いに譲らず突き進んだその果てに待つのは同じ。神美のように、結局は破滅する。

 進んでも神美と同じ末路を辿るだけならば、いっそすべてを放り出してしまえばいい。死んでしまえば、それで終わりなのだ。

 じわじわと、現状を理解する度にゆっくりとせり上がってきていた胸を塞ぐような感覚が、ここにきて表面化していた。

 

 だがやはり、そう思うのは猫猫が部外者であるからなのだろう。

 

「まさかあたしが後宮での阿片(アヘン)事件に関わってねーなんて、この期に及んで思ってりゃしねーだろ?」

 

 と、双凛が子翠に続けて己の行いを明かしていた。復讐という単語に何やら引っかかるものがあったらしい子翠は、肩をすくめる双凛をじっと見つめ返すのみだ。

 双凛が付け足したその台詞の意味するところには、気が付いていないらしい。

 

 同じくそれを悟った双凛は、しかし猫猫とは異なりそれを良しとしなかった。やはりその意思(・・)は、猫猫が思う以上に彼女たちにとっては重要で――。

 故に猫猫へ、彼女は間延びした声を向けた。

 

「なー猫猫。あんたはもう知ってンだろ? あたしがこんなことしてる、恨みの大本」

 

 そいつをウチのお姫様に教えてやってくれよ、と。試すような眼で命じられ、そしてそれをわざわざ断るような理由もなく、猫猫は自身へ向けられる子翠と壬氏の視線に語ってみせた。

 

 双凛の行動原理。楼蘭に化け、子晶と、そして神美をも手にかけようとしている、復讐の理由。

 子翠は気付いていないようだったが、それは別に複雑なものではない。

 猫猫が目にした書物の記述という証拠さえあれば、すんなり腑に落ちるような程度のものだ。

 

「――つまり……例の印章の商家は、その裏で阿片(アヘン)の栽培から研究まで行っていた。商家が潰れたのは研究終了に伴う口封じで、双凛はその生き残りだ、と」

 

「はい。少なくとも商家が消えた経緯までは記録として残っていました」

 

 ならば双凛の復讐がそこに繋がると考えるのは至極自然な発想だろう。先代薬師が遺した書物から得た情報から、猫猫はそう導き出した。

 

 だが、しかし。

 

「筋は通る。通るが……それはおかしいぞ、薬屋」

 

 猫猫の推理を受け取った壬氏は、納得する代わりに眉根のシワを深くしていた。

 

「双凛が今回の主犯だとわかった時点で、その背後は改めてある。彼女の実家はあの商家とは全く無関係だ。何かに巻き込まれた痕跡もない」

 

「……記録を残していないだけかもしれません。なにせ口封じされるような仕事ですから」

 

「それも恐らくあり得ない。双凛の親は健在で、周囲に不審な死も起きていないからだ。あるいはお前の言う通りに想像力を働かせれば、その親が生き残った幼い娘を匿い自らの子としたという展開も考えられなくはないが、それにしたってそもそも商家の主は未婚だ。娘などいない」

 

「そういえば、そうでしたね……」

 

 阿片(アヘン)事件が起きた時、最初に調べ上げられたことだった。無論それにだって愛人や隠し子という反論ができるが、そこまで言い出したら本格的に何でもありだ。収拾がつかないし、それでは双凛の態度にもしっくりこない。

 しかし、かといって理路整然とした他の可能性など、猫猫には思いつけない。壬氏にも、黙って考え込んでいる様子の子翠にもそうだった。

 

 故に、双凛はそんな猫猫たちに、拍子抜けしたような顔をした。

 

「んー。なんつーか、案外気付かないもんなのかな。名探偵だろ、猫猫。しっかりしろよ」

 

「……だから、別にそんなことはないんだって」

 

 飛発(じゅう)を構えていない方の手でポリポリ頬を掻く双凛。呆れたふうなそのため息に、猫猫の頬もついムッとなる。

 しかしそれでもわからないものはわからないのだ。事実があるならそう試すようなマネをせず、さっさと明かしてもらいたい。

 

 そんな視線が通じたのだろうか。双凛は肩を竦めた。

 

「根本的なところを間違えてンだよ。あんたらみんな」

 

「根本的……? 何が違うんだよ」

 

「だから、そもそもの大前提だって。……まあ、今思えばそっちに眼が行くのも当然って気もするけどさ」

 

