獣は時折、不意に起き上がり、腕立て伏せ・倒立・屈伸・柔軟などの運動を始める。
すっぱい汗の臭いが漂う。
一度始めると5分から10分程度続く。
終わると仰向けに寝て深呼吸。ついでに小便および水分摂取。
ひたすらこれの繰り返し。
堀部もついつい真似た。
獣は絡んでこなかった。ありがたいと思う。
もし同居人が相手のやることなすことに干渉してくるタイプだったら、この空間では急速に殺意が高まるだろう。
お互いに、だろうが。
それに堀部は彼の「いずれ、わかる」という口ぶりにも頼もしさを感じていた。
ここから脱出するチャンスを窺っているものと察せられる。
自分が入ってきたとき、彼は暗がりから飛びかかろうとする構えを見せていた。
もしも看守ひとりだったらたちまち攻撃して人質にする、などの計画をめぐらせていたのだろうか。
まあ、いずれわかる、のだろう。
それまでせいぜい体力をつけておこう。
時間経過もわからなくて、気の狂いそうなほど退屈していた。
とつぜん獣がムクリと起きあがる。
扉へ向けて前回同様、戦闘態勢をとった。
たしかに廊下側の扉が開いたような気配も、している。
なるほどこれを待っていたのか。
堀部も起き上がり、獣を援護する陣形をイメージしながら、身構えた。
扉が開く。
その動きを感知して一瞬おいて照明が灯った。
人はいない。
獣、小室へ入っていく。
後ろから堀部、覗きこむ。
隅に個包装のパンやサンドイッチ類が5点ばかり置かれてあった。
獣、座りこんでガツガツと食べ始める。
堀部が傍へ寄るとギョロリと睨みつけ、1つを投げてよこした。
小室はタタミ一畳程度の広さしかないので、堀部は扉より奥側の、照明があたる部分にヨッコイショと座る。
パンの袋をしげしげと見る。東北地方ならどこでも売られている銘柄だ。
かろうじて読めた消費期限は10月2日。
今はこの日付より前なのか?後なのか?
獣が平気で食べているので、心配は無いものとする。
それにしてもこれが食事とは。
脱出する希望が、かなり先へ遠のいた気分になる。
堀部が1つ目を食べ終える前に、獣は最後の包みを開けていた。
それはあんまりじゃないですか、と堀部は抗議の視線を向ける。
獣:餌はまた来る。我慢しろ。
おれは腹が減ってたんだ。
さ、袋はこの中へ捨てろ。
誰もいなくなると、この扉はすぐに閉まる。
小室の隅にゴミを放る。
人間がその下からいなくなると、扉は直ちに閉まった。
獣、また水を飲みに行き、定位置へ戻って横になる。
堀部も倣って水を飲んだ。臭くて気は進まなかったが、他に手段が無いのでしかたがない。
堀部:ねえ。
外へ出られる機会はあるものなんですか?
獣:……あるよ。
堀部:パンの袋で日付はだいたいわかると思うんですが、何日くらいで……
獣:おしゃべりはやめてくれ。やりにくくなる。
堀部は黙った。
いつかチャンスは巡ってくる。それまで待つことにした。
無愛想な男だが、ちょっとずつでも話していけば態度も軟化してくるだろう。
それにしても、せめてもう一つ欲しかった。
食い物の恨みは恐ろしいんだぞ。
次は容赦しないからな。
それから何時間経ったか。
また、獣が起きあがった。
堀部も、前回同様スタンバイする。
頭は食糧のことでいっぱいだった。
扉が開き、弱い光が射しこむ。
獣、すかさず踏みこむ。
堀部もすぐに覗きこんだ。
パンの代わりに、一本の金属バット。
獣、それを掴んでしっかりと握りしめ、堀部に正対。
その眼はどう控え目に解釈しても、獲物を前にした狩人のそれだった。
堀部、退がる。
獣、にじり寄る。
扉が閉まり、床と壁がほんのり光るだけの空間となる。
獣、突く。
堀部、
このとき、はっきりと憎しみの感情が籠もっていた。
食い物の怨みか。外の世界でつい最近まで苦しめられていた若造の目つきを思い出したからか。
獣は、油断していたと思われる。
バットを奪われ、動けなくなるまで殴られた。
勝者は堀部金丸だった。