天井のスリットから幽かに、マイクのスイッチを入れる音がした。
堀部金丸は金属バットを握りしめたまま、耳をすませる。
スピーカー:フフフ。意外や意外。
えー、おじいさん。
そいつまだ息があるぜ。とどめをさしちまいな。
堀部、しばらく考えてから、姿勢を崩さず返答する。
堀部:何をさせたいんだ。
その通りすればここから出してくれるのか。
条件次第だ。
マイクの向こうで何やら相談しているようだ。
やがて最初と同じ声から指示される。
スピーカー:おじいさん。
いま隔壁を開けるから、そいつとバットを中に置け。
抵抗したらもう一発殴ってやれ。
扉が開く。
堀部、バットを構えたまま、獣に、立てと命令する。
獣、逆らわず、ヨロヨロと這っていく。
境を越え、小室へ入って、うずくまる獣。
堀部、ここで躊躇する。
スピーカー:おじいさん、バットも返すんだ。
堀部:これを手放したら、こいつ、俺に襲いかかってくるじゃないか。
スピーカー:だからとどめを刺しておけって言ったのに。
おい
ここから丸腰で逆転劇、いけそうか?
岡島と呼ばれた獣、じっと堀部を見上げている。
抵抗の意思は無さそうにも見えるが、隙を窺っているようにも感じられる。
ここでの戦いを何度もくぐり抜けていることは間違いなさそうなので、堀部は憐れみをかける余地無しと判断した。
バットを構えたまま退いて、暗がりに身を置く。
岡島が踏みこんできたら、次こそとどめをさそうとしているのが明らかだ。
天井のスピーカーより、軽い笑い声のあと、マイクのスイッチを切る音。
静寂の中に男ふたりの鼻息が、より強調されて聞こえる。
堀部:岡島くん。
君は毎回相手をメッタ打ちにして、ここから追い出してきたんだろうね。
事情はわかったが、私もムザムザやられるわけにはいかない。
どうすれば脱出できるかを考えたい。
協力できるなら、これ以上の危害は加えない。
マイクで拾われる可能性があるのでなるべく小声で相手へ伝えるようにしたが、そんなことしたって聞かれていることだろう。
しかしこんな、絶対に信用できない同居人と耳元でヒソヒソ話などできるわけもない。
どうすればいいのか。
堀部は必死で考えた。
水を飲みたい。しかしそんな隙は見せられない。
そう思うと喉の渇きが一層つらくなる。
じりじりとイライラが募っていった。
ほどなく内側の扉が閉まる。
堀部、バットを握ったまま薄闇の中に取り残される。
耳をすませると、外扉が開いて、岡島が出ていったような気配がした。
外扉、閉まる。
少し経って、内扉が開いた。
照明の下には何も無い。
ここで天井から声。
スピーカー:バットを置け。
さっきの男はもう戻ってこない。次の差し入れまで、この部屋はあんただけの空間だ。
堀部は素直に従った。
内扉が閉まったあと、水を飲みに行き、小便もすませた。
岡島がずっと座っていた定位置へ寝転がる。
次の差し入れとは、食事か、人か。
そのあとで、武器か。
心構えをしておかねばならぬ。
見ず知らずの相手を二度と立ち上がれなくさせるまで殴れるだろうかという、心構えを。
疑問が生じてきた。
勝った方は、この牢から出られない。
むしろ負けた方が出ていかされる。
その先がもっとひどい場所という可能性だってありえるが、ここで勝ち続けることがゴールではない。
いったい誘拐犯たちの目的は何なのだ。
自宅に身代金の要求などは送られているのだろうか。ここは日本国内なのか。
パンは東北の企業の製品だった。じゃあまだM県内かもしれない。
S市の連続傷人事件と関係あるのか。
ありそうだ。
まさか、殺人ロボットをつくりだそうとしている?
情け容赦なく、通りすがりの少年や成人男性を襲って、怪力で足の骨を砕くような犯罪を仕出かせるような。
ここで、そんな選抜と訓練が進行中なのだとしたら。
……なんのためにだ?
まったくナンセンスに思われる。
ここまで大規模にやっていたら警察にもすぐに発見されてしまうだろうし、大富豪の道楽だったとしても資金繰りが続けられるわけない。
もっと合理的に説明のつくカラクリが隠されているはずだ。
それに、自分は、まきこまれた。
……これもまた謎だ。
武闘家を求めるなら、なぜ肉体を鍛えてもない老人を?
わからない。
考えれば考えるほど、沼に嵌まる。