ヤソエモンと呼ばれた男は、洋画でダンディな紳士が醸し出すような雰囲気を纏わせていた。
清潔感があり、歩き方も堂々としており、優雅だ。
やわらかな微笑をたたえ、至近距離まで迫ったときには芳香さえ匂った。
しかし堀部金丸にとっては迷う余地も無い。
牢屋の端でうずくまって、くやしそうに俺を睨みつけていた、あの顔だ。
垢まみれの作務衣に、伸び放題のヒゲや爪を生やしていたときの面影こそ無いが、まちがいない。
そして、今から俺を、いったい、どうするつもりだ。
堀部はバットで先制攻撃すべきか悩んだ。
スピーカーの声によるレギュレーションが絶対なら、サークル外で襲われる可能性は低い。
それもあるし、自分は今のヤソエモンへ怨みも敵意も抱いていない。
今度もメッタ打ちにしてやれる自信が無くもなかったが、ずいぶん後味の悪い思いをしそうだ。
逡巡が止まらなかった。
ヤソエモンは、寂しそうな眼差しを堀部へ注ぐ。
ゆっくりと右手を出してきた。
握手を求めているようだ。
堀部は半歩退き、腰をもう一段落とす。ありえないと考える。
却って疑いを濃くした。
こいつは何をたくらんでいやがるのか。
ヤソエモン、軽く目を閉じる。
やはりわかりあえないのか、と残念そうにしている……ように見えなくもない。
吐息と共に、目を開けた。
ゆっくり右手を、堀部が握るバットの先端へ重ね、ぐっと握る。
堀部、恐怖する。
バットを動かすことができない。
柄の先を左右にひねることすら不可能なのだ。
ヤソエモン、じわじわとバットを真上へ持ちあげていく。
堀部は両の腕が上がりきる前に手を離して、あとずさった。
ヤソエモンは常人離れした腕力を手に入れている。もはや勝てる見込みなど万にひとつも無い。
そう悟る。
ヤソエモン、振り向いて、サークルの方へ歩いてゆく。
円周の端にバットを静かに置き、自身は中心点を越えて反対側の端へ立つ。
そして、堀部を見つめる。
表情は紳士然としたままだ。
堀部:(大声)降参だ!ギブアップ!
こ、こんなの勝負にならない。
いったい何をやったんだ、この男に!
頭上で、マイクをONにする音。
スピーカー:おじいさんは頭がいいからさあ。
どうすれば彼を満足させられるか、考えてごらんよ。60秒あげよう。
ヤソエモン。
チャイムを鳴らしたら、サークル外でも攻撃を許可する。
好きにやれ。
堀部、まっ青になる。
思わず悪態をつくが無駄だと気付いてやめる。
この闘技場へ入ったときの穴はすでに閉ざされていたが、そこにすがりついて、なんとか最後の瞬間にでも逃げさせてもらえないかという希望にすがる。無駄と知りつつ。
スピーカーからアラーム音。
ヤソエモン、急にスイッチが入ったように動き始める。
堀部へ向かってきた。やや足早に。
堀部、へたりこみ、両腕で頭をかばう。
ヤソエモン、迫る。
両腕を広げ、堀部の上腕を抱えこむように掴んで、持ち上げた。
堀部:悪かった!
ゆるしてくれ!悪かった!
ヤソエモン、堀部をうつ伏せになるよう床に転がす。
堀部、膝をついて起き上がろうとする。
次の瞬間、左足のふくらはぎ真上から、ヤソエモンの左足が落ちてきた。
絶叫がほとばしる。
一撃のみ。ヤソエモン、無表情のまま立ち去る。
サークルの先へ。
入ってきた場所にスッと穴が開き、ヤソエモンが入るとすぐに閉じた。
その数秒後、別のドアが開き、黒装束が4人現れた。
青の紋章をつけた2人はストレッチャーを持ちこんで泣きわめく堀部を載せ、運び去る。
橙の2人は洗浄液を流して血まみれの床を清掃。テキパキと、慣れた仕草で。
その光景をスクリーン越しに眺めながら、数名の男たちが感想をささやきあっていた。
白衣の青年(浅井宏):ヤソエモン、完全に仕上がってますね。
もう実戦投入できるでしょう?
和装の老人(鬼庭良直):筋が良いから鍛え甲斐がなかったわい。
ところで今連れて行った方もサムライにするのか?
浅井:そのつもりです。
あれでなかなか素質あるんですよ。
どこまで改造するかは泉田先生次第ですけど。
鬼庭:サムライにするには齢をとりすぎている。
大丈夫なのか。性根も頑固そうだぞ。
浅井:それこそ適役なのでは?
鍛え甲斐もあると思いますよ。
筋肉質の中年男(
じゃあ、せいぜい楽しんでみるとするかな。
特製カリキュラムを用意しておくよ。