 肩を竦め、そして少しだけバツが悪そうな顔を作ると――双凛は言った。

 

「あたし、双凛じゃねーんだよ。実のところ」

 

「!?」

 

 一度もそう名乗ってねーだろ? とどこか勝ち誇ったふうに続けた双凛に、皆が思わず目を見張った。

 

「ついでに言えば、商家の娘でもねェ。ここまで言えば、まあさすがにわかンだろ」

 

 などと、一人で満足する双凛。ふんと鼻を鳴らす彼女だが、しかしその言葉に反し、猫猫にあるのは混乱ばかりだ。

 双凛ではなく、商家の娘でもない。意味不明だ。なら、彼女(・・)はいったい誰だというのだ。

 

 猫猫の頭ではその答えは見つからない。――いや、あるいはもう少し考える時間があったなら、気付くことができたかもしれない。

 

 けれどしかし。それ(・・)に対する場数を踏んでいた分、ともかくこの場に於いては壬氏の方が気付くのが早かった。

 

「そうか、お前……双凛とも入れ替わっていたのか(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「せーかい」

 

「は……!?」

 

 驚愕の事実が明かされた。

 

「ずっと昔、それこそ猫猫の言う“口封じ”から一年経つか経たないかって頃だったかなー。……本物の双凛は、とっくの昔に土の下だよ」

 

 子翠や楼蘭に化けていたのと同じように、彼女は楼蘭妃の侍女である双凛に成り代わっていた、別人だと。

 信じ難い話だ。ずっと昔、幼いとも言える年頃から今の今まで、本物の双凛の両親すら欺いていたなどと。

 だが事実として、信じる他なかった。不可能ではないのだ。子翠に扮したあの技量があれば、恐らくは。

 

 少なくとも彼女――双凛はそう言っている。そして、そうであるならば、だ。

 

「……もっと深い場所の人間なんだな、あんたは」

 

「そういうこと」

 

 双凛は、頷いた。商家の娘や、侍女を排出できるような家でもない。彼女の出自は、もっと下だ。

 

あいつら(・・・・)は、阿片(アヘン)を作らせてその効き目を強くする研究までやってた。なら薬の効果が強いとか弱いとか、どーやって確かめるんだ?」

 

 それが普通の薬で、且つ猫猫であったなら、自分の身体で確かめていた。だからそこに思考が行きつかなかった、という部分も、今思えばあったのかもしれない。

 いずれにしろ、猫猫がいつもそうしているような新薬の“実験”とはわけが違う。阿片(アヘン)は薬であると同時、魂を侵す毒なのだ。

 その毒を消し去るには相当の苦痛が伴う。あの、寝台の上の彼女のように。そうなのだから、研究者が己の身体で阿片(アヘン)の研究をするなどあり得ない。目的を達する前に身体と魂が壊れてしまう。

 

 必ず、それ専用の人間がいる。

 

「つまり、あなたは……」

 

「ああ、そーだよ」

 

 子翠が唇をぎゅっと引く。双凛は笑みを浮かべたまま、平然と、今度こそ頷いた。

 

「あたしはあいつらに飼われてた孤児の一人。実験動物(モルモット)の生き残りだ」

 

 それが、双凛の正体だった。

 

 言われてみれば当然ともいえる。今に至るまでそれに気付けなかった猫猫たちに、彼女は何を思ったのだろうか。

 その顔は笑みの形を保ったまま。しかし一方、どんどん喜色が抜け落ちていくその声で、彼女はただひとりごとでも言うように続けて語った。

 

「父親も母親も、どうして自分がそこにいたのかもわかンねー。気付いた時には他の中毒者連中と一緒に狭い部屋に詰め込まれてた。毎日毎日、動けるやつらと一緒に殴られながら阿片(アヘン)の花を世話して、時々偉そーなおっさん共に連れていかれて、“実験”で頭が馬鹿になるのを観察されるっつー、ろくでもねェ身の上さ」

 

 懐かしーな。などと、彼女はそれを思い出すように宙に視線を上げる。それから息を吐き、郷愁に次いで自嘲を浮かべた。

 

「そんな感じの、常識も知識も何もねーガキだったからな。みんなが殺されて、あたしだけ何とか生き延びた後も大変だったよ。生き延びるだけで精一杯。あたしをこんな目に遭わせた連中が憎くても、奴らがどこの誰なのか……どころか、あたしたちを飼ってた奴らの素性すら、あたしにはわからなかった。覚えてンのはあの印章だけ。それも生きるに困る状況じゃ調べようがねーし、わかったとしても復讐する力はねェ」

