ヤヘエは、ただちに駆け出した。
まだ明るさのあるうちに安全なねぐらを確保せねばならない。
防災グッズだといって渡されたリュックを背負う。
5kgくらいあるな。
開けてみるのは、腰を落ちつけてからだ。
上半身に重心がくるのでバランスをとりやすい。
少し汗ばんできた頃、朽ちた祠をみつけた。
裏側が繁みになっており、姿を隠すのに丁度よさそうだ。
もぐりこむ。
喉が渇いていたので、飲み物はないかと荷物をあらためた。
あるには、あった。500mlのペットボトルが3本。
暗くて文字が読めないので、懐中電灯もないかと探す。
手探りで単3電池をセット。
ペットボトルは全て、市販の天然水だった。
他にはレトルト食品が約10点。水で60分ふやかせば食べられると書いてある。
食糧以外では、レインコートやラバー手袋、ウェットティッシュや歯ブラシ、カッターナイフにドライバー等。
ヤヘエはいささか途方に暮れた。
屋外で身を守るには貧弱すぎて話にならない。
せめてロープやサバイバルナイフが欲しかった。ビバーク用の寝袋もあれば最高だったのに。
スコップで穴を掘れれば、更に生存率を上げられるだろう。など建設的な愚痴を次々とこぼす。
岩場にもたれかかるようにして、なんとか寝床をこしらえた。
今夜はもう眠り、朝早く起きて移動しよう。
体が強張り、痛くて寝つけず、寒くて何度も小便に立つ。
夜明け前は最も気温が下がる。
全身がむず痒い。たまらずヤヘエは起きて歩き始めた。
寝込みを襲う熊も人間も現れなかったのは幸いだが、今日はどうなることか。
水場と食糧、それから武器を手に入れることが夜までの課題だ。
リュックの中の、要らないものは捨てよう。
目をぎらつかせながらヤヘエは森林を彷徨った。
時折、熊鈴のような音が聞こえ、隠れて様子を窺う。
この一帯はハイキングコースではなく、けもの道を踏みしめて歩くのは山慣れてそうな男ばかりだ。
猟銃を構えているのも見た。
敵でないなら救助を求めたいところだが、勝呂にあんなことを言われたため、どうしても躊躇する。
山籠もりするには装備が足りなさすぎたし、もとよりヤヘエは早く自由になりたかった。
そこで慎重にふもとを目指した。
欲しいものはすべて人間界にある。当然だ。
隠れる場所だって山の中よりずっと多彩で、とけこめる。
情報だって得られよう。
やがてアスファルトの道路が見えた。
トラックや乗用車が猛スピードで往き交っている。
ほっとした。帰ってきたぞという思いがこみ上げる。
崖崩れ防止のため設置されたフェンスを乗り越えて、ヤヘエは路端に立ち、下る方向へ歩き始めた。
歩行者用の空間など無く、大変危険であるが、むしろドライバーに気付いてほしいと思った。
何度かクラクションを鳴らされ、ギリギリまで体を脇へ寄せる。
小休止しながら。水分も補給しながら。
空は鈍い雲に覆われ、風は依然冷たく、町の姿はまだ樹々に塞がれて見えない。
ただ道路標識でM県とI県の境あたりを歩いていることは知れた。
それだけでも希望を感じた。
だからつい、怪人たちが常に自分を監視しているという忠告を忘れかけてしまっていた。
背後から人間の声を聞いた。
ヤヘエ、振り向く。
M県警察のパトカーが赤色灯を光らせてゆっくり接近中だった。
ヤヘエ、よく耳を澄ませる。
スピーカーを通して「立ち止まって両手を上げろ」と言っている。
半信半疑のまま、従う。
防弾ベストを着た警察官が2名とも降車。
ひとりはパトカーの後ろに立ち、あとから来る車に徐行を指示する。
もうひとりはヤヘエの傍まで来て、何をしているのかと尋ねてきた。
ヤヘエは一連の流れから、この2名は刺客ではない、と判断を下す。
ヤヘエ:あなたたちは本物のおまわりさんですか?
警察官N:本物だ。ほら、バッジを見たまえ。
ヤヘエ:ありがたい。私を保護してもらえますか。今すぐ。
警察官N:簡単に事情を説明してもらえるかな。
ヤヘエ:私は、堀部金丸。9月30日の夜に誘拐された。
ずっと監禁されていた。
今そこから逃げ出してきたところだ。
追われている。
警察官Nは顔色を変え、パトカーの無線で本部へ通報した。
それからすぐヤヘエを後部座席へ乗せ、一般車輌を誘導していた警察官Sを運転席に戻させて、走り出す。
サイレンは鳴らさなかった。
ヤヘエには、署で詳しく尋ねるから落ちつくようにとだけ語りかけ、そっとしておいてくれた。
ヤヘエは暖房の効いた車内で、ビニルのかかったシートに深々と体を沈みこませた。