ヤヘエが体の力を抜きかけた、その時。
パトカー前方約200mに、フルフェイス・ヘルメットの男が立ち塞がった。
車線の中央で手を広げてみせる。
遭難者やヒッチハイカーではなさげだ。
運転していた警察官Sはクラクションを鳴らしつつブレーキを踏む。
ヤヘエは目を見開き、すぐに状況を理解した。
直感的に、あきらめの表情を浮かべる。
パトカーはゆっくりと停止する。
フルフェイス、近寄ってきた。
助手席の警察官Nがマイクで制止せよと命令するが無反応。
警察官Sはハンドルを握ったまま身じろぎもしない。
警察官N、拳銃を構えて車を降りる。
なおも止まれと繰り返すが、フルフェイスは歩速をゆるめない。
ヤヘエは、警察官Nが実際に撃つ気はなさそうだと推測した。
やはりあきらめるしかなさそうだと考える。
一瞬の動作だった。
フルフェイス、スプレー缶のようなもので警察官Nの顔めがけて液体を噴きかける。
警察官Nがひるむと同時にその腹を蹴飛ばし、路面に倒れさせた。
警察官S、加勢すべく車を降りる。
警察官Nの絶叫が轟く。
ヤヘエが瞬きしている間に、警察官Sも倒される。
フルフェイスは情け容赦なく、2人の警察官どちらも酸で両目を潰し、左足のヒザ下を踏み砕いて無力化した。
シームレスな動きで外から後部ドアを開け、ヤヘエに出ろと手で合図。
ヤヘエ、従う。
それから数秒して、山を下る側の車線にミニバンが現れる。
昨日、ヤヘエが連れてこられたのと同じ車だ。
パトカーの隣で急停止。
フルフェイスが背面ドアを開け、ヤヘエを乗りこませる。
ミニバンはすぐに走り去る。
フルフェイスは片付け後、自力で帰還するようだ。
勝呂二郎:ヤヘエ、おつかれ。
オペレーションは終了だ。
このまま帰るから、寝てていいよ。
ヤヘエ、言葉が出ない。
勝呂:私はホニャララ。いついつの夜に誘拐された。今そこから逃げてきた。……だったかな。
感心しないねえ。
相手がたとえ味方でも、そこまでべらべらヒントを与えるべきじゃないよ。
ヤヘエ青ざめる。
すべてを常時監視されているというのは、ガチだった。
勝呂:とはいえサバイバル能力は悪くないと思う。いいスコアが出るんじゃないかな。
楽しかったかい?
その防災グッズ、どうだった?
ヤヘエ、脇に抱えたままのリュックへ目をやる。
言いたいことがいろいろあったことを思い出した。
頭の中でスイッチを切り換える。
ヤヘエ:サバイバル向きじゃない。
ビバークさせるつもりならちゃんとしたキャンプ用具を持たせろ。
勝呂:あはは。確かにそうだね。
ちなみにヤヘエは東日本大震災の体験もしてるのかな?
あれと同じ状況下なら、少しは役立ちそう?
ヤヘエ:少しも役立たないな。
どこへ避難するにせよ、夜がひたすら寒いんだ。
食器セットの代わりに使い捨てカイロがたくさん入っていれば、その方がずっと安心する。
勝呂:なるほど。昨夜もかなり冷えこんだけど、つらかったかな。
ヤヘエ:この服を着たままだったからなんとか耐えられたが、普段着だったら凍死していたかもしれんよ。
勝呂:レトルトは食べてみた?
ヤヘエ:ひと袋だけ。
泥まみれ虫だらけの場所でこんな手間暇かかるものを用意するやつの神経を疑う。
チョコレートかシリアルバーで充分だ。小分けにされていて、ちょっとずつ栄養補給できるような携行食が一番だな。
勝呂:防災士・災害備蓄管理士監修って書いてあるんだけど、被災を実際に味わったことのない連中の仕事ぶりみたいだねえ。
ヤヘエ:おおかたどこかの防災安全協会に名前の使用料だけ払ったんだろ。
天下り官僚はやたらと資格制度をつくりたがるから、そんな胡散臭い認定証が付いていたら買う前に候補から外せ。
勝呂:ハッハ。医療系やってると、そんな話題が果てしなくできるよね。
ヤヘエ:おまえさんは、どこの分野だ。
勝呂:整形外科ですよ。
いまさらですが、スグロといいます。
ヤヘエ:おれが左足をあのバケモノに潰されたあと、診察したのが最初だったかな。
勝呂:そうでしたね。うん、確か。
ヤヘエ:下っ端なんだっけか。
あのときは大先生の前でずいぶん緊張してる感じだった。いまはずいぶんな貫禄じゃねえか。
勝呂:ハッハッハ。まあ見習いはどこでだって、そういうものでしょう。
ヤヘエ:勝呂さんはいま何歳だい?
見た感じでは30いってないようだけど。
勝呂:なるほど。そんな風に攻めていって相手のプロファイルを引き出していくわけですね。勉強になりますねえ。
ヤヘエ:そんなに警戒されるとやりにくいよ、まったく。
教えといてやる。避難所では、孤立してるやつから折れていくんだ。だから極限状態であればあるほど、無理にでも陽気にしているやつだけ生き残る。
そんなことも、俺は震災から学んだ。
だから、勘弁してほしいな。