 

 そうだろう。事実、相手は子の一族という、この国でも有数の力を持つ一族だったのだ。そんな相手に対して民草が、しかも庇護者のいない少女ができることなどないに等しい。

 本来ならば、彼女は泣き寝入りするしかなかったはずだ。

 

「けど、あたしはどうやら中々運がいいみたいでよ。いいトコの出の双凛と入れ替わる好機に恵まれた。ンでもって、その次はお妃さまの侍女ときた。とんでもない大出世だろ? 普通の人間が一生分の運を使い果たしても、実験動物(モルモット)からここまで上り詰められるようなやつはそういねェ」

 

 そう言う通り幸運と、そして何より他者に化ける天賦の才が、彼女をここまで連れて来た。改めて、恐るべき話だった。

 

「挙句……連れてかれた後宮には、猫猫なんつー格好の人材も揃ってたしな」

 

「私……?」

 

 そしてその恐るべき話にいきなり自分の名前を持ち出され、猫猫はぎくりと身を竦めることになる。格好の人材とは何の話だと怪訝になりかけて、しかしすぐに思い至る。

 

「……そうか。私がいたから、僵尸(キョンシー)が出てきたのか」

 

「そーそー」

 

 双凛には復讐相手を調べる伝手がなかったのだ。彼女が双凛に成り代わっても、解消できたのは生存問題の方。復讐相手が後ろめたい仕事をしていた以上、脈絡もなくこの印章を知らないかと持ち掛けることはできなかったに違いない。どこで虎の尾を踏んでしまうかわからないからだ。

 それは後宮でも同じだったはずだ。聞いて回るわけにはいかない。後宮に来て暫くは、自らの足でこっそり調べるしかなかっただろう。

 

 だがある時、楼蘭が下女に化けてつるんでいる猫猫という女官の存在に気が付いた。

 それまでにも幾らかの騒動に首を突っ込み、壬氏という後宮の管理者との強いつながりを持つ、推理好き――と思われるような経歴を持つ女官。

 

(印章を探るには、私の存在がうってつけだったわけだ)

 

 故に双凛は子翠に扮し、下女の阿片(アヘン)中毒という事件に仕立て上げたそれを、あの洗濯場で口にしたのだ。

 

「色々と納得がいったよ。……阿片(アヘン)も、入内の荷物として紛れ込ませたのか?」

 

「ああ。なんたって高貴たる楼蘭妃の荷で、しかも量が多かったしね。逃げる駄賃に頂いてきた程度の阿片(アヘン)なんて全くみつかりゃしなかったよ。……保存の状態がアレだったのがちょっと心配だったけど、そっちも問題なかったしな」

 

 双凛はそう言って自身を示した。最初に犠牲となった下女だけでなく、自分の身体でも確かめたという意味だろう。

 

「ただまあ、そうやって威光を借りた子の一族が復讐相手だって知った時には、さすがに運の切れ目っつーか、揺り戻しを感じたけどよ」

 

 と、次いで双凛は神美の方へと眼を戻した。鋭さをも取り戻していくその顔と、あの時、猫猫が医局の傍で印章の調査結果を明かした時の顔が重なる。

 当時はその内心を見通すことができなかったが、今ならわかる。あの笑みは、とうとう復讐を果たすことができるという歓喜だったのだ。

 

 だからこそ、だった。

 

「あたしはそれでもここまで来た。薬を抜く地獄にもまた耐えて、この状況を作ったんだ。……それが、子の一族への忠義? あんたたちのためだって?」

 

 バカにするなよ。と、重く冷たい憎悪を乗せた声が、神美とそして、子翠を捉えていた。

 彼女は、そこで初めて感情をむき出しにして、魂に焼きつけるように叫んだ。

 

「あたしはあたしのため、殺されたあいつらのために……。神美、お前を殺すために、復讐のために! 今日まで生き延びてきたんだ!」

 

 そう、憎悪が吐き出され――

 その時だった。

 

「――復讐のために生きてきたなんて、そんなことないだろ」

 

 と、双凛の心情を否定する言葉が、唐突に飛び出した。

 ――猫猫の口から。

 

「……はァ?」

 

