乙宗哉子の恩師がN市へ遊びに来ているらしい。
中華料理店で同窓会をすることになったという。
「じゃあ送迎するから存分に飲んできなよ」と寺坂信行は提案した。
数時間後「茅野くんや兼貞くんも混じることになった」と連絡が入る。
世間は狭いなあと感じつつ、哉子の彼氏であるところの信行くんも加われとその恩師から誘いがあったらしいので、寺坂は支度を始めた。
着いてすぐ、吉田より、不穏なニュースを聞かされる寺坂。
吉田:昨日から親父の消息がつかめないんだ。何か知らない?
寺坂:え、まさか。誘拐?
吉田:かもしれん。明日まで帰ってこなかったら警察に届ける。
寺坂:また警官が捜査にくるのかあ。
吉田:おれの職場にだって毎日のように来る。すっかりルーチンワークだ。
履歴書や出勤簿を揃えて用意しておけば疑われるどころかとても感謝される。
小野寺秀和(恩師):拉致事件もそんな頻繁に起きているのかね。
乙宗:足折りに比べたら地味ですし、特殊な例を除いて発覚までに時間がかかるんです。
県内全域が対象だし、ひょっこり帰ってくるケースも多くて、実態把握は困難でしょうね。
ただ、ここ数ヶ月で何百人もの男性が行方不明になっている。
先生も気をつけてくださいね。
小野寺:その事件の鍵を握る、唯一のといってもよい手懸りが、栗駒山の不審者Hというわけか。
私も、周辺を歩き回ってみたんだけどね。
茅野:あいかわらず無茶がお好きですね。
乙宗:健脚は衰える気配無しですか。
小野寺:毎日コップ一杯、美女の生き血を啜っていられるうちは、ほれこの通り元気だよ。
吉田:あいかわらずジョークがきつい。
小野寺:今日はまだ口にしていないが。
寺坂:小野寺先生は、この一連の事件に挑戦されているのですか?
探偵的なご興味ですか。
小野寺:誰しも惹かれてしまうだろう。胸躍らずにはおれない怪事件だ。
寺坂くんは興味をそそられないのかね。
寺坂:地元民だし、近所から何人もいなくなってますので、とてもそんな悠長には構えていられません。
小野寺:なるほど。
ひとつ忠告しておくよ。
警察は頼るに価しない。
寺坂:まあ、そこはわかってます。
小野寺:では、どんな対策をしているかね。
寺坂:足折りに襲われても、誘拐されるとしても、狙われたら逃げきれないでしょう。
せめて焦らず、そのときの状況をはっきり記憶しておきたいと思っています。
それから普段の心掛けとしては、家族や友人・同僚との連絡を常時、密にしておくことに尽きますかね。
小野寺:立派だね。
それは震災への心構えとしても、まったく同じメソッドが通用するな。
寺坂:そうですねえ。あの体験から学んだ教訓に拠っている部分は大きいかもしれません。
小野寺:寺坂くんはPOなのかい?
寺坂:いえ。コンピュータ専門です。
コンサルタントの推薦で雇われた前任者がずいぶん設備投資をやらかしたんですけど、ちっとも業績が捗らないので、それをなんとかしてくれと採用されました。
今は会計処理から経営戦略設計やらまで、なんでもやらされてますねえ。
茅野:それのおかげで大勢クビにされました。
まったく疫病神だぜ。
寺坂:おれが鉈を振るったみたいに言うな。黒幕は田村と大石だよ。
おれは、やつらに操られているだけなんだ。
吉田:僕の父が総務課長で、寺坂さんの上司だったんですけど、先月とうとう用済み宣告です。
なあ今どんな気持ち?
寺坂:酢豚が絶品だ。
知ってるかい?
パイナップルを入れるのは、こいつの酵素で肉を柔らかくするためなんだぜ。
吉田:知ってるよ。ブロメラインだろ。
ちなみに缶詰のパイナップルは加熱処理で酵素を破壊されているから、酸味や彩りを加えるくらいの効果しかない。
乙宗:へー。知らなかった。
寺坂:お父さん、辞めてからはどんな感じだった?
吉田:すぐ派遣会社へ行ったんだよ。
あの年齢でもできる仕事はそこそこあったんだけど、今迄の年収を考えたら失業保険をもらう方が実入りいいですよってアドバイスされて、しばらく無職でいることにした。
ハローワークで申請出して、月に2度通って求人選んで相談するってノルマさえこなせば前職の賃金日額を基準に5割から8割もらえるんだ。
そのために何十年も雇用保険払ってきたんだから少しくらい取り返しとかなくちゃ損だろ。
って話をしてたのに、行方不明だよ。
だから自分の意思で失踪した可能性は、1ミリだって無いね。