 他人に自分を語られた双凛は、当然怪訝な顔をする。いかにも「何言ってんだこいつ」というふうな表情だ。

 

 そしてきっと今、鏡を見たなら猫猫も同じような顔をしていることだろう。

 なぜ自分が双凛の心情を否定(こんなこと)を言ったのか、猫猫はわからなかった。

 

 気付けば口が勝手に動いていたのである。しゃべってしまったその瞬間、知ったような口をきいたのはいったい誰だと一瞬探してしまったくらいだ。

 故につまり、その発言の意図も理由も猫猫にはさっぱりで、すんっと顔の憎悪を引っ込めた双凛に、猫猫はただただたじろぐことしかできなかった。

 

「……なんで猫猫が、あたしの気持ちを語るンだよ」

 

 ごもっともで、且つ案の定な疑問だ。己へと放たれたその圧力に、猫猫は必死で頭を回す。

 自分のことであるというのに他人を推理するような気持ちで思考を探り、そしてどうにか捻り出した。

 

「……私が知ってる子翠のうちどれだけが双凛だったか知らないけど、一度も感じたことなかったよ、恨みなんて」

 

 印章の真実を教えた時も、そこにあったのは一族への恨みではなく、ようやくそこにたどり着いたという喜びだった。

 猫猫は双凛の心から、彼女が言う憎悪を――一度たりとも(・・・・・・)、感じ取ったことがない。故に、彼女の本心は復讐にはない。そんな理屈を、猫猫は捻り出した。

 

 捻り出したのだが――しかし、だ。

 言葉にして驚いた。即興で組み上げた理屈だというのに、思いのほかしっくりくる。

 口が先に出てしまったものの、案外これは猫猫のなのかもしれない。そして同時、双凛の中身が復讐ではないことも、的を射た真実なのではないだろうか。

 そう考えると妙な納得感と共に、猫猫が感じていた気後れも治まった。感じる双凛からの圧を跳ねのけて、今度こそ正面から彼女の顔を見つめ返す。

 

「もちろん子翠に扮していたのだから、あんた自身の本心なんて面に出すわけないってのはわかってる。そんなことをすればいくらなんでも怪しまれてた。いくらそっくりに化けられても、一度怪しまれてしまったら確かめられてすぐバレる」

 

「……わかってンじゃん。ならどうして……えーっと、なんだっけ? あたしが本当は復讐を望んでいないって? そうなるんだ?」

 

「別に復讐を望んでないとは言わない。ただ、それ以外にも目的があったんじゃないかって、そういう話だ」

 

 茶化すような調子で、しかし同時に警戒するように目を細める双凛に語りながら、その中で猫猫の心情はどんどん確信へと寄っていく。他の目的。我ながら、この確信を現すのにピッタリの表現だと思う。

 復讐心だけではないのだ、双凛は。そしてその復讐心ではない何かの正体は、恐らくこれも、彼女の今まで(・・・)に紛れ込んでいる。

 

「どうして、後宮では一度だけしか事件を起こさなかった?」

 

「なに……?」

 

「謀反の件や子翠に化けられたことやらがあったから結果的に今の状況になったけど……普通、あの一件だけじゃ騒動はここまで大きくならなかった。それこそ本当に、復讐相手が誰なのかわかっただけで終わっていただろう」

 

 何をしてでも復讐を遂げる心積もりであったなら、もっと阿片(アヘン)の犠牲者を増やして後宮に圧を加えるべきだった。朝廷と敵――子の一族との軋轢を限界まで煽り、それでやっと復讐の開始位置(スタートライン)に立てていた。

 そうしなかった以上、自らの手で敵討ちなど端から不可能。現実的ではないのだ。

 

 今のように一族の姫で且つ娘に化けて、油断した相手に飛発(じゅう)を向けられている状況は、言ってしまえば都合が良すぎるほどの幸運の上に成り立っている。

 事前に予測できるようなものでもない。なにせ双凛が子の一族が復讐相手と知ったのは、診療所で誘拐されるその直前のことだ。

 故に、

 

「『できたらいいな』、くらいのつもりだったんじゃないか?」

 

 あの事件を起こした目的は、あくまで復讐相手を知ることまで。そこから先の展開はあくまでオマケで、心の隅で運が上振れることを祈っていたに留まるのではなかろうか。

 

 彼女はそもそも復讐する気も、できるとも思っていなかったのだ。

 

「自分で言ってたように、あんたの出自で復讐を果たすには幸運を期待するしかない。だからこそ、それを計画に組み込むようなこともないだろう。あんたは自分の幸運を自覚しているが、だからといってそれに驕れるほど信じてもいない」

 

 信じられるはずもないだろう。己の生まれの不幸を、彼女は誰よりも自覚しているはずだからだ。

 だから、つまり。結論として――

 

「双凛、あんたは……復讐よりも、ただ知りたかった(・・・・・・)んじゃないか?」

 

「………」

 

 「秘密」と言った、あの時の目。そんな顔をしながら、双凛は答えなかった。

 違うとは言えない。しかし正しいとも言えない。だから無言。そんな心情が透けて見えている。故に答え合わせはそれだけで十分だった。

 それに――

 

(……ああ、やっぱり)

 

 彼女が纏う、ある種の雰囲気。じっと猫猫を見つめている彼女の眼も、口も、微動だにしていないがしかし――それなりに付き合いの長い友人(・・)であるからこそ、わかってしまうモノはある。

 それでも、彼女の心が乱れ、あまりに完璧が過ぎるその擬態が剥がれてやっと僅かに垣間見えた、という程度でしかないのだが。

 それでもこの時、猫猫は確信した。

 

(やっぱり、双凛は恨みだけで生きているような人間じゃない)

 

 それは、もっと暖かなものだった。

 

「私に、推理してほしかったんだろ?」

 

 今度はしかと彼女を見つめ、猫猫は答えた。彼女も何かに耐えるように、あるいは煩悶するように猫猫を見つめ返し、沈黙が流れる。

 そして、その末に――

 

「――わかったよ」

 

 彼女は、大きく息を吐き出した。

 

「そーだよ、そのとーり。……じゃあ、わかってンならもういっそ、このまま聞いちまうけどさ」

 

「――こいつらは……阿片(アヘン)でいったい、何をしようとしてたんだ?」

 

 それが、彼女を生かしてきた疑問だった。

 

「……ずっと不思議だったんだよ。研究だなんだといって延々とこねくり回して、あたしたちの魂をすり潰して……それで何ができるんだろーって。気にならねーわけがねーだろ?」

 

 視界の端で子翠と、壬氏たちがそれ(・・)を理解し咽喉を詰まらせている。しかし双凛は彼らにはもはや目もくれない。

 意識はピタリと猫猫へ、そして俯く神美へと向けられて、淡々とした静かな視線がじいっと彼女を見下ろした。

 

「全部を牛耳ってたのはこのババアなんだろ? まあこいつから聞き出しゃいーかと思ってたけど、猫猫が見つけてきてくれたってンなら手間が省けるよ」

 

 で、どうなんだ? と、双凛の眼が再び猫猫へと戻される。その眼はさらに静かで淡々としたもので――

 それ故に、その時双凛が息を吸う音も、猫猫ははっきりと耳にした。

 

「――あたしたちの犠牲は、何に変えられたんだ?」

 

 猫猫は詰まる咽喉から押し出すように、それに答えた。

 

「……『不老の薬』」

 

 息が止まった。

 

 双凛は、猫猫の答えに少しの間、動かなかった。表情も眼も直前のまま固まって、それこそ死んでしまったかのようだ。

 恐らく、知ってしまったその時点で、双凛もそれ(・・)に気が付いたのだろう。当たり前だ。よほど愚かな者でなければ、わからないはずがない。

 けれども双凛は、はぁーっと吐いた一息で辛うじて踏み止まったらしい。もしかしたら、という一縷の望みに指先をかけ、宙を仰いだ。

 

「それは、あたしらの阿片(アヘン)があれば作れるもンなのか?」

 

 嘘はつけなかった。

 

「いいや、作れない。……一口で数十歳も若返るような秘薬なんて、この世には実在しない」

 

「……だよな」

 

 そんなものはおとぎ話。わかりきったことだった。

 

 あるいは神美当人も、わかっていたのではないだろうか。最初から不可能だと。――前任の薬師たちに命じたそれは、彼女が翠苓へと向けていたものと同じ“いびり”でしかなかったのだ。

 

 そうだったなら、なおのこと。そうでなくても、現実は変わらない。

 

「そーか。……あたしらが捧げたモンは、結局全部、最初っから無駄だったのか」

 

 双凛の目的。仲間の復讐よりも彼女にとっては重要だった、その答え。

 幾多の幸運と苦労、覚悟、命までもを賭けて求めたのは――結局、そんなものだった。

 

「――くっだらねェ」

 

 双凛には、そう称する他ない事実だった。

 

 彼女のその身に張り詰めていたものが、瞬間、崩れるように零れ出た。制御しようのない脱力感。彼女を襲ったそれが、その時、彼女の手にあった飛発(じゅう)にも伝播し、それを押し下げた。

 

 その瞬間を、神美は見逃さなかった。

 

「ッ――!!」

 

 縮こまっていた神美の身体が、突然爆ぜるように跳ねあがった。双凛の飛発(じゅう)に覆いかぶさるように飛びつき、その身体ごと突き飛ばす。

 

「寄こせェッッ!! このッ、無礼で不遜で、目にするのも忌々しい下等な虫ケラ風情がッ!! それは、お前のために作らせたものではないッ!!」

 

「ぐっ、う……!!」

 

 一瞬のうちにもみ合いとなった二人の身体は、壬氏たち兵が応じて動き出す間もなく、そのまま奥の扉を突き破った。

 

 寝所らしき部屋に転がり込み、体勢が入れ替わる。猫猫も慌てて突進していった兵士たちの間に身をねじ込み中に踏み込むと、はっきり見えた。

 開いた窓から差し込む激昂の下。銃口の向きが、逆転していた。

 

「そうだ……こんなところで潰えるものか」

 

 荒い息を吐く神美の血走った目が、構えた飛発(じゅう)を、床に倒れ込んだ双凛へ向けている。両者ともに興奮に見開いた目で互いを凝視し、そして神美はその中身をさらけ出すように、狂気的な笑声で叫ぶ。

 

「朝廷も、貴様もッ!! 私をコケにする者は、皆須らくこうなるのだ!! 皆、全て――悉く滅ぶがいいッッ!!」

 

 憎悪と共に、引き金が引かれる。爆ぜる銃声。猫猫は思わず目を背け――しかし。

 

 くわんっ、と銃声に次いで耳に入った奇妙な音に、つい視線を引き戻した。

 

(……頭飾り?)

 

 金細工と大ぶりの宝石が美しい装飾品が、床に転がっていた。すぐに気付く。楼蘭――双凛が付けていたものだ。そして同じ視界に、天井から降る木くずが映る。加えてその端、ちょうど猫猫の隣で、何かを投げたような体勢の子翠の姿があった。

 

 もみ合いになって落ちたそれを子翠が投げたのだ。そして神美の腕に当たり、狙いが外れた。

 その結果、双凛に怪我はない。そして――

 

「っあ、あ――」

 

 半狂乱の精神状態、飛発(じゅう)の反動、そして子翠の投擲の三つが合わさり、神美は体勢を崩していた。

 押された身体が窓枠を乗り越え、腰までがその上に傾く。手を伸ばせば窓の縁を掴むことができただろうが、その手は何を思ったか、硬く飛発(じゅう)を握り締めたまま。

 神美の老いた身体は、そのまま窓を超えてしまった。

 

「あああぁぁぁぁぁぁ―――――」

 

 悲鳴を上げ、落ちていく。その悲鳴すら、すぐに降りしきる雪に包まれ消えてしまった。

 

 猫猫たちも声を出せず、彼女が消えた窓を見つめるばかりだ。それくらい突然で――あっけなかった。

 

「――ははは」

 

 と、最初にその静寂を破ったのは双凛だった。彼女は床に大の字に倒れ、乾いた笑い声をあげる。

 

「なんだこりゃ。こんなンで終わりかよ」

 

 次いで、深いため息。猫猫はなんとなく、その傍に歩いて行ってしゃがみ込む。

 静かな――疲れたような眼をした彼女は、天井を見上げたまま、また同じような調子で呟いた。

 

「ほんと、くだらねーなぁ」

 

「そんなことないよ」

 

 隣を見やる。今度のその声は、猫猫ではない。

 子翠もまた、猫猫と同様に双凛の顔を覗き込んでいた。悲しみと慈愛と、その他猫猫が知らないもの混じったそれに、双凛は初めて目を向ける。

 

「そんなこと、ないよ」

 

 微笑み言う彼女と、そして猫猫に対し、

 

「……そっか」

 

 見つめ返す双凛は、そう自嘲するように表情をほころばせていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。